PRESENT 8









明けて翌年の5月。久々に奴から連絡が来た。
すぐ近くにいるから寄るという。俺しかいないと伝えると、それでもいいと言うのだから仕方ない。

「久しぶりだな」
ニッとエースが笑った。
「俺しかいねぇから何もでねぇぞ」
自慢じゃないが俺は美味い紅茶など淹れられるはずがなく、ましてやスコーンなんぞもってのほかだ。使用する材料すらわからない。
「外出中か?」
コックのことだろう。「メンテ中だ」と答えたら、
「またメンテナンス?この前は確か違う時期だったよな?」
俺を疑っているわけではないだろうが、少し不思議そうな顔をした。それにしても無駄に記憶力のいい男だ。もう1年以上前の話なのに。
「メーカー側の問題だ。今回は消耗パーツの総入替をするらしい。今度は磨耗しないタイプのものに交換するそうだ。1週間ぐらいかかるってんで、仕事にあまり支障がでない時期に変更しただけだ」
「いつから?」
「昨日」

コックが自分でメンテナンスの時期を調整した。いつもより期間も長いので今回は繋ぎに別のロボットまで用意して準備万端だ。
コック自らの手配である。だが、それに対し俺は不満を抱いた。
「ウチん中に、得体のしれねぇのを入れるつもりかよ」
「それは大丈夫だ。今はフリーのロボットがいる」
「フリー?主人を持たないって意味か?」
「そうだ。その分、奴らの情報に関するセキュリティは何重にも強化されてる。メーカーの代替品よりもレンタル料はかなり高額だが、いかなる情報も外に漏れることはない」
それに、とコックがいきなり相好を崩し、
「その会社のオーナーがな、いや、彼女もロボットなんだが、これがまた可愛いのなんのって」
目からあやしげなピンク色のハートを撒き散らした。
「胸なんかボーンボーンボボーーンでよ!お、勘違いするなよ、3つもねぇぞ。ちゃんと2個だ。2個といえば、あのつぶらな眼。星?そう夜空に輝く星のようだ!見上げてごらん。あの一番明るい星はまるで君の瞳のようだね、なんつってな!」
その女は目が小さいのだろうか。喩えが悪いからうまく想像できない。そして褒め言葉のつもりなのか、
「あの美しさといったら、まるで女神?女神様?それとも天女か?いいや、地上に舞い降りた天使と呼んでいいかもしんねぇ!彼女はもぎりたてのトマトよりも、いや米より豆腐よりも美しく輝いている!」
お前は誰だと、問い質したくなるくらい顔を崩し、何故か舞った。アホさ5割り増しだ。





その代替品は来客中にやってきた。
俺にカードを出して、
「こんにちは。初めましてじゃないわね。また御縁ができて嬉しいわ」
ニコッと笑った。
肩にかかる鮮やかなオレンジ色の髪。星のようかは解からないが、確かにきらりと眼が光った、あの時の女だ。
「…お前、フリーになったんか」
「ええ。自分の権利を得るのに時間がかかったけど、ようやく目的が達せたわ。ずっと同じ主人に仕えるのは好みじゃないの」
そして、
「こんなところで立ち話もなんだわね。入っていいんでしょ?」
またニコッと笑った。


