さようなら、ザジ 13








グランドラインの入口へと、ゾロはひとり向かった。
南国の海を小さな船は進む。
その1ヵ月後、ゾロはまた再び酒場へ顔を出した。

「どうしたんだ?忘れモンか?」
店主が不思議そうな表情だ。何故戻ってきたのだろうと首を傾げる。
「いや。おかしいぞ。たぬきかキツネに化かされてるとしか思えん。この海には物の怪でも棲んでんのか?さんざぐるぐる回らされて、結局またこの場所だ」
「……アンタ、もしかするとずっと迷子になってたのか」
「違う。そうじゃなくて」
「わかったわかった。俺が地図を描いてやるから。ちょっと待ってろ」
「いや、せっかくだが地図はいらねえ。いちいち面倒だからな。それよりも、ここに電伝虫はあるか?」





懐かしい声だった。
だが、電話の向こうから響くやわらかい声が、どんな毒を含んでいるかゾロは知っている。吝嗇という名の猛毒だ。
「ナミか?俺だ」
「…え?」
「なんだ、忘れちまったのか。ロロ…」
自分の名前を名乗ろうとしたときだった。
「……ア…アンタ。アンタはアンタはアンタはアンタって人はっ!」
「いや、アンタじゃなくて、ゾ…」
「わかってるわよっ!いったい、何年も何処をどうふらふらして迷子になってたわけ?もうーーー、信じられないっ!私たちを何年待たせるつもりなの?ゾロのくせにっ!」
こんな罵りさえ懐かしい。
「で、サンジくんは見つかったの?アンタ、今どこに…」
ナミの声が突然途切れたとたん、また懐かしい声が聞こえる。
「ゾロかっ!何処にいるんだよっ!サンジと肉は元気か?俺な、い、い、痛てええ…」
「何で人が話してる最中にとるのよ!サンジくんはともかく、肉が元気なわけないじゃないっ!で、今はどこにいるの?もちろん戻ってくるんでしょ?だから連絡してきたのよね?」
「サウスブルーにある島の酒場から電話してる。詳しいことは帰ってから話すが、どうにもこの海域から抜けられねえ。物の怪に化かされてるとしか思えん。だから途中まで…」
「いい。最後まで言わなくていい。私たちが迎えに行くから、アンタは絶対にそこを動いちゃ駄目よ。それと、誰か回りにいるかしら?その位置を説明できる人がいいんだけど」
「ああ、酒場の店主がいる。替わるから待ってろ」
「そうして。それとね、ゾロ」
アンタの残した借金は、利息で天文学的な数字にまで膨らんでいるわ、と最後にナミがいった。


1ヶ月くらいで迎えに来るそうだ。そう店主がゾロに伝えた。
「随分と頭の良さそうな女性だ。呑み込みが早い」
「確かに頭はいいが、ケチだぞ」
「多少の欠点はあったほうが、人として深みも面白味もある。その点ではアンタもかなり面白いが」
「面白くなくて結構だ。それよりも、またここでしばらく世話になる。あの部屋は空いてるか?」
店主は笑いながらゾロの手に鍵と酒を1瓶渡した。





迎えにきたのはきっちり1ヵ月後だった。
きらきらと青い海の向こうから、1隻の海賊船がやってくる。
帆に大きく描かれているのは麦わら帽子をかぶったドクロマークだ。
「おそろしく読みが正確だな…。つうか、アンタ、あの麦わら海賊団の仲間だったのか?どうりで賞金額がデカイと思ったぜ…」
店主が船を、海賊旗をみて驚いた。
そしてゾロはあまりにも船が大きくなっていたことに驚いた。
立派なマストに、広そうな甲板。吹きさらしだった寒い見張り台はどこにもなく、代わりにまわりをガラスで覆われて、どこから見ても立派な海賊船だ。
ただ、何故か羊のかわりに、まあるい顔したファンキーなライオンがいた。

「へえ、ずいぶんとデカクなったもんだ」
「前は違かったのか?」
「ああ、ぼろぼろの羊船だった」

だが、空を飛んだ。
どんな激しい嵐にも、叩きつける波や、切り裂くような強風にも耐えてきた船だ。
どんな経過があったかはわからないが、どうやらメリーはその役目を終えて、次の代へとその思いを託したのだろう。



