PINK SPIRAL 5



石畳の上を二人が走る。それを追いかけるように、砂埃が白く舞い上がった。
「…ちっ。てめぇが不謹慎にも発情なんかしやがるからこっちまでとばっちり食っちまった」
走りながらゾロが忌々しげに舌打するや、
「はァ?なにいってんだこの馬鹿は?いくら不測の事態でこうなっちまったからと、てめぇまでその気になるこたァねぇだろ」
文句なら自分の無節操な下半身にいえ、そうサンジが言葉を吐き捨てた。
すると、
「黙れ。おめぇは自分のツラがわかんねぇからだ大ボケ」
そういって横目で睨んだ。
「お前、一度でいいからからあん時の自分のツラを鏡で見てみろ。エロなんてモンじゃねぇから」
「はァ?」
「だからエロエロだつってんだろ」
エロエロエロエロすげぇエロエロ、ゾロが仏頂面で呪文のように唱えると、
「違うわァ!!誰がエロだコンチクショーーー!」
眼を三角にしてサンジが怒鳴った。
「あれは俺の所為じゃねぇ!!俺は悪くねぇ!ぜんっ、ぜん悪くねぇ!」
我慢がきかないお前が悪いと全面的に無実を主張したが、
「ふん。エロエロのくせして恥を知れ」
「恥知らずはてめぇだっ!!」
いつまでもしつこいゾロにサンジがブチ切れて、飛び蹴りしながら怒鳴りあって、喧嘩しつつ街を突っ走る二人の道程はまだ始まったばかりである。





「ここか?」
サンジがある店の前で立ち止まると、つられたようにゾロも看板を見上げた。木の看板が魚の形をしている。
「ここまでで魚屋はここしか見当たらねぇ。とりあえず聞いてみるか」
店に入り、店で教えられた通り、サンジは『スイカ』を注文した。すると店の店主は怪訝そうに眉を顰め、
「スイカ?」
サンジが頷くと、今度はやれやれといった感じで両手を広げた。まるで絵に描いたような呆れ顔だ。
「さて、残念ながらウチは見たとおりの魚屋でな、スイカが欲しいというのなら八百屋をお薦めする。こだわりがあるなら産直もいいだろう。どこの畑がいいか教えてやりてぇが、残念ながら俺は魚屋だ。さァ、これ以上聞きてぇことはあるか?」
ここまで言われても簡単に引き下がる訳にはいかない。
サンジが小さく舌打ちした。
「……ピンクの霧の件で、ここに行けっていわれた」
そういうなり男は目を丸くして、
「ピンクの?あんたらが?」
首を傾げ、
「へ?男同士だよな?いやまったく男にしか見えねぇけど、あんた実は女とか?」
不思議そうにサンジを見るその顔に、ゾロはすっと剣先を当てた。
「余計なことはいうな」
「おい、まだ殺すんじゃねぇぞ。まずはスイカを手に入れねぇと」
すかさず牽制すると、まだ、と言われた魚屋の店主は肝と玉をきゅきゅっと縮み上がらせ、
「そうかスイカか!スイカだな、スイカスイカと!わかった!すぐ作るから一寸待て!」
慌てて店の奥へと引っ込んだ。
「つくる?」
「だから果物のスイカじゃなくて、おそらく酢漬けのイカなんだろうさ。だけど何に使うんだ?」
想像もつかない。

その場に待つこと30〜40分。ようやく出てきた魚屋の親父から、大きなタッパー一杯の酢烏賊を渡された。そしてすっと手を差し出し、
「まいど!5万ベリー!」
そしてサンジが怒鳴った。
「ぼったくりかコンチクショーーー!ふざけんな!5万ベリーだァ?オロスぞこの野郎!」
「おいおい、あんちゃん人聞き悪いこというなよな。俺だって好きでそんな法外な価格をふっかけてるわけじゃねぇぞ。色落としにゃ金がかかることくれぇ知ってんだろ?」

「色落とし?」
サンジに釣られるようにゾロまで首を傾げた。
「…まいったなこりゃ。本当に何も聞かされてねぇのか?」
そういって店主が教えてくれた話によれば、

『カラーズXX』、別名『色落とし』と呼ばれている。
島の特定の場所を、特定の順序で廻ることによって、ピンクの霧の作用を身体から除去する作業手順をそう呼ぶ。その場にある磁気の力を利用するらしい。そしてどういった理由あるのか定かではないが、それをしようとする人間に対し、昔から高額な税金がかけられている。今でこそ税金は取られることはないものの、替わりにその場所に大金を落とさねばならないのが習慣となってしまった。
いろいろ手間が掛かかって面倒な上に、莫大な費用が掛かる。女が発情したとて困る人間などいない、となれば、それをしようとする人間は実際には殆どいなくて、今ではただその方法だけが伝説のように残されていた。