部屋に客がいるのを確認し、女はお茶を用意した。
俺とエースの分。そして自分の分だ。
「アンタの紅茶も美味い」
エースがそういうと、女も紅茶を手にした。
「ありがとう。名前はナミ。よろしくね、ポートガス・D・エース」
「俺のデータまで入っているとは」
「ビジネスに関するものはコピーできたんだけど、彼のパーソナルデータにはプロテクタがかかってるらしいの。シールドがあって下の層まで届かなかった。だからせいぜい表面くらいよ。その一部かもしれないデータにあなたが入ってたわ」
俺は女から差しだされた契約書類に眼を通し、そしてサインをした。
「お友達がいらっしゃってるけど、簡単に説明させてもらうわ。信頼できる方のようだから」
そういってチラリとエースを見た。
「俺?そうか、俺ってお前から信用あったんだな」
エースが俺を見てニヤニヤ笑った。
アホコックめ。どこがセキュリティ強化だ。最初からだだ漏れじゃないか。もちろんエースを信用してないわけじゃない。いや、実はこんな奴だが付き合いは長いし、確かに信頼してるといって良いだろう。だけど、そんなことフツーは面と向かって言わないだろうが。
「データだ。ただのデータ」
俺が素っ気なくいうと、エースがすました顔で紅茶を口に含んだ。
「そうだな。サンジのデータだ」

一瞬、それが誰のことかわからなかった。
ああそうか。コックか。と気づくまで3秒、いや4秒くらいかかったかもしれない。その僅かな間に、女からツッコミが入った。
「大丈夫?まさか目を開けたまま寝てるんじゃないでしょうね」
「ちっと考え事をしただけだ」
「そう?ならいいんだけど。だって、ほっとくと昼寝ばかりしてるって。気づくと電池が切れたおもちゃみたいになってるって。あ、最初は彼のデータよ。後半部分は打合せの時に彼がそういったの」
よほどこの女と相性が悪いのか。または奴の嫌がらせか。契約さえ済ませてなければ返品してやるところだ。
俺の隣でエースが笑ってる。クククと笑って、
「サンジがいなくても楽しく過ごせそうだな」
またコックの名前を口にした。

「契約の時間は9:00から17:00まで。残業に加算される場合は10分単位。料金は5割増でよろしく。けっしてお安くないけど、それに見合う分の仕事はするわ」
そしてまた別の書類を出した。
「あなたの会社は一通り把握したけど、業績も安定してるし、リスクも少ない健全経営といってもいいかも。多少面白味に欠けるけど」
会社経営に面白味は必要ないと思う。事実、まったく面白くない。
そんな俺の考えを女が察したのかどうかは知らないが、ここにきて初めて真剣な表情をみせた。
「フレキシブルに物事を考えていかないと、流れが変わったときに対応が難しくなるのよ。手堅いのは結構なんだけどね」

「流れが変わるといえば、ちょっと思い出したことがあるんだが、いいか?」
エースが話に割って加わった。
「最近耳にした話だが、いや、まだ噂の段階だけどな。工業界、エネルギー分野で何か大きな動きがあるって話を知ってるか?お前、親父からなんか聞いてねぇ?」
「いや。別に聞いてねぇが。プレスに発表できる段階じゃなけりゃ、親父も俺にいわねぇだろ。どんな噂だ?」
「信憑性はなにもねぇが、エネルギー業界のビッグバンだって耳にした」
「それって、まさかフリーエネルギー?ほぼインチキだって聞くけど」
「それは俺も知ってる。今までいろんな星で暮らしたが、動力源の違いはあっても根本的に違うのはなかった」
「エレクトロニクスは進化する一方。だけど別に単体エネルギーじゃない。エネルギーの供給比率がどこまで変化するものなのか気になるわ。それとも、本物のフリーエネルギーが発見されたとか」
「そりゃ、随分と前に物理の奴らに総否定されたろ。あの業界もきな臭いところがあるらしく、俺の教師は『フリーエネルギーなどありえません!あれは愚者の戯言です!』、ふがふが鼻息荒くしてたぞ」
「ははっ。あの堅物教師か?俺も覚えてる。お前んちの執事と仲悪かったっけな。懐かしいな、あの家も。しばらく行ってない」
「俺だって帰ってない」
「たまには帰ってやれば?」
「うるせぇからな。下手に帰るとまた結婚させられそうだ。話は戻るが、やっぱそりゃガセネタだろ」
「99.9999%はガゼだ。気をつけなければならないのは、残り0.0001%。すくいあげた砂の中に、隠すように混じってる1粒がやっかいなんだ」
「情報を鵜呑みにすると踊らされて馬鹿をみるけど、情報を生かせないと生き残れない」
ナミがエースに向かって感謝を述べた。
「ありがとう。真偽はともかく、注意するにこしたことはないもの。いくら噂の域を出なくても、私達ロボットからすればエネルギー関連は重要な問題だから」
「お役に立てればなにより」
エースがにこやかに微笑むと、女は奴にも身分証を提示した。
「フリーのロボット派遣業を行なってるの。規模は小さいけど専門分野にも強いからおかげさまで需要はあるわ。今後ご利用の機会があれば、是非とも当社をよろしく」

