さようなら、ザジ 15









その客船はイーストブルーで客を降ろし、今サウスブルーへと最後の航海をしている。
ザジがこの船に乗って6年、若いながらも彼は副料理長の座についた。
2年前の抜擢人事に、不満の声の多くはその年齢によるものだ。
若すぎる。
そう陰口を叩かれ、それを、
短気で横柄で凶暴でガラも悪けりゃ口も悪い。しかし悔しいことに料理だけは上手いと、ザジは実力でその座を手にした。





「ザジ。おめぇはこの船に乗って何年になる?」
同僚のコックがザジに訊ねた。
「6年か?あっと言う間だったな」
昨年、海賊の襲撃を受けたときに船体をかなり破損した。おそらくサウスブルーへ戻ったら解体されるであろうこの船を、実はザジは気に入っている。
船に残された傷のひとつひとつに思い出がある。船を女性に見立てるのは船乗りの習慣だが、ザジはこのレディを愛しいとすら思う。
この最後の航海が、彼女にとって穏やかなものになるようにと願っていた。

「お前はこれを降りたらどうするんだ?」
海を見ながらザジは答えた。
「またこのイーストブルーへ戻ってこようかと思ってる。ちっと確認したいことがあるからな。てめぇはどうするよ?」
「俺?俺はまた別の船を探すさ。海は広いんだ。まだ行ってみてぇ場所が沢山あるしな」



海は広い。
その言葉にザジはゾロを思う。


『海はとてつもなく広い。もしかすると二度と会えねえかもしれねえ』

『だが、お前が俺たちを探せ』

『必ず見つけろ』

記憶に違いがなければゾロは自分にそういった。そして、

『戻ってこい』

とも。

物心ついたときからずっとゾロが傍にいた。
父でもなく兄でもなく、ただ当たり前のようにゾロがいた。
自分の子供でもないものを、どうして面倒見てくれたのかの疑問はある。『戻って来い』と、その意味も、『俺たち』と言ったわけも、いつか会うときがくれば訊いてみようとザジは考えていた。

海は広い。

自らの意思でゾロの元を離れ、もうすぐ10年近くが経とうとしている。どこまでも続く、終わりがない海原は、大空のように青く果てしなく広がっていた。











サウザンドサニー号は工事中である。正しくは改築中だ。
イーストブルーのとある島に停泊して、サニー号における船大工の指揮の元、ウソップまで借り出されて突貫工事をしている。

「いやいや。悪ぃな、みんな。俺とカヤの為に」
自分たちの個室を作るために皆が頑張ってくれていると、新婚のウソップは感激の涙をもらしながら自ら頑張った。
頑張った甲斐があったか、およそ倍近くまで大きく改築されたサニー号には、狭いながらもいくつか個室が作られていた。もちろん大部屋もある。
「俺には医務室があるから、個室はいいよ。今までどおり大部屋でいいから」
と、チョッパーは皆と一緒に過ごす方を選んだ。彼は意外とにぎやかなのを好むようだ。
「俺はどこでもいい」
船長は部屋にこだわりはないらしい。
「私はもちろん個室がいいわ。贅沢はいわないから、小さくても快適なソファーと机と椅子、そしてスタンドもね。眼に優しい、灯りの調節が来るタイプがいいんだけど。ちゃらちゃらしたセンスが悪いものを置いちゃいやよ。あとベッドのクッションは硬めでお願い。いずれもあまりごてごてした装飾がない、シンプルで品がいいものを頼むわ」
贅沢はいわないらしいが、注文が一番多いのはナミだった。
ロビンも個室を選び、ゾロもどこでもいいといいながら大部屋を選んだのは、個室だと部屋の掃除が面倒だからに違いないと、他のクルーたちから思われている。だからせっかく作った個室も『空室あり』の状態だ。

「この改築費用はウソップから出してもらっていいのよね?」
そうナミにいわれ、
「俺?だって、結婚のお祝いじゃ…、つうか、作ったの俺らの部屋だけじゃねえじゃねえかよ!皆の部屋だって作ったし、あっちもこっちも改築したろ?なのに俺の借金?」
そりゃねえだろと、頭の天辺まで借金漬けのウソップはクレームをつけた。
「…あ、あの、差し出がましいようだけど、わたしが…」
と、カヤが申し出たのを、
「カ、カヤッ!それだけはダメだ!ナミにそんなことを言ったら…」
ケツの毛まで毟り取られる。もちろんカヤにそんなものは生えてないが、追い剥ぎのように根こそぎ毟り取られるに違いないと、必死で止めるウソップの肩をナミはやさしくぽんぽんと叩いた。
「ウソップ。本当に素敵な奥さんをもらったわ。お金って、あるところには腐るほどあるのよ。いくらあるからといって腐らせちゃ可哀想でしょ?不公平の是正をして、均衡と調和を保ちましょうね」


「…カヤ。すまねえ…」
項垂れたウソップに、
「大丈夫よ。たいした金額じゃないわ」
そう笑うカヤの優しい笑顔を見て、ウソップは改めて心に誓うのであった。
大切なカヤと、カヤの金を魔女の手管から自分が身体をはって守ろう、と。だが実現できるかどうかは別問題だ。








グランドラインの入口まであと数日だ。
どこまでも青い夏空には、天まで届きそうなほど白く大きな入道雲。
そんなある日のことである。
青い海と白い雲の間に、1隻の船が見えた。

「客船ね」
潮風にオレンジ色の髪をなびかせ、ナミがそうつぶやいた。
船を交通手段に海を渡る。
いつの時代でもあったことだが、今の大海賊時代では航海も容易ではないだろう。たとえ客船であっても海賊から襲撃は受ける。
だからいくら乗客相手の客商売であっても、腕自慢のクルーたちで運行されていることが多い。戦いになれば、どっちが海賊かわからないくらいガラが悪いと噂には聞く。

