PINK SPIRAL 1





この時期、海上の朝靄はさほど珍しくはない。
今日は晴れるのだろう。朝の光が霧に溶け、とても幻想的な味わいを醸し出している。
サンジの朝は早かった。一番最初に起きて、湯を沸かして飯の準備に取り掛かる。この習慣はバラティエにいた時から変わらなかった。なにより朝の澄んだ空気は、ヤニがこびり付いた肺にとても気持ちがいい。たとえ周りが白い霧に包まれていようとも、身体が浄化されていくような気がする。
きれいな空気を肺いっぱい吸い込んだ、その時、乳白色の霧が突然色を変えた。
白から淡い黄色へ、そして桃色へと瞬く間に色を変え、宝石のような輝きを放ちながら、ピンク色の霧が甲板全体を覆った。
船上を包む虹彩。
どういった現象かわからないが、自然の織り成す美しさにサンジは息を呑んだ。
早朝、まだ静まり返った船に、その霧は一瞬だけ現れ、そして静かに消えていった。





気温が上昇するにつれ海上の霧も姿を消し、クルー全員が起床すると共に、船が一気に活気だった。
汚れた皿を手早く片付けると、サンジは食後のお茶をいれた。
「今朝さ、すんげぇ霧でさ。真っ白で全然前なんか見えやしねぇし、これじゃ敵に襲われてもわかんねぇぞなんて考えてたら、いきなりその霧がピンク色になりやがって、なんつうか、霧がピンクでキラキラ輝いてんだぜ。すげぇだろ」
誰にいうでもなくサンジがそんな話をすると、ナミが興味深そうな顔をした。
「ピンク色の霧?なんらかの放電現象かしら」
ウソップも不思議そうにテーブルで頬杖ついた。
「ピンクの霧だァ?あんま聞いたことねぇけど、おめぇの見間違えじゃねぇのか?」
「アホ。俺様の真実しか写さねぇ、このきよらかな瞳が見間違える訳がねぇ。てめぇと一緒にすんな」
「なかなか興味深い話だわ。私も初めて聞いたけど、どういう条件でそうなるのかしら」
ロビンも紅茶を飲みながら疑問を口にすると、
「どういった現象も何も、そんなのはこいつの脳内現象だろ」
そんなの聞いたこともねぇ。と、ゾロが横から口を挟んだ。
「そりゃどういう意味だ?剣豪もどき」、サンジの眉がピクッと上がった。
「自然現象じゃなく、てめぇの色事しか考えられねぇ、そのめでたいピンク色の脳に問題があるんじゃねえかって言ってるんだ。この見習コック」
ゾロがムッとした顔で言い返した。
「健全な男が色事に興味があるの至極当然のことだ。てめぇ、実はホモかインポか?隠さず正直にいってみろ、なまくら剣士」
「たわけ。だから、おめぇの脳味噌そのものがピンク色だ。呑みこみ悪ィ頭だな。この皿洗いめが」
「はァ?俺の頭がピンク?ならば、てめぇにゃみっちり苔が生えてんだろ、このクソミドリのトウヘンボクのチンチクリンの…」
不毛な云い合いに青白い火花がバチバチ飛び散り、あわや一発触発の状況になって、
「ようするに、そりゃ不思議霧だな」
船長が鼻をほじりながら、とても興味がなさそうな顔をした。不思議だからと、なんでも興味があるわけではないようで、それなりに好みもあるようだ。
そしてクルー達から、『またそれか』、『なんでも不思議ですますな』、『不思議なのはてめぇの脳味噌だ』とか、『食後に人前で鼻をほじるのはやめて』、などとツッコミが入って、飯も済んだことだし、考えてもわからないものはわからないと、霧の話はそこで終結した。