コックが話していた女がコレか?
星がどうのこうの。女神が天女が天使がと喚いていたのは、この女のことだったのか。
「お前が社長だったのか?」
「偶然じゃないわよ?」
俺だと知ってきたといいたいのか。ようするに、なんらかの目的があるということだ。俺が少し警戒を強めると、女が小さく肩をすくめた。
「いやァね。そんな疑り深そうな顔しないで。へんな下心があったらそんなこと自分からわざわざ言ったりしないわ」
そして、
「興味があったから」
きっぱりと言った。
「ゼフの作品を見るの初めてだったし。それに調べたらあなただって解かって、ちょっと面白いかと思って。だから私がきたの」
ゼフとは何だろう。とっさに疑問を感じたが、今はこのロボットのセキュリティの方が気になる。
「おめぇが望むようなものをやれるとは思えねぇが。他所んちで情報仕入れてまさか売るつもりか?」
「……それは、したくても出来ないの」
女が心底残念そうな表情で露骨に肩を落とし、そう呟くと、
「ロボットに無茶をいってやるな」
エースがまた口を挟んだ。

「自動的に制御されるから情報は漏れねぇ。これはどのロボットも共通だけどな。意外と知られてねぇが、量産品じゃない高級なものほどその傾向は顕著だ」
エースがそう説明した。
「フリーになる為にはその部分がもっと強化される。だから外部への情報漏洩は無理なのよ。内部間ならともかく」
まったく一ベリーにもなりゃしない。女はそう言って舌打ちした後、
「だから自分の為に情報を活用する」、晴れやかな顔で笑った。
目的と行動が明確な女だ。

「で、話は戻るが、さっきゼフの作品がどうこう言ってたろ?ありゃなんだ?」
俺が問うと、ころりと表情を変え、女が冷たく言い放った。
「自分で調べれば?規制されてる項目じゃないから簡単に出てくるし、ロボットにばかり頼って、それ以上脳の皺が減ったらどうするのよ。つるっつるよ。つるっつる」
本当に。ロボットとはいえ、女じゃなければぶん殴ってやるところだ。
俺はちょっとコックを思い出した。
ローラ、くいな、たしぎ、そしてこの女、ナミ。アレの言葉じゃないが、俺は確かに女運が悪いのかもしれない。
「女だからって、俺がいつまでも優しいと思うな」
とりあえず軽く脅すと、
「何よ。か弱いロボットだから苛めるつもり?それにお触り厳禁だからね。いくら私が可憐で可愛いからって、むらむらヘンな気は起こさないでよ」
俺を強く睨み返した。
なんと言い返したらいいんだ。どこからツッコミいれたらいい?
「女を苛めるんじゃねぇよ。彼女が可哀想だ」
慰めるようにエースが女を庇う。それを聞いて、やっと俺の口が動く。野郎相手は非常に気楽だ。
「ふざけんな。人のロボットにヘンな気をおこしたのはおめぇだろうが。俺じゃねぇ」
「あれぇ?ソレをいう?お前が余計なちょっかい出したおかげで、俺ァお預け食らったんだぜ?俺の努力をどうしてくれる」
損害賠償を求めたいくらいだと、エースが俺の額を指で突っついた。
「おい。デコはやめろ」
「デコですんで有難く思え。あの時、引き止めたら俺は蹴られた」
エースが話し続ける。
「最初は触ろうとしただけで蹴られた」
次に、
「顔を近づけただけなのに、空気も凍るような冷たさで睨まれ」
そして、
「キスしようとしたら、毛を逆立ててまた蹴ろうとした」
俺は思わずブッと吹きだしてしまった。いっそ大声で笑いたいくらいだが、喜んでるように思われても困る。
それにしても物好きな男だ。それでも、最後はやっとベッドに押し倒せたらしい。そんな状態でどうやってと、俺が不思議に思ってると、
「それを手練手管という。難攻不落なものは陥とす過程が楽しいんだ」、ニッと笑い、無邪気な顔で鬼畜なことをいった。

