さようなら、ザジ 4









世の中には不思議なことがあるものだ。ゾロは小さく首を傾げた。

「邪魔だっていってんだろうが?聞こえねぇのか?」

眉毛が巻いている。くるくると。

「なァ、誰かこのおっさんをどかしてくれよ!荷物が運び込めねえ」

しかも頭が黄色い。

「サンジッ!危ねえから、早くこっちに来い!」

誰かがこの子供をサンジと呼んだ。

「食われちまうぞっ!」

二度までは許してやるが、三度目は駄目だ。とりあえずゾロはその男をぶん殴った。








「で、何でこのガキがコックなんだ?説明しろ」
「コック?サンジだろ?」
口で言うよりもう一度殴ったほうが早いだろうかと、ゾロが考えている間に店のオーナーがやってきた。

「そいつは天使の子供になっちまったからな。アンタは知り合いか?」

恰幅のいい、少し赫足のゼフに似た男だ。白いコックスーツを身にまとっているのは、オーナー兼ここの料理長でもあるのだろう。その点でも似ている。ゾロは質問の矛先をその男に向けた。

「天使の子供?なんだそりゃ?それより、こいつは誰だ?確かに似ているが、うちのコックはこんなガキじゃねぇぞ」
「うちの?そうか…。じゃあ、アンタの元仲間ということになる。こうなっちまったのは山に入ったからだ。あの立入禁止の山に」

確かに山に行った。それは間違いない。コックは自分を捜しに山に来た。それよりも、元とはどういう意味か?しかも、この子供は本当にコックなのか?

「あの山には昔から天使が住まうという伝説がある。その天使が奏でる音楽を『天使のおるごおる』という。稀にだが、それを聞いちまう奴がいる。その為にあの山は立入禁止なんだが。こいつは山に入ってソレを聞いてしまったようだ」
「『てんしのおるごおる』?」
「ああ、それを聞いちまうと」
こうなる。とオーナーは子供を見て、促されるようにゾロも見た。
「………こう…なるのか?」
「そうだ」



眩暈を起こしそうな話だが、なってしまったものを今更どうこう言っても仕方ないだろう。ゾロはオーナーに訊ねた。
「で、こいつはいつ元に戻るんだ?」
「戻らねえ」
はっきりとした口調だった。
「アレはな、あのオルゴールをどこまで聞いたかで決まるらしい。1小節くらいなら12年の逆行ですむ。滅多にはいねえが、最後まで聞いちまうと赤ん坊まで戻っちまうらしい。こいつがどこまでソレを聞いたか、俺はもちろん、おそらくこいつにもわからねぇだろうよ」

ゾロの頭に浮かんだのは大きな樹だ。その樹の下でコックは何か言ってなかったか。音がどうとか、メロディが……。
ゾロはなぜか猛烈に喉の渇きを感じた。

「あの時は俺も一緒だった。何で俺には聞こえなかった?それより、何で戻らないといいきれる?アンタ、全部が全部知ってるわけじゃねぇだろ?戻った奴だっているんじゃねえのかッ!ずっとチビのまんまだってのかッ!」
「興奮してデカイ声を出すな。最初に言っただろうが。聞いちまう奴がいるって。山に入れば皆がソレを聞くわけじゃねえし、耳がいい悪いの問題でもねえ。何でソレが聞こえるのか、何故にそんなものがあの山にあるのかすらも、誰にもわからねぇ。ただ、昔からソレを『天使のおるごおる』と呼んでいる。少しばかり説明が悪かったか。アレは今、こいつの時間を巻き戻している。ギリギリとオルゴールのネジを巻くようにな。その後は普通に成長するから心配するな」
「普通に成長?」
「こいつに成長促進剤でも使ってみるか?身体だけは早くデカクなるかもしれねぇからな」

ゾロは口の中がカラカラに乾いて仕方ない。おまけに頭痛までしてきた。
ようするに、コックはあの音の所為で子供に戻っている。どこまで逆行するかは不明だが、その後は普通に成長するらしい。
成長。元に戻るとかの問題ではなく、成長だ。
頭痛が激しさを増した。

