さようなら、ザジ 11









サウスブルーへ着いたとき、ザジは8歳になっていた。
気候が温暖で、太陽がまぶしく美しい海だ。
どの海辺にも椰子の木が生え、すこし河口に入るとマングローブが群生していて、いかにも南国らしい景色が広がっている。
早くグランドラインに戻ろうと考えていた。だが、ザジについうっかり余計なことを言ってしまったのもゾロは覚えてる。
『あたたかい海』と。
とりあえずサウスブルーを目指し、もしもグランドラインの入り口が見つかったならば、そしたらそのまま皆の元へ船を進めようと。だが、順調にサウスブルーへ辿り着いてしまった。こういう時だけすんなりと物事が進むのだ。しかし、この海に長居をするつもりはなかった。



北だろうと南だろうと、航海中でも上陸してからでも敵に遭遇する。そして戦わねば生活資金が稼げない。
サウスブルーにおける敵の特徴は力だった。ただ腕力あるのみと、やたらに力を振りかざして襲い掛かってくる。平均身長や体重はおそらくどの海よりも数値が高いはずだ。
2m近い平均身長。ゾロは少しだけロビンを思い出した。あの女も背は高かった。力自慢の男に至ってはウエイトも重要らしく、揃いも揃ってみんな巨漢で、なのに動きは猿のように素早い。
ゾロはこの海で力と素早さが上がった。



グランドラインに戻ろうとして、ゾロは船を進ませていた。
進んで戻って、海をぐるぐる回り、海賊と戦って敵を倒す。
甲板に倒れている敵に、
「おい。グランドラインに行くにはどっちに行ったらいい?」
問いかけ、指差す方向へとまた船を進めたつもりが、また別の方向へと進んでゆく。
そうして辿り着いたのは南の海に浮かぶ小さな島だった。
椰子の木とコテージ、どこまでも白い砂浜と青い海。美しい島だ。
何故か住民は女ばかりで、訊いてもいないのにここのコテージの宿泊料は安く、飯も旨いと教えてくれる。
その島でゾロは至れり尽くせりの接待を受けた。何処から運んでくるのか豊富で新鮮な食料、上質な酒、そして眩いばかりの美女の群れだ。
南国の楽園といってよいだろう。
少しばかり胡散臭いが、だが天国だ。綺麗なおねえさん方に囲まれ、たくさん構ってもらってザジはご機嫌で、ゾロは酒池肉林である。
その島に3日滞在し、そして法外な請求書を渡された。

「何だ、これは?」
「お客様のご請求書でございます」
2枚目には内訳が書かれてあった。
たしかに宿泊料は格安だが、酒は平均して1本数万ベリー、フルーツ盛り合わせにいたっては2万べりーである。『アデル』『ハンナ』などと書かれたものはどうやら女の名前らしい。一人ひとり単価がついていて、しかも割高な延長料金は10分単位だ。
「ぼったくりもいいとこじゃねえか!何だ、この同伴料金ってのは!」
「お坊ちゃまのお買い物に同行した御代でございます。お若くても見る眼がございますわねぇ。当方ナンバーワンの美女でございますよ」
ホホホと女が笑う。
「……少し、いや、かなり高くねえか?」
「とんでもない。何をおっしゃいますやら。適正価格、真心良心設定でございますのに。お客さま、存分にお楽しみいただけましたでしょ?」
また女がにこやかに笑う。だが眼は笑っていない。

ナミがいればよかったと思う。
ゾロは久しぶりにナミを思い出した。
あの女なら何時間かけても半額に、いや10分の1くらいには出来たかもしれない。その代償としてクソミソの文句くらいは言われるかもしれないが、それでもこんな高額な出費はしなくてすんだだろう。



青く澄んだ南国の海をみてゾロは思う。
「お前が夢見てる人魚島ってのも、意外とこんなんかもしんねえぞ」
「こんなのって?」
ザジが不思議そうな顔でゾロを見た。無駄かもしれんと思いつつ、ゾロは溜息混じりにいった。
「女は魔物だ」










「あの島へ行ったのか?」
酒場の店主がニヤニヤと笑った。

その後ゾロはまた海賊を倒して、それを換金するために次の島へと立ち寄った。それなりの額になり、手持ちに余裕が出来たおかげでベッドに寝ることが出来るし、なによりも酒が飲める。
港付近にある小さな酒場。そこの2階にいま二人は宿を取って、ゾロは今その店のカウンターに座っていた。

「知ってるのか?」
「ああ。ここらへんじゃ有名だぜ。いい思いはするが、ケツの毛まで抜かれるってな」
「確かに。金を根こそぎもっていかれた。ぼったくりもいいとこだ」
店主が笑いながらゾロに酒を出す。
「島にゃ男がいなかっただろ?」
「そういや、いなかった。何故だ?」
「あそこはな、双子島ですぐ近くにもうひとつ島がある。そこに野郎共と年寄りが住んでて、別名、ヒモ島と呼ばれている。支払で揉めたヤツはそこに連れていかれるって話でな、どんな眼に合わされるかは知らねえが、なんでも地獄を見るって噂だ」
「まさに、天国と地獄ってわけか?」
「違いねえ。背中合わせだからな」
男二人は苦笑いした。