「…それってサンジくんのこと?」
黙って俺達の話を聞いていた女が、とても不思議そうな顔をした。男のコックがホモ被害を受け、それを女が言ってるのかと思ったら外れた。エースが意外な返事をした。
「そう。奴にゃ3原則が組み込まれてないんだと思う。すげぇ珍しいだろ?」
初めてみた、と面白そうに笑った。





AM9:00。1秒の狂いもなくナミがやってくる。
俺に飯を作り、そして1日のスケジュールを読み上げる。それは意外にハードで、遣り手ババアのように容赦ない。
朝食と仕度で30分。昼食は携帯食料。夕食はナミの帰った後好きな時間にとっていい。鍛錬はPM5:00以降、好きな時間に好きなだけやってもかまわない。と、いいつつ、明日の朝までに、ココからココまで目を通しておけと、書類の山を残していく。もちろん、俺は鍛錬を選んだ。
4日目。俺は久々に本社に顔を出した。会議があるからだ。
仕事が済んで受付を通り過ぎたとき、ナミが近寄りこそっと耳打ちした。
「ねぇ、あの子?アンタに惚れてるのって」
そんな話は聞いたことがない。それに、あの受付に惚れてるのはコックだ。俺がそう教えると、
「もしかすると、鈍い?鈍いの?あなたって予想以上に鈍いのかしら?」
小さく溜息をついて、
「じゃあ、社内にいる大人しそうな茶髪とか、泣きぼくろがあるブロンドの女があなたに気があるって、もしやそれも気づいてない?」
呆れ返った目で俺を見た。若干、憐れみも混じっているようだ。
「言っとくけど、サンジくんのデータだから。私はソレを確認しただけ。だけど自分にいくつも秋波を送られて気づかない。さすがにここまで鈍いとなると、あなた女に縁がないでしょ?」

