さようなら、ザジ 18









「どうしたのかしら?いくらいろいろ思い出してるにしても……」
変だ。と、ナミにも指摘されるくらい、サニー号のコックは様子がおかしい。
「……たとえおばあさんになっても、ナミさんはいつまでも俺の女神だ」、そして「いくつになっても天女のように美しい」と涙しながら、
「……おのれ、クソゴムめーーーーー!」、憤怒の炎に身を焦がす。
それだけならばまだしも、めらめらと怒りながらゾロの姿を見つけると、
「………うっ」と小さく唸ったあと、
「何で何で、あんな奴と………っ」、激しく髪を掻き毟る。
「サンジくん?ハゲるわよ。大丈夫?」





「なに、アレ?ゾロに育ててもらったのが悔しいのかしら?」
「サンジのことか?訊いたんだけどな、教えてくれないんだ。『大丈夫だ』、『何でもねえ』って…。悩みは口にすると軽くなることもあるのに」
チョッパーも心配そうな顔で、
「俺、まだサンジに信用されてねえのかな………」
彼まで小さな溜息をついた。

ウソップは少し戸惑っている。
サンジの奇行にだ。傍に寄ってきたかと思うと、いきなり鼻を撫でる。
愛おしそうに撫でながら溜息をつくのだ。
「お、おいサンジ…?」
何をしてると訊くと、「妙に安心する」のだと言う。鼻を触られるくらい別に構わないが、何故か変な気分になってきて困る。
「俺にはカヤという、生涯愛すると誓ったワイフが…」
すると、
「…愛する?愛してんのか……。だよな、だから一緒になったんだよな……」
また溜息をつくのだ。
まったくもって訳がわからない。
ゾロに訊くと、「そっとしといてやれ」という。鼻くらいですむなら、触らせてやれと言われ、
「もしかすると、サンジは俺に惚れてんのか?」
今度はカヤに問うと、「バカね」と笑われた。

船長は、
「あ?サンジの様子がおかしい?でも奴は昔から少しヘンだったよな?いいんじゃねえか?ほっとけよ。誰だって悩みのひとつやふたつはあるんだ。俺はねえけどな」
なはははは、高らかに笑った。


ゾロは、突然『赤くなったり』、かと思うと『青くなったり』、そして『溜息ついて』、『髪を掻き毟って地団駄踏む』コックを見ると解かってしまうことがある。
アレとか。
例えばあんなこととか。
またはあんなことして、あんなことになったことを思い出しているんだろう。
だからゾロはザジに近づかない。なのにザジは近寄ってくる。
何もなかったように軽やかな足取りで、穏やかに笑いながら酒とつまみを用意して、
「それ、旨いか?」
そう擦り寄りながら、そしてまた突然に態度が変わるのだ。
「くっ………またやっちまった……」
手を握りしめ、拳をぷるぷるさせながらテーブルに突っ伏して苦悶する。困ったことに、そんなザジの姿を見ると何故かゾロは股間が熱くなってしまう。
白いシャツ越しに肩が震える様とか、白いうなじ。金髪が乱れる様子に、いかんいかんと思いつつも、意思に関係なくそこが疼く。おそらくそれをザジでなく、その言動からコックとして認識している自分がいるからだろう。頭では忘れていても、どうやら身体が覚えているらしい。嫌な刷り込みである。
だから近寄って欲しくないのに、それでもザジは懐き、笑い、そしてまたひとり悶々と悩むのだ。ゾロまで溜息が出そうになる。



