さようなら、ザジ 6









幼いザジを連れて、ゾロはイーストブルーに戻った。
グランドラインと違ってこの海の気候は安定している。初夏の潮風が頬に気持ちよく、ゾロは此処から自分の生まれ育った村を目指した。


「おい、シモツキ村ってどこか知ってるか?聞いたことはないか?」
数人に尋ねるが芳しい返事はもらえなかった。
とりあえず海を渡るうちにどうにかなるだろうと、ゾロは小さく手頃な船を手に入れた。
そんなある日のことである。
「あ〜あ〜」とザジの声が聞こえ、甲板に出ると海に浮かぶ一隻の船を見つけた。
大きな魚の頭と尻尾を持つ、非常にヘンな形をした船だ。
そこに書かれた名前は、「レストラン・バラティエ」


改めて見ると、本当に変な形だ。これもオーナーの趣味だろうか。長い三つ編みの髭を持つ、かつてはグランドラインを渡ったという元海賊船の船長が経営するレストランである。
メリー号のコックもこの船の出身だったのを思い出し、ゾロはザジを伴ってバラティエへと向った。










「ヘイヘイ、いらっしゃいませ、クソお客様!」
挨拶と共に出てきたのは見覚えのある顔だ。名前は知らないが、おそらくコックの元同僚だと思われる。いかつい顔にねじり鉢巻とエプロン、とても接客に向くとは思えない顔だ。
「アレ、あんた…?あんた、アレか!確かアレだよな!」
その男もゾロの顔は覚えているが名前は覚えていないらしい。
アレだ、アレアレアレとゾロを指差し、ひょいとズボンの影から顔を覗かせたザジを見て首を傾げた。
「…サンジ?」
と呟いて、
「んなわけねえよな…。だけど似てるな。髪の色とか、眼の色、おまけに眉がぐるぐる巻いてやがらあ。こんな珍妙なのは滅多にゃいねえぞ、ガハハハハハ」
大声で笑い、何を思いついたのか手をぽんと打つと、

「ああ、そうか、サンジのガキか。そりゃあ、似てて当たり前だ」
そうかそうかと安心したように頷き、そして自分の言葉に驚いて今度は大声で叫んだ。
「んなにいいいいい?サンジのガキだああああああ???」










「サンジの奴、いつの間にこんなガキをこさえやがった?」
「たしかに奴ァ、女好きだったからな」
「しかし、そっくりだぞ」
調理室で大勢のコックに取り囲まれ、ザジはきょとんとした表情だ。
そしてこの部屋がよほど珍しいのか、きょろきょろ周りを見渡してついには鍋や釜、お玉などをおもちゃのようにいじりだした。

「で、肝心のサンジはどうした?」
「そうだ、奴はどうした?」
「何で一緒じゃないんだ?」
「…ま、ま、まさか、コイツは奴の忘れ形見だとでも言うんじゃねえだろうな…」
「何いいいいいい!」
「そうか?」
「そうか?」
「そうなのかああああああ!」
「確かに生意気な奴だったがよ、まさかこんなに早死にするとは…」
しんみりとコック達が項垂れ、ゾロがひとことも口を挟む間もなく勝手に話が進んでゆく。ついにザジはサンジの遺児扱いだ。もちろん説明が面倒だから訂正はしない。
コックが此処を出て行ってからおよそ1年と半年。同じ1歳半近くになろうという子供がいること自体変なのだが、そんな基本的な疑問を持つ人間はここにいないらしい。
そのとき、食器の割れる音とともに、「あ〜」と甲高い声がして泣き声が聞こえた。
見ればザジが悪戯して食器を割って驚き、そしてその破片で膝を切ってしまったようだ。
「何やってんだ、お前は?いやいや、怒ってるわけじゃねえから。大丈夫だから、いいから泣くな」
血が出てる膝にゾロは自分の黒い布を巻きつけ、大泣きするザジを抱き上げて、
「ほれ、もう痛くねえだろ?」
痛いの痛いの、おじちゃんまで飛んでゆけ〜と、放り投げる仕草をするとソレを飛ばされたカルネが文句を垂れた。
「おいこら、何で俺なんだ?」
「『おじちゃん』っていったらおめぇしかいねえだろうが。ほうら、お兄ちゃんがとっても美味しそうなデザートを作ってやったからな。めそめそ泣いてたら食えねえぞ〜」
パティはデカイ身体に似あわぬエプロンをひらひらさせて、くるりと回ってザジの目の前にプリンを差し出した。
「おいおいこらこら、何処にお兄ちゃんがいる?それよりもそんなの食うと腹壊すと思うぞ」
「おめぇのクソまずい飯よりはマシだしぃ〜」
「何をっ!」