女にしておくのがもったいない奴だ。コイツが男なら思う存分、遠慮なくぶん殴れたのに。まったくもって実に惜しい。





1週間後、メンテから戻ってきたコックは不在中のデータを読み取ると一人で大騒ぎした。
「ナミさんか?ナミさんが来たのか、ここに!」
ナミさんがあああ!と喚いたあと、俺にあれこれ質問した。
「なァ、ナミさんの飯どうだったよ?美味かった?美味かったに違いねぇよな。だってナミさんだもんよ」
「美味かったが高かった」
これは本当だ。内訳書をみてビックリした。しかも、「若いのに、随分と渋い趣味してるわね。サンジくんのデータをみてちょっと驚いたわ。もっとご年配の方かと思った」、そんな余計なことまで言い残していった。
「やっぱりな。ナミさんのあの美しい手から生み出されたモノが不味いわきゃねえ。ちくしょう、俺もナミさんの手料理が食ってみてぇぜ!願わくば、俺だけの為に!」
「や。おめぇは食えねぇんだろ?味見程度しかできねぇって自分でいっただろうが」
「ああ…。俺もナミさんに作って差し上げたい。味覚オンチのてめぇに食わすより何千倍も張り合いがあるってもんだ。ナミさん、俺の飯を食ってくんねぇかな!ナミさん!」
そういってコックは何故か身悶えした。
「ナミに食事は必要ねぇ。一緒にいて一度も食わなかったぞ」
「…俺もナミさんと一緒に時という糸を紡いでみたかった…。溢れる光の中で、夜には輝く星の呼吸を一緒に感じたかった…。だけど今の俺はまるで流木のよう」
波に揉まれる流木のようだと抜かしたのを聞いて、奴をぶん殴った。
「痛てぇぞ、このやろ!」
「おめぇが人の話を聞かねぇからだ!アホが!」
俺の腹に向けられた蹴りを余裕でかわすと、いきなりズンと激しい痛みが脇腹を襲った。
「…っ。筋力でも増量しやがったか…。余計なことしやがって」
「ちっとばかりな。なかなかの切れ味だろうが。てめぇが羨ましくてつい力がはいっちまったぜ」
ケケケと笑ったかとおもうと、突然膝を崩して床に手をついた。
「どうした?力が入らねぇのか?もう終いかよ?体力ねぇな、おめぇは」
奴を上から見下ろし鼻で笑うと、悔しそうな表情で、奴も口端でニッと笑った。
「へっ。これからだろ?」

それから双方ともにズタボロになったけど、これはこれで楽しい。いや、かなり楽しい。
最後に、コックは煙草に火をつけて、白い煙を追うように視線を天井に向けた。
「近いうちに、エネルギー関連で大きな動きがあると聞いた。今回、俺のパーツ入替したのはその為だと。センターの技術者がこっそり教えてくれた。今後の動向に注意しろってさ」
そう呟くコックを見て、俺は1週間前の会話を思い出した。





「ロボットは主人に害を与えられない。これは基本中の基本だ」
エースの黒髪に天窓から太陽の光が弾けた。黒く光って、濡れているようにも見える。
「どんなことをされてもな。大概のロボットは主人の欲望処理に使用されることが多い。もちろん例外も山ほどあるだろうが。高級品であればあるほど、その部分は人間とほぼ変わらない。いや、それ以上だから尚更だ。体液同様の物を分泌するし、うっすら汗も掻く。悪いな、ヘンな話でさ」
そういって、すまなそうにナミを見た。
「別に。本当のことだわ」
いささかも動じた様子はない。ただ単にロボットだからか、それともこの女の性格か。
「正規のメーカー品だが、奴に問題があると?」
俺が訊くと、エースは首を小さく左右に振り、
「いや。問題というより、最初から意図的にそういうのが組み込まれてねぇんじゃないかと思う。自我がありすぎる。しかも、それを巧みに隠して検査を通した。何重かのシールドで隠されてたんじゃねぇか?アンタ、何か知ってるんだろ?」
ナミに問いかけたが、返事は予想通りだった。
「知る知らないに関係なく、それこそ私が話せるわけないじゃない。私の意思じゃない部分だもの」
俺は、ふとあることを思い出した。以前、親父に連れられてW.R.COの展示場へ行ったときのことだ。背が高く、黒い髪をしたエキゾチックな女がいた。
「主人に害は与えられなくても、人間を暗殺できるロボットはいるよな?それに奴は構造が近いんじゃないのか?」
「確かにいるな。でもそれとは根本的に違うと思う。それに、ああいうロボットはリミッターが付いてると聞くぞ」
「何のリミッターだ?」
「そこらはあまり詳しくはねぇが」
そういいかけたエースの言葉をナミが遮った。
「回数よ。使用回数に制限があるの。高級なものほどその回数は若干多いけど、限度を超えたら自動的に停止して、最後はどれも仲良くスクラップだわ。だって殺人ロボットだもん」
これはさほど重要な情報ではないらしい。ナミがフツーの表情で、あまりにあっけらかんと言った。悲壮感がまったく感じられない。どちからかというと、
「実はね、ウチにも暗殺機能を持っていたロボットがいるの。もうその機能は排除して、今は別の仕事についてる。ニコ・ロビンっていうんだけど、頭もいいしそれにすっごい美人よ。自分じゃもう手は下せないけど、ノウハウはあるわ。殺したいほど憎い奴がいたら指名してやってね。指名料は特別に半額でどう?」
ものの見事に商人の顔つきだった。