「何処に行くんだろうな?」
ルフィが何気に訊くと、
「さあ?でもあの進路からするとサウスブルーへ行くのかも」
そう答えてナミは手元にある読みかけの本に視線をおとした。
その時だ。
「……おい」
いきなり船長が大きく身を乗り出して、
「おい!急いで船をアレに近づけろ!」
怒鳴った。不思議に思ってナミはその客船を見たが、どう見ても普通の船だ。
「急げ!早く!ぐずぐずするなよ!」、船長が何度も大声で怒鳴る。
船室からクルーたちが出てきて、
「何だ?」、「どうした?」、「あの船がどうしたって?」、「ただの客船じゃねえか」、「まさかアレを襲おうってのか?」
みんなが不思議そうに甲板に集まった。
船が見る見るうちに目の前に近づいてくる。
ウソップは工場からやりかけの仕事を残して、チョッパーは医務室から駆けつけた。ロビンはまた船を降りていて不在だ。そしてゾロは昼寝の最中だった。

「サンジ!」
ルフィが大声でその名前を叫んだ。
「え?」
「サンジ?」
「…嘘」
メリー号時代のコックを知らない他のクルーたちは、一様に訳のわからない顔をしている。
「サンジーーーーッ!」
またルフィが叫び、

そして船の甲板から手を振っている男の姿がみんなの眼に映った。


「…え?」
「…サンジくん?」
「…え?え?何で?」
「えええええ?」


橋桁がかかるよりも早く、サニー号に飛び乗ってきた男は、
「ゾロ!」
わき目も振らず、人を押しのけ、真っ直ぐにゾロに駆け寄り、
「ゾロ」、「ゾロ」、「ゾロ」と、何回もその名前を呼びながら、懐かしそうに短く刈られた緑の髪に、腕と、大きな古傷の残った胸に触れ、そして、
「………ゾロ」
そう呟いて抱きついたとき、メリー号時代からのクルー達は大きく仰け反り顎が落ちた。
「ええええええええええ?」
ありえない光景である。その男にルフィは背後から抱きつき、
「サンジサンジサンジサンジ…。やっぱサンジは食いモンの匂いがする…」
とぼろぼろ泣いた。
「あ?なんだコイツは?野郎に抱きつかれる趣味はねえんだ。いいから離れろ!」
気色悪い鬱陶しい暑苦しい、と背後に蹴りをいれるが、それでもルフィは離れようとしないし、そういう自分はゾロに抱きついたままだ。
「ンだよ、俺のことを忘れちまったのか、サンジ?」
「忘れるもなにも、てめぇのことなんざ知んねえよ!何なんだ、てめぇは!俺に鼻水つけんじゃねえ!」
「いいじゃねえか、鼻水くらい!減るモンじゃねえだろ!俺が減るのは腹だけだ!冷てえぞ、サンジ!今まで食えなかった分の俺の肉を返せ!」
「訳のわかんねえことを言うな!」
「いいから返せ!肉を食わせろ!」
そう怒鳴りあう二人を眼の前に、ゾロは軽く硬直状態だ。

あれから10年近い。
わかっていたつもりだったが、やはり実際に見ると頭で考えるとでは違う。
すくすくと順調に育ったらしいあのザジは立派に、ガラの悪いあのコックになっていた。
だが、
「ゾロ」、と何度も名前を呼び、
「ゾロ」、と抱きつき、
「逢いたかった」と、そんな切なげな表情をあのコックからされたことはない。
「俺のこと思い出せねえのか?まさか忘れちまったんじゃねえよな?」
ほら、とスーツのポケットから取り出した古ぼけた紙には、確かに自分の落書きのようなモノが描かれていた。
麦わら帽子のドクロマーク。
その紙は何回その掌に握り込まれたのだろう。
ぼろぼろになって手垢がつき、ひどく薄汚れて、しかもくしゃくしゃである。
その紙を見せられたゾロは少し胸が痛くなった。

「でかくなったな、ザジ」

背丈が自分と変わらないくらい成長して、どうやら立派な料理人に育ったらしい。あの小さな手はもうどこにもなかった。
ザジに紙を返して、その手ごと自分の掌で覆う。それは料理人の手だ。
「…これでゾロに旨い飯を食わせてやれる」
そう呟いたザジの背後で、
「…俺にも頼むな」
船長が呟いた。



「ゾロ」
背後からナミに呼びかけられた。すると、ザジの顔がピクリと反応して、
「…おい、ゾロ。誰だ?すっげえ美人…。ちっと年はいってるようだが、あんな美人みたことねえよ…。まさか、ゾロの嫁さん?」
「違う。ありゃ、俺ンだ」
またザジの背後から声が聞こえた。
「……てめぇは…。いい加減、離れろ!」
「バカ!嫌に決まってんだろ!またどっか行っちまったらどうすんだ!」
「誰がバカだ!」
「お前だ、サンジ!いつまで俺を待たせるつもりだ!ずっと迷子になってたのか?ゾロ以上に間抜けだぞ!」
「おい!誰が間抜けだ!」
ゾロが怒鳴り返し、ザジはゾロに、そしていつまでもザジにしがみつく船長に、
見苦しい!とナミは拳をおろし、

「さてと、ゾロ。長かろうが短かろうが、今度こそたっぷりと話を聞かせてもらうわよ」

オレンジ色の長い髪が、ふわりと潮風で揺れた。



大空には白く雄大な夏雲。
だが、もうすぐ夏も終わろうとしている。










NEXT