「お前ら、やめねえか」
ずっと黙って聞いていた赫足のゼフが二人を制した。
「まだ聞いてなかったな。コイツの名前は?」
「ザジだ」
「ザジか。で、お前はこいつをこれからどうするつもりだ?」
本当にサンジの子供かと訊かず、サンジはどうしたとも問わずにゼフはゾロに問いかけた。
「俺の故郷へ連れていこうと思ってる。両親はおそらくまだ健在だ」
そうかと返事したまま、無造作にザジを抱き上げ、
「こりゃ、将来女好きで小生意気なクソガキになりそうだな。い、い、いでで…。こらこら、髭を引っ張るんじゃねえ、チビナスが」
そしてゾロに言った。
「引き取ってもかまわんぞ」
「あ?」
「いろいろと事情があんじゃねえのか?だからコイツを引き取ってここで育ててもいいといっておる」
「アンタが?」
「何だ、不満か?」

不満などあろうはずがない。
ここはコックにとって故郷同然だと聞いている。そこで育ててもらえるならば、ゾロとしては文句のつけようがない。
これから自分の故郷を探し、いらぬ説明して親に頭を下げなければならないことを考えれば、大幅な時間の短縮にもなる。もちろん、その分だけメリー号へ早く戻れるのだ。

「そうしてもらえれば助かる」
ゾロの返事にゼフが大きく頷くと、コックたちが口々に喚きたてた。

「オ、オ、オ、オーナー正気ですかいっ!」
「ここは保育園じゃねえでがすよ!?」
「俺たちゃコックで保父さんじゃありませんぜ!」
「いくらサンジの残した子供とはいえ、こんなガキにうろちょろされたんじゃ、邪魔でしょうがねえ!」

「うるせえっ!」
ゼフがコックたちを一喝し、静まり返った部屋に断固とした低い声が響いた。
「俺のやり方に文句がある奴は出ていってもかまわん」





「アンタ、いや、ロロノア・ゾロだっけ。もういっちまうのか?」
「ああ、プリンを食ってるうちにな」
パティが少し心配そうに訊ねた。ゾロはザジがプリンを食べているのを横目で確認して、そしてそっと部屋を出た。
せいせいしたような、でも少し寂しいようなヘンな気分である。
これからグランドラインへ戻るための準備をしなければならない。
またあの港町へ行って、そこでナミの電々虫に連絡をしてどこかで合流すればいいだろう。
自分の船に戻ったゾロは何か忘れ物をしたような感じにとらわれた。
気づくと左腕がうすうすう心もとない。
いつも腕に巻いているものをザジの膝に残したままだったのを思い出した。取りに戻ろうかとも思ったが、何故かくれてやってもいいような気がしたゾロはそのまま荷物の整理を始めた。
何故そんな気持ちになったか自分自身で不思議に思っていると、もうひとつ忘れ物を見つけてしまった。

銀の小さな懐中時計。

久しぶりに螺子を巻き上げようと思ったが、ゾロは手を止めた。
あの音色を聴いてはいらんことを思い出してしまうかも知れない。
例えば、自分に向けられる愛想が悪く生意気な表情。そしてその顔がみだらに変わるさまとか。たまに、ごくたまに自分を呼ぶ低い声。
「ゾロ」と、呼ばれて自分はどう返事しただろうか。
あの森で見た大きな樹。青い空。しばらく会っていない仲間の顔も思い出す。

『帰って来い』
『早く帰って来い』
『サンジを連れて帰って来い』



「チクショー…、やっぱり余計なことを思い出しちまった…」

思い出したことを打ち消すように頭を振って、懐中時計を掌に握りこんでゾロは立ち上がった。
これをゼフにそっと渡そうと決心した。薄々は感づいているだろうが、これを見ればおそらく確信するに違いない。










