さようなら、ザジ 3









あの島から5日ほど経った時のことだ。
航海は順調に進み、次の島を目前にして船長は期待に目を輝かせ、船内はにわかに活気立つ。
上陸に備えて自分の荷物を点検していたゾロは、その中であるものを見つけた。
銀のチェーンがついたアンティークな懐中時計。
それが何故か、自分の荷物の中に紛れ込んでいた。


どうして、これがここに?


小さな螺旋を巻き上げるとオルゴールが鳴り渡る。爪弾くような硬質な音楽は耳に馴染んだものだ。一緒にいれば、嫌でも耳に入ってくる。
これはコックの持ち物だ。どこで買ったのか、もしくは誰に貰ったものかは知らないが、いつも大事に身に着けていたのは知っている。

そんなものが、何故ここに入っているのか。
ゾロは掌に乗せたまま床に座り込んだ。薄暗い男部屋。いつしか音が鳴り止み、天井の出入り口から差し込む光が時計を鈍く輝かせた。







「知らないっていってるのよ。変でしょ?」
上陸した島のレストランで食事を終えたときのことである。ナミが不満と疑問を口にした。
「あのレストランにいて、そんな話は一度も聞いたことないって。オールブルーは夢物語だと思っていたって言ってるのよ?長年、そこに勤めていたコックが知らなくて、なんでたかが2週間くらいしか働いてないサンジくんがその情報を手に入れることができたわけ?」
ナミが立て続けに疑問を口にする。確認しようにも当の新人コックは船番のため不在だ。チョッパーが心配そうな顔で呟いた。
「もしかすると、サンジはそれを教えてくれた男に騙されてるのかな…?」
「ああ、その可能性はあるよな。自分の夢だろ?そりゃあ信じたくもなるってもんだぜ」
ウソップも珍しく神妙な面持ちだ。
騙されているのなら問題はないだろう。問題があるとすればコックの嘘だ。酒を飲みながらゾロは黙ってそれを聞いていた。

「ねぇ、一回戻ったほうが…」



「いや」

ルフィがナミの言葉を遮った。
「連絡もこない内に迎えに行ったらサンジはどう思う?それをヤツは喜ぶか?」
だからルフィは待つという。
絶対に戻るとサンジは言ったからと。
その言葉の小さな間違いにゾロは気づいた。
絶対に帰るとコックは言わなかったのではないか。船長の問いかけに、ただ笑顔で返事をしただけではなかったか。あの子供じみた笑い顔で。
ゾロは残りの酒を一気に飲み干した。
「俺が行ってもいい。少しばかりヤツに用事があるからな。別に迎えにいくわけじゃねえぞ」
「はァ?ゾロ、アンタが?」
「バカが大事な忘れもんをしやがった。返しながら、ついでにあのバカの様子も見てきてやる。第者がいれば騙されてるかどうかも分かるだろ?」
「忘れ物って何よ?」
ゾロは懐中時計をとり出した。
「……これを忘れてったの?」
ゾロの手の中で鈍く光る懐中時計。
「コックさんの宝物ね。赫足のゼフから貰ったものだと聞いてるけど」
16の誕生日だっけ?仕方ないから貰ってやったなんて言ってたけど、素直じゃないわよね。あんな嬉しそうな顔して」
バカみたい。ナミはそういって懐中時計を指で突いた。だがその顔は優しく穏やかな表情だ。
「へぇ、そうなのか?初めて知った」
これはルフィだ。
「俺もそんな話は初めてだぜ」
「だったら、すごく大事なものじゃないか!」
ウソップ、チョッパーも知らなかったらしい。
ゾロもそこまでの事情は知らなかった。
あのアホが、女にだけ言いやがって…。思ってしまってから、苦い思いがゾロの胸に込み上げた。これではナミやロビンに嫉妬してるみたいではないか。