忌々しげに舌打ちするなり、サンジが立ち上がってゾロを睨んだ。
「おい、お前は絶対にここを動くんじゃねぇぞ。俺が食堂まで戻って金を取ってくる。だから、俺が戻るまでてめぇは一歩も動くな。わかったか?」
便所に行くな、出来れば眼を開けるな、ついでに息も止めとけ、と、無謀な指示を残して魚屋を後にした。
さて、とゾロは店内をきょろきょろ見渡した。さすが魚屋だ、いろいろな魚が並んでいる。ケースの中は魚だらけで、生簀にも魚が泳いでいる。上を見上げれば魚のオブジェが吊り下げられ、天井には魚の絵が描かれてある。壁のタイルも魚の模様だ。床もデフォルメした魚が描かれている。さすがに魚ばかりでうんざりしたのか、ゾロが外に出ようとするとそこへ飛び込むようにサンジが戻ってきた。
「てめぇ、どっか行こうとしてたろ?」
「いや」
「嘘つけっ!ふらふらして迷子になったら誰が探すと思ってんだ!」
「いちいちうるせぇな…。迷子扱いすんな!なったことねぇぞ!!」
「そうやって自覚が全然ねぇから、だからいつもいつも迷子になんだろうがああ!」
鼻先を突きあわせて二人が怒鳴りあっていると、
「……取り込み中のところ申し訳ないが、御代をいただいてもいいかね?」
金を支払うと次に行くべき場所を教えてくれた。
「東街のハズレに、むかし糸屋をしていた一人暮らしの婆さんがいる。そこで握り飯を作ってもらうがいい。婆さんにそう伝えればわかってもらえるはずだ」
「この酢イカは?」
「婆さんへの手土産だ。もう歯がガタガタだろうから食えんかもしれんが、手ぶらで行くよりはマシだろ」





今度はひたすら東へと走る。
いつからか定かではないが、気づけばサンジが泣きながら走っている。ゾロが声をかけた。
「なんで泣いてる?」
「……ほっとけ。……てめぇになんざ、はち切れそうな、この切なく苦しい男心がわかってたまるか…」
ゾロが首を傾げると、また涙が零れ落ち、ずずっと大きく鼻を啜った。
「……ナミさんが…」
またぼろっと涙が零れ落ちて、
「『利子は今回だけ半額にしてあげる。特別よ』って、ナミさんが…。あのナミさんが…。利子を半額でいいとか…。哀れみの混じった眼で…。ロビンちゃんが『頑張ってね』って…。ウソップなんか眼ぇ逸らしやがって…。ルフィの腹は食い物で膨らんでるしチョッパーは心配そうな顔するし、だあああああああああああ!!この気持ちはなんていったらいいんだ?居た堪れねぇとしかいいようがねぇ!!」
そして泣きながら大声で喚いた。
「皆にばれちまった!」
走りながら、ぼろぼろぼろぼろ涙を零す。
ゾロは驚いた。
まさか気づかれてないと思っていたのだろうか、あんな狭い船で、何を根拠にそう考えるのか、しかもルフィにいたっては現場を目撃されただろう、と、心で様々なツッコミをいれた。
お気楽を通り越して、めでたいとすら思う。

「いいから鼻水ぐれぇ拭け。男がみっともねぇ」
「うるせぇ!」
また怒鳴ると、サンジはゾロの背中に顔を押付け、そのまま涙と鼻水を擦り付けた。
「だあああああああ!!汚ねぇ!何しやがんだこの阿呆が!」
「鼻水くれぇでなんだってんだ!」
ゾロを睨んだ。
「てめぇの普段の行いを省みるがいい!いつも勝手に俺の中にぶちまけてるのは誰だ?鼻水の比じゃねぇぞ!これぐらいでガタガタ抜かすな!」
走りながらクレームをつける。
「俺のせいじゃねぇ!そもそもてめぇが誘うからだ!嫌なら誘うな、変な締めつけするな!阿呆のくせにエロいツラなんかすっからだ!」
怒鳴り返してから、チラッとサンジを横目で見て、
「…てめぇ、もしやエロエロの実を食っちまったとかねぇよな?」
ゾロが真顔で尋ねた。
「エ、エロエロの実?なんでエロエロって、…つうかもうエロとかいうんじゃねぇ!」
三度喚き、
「俺は知らねぇ俺は悪くねぇ」、サンジが両手で両耳を塞ぎ、そしてゾロの横腹に痛烈な蹴りを入れると、「…いでっ、チックショー…、この眉毛があああ!」再び怒鳴り声とともに暴れるふたりを、通りかかった犬が不思議そうに振り返った。