「どうすんだよ、これ…」
「いい加減、泣き止まねえかな…」
「もうすぐ夜の仕込をしなきゃなんねえってのに…」
「どっか空いてる部屋にでも押し込んどくか?」

小さく背を丸め、床に突っ伏したままザジが嗚咽を上げている。
プリンを食べ終え、ふとゾロの姿が見えないのに気づき大声で泣いて、捜そうとして部屋を出ようとするのを押さえられ、暴れて泣いて、そして今では団子虫のように小さく丸まってひっくひっくと泣いている。
その様子をコックたちは遠巻きに見て溜息を漏らした。

「そのうち諦めて泣き止むだろう。いいからお前らは仕事しろ」
オーナーの一声で調理場が一斉に動き出した。



その様子をゾロは扉の影で見ていた。
オーナーの判断は間違ってはいない。もう少しすれば、時間が経てばザジは諦め、そして新たな自分の環境に馴染むに違いない。まだ幼いからゾロのことだってあっという間に忘れて、最初はペットのように可愛がられ、そしていずれはまたコックとして仕込まれ、海賊とは関係ない、自分を含めた仲間達とはまた違った人生を歩むだろう。

だが。
だけど。
誰か泣いているザジに触れてやってくれないだろうか。
あの小さな背中にそっと手を置いてくれるだけでいいのに。

『不安で泣くの。お腹もいっぱいで、おむつも汚れてなくて、眠いわけでもなさそうなのに泣くのは、まだこの世界に馴染まなくて不安だからよ。まだ幼いんですもの仕方ないわ』
あの船で赤毛の女が教えてくれた。
『やさしく撫でて声を、そして名前を呼んで安心させてあげてね』
此処に女が一人でもいればいいのにとゾロは思う。


叩きつけるような大きな包丁の音。鍋やフライパン、食器がガチャガチャと甲高く鳴り響き、そこはあたかも戦場のようだ。厨房にもうもうと湯気や煙が立ち込め、何人もの怒鳴り声が聞こえる。その濡れた床に丸まった背中が、小さく震えているのが見えた。
ゾロは小さな溜息ついて、掌にある懐中時計をズボンのポケットにしまい、そして厨房の中へと入った。


「アンタ、帰ったんじゃないのか?」
「なんか忘れモンでもしたか?」
近くにいたコックに声をかけられ、
「ああ、どうやら忘れモンしちまったらしい」
その声に、床にうずくまった黄色い頭が持ち上がり、顔をくしゃくしゃに歪ませてゾロに飛びついた。
「あ〜、悪かった、俺が悪かったから、あんま泣くな」
耳元で泣かれると煩くて仕方ねえと、しがみついて泣くザジの背中をぽんぽんと軽く叩き、そして何も言わないオーナーに話しかけた。

「ちっとばかり気が変わった。勝手をいって悪かったな」
やっぱりコイツは連れていくと、考えが変わったことを伝えた。
「どうして気が変わったかは知らねえが、連れまわすだけ連れまわして、そこらに放っぽり投げるなんてことをしやがったら承知しねえぞ。責任が持てねえなら、このまま此処に置いていけ」
「大丈夫だ。やはり俺の親に面倒見てもらうことにする。子育ては少しばかり間が空いちまってるが経験者だから問題ねえだろ。おそらく孫のように可愛がってくれると思う」









外はもうすっかり夜になっている。
暗くて足元がおぼつかないザジを肩車して、ゾロはまた自分の船に戻った。
すると、きらきらと零れ落ちそうな星空から、いきなり天から自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ぞろ」

あ?と上を見ると青い目が自分を見ている。小さな手で髪を毟るように頭にしがみついて、泣き腫らした眼をして幼い声で自分を呼ぶ。まだ滑舌はしっかりしていないが、それでもそれは確かに自分の名前だ。
「ぞろ」
「おいおい、やっとしゃべれるようになったんか?」
また、「ぞろ」と名前を呼ばれて、
「いつまで経ってもしゃべんねえから心配しただろ。あのコックはいつも無駄口と憎まれ口ばかり叩きやがったぞ。まさかお前がこんなに口が遅いと思わなかった。それとな、しゃべれるようになったからって、迷子になんじゃねえからな」
俺に迷惑がかかると、ザジに話しかけるゾロに、

「ぞろ」
「おう」

「ぞろ」
「おう」

嬉しそうに、まだ涙で濡れる眼で笑うザジに、

「ぞろ」
「おう」

ちっとしつけえ、笑うゾロの頭上に何度も名前が呼ばれ、そして夜空の星がふたりに降り注いだ。










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