その深夜のことである。
大小様々ないびきが響き渡る男部屋で、サンジは幾度も寝返りを打った。
眠れない。
ただ眠れないだけでなく、皮膚の表面がぴりぴりとささくれ立ち、触れる布に肌は敏感に反応し、着慣れているシャツ、そして纏わりつくような空気でさえ、あまりの切なさに身悶えしたくなる。昼間もこれに近い状態になった。だがその時はいつものようにトイレで処理をしたらすぐに治まった。
だが、今は昼間とは違うような気がする。
まるで熱にうかされているようだ。
身体の奥深くから、波のように欲望が何度も何度も押し寄せてくる。寄せては引いて、そしてじわじわと、震える肌から、その皮膚のわずかな隙間からざわめきが湧きあがってくる。
サンジは身体を起こし、薄暗い部屋を見渡した。
隣のハンモックにはルフィが寝ている。そのまた隣にはウソップ。チョッパーは不寝番で今夜はここにいない。
そして床にはゾロが寝ている。
サンジはそっとハンモックを降りた。
闇の中で目を凝らせば、鍛えられた胸の筋肉が、呼吸と共にゆっくりと隆起を繰り返している。たくましい生命力だ。そっと触れて、耳をあてて、胸の鼓動を聞いた。強く規則的な動きだ。次に短い髪を撫でた。それは想像以上に柔らかく、意外と手触りも良かった。サンジは掌全体で、その頭部を愛おしげに覆った。その時、

「……何をしてる?」
ゾロの目が微かに開いた。そして自分に身体を摺り寄せる男に声をかけた。
「……だって、ナミさんやロビンちゃんにする訳にはいかねぇから…」
囁くような低い声で言い訳がましいことをいいながら、それでも胸の傷を撫でて、濡れた唇で傷跡を啄ばむ。
「…だからさ、ルフィはいくら何でもまずいだろ。船長だしさ…」
「…てめぇ、何を」
しいっ、ゾロの唇に人差し指をあてがった。小さな声でと、耳元でサンジが囁く。
「ウソップでもかまわねぇんだが、いきなり喚かれると面倒だし…、それに」
サンジの手がゆっくりとゾロの股間へ降ろされ、それを撫でようとするといきなりその手を掴んで、
「ようするに、俺としてぇって訳か?」
心底呆れ返った顔で、ゾロは自分の身体の上に乗る男を見上げた。
「悪ぃが、野郎に貸すケツは持ち合わせてねぇ。便所でてめぇで抜いてこい。情けでこれはなかったことにしてやる」
サンジは小さく首を振った。
「…だから、そんなんで済むならこんなことしねぇって……」
愛おしそうにゾロの頬を撫で、
「…わからねぇか?…そっか、やっぱわかんねぇだろうな……」
実は俺にもわからんと、熱い吐息をゾロの耳元に吹きかけた。
「だからって野郎と、いや、おめぇとやる気はさらさらねぇから。ふざけてねぇでいいから降りろ」
乗るなと、いつまでも悪戯するサンジの手を掴んだ。
闇に金色の髪が鈍く光っている。頬にかかる髪がさらさらと、ひどくくすぐったい。そして腰を、その熱を自分の下半身に何度も押し付けられて、耳元で何度も囁かれ、なのに不思議と嫌悪感を抱かないのは何故なのか。ゾロは考えた。
「当たってるとも思えねぇが、まさか俺に惚れてんのか?」
とりあえず訊いてみると、小さく笑って、
「たとえ世界が終わっても、そんなことはありえねぇ」
むしろてめぇなんざ世界で一番嫌いだと、そんな言葉とは裏腹に、サンジはなまめかしい動きで腰を擦りつけ、ゾロの下半身を刺激した。
ようするに、この男が、『女好きのくせに、女に手も出せず、あまつさえ仲の悪い自分に対し、抑えが利かない程、そう、まるで獣の様に発情している』、らしいと、それだけゾロは理解した。 だからといって、『はい、そうですか。それでは』、と簡単に相手するわけにはいかない。ここには他の仲間も寝ている。
はたまた、この男を突き飛ばして、ぶん殴って、ホモコックと罵声を浴びせるのは簡単ではあるが、ただ下腹部の温さが妙に気になってそれもできない。
どうしたものかと逡巡するゾロに、
「…なァ…」
甘い声で誘い、
「…あのさ、…やりたいつうか、…ほんとは…やられてぇような…」
切ない声で囁かれ、ゾロは自分のなかで何かが弾け飛ぶ音を聴いた。
サンジは艶かしい動きで、昂ぶる下半身を擦りつけ、
「……あ、こんな言い方じゃ気に入らねぇか?」
熱っぽい息で囁いた。
「………して…くれ」


「…てめぇ、後でガタガタ文句抜かすんじゃねぇぞ」

ゾロはむくりと身体を起こし、体勢を変えてサンジに覆いかぶさった。





NEXT