東街の外れまで走れば、魚屋がいう建物がすぐにわかった。一軒の店先に古びた糸車が置かれてある。
店先から声をかけると、奥から老婆がひょいと顔を覗かせた。
手土産の酢イカを渡せば、「何だね、これは?」、とても不思議そうな顔をする。本気でわからないといった表情である。
呑み込みの悪い婆さんだ、サンジは仕方なしに件の話をするも、耳が遠いのか会話が全然噛みあわない。「ここに行けといわれた」と説明しても「そうかいそうかい。ココナツはないけどね。古いけど糸はあるよ」、会話をしてるという気がしない。
だんだんと声も大きくなって、ピンクがどうした発情がなんのと、いいたくもないことを何度も言う羽目になったサンジの顔は羞恥の為か赤くなった。そんなサンジを見て、ゾロが少し気まずそうに目を逸らした。


「とにかくだ!婆さん!握り飯だ、握り飯を作ってくんねぇか!おおおい聞こえてるかァ!」
「うんうん、腹が減ってるのかね、しょうがないねぇ」 
ようやく通じたか、老婆は台所へと向かった。
そのまま待つこと30分、「遅い、なにやってやがんだ」痺れを切らしたサンジが奥に向かって声をかけた。
「今、火を熾してるから、なんだね、若い人は時間がたっぷりあるくせにせっかちだね」
そこからか、肩を落としながら、さらに待つこと1時間。
老婆が出てきて、「ちょっと御不浄に」、ゾロとサンジの前を通り過ぎた。厠から出てきて「さて、そろそろ炊けた頃だろう」、再び台所へ向かうと、
「ちょっと待っておくれ。炊きたてだから」、ぼそぼそ老婆のひとり言が聞こえてきて、
「婆さあああん!手ぇ洗ったかァ!」
「手?今日は外へ出てないから汚れてないよ。心配してくれてんのかい?優しいねぇ」
そういうのを聞いて、
「ちょっと待て!俺も手伝う、というか、俺にやらせろ!悪かった!休んでていいぞ!」、慌ててサンジが台所へ走っていった。


大きな銀のお盆に、出来立ての握り飯が山のようだ。二人分とは思えない量である。
「さあ、たんとお食べ。腹が減ってるんだろう?」
そういって、老婆がふたりに優しく微笑みかけた。まるで孫でも見るようなやわらかい笑みだ。
「……おい、お前の握ったのはどれだ?」
ゾロが隣に腰掛けるサンジに向かって、小声で話しかけた。
「はァ?どれだって同じだろ?いいからてめぇも有難く頂戴しろ。手は汚れてねぇだろうな」
「ざけんな。問題は俺の手じゃねぇ。あの婆さん、便所行ったまま洗ってねぇぞ」
横目でサンジを睨んだ。
「そうか?まあいいじゃねぇか。大剣豪になろうって男がそんなこまけぇことを気にして禿げたらどうすんだ」
そういいつつ、サンジが手を伸ばした先にある握り飯をゾロが素早く奪い取って、
「あっ!てめぇ!この野郎!なにしやがる!どれでも好きなの取ればいいじゃねぇか!なんで俺のを取るんだ!」
大声で怒鳴った。
「ほふぇえほほ、ふひはほほはひひはへへは」
「てめぇはいつからルフィになった?つうか、口に食い物入れて話すんじゃねぇ!行儀悪ぃ!」
男が二人で揉み合い、そして目の前に置かれた握り飯の山が崩れた。お盆からおにぎりがころころころころ転がり落ちる。
「…あ、やべ。俺が握ったのがわからなく……、じゃなくて、食いもんを粗末にすんじゃねぇって。ったく…まいったな…どれが婆さんのかわからなく………」
「若いんだからたくさんお食べ」
婆さんににこやかに勧められ、「…大丈夫、3分の1の確率だ。男らしく腹をくくれ…」ゾロにそう声をかけ、二人は3個づつ食べた。

「北北西にある海沿いの山に行くといい。その山に炭焼き小屋があるから、これをもっていくといいよ」

まだ山のように残った握り飯を風呂敷に丁寧に包んでくれた。
御代はと聞けば、「年寄りに金はいらない」と首を左右に振る老婆の耳元で礼を言って、その場を後にした。
向かうは北北西の山。
その道程はまだまだ遠い。





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