10
.小さな国王









夏空に、突き抜けるような音が鳴り響いた。
それが自分の為のものとは知らず、小さなルフィは天を仰ぎ見るように開かれた大きな正門から城を見上げた。
雲ひとつない青空。
7月の太陽が眩しいくらい強い光を天からで降り注ぎ、幼き国王の帰還を祝福する。





大きな広間で家臣達の出迎えを受けたが、それよりもこの城の大きさに驚いたようにルフィは天井ばかり見上げている。
立派な大理石の柱、天井に描かれた壁画。床に敷かれた真紅の絨毯。
綺麗な飾り窓から陽光がこぼれる。

見るもの全てが珍しくて天井ばかり見ているルフィに、
「おい、上ばかり見てんじゃねえよ。いいから口を閉じろ」
魔法使いは注意した。
ぱかっと開いた口元を閉じるのも忘れるくらいルフィは驚いている。物心ついてから森と村しか知らず、此処が自分の生まれた場所であるなど当然覚えているはずもなく。
カッカッ、と甲高い靴音と共にひとりの女性が駆け寄ってきた。燃えるようなオレンジの髪を結い上げ、大きく胸の開いたドレスを身に纏ったその女性は、近づくなり顔を寄せて、
「あなたが私たちの王様?」
ルフィを抱き上げ、
「おかえりなさい。待っていたわ」
優しく頬にくちづけ、抱きしめた。


「あれがナミだ。図々しいくれぇ物怖じしない。いつもあんな、はしたねぇかっこばっかりしやがって。乳が零れそ…おい、聞いてんのか?」
小声で魔法使いに話しかけるが、彼はぽうっとナミを見つめるだけで聞いている様子はない。ほんのり頬が赤い。
そんな二人の元へ、ルフィを降ろしてナミは近寄り、
「あなたが『森の魔法使い』?今までありがとう。本当に世話になったわ。御礼といってはなんだけど、望むことがあったら遠慮なくいってね。できる限りのことはさせてもらうから」
にっこり笑った。
「おう、何でも欲しいものは言えよ。この女がこんなこと言うのを聞くのは初めてだ。気が変わらねぇ内にいっとけ」
アンタは余計な口を挟まないで、とゾロの口を封じた後、
「心配しなくて大丈夫よ。あの男の金鉱は押さえたし、これから私有財産は全てぶんどってやるわ。あの男に肩入れした奴らの分もね。当然でしょ?今までいくらほど金がかかったかわかりゃしない。今までの人件費、武器などの調達費、設備費、修繕費、消耗品費、雑費、その他もろもろの経費と慰謝料、手数料、全てよ。今までの分、全て穴埋めするつもりだから。なんならケツの毛も毟ってやろうかしら」
高らかに笑った後、
戴冠式は3日後だから、それまでゆっくり身体を休めて欲しい、と再びにっこり笑いながらナミは立ち去った。
あの女の歩いたあとはペンペン草さえ生えないかもしれないと、露骨に溜息を漏らしたゾロの隣で、「なんて、なんて素敵なんだ、ナミさんは…」、魔法使いの口から感動の息が零れるのを見て、再びゾロの口から溜息が漏れた。








翌日の午後、魔法使いはひとりで庭を歩く。
手入れの行き届いた樹木。丁寧に刈り込まれた芝生。
そんな中庭の楡の木陰から小さなトナカイが顔をみせた。でも動物なのに服を着ていて、そして歩行は二本足。
不思議に思い、ずっと見ているとすすすとまた木陰に隠れ、先回りするように回り込んでそのトナカイを捕獲した。

