PINK SPIRAL 4






縦横に伸びた細い路地、豊富な品揃えの商店街、その通りを大勢の人々が行き交っている。この近海における商工の中心と思われる大きな島だ。
買出しを済ませ、麦わら一味はある店へと立ち寄った。レストランというよりも食堂と呼ぶが相応しく、リーズナブルな料金と豊富なメニューに、店内は大勢の客で賑わっていた。
空いた席に皆で腰掛け、次々に運ばれる皿を吸い取るように平らげて、そのにぎやかな食事に近くの客から次々に声をかけられた。
「何処から来たのか?」、「いつ着いたのか?」と、その若さゆえか、海賊とは気づかずに、皆が気さくに声をかけてくる。
食事に夢中だったルフィが、
「んがごが、んんんごあんあんが…」
「口に物を入れて話さないで!汚い!」
ナミから頭を小突かれ、肉を丸呑みした。

「裏通りにピンク色の看板があるだろ?ありゃ何だ?」

ナミが首を傾げた。
「ピンクの看板?そんなのあったかしら?」
「あった。ひとつふたつじゃねぇぞ。そんで看板にぐるぐるって模様がついてた」
指でぐるぐる渦巻きを描いて、問われた男は少し困った顔になった。
「…いや、まだ早いんじゃねぇかな」
と男がいうには、港町にはありがちな店であった。ようするに金で女買うことができる。売春宿か娼館のようなものだ。

へぇ、と鼻を穿りながら、
「なんでぐるぐる何だ?みんな似たような看板だったぞ。チェーン店か?」
『ぐるぐる』に興味があるらしい船長が再び問いかけた。
男が困った顔だ。
「あれは螺旋の意味なんだが、いっていいものかどうか…」
善良そうな男は口を濁し、その横からよっぱらいの男が口を挟んできた。赤ら顔の男だった。
「知りたがってんだから教えてやれ。あれはピンクの霧でそうなっちまった女のアソコだってな」
酔った顔でニヤニヤ笑うと、
「そういう噂だ。真偽の程はわからん」
良識ある男は苦笑いをしながら、「昼間からお前は飲みすぎだ。家に帰ってもう寝やがれってんだ」、酔っ払いの男にそう言い残して店を出て行った。


「ピンクの霧?」
サンジの眉がピクッとあがった。
「詳しく教えろ。看板とどういう関係がある?」
「どういう関係って、すんげぇ気持ちいいぞ」
男がまたニヤニヤ笑うと、
「へぇ、どこの店のレディがお薦め…、って残念だがその話じゃねぇ。俺が知りてぇのはピンクの霧だ。なんか知ってんだろ?」
「そりゃここらじゃ有名な話だからな。へへっ、ちんこに毛が生えてねぇガキでも知ってらァ」
男が話し始めた。



PINK SPIRAL、それは春先になるとこのあたりの海に突如として起こる、この海域のみでの現象をさす。
発生の時期は春。だがどのあたりでその現象が現れるとか、発生場所も特定できず、その原因すらわからず、何も解明されてはいない。わからないことだらけだ。だが、ひとつだけ確かなことがある。
その霧にふれた女は発情してしまう、ようするに、動物のように盛りがついてしまう。
そこで件の看板である。実際は不特定多数の人間に対して女が発情することはなく、発情の相手も限定されるが、この海域特有の霧のお陰で、この島ではその手の商売がかなり繁盛している。
螺旋の話は噂の域をでない程度ではあるが、それは昔から伝説のように語り継がれていた。

まるで螺旋で絡めとられたように、気持ちがいい



サンジの顔からさあっと血の気が失われていった。見る見るうちに青ざめ、もともと色白の顔は紙のように白く、ただ呆然とした表情だ。そんなサンジをよそに、他の乗組員はまた食事を再開した。ナミやウソップは納得したといわんばかりの顔で小さく頷き、「ウソップ、ジャムとって」、「よっしゃ、ほらきた」、「ハムじゃなくてジャムだってばー」、「そりゃすまん」、アハハウフフと二人が笑う隣で、その話題に興味を失ったルフィの頬に、巨大な肉饅が詰め込まれた。

「……ようするに、…そのピンクの霧に触れると老若男女に係わらず、誰でも発情しちまうってことか…?」
咥え煙草の灰がぽろっと落ちた。語尾を微かに震わせ、サンジが問いかけると、
「いやいや、それは違うぜあんちゃん。発情するのはだな」

お・ん・な・だ・け

酔っ払いの男がスタッカート付で答えた。
「女だけ?んな訳ねぇだろ?」
「いいや、それも若い女だけだ。アレで発情した男や猿なんか見たことも聞いたこともねぇしな」
自分が猿と一緒にされたことに、サンジは突っ込みを入れる余裕もない。
するとその時、隣のテーブルから別の酔っ払いが口を挟んできた。これまた赤ら顔の酔っ払いがニヤニヤ笑いながら、
「いるだろうが。ほら」
「あ?いたっけか?」
「東街の」
ブブッと吹き出すと、
「あーあーあー、思い出した!アレか!?アレだな?」
「そうそうアレだアレ!」
「いたな、ブブッ、アレが」
ふたりは顔を見合わせ大声で笑い、涙を流し腹を捩ってテーブルをバンバン叩いた。
何が可笑しいのかわからないが、不吉な予感にサンジの額から嫌な汗が流れた。

