9.魔法使い、城へゆく









5月、ルフィは5歳になった。
落ち着きがないのは元々の性格なのか、成長過程における一時的なものかはわからないが、それでも、だいぶ物事の分別がつくようになった。
冬から魔法使いは村を訪れてはいない。
良くない噂を、そして現実を、これ以上聞きたくなかったのかどうかは自分でも判断がつかないようだ。





ルフィを連れて歩く森。
眼に焼き付ける様に、以前にもまして森を歩く。
秋になると目印のように赤い実をつけるななかまど。
長老たる風情のオークの木。
そして森の外れ。
細い川沿いの崖下に、一面の白い小さな花。
「すっげえ、花がいっぱいだァ!」
小さいルフィは魔法使いを真似てか、少々口が悪い。
摘んでもいいかと訊かれ、首を小さく横に振った。「これは弔いの花だ。そのままにしておけ。咲くがままに」、と説明され、意味がわからず少しだけ不満気な顔をしたがここら辺の聞き訳はいい。
「お前さ、海って知ってるか?」
苔生した低い岩に腰掛け、ルフィと同じ目線で語りかけた。

「海?」

「ああ、それはそれは広くて大きな水の塊だ。見渡す限り水だらけで先も見えねえくらいでかい。海水がいろいろな色に変わって、そりゃあ綺麗だぜ。塩辛い水の中には様々な魚が棲んでいる。すんげえでっけえ魚や群れなす小さな魚。黒や黄色、青いのや赤い魚までいる。海にはたくさんの島があって、見たこともない動物や植物、不思議な出来事も山のようにある。どうだ、海っちゃすげぇだろ?」

「すげぇ…。見たい!」
見たい、見たい、俺も見てみたいと黒い眼がきらきら輝く。
行くのかと訊かれ、頷くとルフィは両手を差し出し魔法使いにおんぶをねだった。未だにこの癖だけは抜けない。背負われながら、
「俺のこと、置いてかねぇよな?」
「一緒に連れてってくれるんだろ?」
大丈夫だと、心配するなと答えても、何度も何度も繰り返しルフィは訊ねた。



昼間でもうっすらと暗い森、ルフィを背負って歩く小屋へと続く森の道。あと何回この道を歩くことができるだろうか。魔法使いは、ふとそんなことを考える。










7月、ゾロが姿を見せなくなってからちょうど2年の月日が流れた。
そんな夏のある日、朝から森が妙に落ち着かなかった日。
微かな森のざわめきに、魔法使いは違和感を覚えた。森を駆け回っていたルフィを呼び戻し、小屋に結界をはった。
それでやり過ごせるはずだったが、内側からその結界を破ったのはルフィだ。「あっ」と小さく叫んだ後、結界を打ち破って小屋から駆け出した。

少し離れた場所に騎士団の一行。
その先頭の男にルフィは嬉しそうに駆け寄り、猿のように飛びついた。

「また迷子になっちまったかと思ったぜ」

「しかし、何で目の前の小屋が見えなかったんだ?」

「痛ててて、痛てえぞルフィ!こら、齧るなッ!」

俺は食いモンじゃねぇ、と喚く緑髪の剣士がそこにいた。十数人の兵士を引き連れ、立派ないでたちである。

「悪かったな、なんの連絡もできねぇで。俺が動いていることを嗅ぎ付けられちまって、身動きがとれなかった。他の奴を向かわせようかとも考えたんだがな、万が一、そいつがヘマして此処がばれたらお前にも迷惑をかけちまうだろ?」

「おい、聞いてんのか?」

不思議そうに問われ、魔法使いは搾り出すように声をだし、
「ああ、無事で良かったな…」
笑った。

「てめぇが此処にこうして、仲間を引き連れてきたってことは決着がついたんだろ?」
そのままゾロの頭部にしがみつくルフィを見上げた。
「お前の迎えがきたみてぇだ」
きょとんとした顔でゾロの頭を齧るルフィには、当然ながら事態は理解できない。
兵士たちはルフィに膝を折って、幼き新国王に兜を脱いで敬意のこもった挨拶をした。頭上から引き剥がすとゾロは中央にルフィを立たせて自分も膝を折り、迎えの口上と共に深々と頭を垂れた。そのとき傍に立つ魔法使いがどのような顔をしていたか、ゾロは気づくことができない。

出迎えの挨拶が終わると、ゾロが近寄り言葉をかけた。
「本当にすまなかった。アイツの髪を染めたのはお前だろ?いろいろと苦労させちまったな…」
「別にそれほどでもねえよ…」
「今からすぐにでも城に戻る。戻ったらすぐに戴冠式だ。お前も早く用意して来い」
「俺?何で?」
「あ?何でって、一緒に行くに決まってんだろうが」
「もう俺の役目は終わったろ?」
「何言ってる?これで終わりのわきゃねえだろ?まだ、何も礼をしてねぇ」
「礼なんかいらねえよ」
ふいと顔をそむけ、その場を立ち去ろうとする魔法使いの腕を掴んだ。
「そっちがいらなくても、こっちはそういう訳にはいかねぇんだ」
「いらねえってのに、しつけぇ」
「しつこい性格は生まれつきだ。我慢しろ。それにお前がこなけりゃルフィだって愚図るに決まってる。あの猿みてえな国王が暴れたら、それこそ容易じゃねえだろ」
「そりゃ、そっちの問題だ。俺には関係ねぇ」
そっけない魔法使いの返答にゾロは驚いた。本当にこないつもりだろうか。
「どうしてもか?」
「何回、同じことを言わせるつもりだ?」