ふと気づくとザジの姿が見えなかった。狭い店内を見渡してもいない。部屋に戻ったかと思っていると、店主が教えてくれた。
「ウチのガキと一緒に外に遊びに行ったぞ。立ち入ったことを訊くが、年が離れた弟ってわけじゃないよな?全然、似てねえし。まさか、アンタの子供か?やっぱ似てねえが」
「いや。俺んじゃねえ。ちっと訳ありで面倒みてる」
「そうか、いろいろ大変だな」
「いろいろとな」





食料等を揃えたら、2〜3日くらいでここを出ようとゾロは考えていた。
ここの居心地がいいのは確かだ。店主とは何故か気が合うし、酒も安くてふんだんにある。キッチンとは呼べないくらい小さな台所だけついた狭い部屋だがそれでも悪くない。
だが、酒場に置いてあった新聞の片隅に掲載されていた、小さな記事を見つけてしまった。
『麦わら海賊団の手によって、七武海の『海』がまたひとつ沈んだ』と。
海軍の体裁を慮ってか、その記事の扱いは小さかったが、そしてまたルフィの賞金額が大きく跳ね上がったと、そこには書かれてあった。
それを読んだゾロはむずむずと、腹にうずくものを感じてしまう。



ザジはこの店の子供と遊んでばかりいる。
初めて出来た友達に夢中になって、夕方遅くまで帰ってこようとはしない。
その記事を読んで、次の日にはこの島を出ようとしたその晩のことだ。
酒場で店主がゾロに耳打ちしてくれた。
「明日、ここらへんに海軍がきてしばらく駐留するらしい」
「どこで仕入れた情報だ?」
「港で漁師達が騒いでた。急遽、船を沖の島にどかせと通達があったようだ。漁船を追いやるくらいだから1隻2隻ってわけじゃなさそうだ。大きな艦隊が来るのかもな。でな、今晩からこの海域一帯に戒厳令がしかれるらしいぞ。ただの演習か、それとも事件があったのかは知らねえが」
「今夜から?」
面倒なことになったと思う。明日くるなら、今晩中に船を出せばいいが、戒厳令が出たとなるとそうはいかない。
おそらく港はサーチライトに照らされ、まるで昼間のように明るいだろう。巡視船も出ているかもしれない。
「アンタ、船はちゃんと隠してきたのか?」
「何で、そんなことを訊く?」
「おおっと。ここで物騒な気は出すんじゃねえぞ、ロロノアさん。アンタのことを売ろうと思えばとっくにそうしてる」
偽名で泊まっているが、どうやら店主はゾロの素性を知っていたようだ。
「へえ。じゃあ、親切心ってヤツか?」
「いいや、そんな大層なモンじゃねえ。ただ、アンタのことは嫌いじゃねえんだ。むしろ気に入ってるかもしれん」
ガキ同士も仲良くなったみたいだしな、と店主は笑った。
思えば、ザジと行動を共にしてからは、何故かこういった無償に近い好意を他人から受けることがある。
善意といってもいいだろう。


この場所でゾロは足止めをくらった。
すぐにでもグランドラインに向いたいのは山々だが、海軍が立ち去るまで、ゾロは大人しくこの地にいることに決めた。確かにまだ気持ちは疼くが、機を待つことの重要さをゾロは学んでいる。





ある日のことだ。
いつものように酒場の子供と遊びに行ったザジが仏頂面で帰ってきた。何もいわないが、その様子からするとどうやら喧嘩をしたらしい。
子供の喧嘩に大人が口出すこともあるまいと、放っておいたらザジの方からそれをいってきた。

「…間違ってるっていうんだ。俺が書いた字が間違ってるって…」
どうやらザジはゾロから教えてもらった『カタカナ』を友人に自慢したらしい。こんな字も知っていると、子供ながら見栄を張りたかったのであろう。
その自慢げに書いた字を「間違ってる」と指摘した子供が中にいた。
その子の親もイースト出身で、どうやら出身地も近いのか、親から教わって知っていたらしい。
「『パソ』?なんだ、『パソ』って?馬鹿じゃねえの?『パン』だろ、『パン』」
ゲラゲラ笑われ、
「ちゃんと『パン』って書いたろ!ちゃんと見ろよ!どこにめん玉くっつけてんだ、てめぇ!ケツにでもついてんのかよ!」
口汚く言い返し、大喧嘩になったようだ。
ゾロはひとつ忘れていた。
自分が子供の頃、
「『ン』と『ソ』の字が同じだ。ついでに『シ』と『ツ』もこれじゃ見分けがつかんぞ」
寺子屋でいつも先生に指摘されたことを。

また、ある日のことだ。
その日もどうやら喧嘩をしたらしい。
いくら仲良くても、いつも一緒にいれば喧嘩になる。同い年ならなおさらであろう。遠慮がない。
ふとゾロは思い出してしまう。
あの船でコックと自分はいつも喧嘩をしていた。身体の関係をもっていたにも関わらず、なんでああも喧嘩ばかりしていたのか。そんなことを考えてしまうのであった。