「で、アンタがこれを返しに行きながらサンジくんの様子を見てくるわけ?」
肯くと、ナミは心底呆れ返った表情になった。
「…自分が簡単に辿り着けると思ってんの?家にも帰れなかったくせに…。サンジくんはいなくなっちゃうし、ここへきてアンタまで迷子になる気?やめてよね」
「迷子?記憶にねぇぞ。いつも少しだけ遠回りしてるがな」
「世間じゃそれを迷子っていうのよっ!」



「ゾロ、大丈夫か?」
何故かルフィは心配そうな顔をした。
「は?当たり前だ、子供じゃあるまいし」
「帰ってくるんだよな?」
「当然だろうが」
「約束できるか?」
「これを渡して確認してくるだけだ。それで約束なんて少し大袈裟じゃねえのか?」
返事をしながら、ゾロはサンジが船を降りる時の会話を思い出した。あの時も船長は何度も確認していなかったか。

「そうか」と、船長は笑って、いつしか新しいコックの話題に変わっていった。
「アイツ、すんげえよな!この前、鼻息で敵を全員吹き飛ばしたぞ!」
ルフィは楽しそうにゲラゲラ大笑いした。その時のことを思い出したのであろう、チョッパーやウソップも腹を抱えて大笑いだ。
確かに新しいコックは戦闘要員としても問題ない。そして早くも仲間に馴染んだようだ。





ゾロはひとりグランドラインを逆走する。
あの島へ戻るための船をウソップが探し出してきてくれた。ナミからは多めに金を渡され、チョッパーは携帯救急セットを用意してくれた。ロビンは地図を描いてくれて、新しいコックは万一に備えて保存食を作ってくれた。ルフィはその保存食を恨めしそうに見て、
「ゾロ、俺が代わりに行ってやろうか?」
「保存食が美味いとは思えないけど、なんならアンタも3食それにしてみる?」
ナミに小さな嫌味をいわれた。
旨くないとナミのお墨付きをもらった保存食、携帯救急セット、地図、金、そして目に見えない何かをゾロは仲間から貰った。


早く帰ってこい。
迷子になったら恥ずかしがらずに人に道を聞け。余所見をするな。できればサンジも連れて帰って来い。忘れずに連絡だけはしろ。
迷子になるな、迷子になるな、早く、早く、早く、できるだけ早く帰って来い。サンジを連れて帰って来い。








ウソップが手配してくれた船はメリー号以上に小さい漁船であった。しかもボロイ。波と天候に翻弄されながら、倍の10日近くかけてようやく島に辿り着いた。
港へ着くと、ゾロは真っ直ぐにサンジがバイトしていたレストランへと向かった。まずはそこで情報を集めなければならない。そこからサンジが何処へ向かったかを調べた上で、次にその場所までの足の確保だ。
本来ならば船を降りると言い出した時点でもっと問い詰めればよかったのだ。だが、それをするにはあまりにも急で、時間がなくて、サンジの段取りが良すぎた。腑に落ちないものを感じながらナミやロビンは口を閉ざし、珍しもの好きな船長には新しい面白コックを用意した。
本当にオールブルーの情報を手に入れたのか、またはコックに何らかの事情があったのか。
地図を片手に半日ほどでその場所へ辿り着いたのは、ゾロとしては上出来である。