振りほどかれた腕と、離れゆく背中にゾロは声をかけた。

「ナミがお前に会いたがってたぞ」
「ナミさんが?」
「ああ、是非一度お前に会いてえとよ」

「俺の眼にはそうは見えないが、世間からすればあの女はかなり可愛いらしい」
黙り込んだ魔法使いにゾロは叩き込むように話し続ける。

「ちなみにあの女が好んできる服は、非常に肌の露出度が高い」
胸なんかこ〜んなだ、と自分の胸に大きくカーブを描いた。










野営の夜。
ランプの灯りを少しだけ絞る。
傍らに大の字で眠るルフィの腹に、魔法使いはそっと毛布を掛けた。
夏でも冬でも寝相が悪くてすぐに毛布を蹴飛ばしてしまう。

いつの間にかルフィが夜泣きをしなくなったことに最近気づいた。
だからそんな必要はなかったのだが、それでも魔法使いはまだ柔らかい髪を撫で、額にくちづけを落とした。これが最後かもしれないと思う。
天幕を張っただけのテントに足音が近づき、酒を片手にゾロが顔を覗かせた。

「もうルフィは寝たか?お前、少し付き合え」
返事をする前に入り込み、胡坐をかいて座り込んだ。
「本当に悪かったな。大変だったろ、てめぇも」
旱魃による食糧難、またはそれを自分が手助けできなかったことを言っているのか、ゾロは真っ直ぐな眼を魔法使いに向けた。その視線を逸らすように酒を口に運ぶ。
「そうでもねぇ…。そっちのが余程大変だろ?それよか謀反を起こした奴はどうした?死んだんか?」
「今、幽閉されている。処刑か、それとも自害させるかは俺には解からねぇ」
「どちらにせよ、後はねぇんだな…」
酒を片手に、唸るような声でゾロは口を開いた。

「4年半だぞ…」

長期にわたる戦いであった。
幾度となく窮地に追い込まれ、しのぐようにその場をやり過ごしたこともある。戦いを重ねる事に失われてゆく兵士。底をつき出した国庫。旱魃による被害を国中が受けた時も、城は何もしてやれなかった。救いを求めるように城の周りに流民があふれても、パンのひとつも与えられない現実を眼の前で見た。疫病が蔓延しても材料不足により薬が与えられず、なすすべなく人々が死んでいく様に医師は涙を流した。
王弟軍は常に兵士を補充しては戦いを挑む。国内外から傭兵を雇い入れ、嘲笑うかのように豊富な資金力をみせつけた。
問題はその豊富な資金力であった。一体どこからそんな金が湧いてくるのか、ナミはずっと不思議に思っていたらしい。何度となく部下を飛ばし探りをいれ、やっとの思いで手に入れた情報。
金鉱を隠し持っていた。その資金元を封鎖したお陰で一気に情勢が国王軍に傾き、勝利へと導かれたわけであるが。

4年半。その年月は国中のあちこちに深い傷跡を残した。そしてあの時の嬰児が、ここまで成長してしまうほどに。



「どんな形であれ始末はつけなきゃなんねぇ…」
苦そうな顔して酒を一気にあおった。

「村で国王軍が敗れたって聞いた…」
黙って話を聞いていた魔法使いが小さく口を開く。
「…村でも人が死んだし、森も随分と荒らされた」

「それでも…」
躊躇っていると、隠された言葉をゾロが引き出した。笑いながら、
「俺が生きてて良かったろ?」
ぬけぬけと自らいう様が可笑しくて魔法使いが小さく笑う。

「お前、どうして来る気になった?」
突然口調を変えてゾロが訊ねた。
「本当は来る気なんかなかったんだろ?」
「城まで見届けてやるのもいいかと」
傍らに眠るルフィの腹にまた毛布をかけ、
「ああ、ナミさんが理由でもかまわねぇな。あそこまで言われちゃな」
酒を呑みほし、意地の悪い顔で、
「それとも、少しでもお前と一緒にいたかったとか?」
好きなのを選べと、ニッと笑った。

「ちょっと見ねぇ間に性質が悪くなりやがって…。どこでそんなの覚えやがった?」
「やられっぱなしは性に合わねぇ」
2年前のことを言っているらしい。気が強いのは知っていたが、おまけに負けず嫌いだったのかとゾロは少し驚いた。
夜も更け、自分の寝所に戻ろうとしたゾロに魔法使いは声をかけた。
「ひとつ訊き忘れたけどよ。お前さ、いつも城から森まで来るのに何日かかった?」
「何故そんなことを訊く?」
「ん、なんとなく。で何日かかったよ?」
「色々寄り道するから20日ぐれぇか…?」
「何処をどう歩いたら20日もかかる?」
人選に間違いはないのだろう。確かにこの男は最適だ。毎回違う道を意図せずに歩けば追っ手も混乱する。もしかすると前代未聞の方向音痴なのかもしれないと魔法使いは気づいた。一気に仏頂面になったゾロが立ち去り、ルフィの隣に身体を横たえた。
遠くに聞こえるのは夜に動き出す生き物の声。遠く離れた森を思い、そのまま眠りについた。




幾つかの村を通り抜け、城に近づくにつれて荒れた風景が多く見受けられた。
長引く争いがもたらした大きな傷跡を生々しく残している。
城への道程は、約10日間。いかにあの森が辺境の地かがわかる。そして森から遠く離れるのはこの地に辿り着いたとき、10年ぶりだということを魔法使いは思い出した。
森と村以外の景色にまだ馴染まないのか、パシパシと眼を瞬かせると、



廻りを緑に囲まれた、大きな城が眼の前にそびえ立つ。










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