それが世界中に発表されたのはその年の7月。外部からエネルギーを必要としない、永久機関が政府から発表された。
うちの会社ではいくつか重荷になりそうな会社を整理して大波に備えたが、それでも受けたダメージはでかかった。
全世界の株価が一斉に下がった。
それだけではない。俺がある会社を買収した。それについて他の役員はもちろん、コックも猛反対をした。
それを社長の権限ひとつで、無理矢理押し切ったことも明らかに原因だ。危うい状態で保たれていたバランスが崩れ、資金調達がうまくいかなくなった。今現在、幹部やコックはその対応に追われている。

10月ももうすぐ終わりにさしかかろうとしたある日、コックが指を3本俺に差し出した。グイと俺に突きつけ、
「3つから選べ」、そういって、まず指を1本折った。
「本社だけを残し、俺と他を売却する。合わせればかなりの額になるだろう。それで本社の建て直しをして、また最初から始めればいい。それでもまだキツイかもしんねぇが、本体だけなら残せるかもしれねぇ」
次に。とまた指を折って、
「お前が親父に泣きつく。向こうのグループに負債ごと抱えてもらう。いい顔しねぇだろうな。親父も向こうの役員も。お前、それでも頭下がられる?まァ、頭下げまくって男泣きするぐれぇで会社が助かるならお安いもんか?」
そして最後の指を折った。
「全部清算する。お前は実家に戻ればいい。おふくろさんが、また別の見合い相手を探してくれったろ。おそらく資産家の娘だろうな。お前は不自由しねぇはずだ。一生好きな鍛錬だけして暮らしていける」

全部折られたその手を俺は叩き弾いた。パシッと乾いた音がして、コックは不機嫌そうな顔をした。
「どれも却下だ。特に2番目。親父に泣きつくくれぇなら破産した方がマシだ」
「少しは社員の生活のことも考えたらどうだ?本来なら一番いい方法なんだぜ?」
「3番目もアウト。おめぇは俺に女のヒモになれってのか?ふざけんな」
「そんなに嫌か?替われるものなら、俺が替わってやりてぇくら…」
コックの戯言を遮った。まったく、この男は口を開かせるとロクでもないことしか言いださない。
「一番最初の、ありゃ論外だ。どれも二足三文で買い叩かれるに決まってる。おめぇに至っちゃ、金になるどころか別途処分費を取られそうだ」
どれも駄目駄目。今のままでかまわねぇと俺が拒否すると、
「アホ!俺がそんなに安いわきゃねぇだろ!いいから、俺を売れ!権利を売却しろ!」
額に青筋立てて怒鳴った。
「うるせぇ!自分の会社をどうしようと俺の勝手だ!いらんことまで口出しすんな!」
怒りと苛立ちは意外と感染しやすい。俺が怒鳴り返すと奴は一瞬口を閉ざし、そして、青い眼を真っ直ぐに俺に向けた。
「アンドロイドタイプが全面的に製造中止される可能性が高い。今年はどこも製造許可が下りなかった。政府の方針だ。ロボットには実用性だけを認めるんだと。だが既存の物は別だ。今、市場でアンドロイドの下取り価格が高騰している。そういったことも含めて俺は話してるんだ」
ゆっくりと2呼吸してから俺は返事をした。
「今の状態で来春まで様子をみる。何も考えてないわけじゃねぇ。お前は現状で出来ることだけをしろ」