だが、今はそれどころではない。
ゾロは重大な局面を迎えようとしていた。
アラバスタに向かう途中の島で、ようやくロビンと合流すると、

「ええ、確かよ。王下七武海のひとり、ジュラキュール・ミホーク。間違いないわ」

『大剣豪』と呼ばれる男。剣士として世界最高峰に君臨する男を追ってここまできたと、ロビンは説明した。
「アンタが?まさかずっと奴を追ってたってのか?」
ゾロが訊くと、
「ずっとじゃないわ。遺跡発掘現場で噂を聞いたの。だから確かめに行ったのだけれど、意外と落ち着きがない人で困ったわ」
クスクスと笑った。
『鷹の目』は神出鬼没との噂はあったが、ロビンが言うには、
「きっと、1箇所におとなしくいられないのね。行動が読めなくて、ついていくのが大変だったもの。いつ見失うかわからなくて…」
だから連絡が出来なかったと、ナミに詫びた。
「次の島よ。おそらくそこにいると思う」
ゾロが素直に礼をいうと、「仲間なら当然よ」と彼女が微笑む。そして、ザジを見て、
「まあ、コックさんお久しぶり。いつまでも若くて羨ましいわ」
ロビンに飛びあがって抱きつこうとするのを、「ほんと、可愛い」、ふふふと笑ってかわした。

船は全力で次なる島に向かっている。
10月になって、朝晩が少し寒い。細かいうろこ雲が空に浮かび、飛魚が水面を斬るように飛ぶ。
島が近づいてきた。





そこはアラバスタに近い小さな島だった。
島のあちこちの岩場に、隠すように何隻もの船が停泊している。ほぼ、海賊旗ばかりといってもよいだろう。どうやら海賊の溜まり場になっているようだ。

「おい。ドッグに近い空き地で、鷹の目と海賊狩りの戦いがあるらしいぞ」
「海賊狩り?もしかするとロロノア・ゾロか?あの鷹の目と?」
酒場に、街に、噂がまたたく間に広がった。





海に面した、荒れ果てた広い空き地に二人の男が立つ。
陽が傾き、夕方近くになって少し風が出てきたようだ。
さわさわと秋風がゾロの髪を撫で、ピアスが揺れる。そして目の前には念願の相手がいた。

「待たせちまったか?」
「いいや。忘れてた」
ミホークは昔と殆ど変わらぬ様子だ。
ゾロを正面に見据え、
「ましな面構えになったようだな。前は己の欲に飢えた虎のようであったが」
少しは満たされたか。そういって、ミホークは背中の黒刀を抜くと、空気がびりびりと振動し、
「それで相手してくれるとは」
光栄だ、とゾロが抜刀すると、高く空へと旋風が巻き上がった。


剣から伝わる緊張感に、空気がピンと研ぎ澄まされる。
音が消える。
どちらが最初に動いたのか、
キィィンと共鳴するように剣が鳴いた。

龍巻き、煩悩鳳、砂紋、閃、鷹波、そして三千世界。
かつて対戦したときに敗れた技だ。

「ずいぶんと懐かしい」
切り裂かれた空気の向こうで、ミホークが少し笑った。
「だが、違うな。何か学んだか?」
「いろいろとな」
鷹の目に額からつうと赤い血が滴り、

「どうやら手加減する必要もなさそうだ」

ゴウ、と大気が唸りを上げた。
黒刀がしなやかに、空を舞う。
それはゾロの肉を裂き、腕から血を迸らせた。

「……ちっ。手加減だ?誰がそんなモン頼んだ?」
叩き付けられた衝撃だろう。血の混じった唾を吐き捨てても、口の中からまた血が溢れ出る。
西の空がいつしか夕陽で真っ赤だ。それは血よりも赤く、大地と、海と二人を染め上げた。

柔らかな剣が、荒ぶることなく、静かに、音もなく空に舞う。
弾き飛ばされて土を噛み締め、斬り裂かれ、地面に血を奪われ、それでもゾロは大地に立つ。



「……っ」
甲板からそれを見守っていたナミが俯いて小さく呻くと、
「駄目だ」
ルフィが戦いから眼を逸らすことなく呟いた。
「ナミ、ちゃんとゾロを見てろ」
大丈夫だ。
ゾロは負けねえから。