ふくれっ面したザジはもうすぐ9歳だ。
当たり前だが、これくらい年が離れていれば喧嘩にはならない。ルフィは船長で、あんなんでも自分なりに一目置いているし、2歳年下のウソップとはつまらない喧嘩をしたことは何度かあるが、コックのようにいつもいがみあってばかりいた訳ではないのである。
ザジに訊いてみた。
「おい、何が理由で喧嘩した」
たいした理由でないのは知っている。自分はもう、何が原因かなんて思い出せないくらいだ。

「最初はな、どっちがデカイ魚を釣れるか勝負したんだ。そしたら、『俺の方がデカイ』って。どう見たって負けてるくせに、絶対に負けを認めやがらねえ」
俺の魚の方が2cmはデカイと、不満気に口を尖らせる。

「それとな、すっげえ可愛い子が仲間にいてさ、その子が『金髪で青い眼なんて、王子さまみたいね』って言うから、『実はそうなんだ』ってつい言っちまってさ。そしたら、奴が『アホ王国の王子さまだ〜!プリンス、ステキー!』って……。チクショーーー!俺の10倍アホのくせしやがって!俺が王子なら、ヤツはアホ大王だ!」
思い出しては怒る。
さすがに子供の喧嘩だ。あまりにアホらしくて、訊かなきゃよかったとゾロは少し後悔したが、なにか妙に心に引っかかるものがあるのは何故だろう。だが、それは思い出さないほうがいいような気がして、またザジに訊いた。

「それが理由か?」
少し間をおいて、言いにくそうに、
「………あのな、オールブルーなんか、どこにもねえって…」
懐かしい単語をザジが口にした。
それはコックの夢だ。
「あんなの信じるにはバカだって……。おとぎ話だってさ!クソッタレ、絶対どこかにあんのによ!てめぇが知らないだっ!」
ザジは悔しくて悔しくて仕方がないらしい。自分の夢を頭から否定されたことに腹を立てている。元々がそう穏やかな性格ではないし、どちらかといえば短気で気が強いからなおさらだ。
「お前、オールブルーの話を誰から教えてもらった?」
またゾロがザジに問いかけた。自分がそれを教えた記憶はない。無駄な質問だとわかってはいたが、それでも確認してみたかった。
「え?誰って……。ゾロだろ?」
「俺は教えてねえ」
「…じゃ、誰から?あ、前に誰かから聞いたとか…?あれ、本で読んだんだっけ…?」
本人も記憶はあやふやらしい。
だが、それに不安は感じないようだ。思い出したようにまた怒る。
「くそったれが!俺のこと嘘つき呼ばわりしやがったんだぜ、あのヤロー!俺はノーランドじゃねえよ!」
『うそつきノーランド』、ノースブルーでは有名な絵本らしいが、ゾロはその本をザジに買い与えてはいなかった。





海軍がここに駐留してからもう1ヶ月半近い。
その間、ザジは何回も喧嘩して帰ってきた。よほど悔しいのか、ゾロと口さえ利かなかったときもある。
そんなある日のことだ。
夕方遅くに、ザジは走って部屋に帰ってきた。
「遅くなっちまって悪ぃ!今すぐ、飯にするから!」
そして、すぐにゾロが台所に立っているのに気づいた。
「……何やってんだ、ゾロ?」
「『おにぎり』だ。食ったことねえだろ?飯にするから手を洗ってこい」


「ライスボール?」
「まあ、そんなもんだ。とりあえず食ってみろ。腹が減ってりゃ、何だって旨く食えるはずだ」
「……ゾロ、料理が出来たんだな」
ザジは手に取ったおにぎりを珍しそうに見ている。
「料理ってほどのモンじゃねえ。コックのようなわけにゃいかねえが、生きていくための食いモンくらいは自分で確保できるし作れる。味はともかくな。実をいえば、おにぎりは大好物だ」
これを食べるのは本当に久しぶりだとゾロは思う。
食事の支度はほとんどザジに任せていたが、もちろんザジは食べたことのない料理は作らないし、当たり前だが作れない。今日はいつにも増してザジの帰りが遅く、米があったので自分で作ってみようという気になっただけだ。
「どうだ?」
ザジに声をかけたら、笑いながら答えた。
「旨いよ」
「お前がもっとガキん頃は、俺が作ったモンを食ってたんだぞ。覚えてねえだろ」
「へえ」
「俺がガキんときな、近所の婆さんがたまに握って食わせてくれた。塩しかついてなかったけどな。それが妙に旨くて……」

珍しくゾロが饒舌だ。
ザジはいつになく口数が少なくて、その晩は頷きながらゾロの話を聞いていただけであった。





その1週間後のことだ。
2ヶ月近く停泊していた海軍が、日の出とともに港を出て行った日のことである。
頭の真上に太陽が照りつける、昼時近くのことだった。
ザジが、ゾロにこう告げた。



コックになりたい。

コックになるための修行がしたい。










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