そこは活気のあるレストランだった。
様々な人間が笑い、語りながらその場所に集い、料理と酒の匂いがいっぱいに充満している。ゾロは席には着かずに、注文取りをしていたウエイターに声をかけた。
「何週間か前に、ここでバイトをしていたコックがいたろ?そいつについて聞きたいことがある」
「コック?名前は?」
「………。あ〜、黄色い頭で、眉がぐるぐるしてて」
ウエイターがにやりと笑う。
「口が悪いだろ?」
「ついでに女癖も悪いが、足癖はもっと悪い。きんきら頭と同じで中身もパッパラパ〜だ」
「あはは、おまけに短気だ。もう一度聞くが、名前は?」
「………。」
「知らねぇのか?」
「ここまで知ってんだ。知らねぇわけねえだろ」
「誰だ、アンタ?」
「同じ船に乗る仲間だ」
「仲間?なら、何でヤツの名前くらい知らねぇんだよ?」
「名前くらいは知ってる。だが、呼び名なんざコックで充分だろ?」
「は?」
「は、じゃねえ。名前は知ってるが、言わないだけだといってるだろうが。同じことを2回も言わせんな」
「なんか、よく分からねぇが、確かに仲間なんだな?」
「そうだ。何回も同じことをいわせんじゃねえよ。オールブルーについてヤツはなんか言ってなかったか?」
「オールブルー?さあ?だって、ありゃただの伝説だろ。面白い話だが、信じてるヤツはいねぇ」
どうでもいいがアンタ偉そうだな、とウエイターが呟いた。
「ヤツを探してる。ここから何処へ向かったか、なんか情報はねぇか?」
「情報もなにも、ヤツならここにいるぜ」
「へ?」
「だから、ここに」
「なんで?」
「なんでって…。働いて、る?」
「だから何故だ?」
「ここで働かせてくれ…っ…て…」



「………ヤツを呼んで来い」
いきなりゾロからどす黒い気が発せられ、それを感じたウエイターの顔色は既に真っ青だ。その物騒な気に当てられたのか、店内まで一気に静かになった。
「聞こえねぇのか?」
「や、や、や、いや、聞こえてるがっ!アンタ、顔が怖いっ!」
「生まれつきだ、悪かったな」
「奥っ、奥の、奥の厨房にいるからっ!他の客が怖がって逃げちまうから、悪いが、アンタが行ってくれよっ!頼むからっ!」
その顔は半泣きだ。


ゾロは厨房へ向った。
ここで働きたいのなら、最初からそう言えばいいのだ。それが理由で船を降りたいのなら正直に言えばいい。つまらない嘘などつかずに。
ここで働きたい理由はわからない。ここにどんな魅力があるのかコックでないゾロには理解できない。だが嘘をついた。その事実にゾロは腹を立てた。こうして捜しに来た自分に対しても。
ここまできたついでだから23発ぶん殴って帰ろうと思う。
はずみがついたら、もう45発くらいは仕方ない。おとなしく殴られてくれるかどうかは別として、とりあえずぶん殴る。それとも1回くらい殺しておくか?
あのバカがバカがバカがバカが…、ドスドスドスと乱暴な靴音が静まり返った店に響いた。


扉を開けて厨房の中を見渡したがサンジの姿は見えなかった。出入り口付近にいた男が、まるで鬼が入ってきたかのような顔で驚いたが、とりあえず逃げようとする首根っこを捕まえて尋ねた。
「眉毛のコックは何処だ?」
「まっ、まっ、まっ、眉毛?」
「ぐるぐるだ」
「え?あ?もしかするとサンジのことか?」
「それだ、それ。何処へ行った?」
「ヤ、ヤツなら買出しだ。近くだからもうすぐ戻ってくると思うが…」
アンタ、アイツをどうするつもりだ。まさか取って食うつもりか、と失礼なことを抜かしたのは大目に見てやろう。しかし買出しとは何だ?あれでもバラティエで副料理長をしていた男だ。メリー号のコックだ。それに見習い小僧のように近所に買出しに行かせているのか、とゾロは無性に腹が立った。
「なァ、可哀想だから許してやってくれよ…。腹が減ってるならなんか食わせてやるからさ」
とてつもなく無礼な勘違いも許してやる。だが、可哀想とはどういうことだ?
いきなり背後にある勝手口の扉が開き、そのドアがゾロの身体にぶつかった。

「おっさん。ボサッと突っ立ってんじゃねえよ。邪魔だろ?」

大きな荷物を抱えた、10歳くらいの子供がゾロを見上げた。










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