「二度と負けねえって、俺と約束したからな」
だから大丈夫、絶対に負けないと船長が繰り返す。
そう言いながら、戦いを見守る黒い眼は力強い。

「……バカね。男ってほんと、バカ…」
ルフィの額に滲み出た汗。強く握り締めた拳。そして根拠のない自信にナミは小さく笑い、その様子を見ていたロビンが優しく微笑んだ。
「あんまバカバカいうなよ。ほんとにバカになっちまったらどうすんだ?」
船長が不満気にぶぅと口を尖らせた。彼は幾つになっても、無邪気といっていいほど子供っぽい。

甲板で仲間が見守る。
チョッパーは心配そうに。
ザジは髪に顔が隠れて表情がわからないが、でも黙ったままそれを見つめ、ウソップの拳も小さく震えた。


「どうした?もう終わりか?」
鷹の目が声をかけると、ゾロはゆっくりと身体を起こした。
「……うるせえよ。てめぇだってだらだら血を流してんじゃねえか」
ミホークの額から流れ出た血がその眼を充血させ、そして顎から滴り落ちる。
海に陽が落ちて薄闇が辺りを覆う。
月がその姿を現した。

闇に剣が溶ける。キン、と澄んだ音と気配がまじわり、青い閃光が飛び散る。

その時、どこからともなく白い輝きが二人を照らした。
サニー号からサーチライトが、届けとばかりに光を送り込む。すると、いつの間にか周りに停泊していた船からも幾つもの光が輝いた。
それはまるで星の舞台だ。

「仲間か?」
「仲間の船は1隻だけだ。後は物見高い奴らの好意か?」
姿は見えなくとも、声援などなくとも仲間が見ている。
それは光だ。

「そういや、昔、アンタからも好意をもらったな」
「はて?そんなものを貴様にくれた覚えはないが」
「いや」
好意というものではないかもしれない。
だが同情でもなかった筈だ。

「あの時、アンタと戦っていたらザジを路頭に迷わせたかもしれん」
ミホークが微かに笑った。
「アレか?そういや、あの時のチビは元気か?泣きそうな顔でションベン漏らしてたが」
「今は同じ船に乗ってる」
生意気な男に育った。と笑いながら答え、
「おかげでいろいろと経験させてもらったぞ。感謝した方がいいか?」
「それには及ばん。だが、いろいろ背負うと厄介なことになりかねん。わかってるのか、ロロノア」
いいや、とゾロは首を左右に振った。

俺がここにいるのは、それを知ることができたからだ。
自分を信じる仲間がいる、と。

「俺が背負ったのは重荷じゃねえ」

ゾロが剣を口に咥え、両手に剣を携え、

「仲間の為じゃねえし、自分だけの為でもねえんだ」

大地を蹴り、

「やはり、礼をいう。アンタのおかげで俺はここまでこれた。だが…」

やっぱ、負ける気がしねえ、と

隼の如く、空を斬り、跳んだ。



「だから、礼には及ばんと言っておろう。だいぶ長引いたか?そろそろ決着をつけねばならん」

ミホークの口端が捲れてそこから血が流れた。その場から微動だにせず漆黒の気を放つ。

眼が鋭く獲物を追い、
闇が高く、天空へと渦を巻き、その中へとミホークが跳んだ。

轟音と共に大地が鳴る。
爆風のごとく激しい突風が荒野に吹き荒れる。

キィィィンと、劈くような音が大気を震わせ、



そして、大地が激しく揺れた。










地鳴りが治まると、
荒野に白く粉塵が大きく舞い上がった。
投光器の白い灯りが反射して、それはまるで地上を覆う濃霧のようだ。



粉塵が少しずつ潮風に流される。
荒れ果てた地に、男がゆっくりと立ち上がるのが見えた。


そして、サニー号から、


廻りの船から、


大きな歓声が沸きあがった。










吼える。



ゾロが吼える。

その大地を踏みしめ、
天に向かって高々と両手を掲げ、
星々と、
月と、
仲間に見守られ、
自分の夢をその手に掴み取った男が、天に咆哮した。


煌々とした白い光が海と地を照らす。





大満月の夜であった。










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2007/7.26