「ついでに教えてやる。こいつはこの話を知ってるぞ。ここで働いてるうちに、自分に何らかの異変を感じたんだろう。自分から訊いてきたから全て教えた」

その事実にもゾロは驚いた。全てを承知の上で、自分で船を降りると言ったわけである。

「一旦、船に戻っただろうが。それからすぐまたここに来て、働かせてくれって自分から頼み込んできた。確かにどこまで戻っちまうのかわからねえんじゃ、船で面倒みてくれとは自分からは頼めねぇ。だが、俺は少し冷たいんじゃないかと思ったがな。アンタらを責めるわけじゃないが」

ルフィの話を思い出した。5歳になる孫娘。あの時、自分はなんと言っただろうか。5歳の子供じゃ足手まといになると言わなかったか。
元仲間。その言葉にはどうやら批判の意味も込められていたらしい。

「……アンタがこれからこいつの面倒を見てくれるのか?」
不思議そうに二人の会話を聞いている子供に、ゾロはちらりと視線を向けた。子供に戻ったサンジはゾロのことすら覚えていない。
「いや。天使の子供は昔から山の住人が面倒を見ることになってる。一度ソレを聞いたら二度目はねぇからな。山に住んでるのはみんな天使の子供だ。山で暮らしながら、巻き戻った時間が元にもどればそれぞれに山を降りて元の場所に帰っていく。たとえ赤ん坊になっても、やつらが面倒を見るのがあの山の掟だ。今は数人のヤローしかいねぇが大丈夫だろう。奴等も他所からきた海賊だったがあの山で子供になって育ててもらった。自分がしてもらったことを人にするのは容易い。かなりガラは悪いが問題はない」

問題は大ありだ。
アレは山賊ではなかったのか?いや、山賊だと思ったからこそ…。ガラが悪かった所為もあるが…。アレはあの山から自分を追い払おうと襲ってきたのかと、ゾロは頭を抱えたくなった。
よりにもよって、ソレを成敗してしまった。

「こいつはどこまで戻っちまうんだ……」
独り言のように呟いたゾロの言葉にも、オーナーは答えた。
「大人のうちは時間の逆行もゆるやかだ。回りも気づかないほどに。だが子供は非常に早い。今こいつは一日一日をひと月、年単位で戻ってる。明日になればわかる。戻るところまで戻れば、そこからは成長するだけだ。その時期でないなら、明日の朝にはおそらくもっとガキになっちまってるし、もしかすると明日から成長するかもしれねえ」
「……医者に診せても無駄か…」
ふとチョッパーを思い出した。トナカイがいたらこの状況になんと言うだろう。何も出来ない自分を責めるだろうか。
「ああ。こいつは俺たちとは別の時間で生きている。治すとかの問題じゃない。生きてる時間が違う。医者じゃ治せねぇ」

おい。とゾロはサンジに話しかけた。
「お前、バラティエを知ってるか?」
サンジは知らないと首を左右に振った。この頃はまだなかったのかもしれない。
「赫足のゼフは?」
さらに首を降る。こいつはコックじゃないんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。何故、知らない?覚えていないのか。それとも、まだ出会ってないからか。
「オールブルーは?」
その質問に子供は驚き、嬉しそうに笑った。
「おっさんも知ってるのか?俺ァ、信じてるぜ!みんなはバカにするけどな。きっとどこかにあるんだ!」

その笑顔にゾロはますます頭が痛くなった。
コックは笑顔だけは子供じみている。そのまんま子供になったコックが、にぱ、と無邪気に笑った。

「お前は何しに戻ってきた?こいつを迎えにきたのか?」
「…いや。だが、ここままじゃ…」
なんと仲間に説明してよいのか、さすがにゾロは頭を抱えて床に座り込んだ。

山の中でセックスしたらコックが『天使のおるごおる』を聴いた。その所為で子供になってしまった。もっと子供に戻る可能性がある。自分は「ガキは足手まといだ」と言ってしまった。その所為かどうかはともかくコックは船を降りて、『天使の子供』を育ててくれる山の住民を間違って倒してしまい、よってコックを育ててくれる……。
どう考えても自分に分が悪いではないか。