自分を呼ぶ声が聞こえる。
「ゾローーーー!迎えに来たぞーーーーー!」
懐かしい船長の声だ。

「ここでいい。一緒に港まで来てもらって悪かったな」
「いや、俺が勝手についてきただけだ。一人くらい見送りがあってもいいだろ?」
「そうだな。あったほうがいいかもしんねえ」
同じ場所で見送ったザジを思い出す。
「実はな、あのザジも同じ船の仲間だ。ヤツはコックだった」
「へ?あの子が?」
「信じらんねえかもしれんが、あれでも元は俺と同い年の凶暴コックだ。訳ありで赤ん坊になっちまって、しょうがねえから俺が男手ひとつであそこまで育てた。どうだ、人生もいろいろあってなかなか面白ぇだろ?」
ゾロがにやりと笑いながらいうと、
「そこまで面白いのはアンタの人生くらいじゃねえのか?」
店主がゲラゲラ笑った。
笑いすぎたか、少し涙ぐんでいるようだ。

「世話になった。いつになるかわからんが、また酒飲みに来る」
「俺が生きてるうちにしてくれ」

船に向かって歩くゾロに、背後から声がかかる。

「頑張れよ」

店主の励ましにゾロは右手を高々と上げて応え、すると今度は前方の船から何人もの声がかかった。

「走れっ!」

「人をさんざ待たせて、ゆっくり歩いてんじゃねえーーーーっ!」

「早く来いっ!」

「走って来い!」

「走れっ!ゾロッ!」



「うるせえっ!そんなとこから怒鳴んじゃねえっ!」

ゾロも走りながら大声で怒鳴る。
船は、懐かしい仲間はもう眼の前だ。










「誰だ、お前?」

思わずゾロは呟いた。
船長だというのはわかる。わかるが、8年の歳月は17歳のルフィを少年から大人に変えていた。
6対4の割合で兄のエースに似ている。そばかすはないが、やはり似てきたのは兄弟だからか。
「何だァ、俺のこと忘れちゃったのか?肉食えば思い出すんじゃないか、なァ、ナミ」
しししと笑う顔は昔のままだ。
「バカッ!何でも肉で解決できると思わないで。ったく。さてと、ゾロ。じっくり聞かせてもらうわよ。今まで何処をどうほっつき歩いて、いったい何をやってたのかしら?」
メリー号の時とは比べものにならないくらい広いキッチンで、ナミは椅子に腰掛けてキレイな足を組んだ。その偉そうな態度がとても様になっている。
彼女は驚くほど美人になっていた。
濡れた唇、相も変らぬ気丈な瞳。そしてオレンジ色の長い髪。どこから沸いて出るのか大人の色気ぷんぷんで、かなりの女っぷりだ。
「ちょっと聞いてんの、ゾロ。反応が鈍いわよ。ぼさっと聞いてるだけなら熊の置物だってできるわ」
「いちいちうるせえな、おめぇは。順番で言うからぎゃあぎゃあ喚くな!」
そう、口さえ開かなければ、美女といってもいいだろう。
お前はその口がある限り、どんなに見た目が美しくとも『絶世の美女』と人から言わしめられることはない。その言葉をゾロは飲み込んだ。後が面倒なのを知っているからだ。

「そうだそうだ!8年ぶりなんだぞ、8年!話なんか後でいいだろ?久しぶりなのによ、なァ、ゾロオオオオオ〜〜〜!おりゃあ、心配したぞ〜〜〜〜…」
ウソップがゾロに抱きついてぼろぼろ涙を零す。
彼ももうすっかり大人になっていて、あの長い鼻も健在だ。長さが変わらないところをみると、どうやら鼻は成長しないらしい。

「おめぇが行ってからというもの、そうりゃあもう語り尽くせねえくらい苦労したんだ…。いくら新しいクルーが増えてもな、おめぇとサンジの抜けた穴はでかかったぜ。いやいや、お前に謝ってもらうほどのことじゃねえが、ピンチは全て俺様が1万人の部下をもってやっつけたからな」
「そうか。悪かったな」
「だから、謝ってくんなくても……、って。お前、謝った?」
「謝ったから鼻水つけんじゃねえよ、ウソップ」
抱きつかれた上に、鼻水までつけられゾロは迷惑そうだ。懐かしさと相殺してもおつりがくる。
「…チクショー!んだよ、余裕で大人ぶりやがって!俺だってもうすぐ26だぞ!いいじゃねえか、鼻水ぐれえよお!」
「汚ねっ!」
「愛という名の泉にわく涙と鼻水だっ!ゾロ、受け取れっ!」

「汚いのよ、アンタたちっ!見苦しいからそういうは後にして!まずはゾロの話を聞かなきゃならないでしょ!」
ナミが怒鳴ったと同時に、扉を開ける大きな音がした。

「ゾロッ!」
部屋に飛び込んできた毛むくじゃらの物体はおもむろにゾロの頭に飛び乗り、そしてぎゅううとしがみついた。そして滝のように涙する。
「チョッ…パーか?ちっと待て、重っ……」
「ううううう〜〜〜〜〜っ!」
「…息がっ」
チョッパーもどでかい大人になっていた。