「いやさ、東街で魚屋やってるビルって野郎がいるんだが、あーチクショー腹痛てぇ…。かなり前の話だから忘れてたが、その野郎がどうしたわけかあの霧で発情しちまって、よりにもよって親友のジジって男に…」
話しながら、なおも笑う酔っ払いと、
「……クソ思い出すだけで腹がよじれそうだ…。ジジの野郎必死こいて逃げてやがったが、ビルのしつけぇことしつけぇこと…、発情しちまったからしょうがねぇといえばそれまでなんだが、とうとう自分のモノにしちまった」
涙を流す酔っ払いの声がきれいに重なった。
「「今じゃ、東街一のおしどり夫婦だ」」


ブッと噴き出す音がした。
ゾロが口にした酒で激しく噎せ、ゲホゴホゲフンと涙目で苦しそうな咳をする横で、微かに肩を震わせてウソップとナミが顔を逸らした。
ルフィの口にはさらに大きな餃子が詰め込まれ、ロビンはすでに視線を窓に向けながら優雅に食後の紅茶を飲んでいる。
チョッパーは原因がわかったことにホッとした。だが、サンジやゾロに、なにも相談されなかった自分を恥じた。悲しくなった。医者としての自分の技術と信頼がまだ不足しているからだと、優しいトナカイはうな垂れ、膝に置かれた自分の小さな蹄をじっと見た。態度にも口に出さず、ひとり落ち込むチョッパーに、『シモの相談は医者とはいえなかなかしにくいものである。気に病むことはない』と、誰も教えてやることが出来ない。


サンジは眩暈がした。ぐるぐるぐるぐる、世界が回りっぱなしである。
「……ちなみに、発情期間ってのはおよそどれくらいだ?10日くらいか?まさか1ヶ月も2ヶ月なんてこたァねぇよな?」
聞くのも怖いが知らないのもすごく不安だ。心臓がドキドキを通り越してバクバクしている。
「さすがに1〜2ヶ月ってこたねぇだろ」
男の返事にホッとする間もなく、
「短くても1年くれぇで、長くて2〜3年ってとこじゃねぇか?よくは知らんが」
希望を叩き潰され、サンジは目を三角にして怒鳴った。
「ざけんなっ!1年とか2年とか、なんで年単位なんだ!誰もそんなこた聞いてねえぇ!知らねぇなら黙ってろっ!」
自分で訊いておきながら怒る。
「あのな、意外とねぇんだこれが。ピンクの霧ってのはだな、実はそうそうお目にかかれねぇ貴重なもんなんだ。発生が海上だ。なる人間も少なくて何も解明されてねぇし、普通はそのまま発情した相手とデキちまうから、どこまで霧の所為でどこから恋人だなんなんて他人にゃわかる訳がねぇ」
だろ?と、酔っ払いがサンジに同意を求めた。


「治す方法はないのか?」

チョッパーが顔を上げた。病気でないのはわかった。でも原因が明らかなら治す方法が別にあるのではないかと、彼は前向きに考えた。
「治す?」
「何故?」
二人の酔っ払いがそれはそれは不思議そうだ。一番不思議なのは話すトナカイなのだが、幸いなことに酔っ払いは気づかない。
「え?だって迷惑してる人だっているんじゃ…」
ウソップとナミはうっかり頷きそうになった。
だが、チョッパーは先程の話に出てきたジジという男を指していっているのかもしれない。
「ないこともないが、んなことするヤツァ、いねぇって。なァ?」
「いねぇな。あのビルだって言い出さなかったしな。あんなに嫌がっててもいわなかったぞ。実は前からジジのことが好きだったとか?」
「イヤイヤいいながら、実は満更でもなかったと?」


「………どんな方法だ?」
再び笑い転げる二人にサンジが詰め寄った。その人相たるや真剣そのもので、有無を言わせぬ凄味がある。
「…な、何が?」
「…ピンクの霧を治す方法だ。同じこと2回もいわせんな」
サンジの醸し出すただならぬ雰囲気に驚きつつも、酔っ払いが二人顔を見合わせた。
「…えーと、ま、まずは南街の魚屋でスイカを買って来るんだが…」
「本当にするつもりか?」
「女が発情して困る男なんざ、今まで聞いたこたねぇぞ?」
考え直せと謂わんばかりに酔っ払いがサンジの肩を叩くと、椅子を蹴飛ばし立ち上がった。
「南街の魚屋だな。わかった」
「いや、わかってねーだろ!マジか!?」
それでも決意が変わらないサンジを男が呼び止めた。
「ああもう、わかったから待て!」
「あのな、するならあんちゃん一人じゃ駄目だ。女も一緒に連れて行かねぇと」
酔っ払いが二人してナミを見たが、腰を上げたのは額にくっきりと青筋を浮かべ、口いっぱいに溢れる苦虫をすり潰したような顔した剣士だった。
ぱかんと口を開き、呆気にとられた酔っ払いを無視して二人は足早に出口に向かう。
ウソップとナミは視線を窓へ向け、走るように出て行った二人を眼で見送って、ルフィの口には巨大な焼売がさらに詰め込まれ、ロビンはソーサーを片手に紅茶の最後の一口を飲み干した。チョッパーはちょこんと椅子に腰掛けたままだ。心配なのか、小さな蹄でズボンをギュッと握った。


穏やかな日差しが路上に溢れ、悪戯な春風が裏路地のピンクの看板をカタカタ揺らす、ある晴れた午後のことであった。


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