床に座り込んだゾロにオーナーが優しく言葉をかけた。
「おい。なんならアンタもここに泊まるか?部屋ならあるから構わねぇ、一緒に寝泊りして面倒見てやってくれ」
コイツの面倒を?と、サンジを見ると、
「ええええっ?こんな人相の悪ィおっさんと一緒の部屋かよ?」
露骨に嫌そうな顔をしたので、とりあえずゾロは拳固をくれた。嫌なのはお互い様だ。








ゾロは朝になるのが怖い。
このレストランに世話になった翌日の朝、サンジはもっと子供になっていた。昨日のことを全て忘れて、「アンタ、誰?」と訊いた。
オーナーの話したことは事実らしい。すごいスピードでサンジは子供になってゆく。昨日よりも、そのまた昨日よりも。
4日目の朝、3歳くらいの子供が隣に寝ていた。目が覚めると、「…おしっこ。おいちゃん、おしっこ」とまだ眠そうに眼をこすっていた。

ゾロは部屋でひとり溜息をついた。傾いた日差しが窓から差し込んできている。夕暮れが近いのだろう。
サンジが小さな鉢植えを手に戻ってきた。レストランの裏口付近で遊んでいたら、通りかかった花売りにそれを貰ったらしい。小さな鉢に入った小さな小さな赤い花。

ゾロは朝になるのが本当に怖い。
その夜、寝る前にゾロは真剣な顔でサンジに語りかけた。
「もう、ここらへんで止めとけ。な?これ以上小さくなるなよ?頼むから…」

翌朝、目が覚めると赤ん坊が隣に寝ていた。
いつも寝てばかりいるが寝起きは悪いほうではない。低血圧でもないが、何故かゾロはその朝くらりと眩暈がした。
腹でも減ったのか、目が覚めて愚図りだした赤ん坊を抱きあげゾロは途方に暮れた。
「……お前、…こんなになっちまって………」
いっそ、一緒に泣きたいくらいだ。そこへ部屋をノックする音が聞こえた。



「…ここまで戻っちまったか…。滅多にゃねえんだがな。ここ23日、やけに逆行するのが早いから、もしやとは思っていたが…」
オーナーが小さく唸った。この男なりに、サンジのことを心配してくれていたのだろう。すぐに山に連れて行かず、ここで面倒を見てくれたことなど見かけによらず心の優しい男だ。
一緒に部屋に入ってきたのはウエイターだった。このレストランで一番最初にゾロが声をかけた男である。その男が部屋に置いてあった鉢植えを見るなり、
「おいっ!今日はアンタの誕生日か?」
驚いたように訊ねた。
「あ?…そういやすっかり忘れていたが…」
誕生日など気にしたことはないが、今日が1111日なら自分の誕生日のはずである。だが、何故それをこの男が知っているのか不思議だ。不思議といえば、鉢植えの花が赤から白へと変わっていたのも不思議である。
するとウエイターが大声でゲラゲラ笑い、そして、
「そうかそうか、アンタの20歳の誕生日か!いやいや、この花はここら辺じゃバースデイフラワーって呼ばれてんだよな。よくある花だが、20を迎えるヤツに贈るのがここの習慣だ。何故かは知らんが、その誕生日になると赤い花が白に色が変わるんだ。不思議だろ?」
じゃあ、そいつが『天使の贈り物』か!と、赤ん坊を指差し、再び腹を抱えて笑った。

不思議花のことはわかった、だが天使の贈り物とは何だろう?事情が呑み込めないゾロに、
「この島じゃ20歳の誕生日、その記念すべき日の一番最初に貰ったプレゼント、手にしたものを『天使の贈り物』と呼んでいる。天使から与えられたものだから大事にしなければならない」
オーナーが苦笑いをした。
何故か腕の力が抜けおちたゾロは、天使からもらった贈り物を床へ落としそうになった。










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2006/12.14