「で、もうひとりの女はどうした?」
ゾロが廻りを見渡して訊いた。
「ロビンのことか?ロビンなら船に戻ったり降りたりしている。今は博物館で調べものの最中だ」
そうウソップが教えてくれた。
懐かしい仲間の顔に混じって、数人は知らない顔である。自分がいない間に新たな仲間が増えたのだろう。それにより、ロビンも海賊の一員としてだけでなく、自由行動が取れるのかもしれない。

「なァ、ゾロ。サンジは見つかったのか?」
普段はおちゃらけているが、こういう時のルフィの表情は真剣だ。
「コックなら心配ねえ。今はどこにいるのか知らねえが、大丈夫だ。いつか必ずこの船に戻ってくる」
「必ずか?」
「もう少し時間はかかるかもしんねえが」
絶対にだ。そう断言したゾロの言葉に、ルフィが笑った。
「そっか」
しししと、笑うその顔は懐かしい。

「なら、心配ねえな。サンジが死ぬわけねえし。待ってりゃいいんだろ?」
よかったよかった。安心したら腹が減った。ゾロが戻ってきたから宴会だ!と、それは大きな掛け声だ。
「え?ちょっと待って!まだ、話は終わってないわ!」
「へ?終わったろ?」
船長は不思議そうな顔をした。
「だから、あれから何があったのか、サンジくんがどうなったのか。これじゃ全然何もわからないじゃないの!」
「そっか。ゾロ、何があったんだ?」
「話してもいいが、ちっとばかり長くなるぞ」
「……長いのか?」
「8年分だ。長いに決まってる」
ルフィはものすごく嫌そうだ。気分はもう宴会なのに、そんな長い話は聞きたくないのだろう。きっぱりと言った。
「じゃあ、もういいや」
決断だけはいつも早い。
「いいやって…、話を聞かないの?」
「だって長いんだろ?それに、戻ってくるっていうし」
「そういう問題じゃないでしょ?話なんか端折って要点だけでいいのよ!8年分、全部は話さなくてもいいから!ほら、ゾロ、何があったか簡潔に説明しなさいよ!」
「端折るのは無理だ。長くていいならば話す」
「…ほうら、やっぱ長いらしいぞ」
ルフィは気もそぞろだ。宴会がしたくてうずうずしている。キッチンに食い物の匂いが立ち込めると足踏みを始め、その姿はでかいなりした子供と同じだ。
酒が宴会場である甲板に運び出されるの見て、ウソップもそわそわし始めた。
「ナミ、後でいいじゃねえか。サンジが帰ってきたら本人に聞けばいいしよ。なァ、チョッパー」
「え?ちゃんと話は聞いたほうがいいんじゃないのか?」
彼はトナカイであるにもかかわらず、船内では数少ない常識と良識の持ち主だ。
「ほうら、チョッパーもそういってるじゃない。ゾロの話を聞いてからが筋道だわ」
「…でも肉が」
「…だけど宴会が」
「どうでもいいが、早く酒が飲みてえ」

「ちょっとっ!」
怒鳴ろうとするナミを見て、ゾロがいった。
「あまり怒ると小皺が増えるんじゃねえのか?」

「……すげぇな、ゾロ」
「……勇気あるなァ、お前」
「……俺ァ、思っててもそんなこといえねえ」



天然の船長と人がいいウソップ。良識ある船医と美貌の航海士。知らない仲間も大勢増え、不在の仲間もいるが、それでもここに帰ってきたと、ゾロは皆と酒を酌み交わしながら、不思議と安堵に近い感情が込み上がってきた。
ゾロは仲間から、
「昔と全然かわんねえな」
「何でだ?」
と不思議そうに訊かれ、するとナミから、
「あら。若いときから老けてる人は、年取ってもあまり変わらないのよ。知らなかった?」
先程の仕返しを受けた。








その晩のことである。
ゾロに与えられた部屋は個室だった。持ち込んだ荷物を解くと、その一番底からある物を見つけた。
銀色の懐中時計。
荷の奥底にしまわれたまま、その存在すらずっと忘れていたものだ。
指先で汚れを落とすように表面をそっと撫で、小さな螺旋を巻くと、爪弾くような懐かしい音色が部屋に響く。


その時ゾロが思い出したのはザジではなかった。
あの山のなか、抜けるような青空と緑茂る大きな樹の下で、コックがつぶやいた言葉だ。低く、囁くように耳に残された声だった。



『なァ、綺麗な音が聞こえる…』










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