それからコックとあまり話をしていない。妙に余所余所しい。といっても飯はちゃんと作るし、必要最低限の会話くらいはある。
お互いに忙しい所為もあるが、どうやらまだ怒ってるのは態度でわかる。
ロクに顔すら見ないまま、数週間後にはまた俺の誕生日がきた。
その日、コックはまたケーキを焼いた。
二言三言かわしただけでお互い話が続かない。妙な気まずさを残したまま食事がすむと、またコックがプレゼントの山を抱えてきた。
いつもと同じように俺の指先をコックが見てる。最初は微妙におかれた距離が、プレゼントに引き寄せられるように縮まっていく。
最後のひとつ。茶色いリボンをほどき、そして中を確認すると、いつしかコックは俺に顔を近づけ、そして、
いきなり頭突きを食らわした。

「…くっ」
正面からもろに食らった。眼の前で白い火花がバチバチ飛び散った。突然受けた衝撃に俺が呻ると、もうひとつ呻き声が聞こえた。コックだ。なんてバカなんだ。
ぶん殴ろうと胸倉を掴み、奴を引き寄せると、今度は唇を塞がれた。
ふてくされたように尖った唇を軽く触れ合わせて、
「…何だ。文句があんのかよ」
青い眼で俺を睨みつけた。
「おおありだ。アホ」
額がジンジンする。
「何がだ?言ってみろ。コンチクショー」
見ると、コックのデコも赤くなっていて、
「何もかもだ。ボケコックが」
「そりゃこっちの台詞だ。クソマリモ」
かなり間抜けな格好で罵りあった。唇は重ねたままである。しかし、どんなに間抜けな状態でもやっぱりむずむずするから不思議だ。

「放っておくと全部失うぞ。せっかく築きあげたものなのによ」

「それはそれで仕方ねぇ。俺一人ならどうとでもなる」

「なにを抜かす。生粋のボンボンのくせに」

「お互い様だ。おめぇも温室育ちだろうが。うちにきて不自由させた覚えはねぇぞ」

「今まさに不自由になろうとしてんじゃねぇか。現実をみろ」

「そんくれぇ俺だってわかってる。だが来春まで待てといったはずだ」

「理由を説明しろ。ワンマン経営なんざ甚だしく時代錯誤だ。それでなくてもまだ社内に敵がいるのを自覚してんのか」

「ありゃ、もうじき逃げ出す。沈みそうな船に喜んで乗ってるネズミはいねぇからな」
すると、「やっぱ沈むんかよ?」そういってコックが笑った。乾いた笑いだ。何かを諦めたとき、人はこういう笑いをするだろうか。その瞬間、俺の唇に奴の歯が触れた。硬いエナメル質だった。
少し間をおいて、
「落ち着いたら、旅行にでも行くか?」
俺がそう訊くと、薄く眼を細めた。青い眼が、すっと色を濃くして瞼に半分隠れた。
「何処に?」
「砂漠なんかどうだ?おめぇと砂を噛むような会話をしたら、無性に行きたくなってきた」
マリモのくせに上手いことを言う。そういって小さく笑った後、俺の唇を噛んだ。
「…っ。この…」
文句をいう前に、
「悪ぃ。ちっと切れた」
唇を舐められた。微かに鉄の匂いがする。コックは舌先で僅かな血を舐め、吸い取るように唇で啄ばんだ。

「おい。眼を閉じろ」
「前回は譲った。今度はてめぇからだ」
どこまでも思い通りにならない男だ。仕方なく俺は妥協案を出した。
「同時ならいいか?」
小さく頷いたのを確認して、俺はコックの指先を2本握った。
「3つ数えたら」
そして指先に合図を送って、3回目で俺は眼を閉じた。
俺の血がコックの口のなかにある。
それを求めると、温かくやわらかい舌先に触れ、微かに電流のようなものがそこから自分の手へと流れた。
コックの冷たい指先が、俺の体温でだんだん温かくなる。










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2008/2.4