「何で食料が服を着てやがる?」、思わず疑問を口にすると、
「しょ、しょ、食料じゃねえ!俺は医者だ!」、暴れながら言葉を喋った。
そのトナカイは、トナカイであるのも拘わらず城の医師らしい。
「お前は誰だ?見たことねぇ」、トナカイに訊ねられ「森の魔法使いだ」と答えると、
「アンタが魔法使いか?ゾロからいっつも聞いてるよ!」
とても嬉しそうな顔をしたので、魔法使いが訊ねた。
「ゾロが?俺のことを何だって?」
「すっげえ生意気な男だって!口が悪くて気が強くて、思いのほか凶暴で、あ、でも悪い意味じゃないよ、きっと。だってゾロ、顔が…笑って…た…」
見る見るうちに人相の悪くなった男を見て、トナカイの声が次第に小さくなり、
「それと痩せてるって…。もう少しだけ太ったほうがいいから、あの男の分も虫下しの薬を寄こせって言われたけど」アレ効いたか?と訊ねられ、今度は何故か顔が少しだけ赤くなった。
「俺、チョッパー。トニートニー・チョッパーだ」
誇らしげに自分の名前を告げた。眼の前の男に名前を訊いても答えては貰えず、ただ薄く笑うだけでそして違うことを口にした。
「さすがにいい樹木が揃っているな。向うに生えてたハーブはお前が育ててるのか?」
どれも薬に使用するためだ、とチョッパーはそのハーブ園を案内した。


アイブライト、ガーリック、クランベリー、アスパラガス
ジンジャー、関節炎によく効く。
チェストツリーアロエ・ベラ
マリアアザミ、これは肝機能にいい。だからゾロにはお薦めだ。
ダンデライオン、これも肝臓の機能を高めるのにいい。


この城には酒好きばかりいるのだろうか。少し笑いながらチョッパーに続いて魔法使いが口を開いた。


これは月見草だな。オイルにすると関節の痛みに効く。

カノコ草は沈静効果がある。


かなり驚いたようにチョッパーは眼を見開いた。
「え、知ってるの?誰かに教わった?」
「少ししか知らないけど、ハーブの薬効は使って覚えた。名前は覚えるんじゃなくて」
知ってるんだ。
「知ってるのか?」、少し驚いたように眼を開き、
「すげえな!」
それを褒められたのは初めてで、他人に話したのも初めてだから当たり前かもしれないが、それでも魔法使いは嬉しかったようだ。照れ臭そうな顔で笑った。






夕刻を告げる鐘の音。
暫しの別れを口にしてチョッパーは城中へと戻った。
トナカイを医師として迎えていること、女性であるナミに財務関係を任せていることなどから考えても、この城は想像以上に懐が広いのかもしれない。そしてゾロ。彼は未来の国王を託された。
夕焼けに染まった赤い空。森と違って遮るものが何もない。頭上いっぱいに広がった空を仰ぎ見る。
夕陽が城を照らし、佇む男を染め、足元に影を落とした。





翌日、昨日にも増して朝から城の中がだいぶ慌ただしい。明日催される戴冠式の準備に追われているのだろう。
魔法使いがルフィの元へ行ってみると、

「違あああう!何回言ったらわかるの?腰を下げたら、手はここよ、ここ!ここに置くの!そしたら…」
ナミから猛特訓を受けていた。その口調からするとルフィの呑み込みは悪いようだ。魔法使いの姿を見るなり、ますます気を散らしたルフィをみてナミは休憩を言い渡した。
お付きのものに別室にお茶と菓子の用意が出来ていると言われ、飛ぶように部屋を飛び出した。相変わらずルフィは食い意地が張っている。そしていくら食べても太らない。
「あの虫下しは効かなかった」、今度あのトナカイにあったならば、言っておいたほうがいいかもしれない。そもそも虫がいるかどうかは確かではないが。
ルフィが慌てて駆け出したために床へ落ちたものを拾い上げ、ナミに手渡した。差し出された腕から腕輪が光る。
「ターコイズね。ちょっと見せて」
腕からちらりと見えたものにナミは興味を示し、その腕を取った。
「複雑でいい色だわ。すいぶんと深いブルーね。ひとつだけ毛色の変わったグリーンターコイズが混じってる。産地はどこかしら?」
ナミの言葉に魔法使いは首を傾げた。
「値が張るものだと思うんだけど。銀細工も上品で丁寧だし、大事にした方がいいわね」
そっと魔法使いの腕を放す。
「ナミさん、これに見覚えない?」
問われてナミは不思議そうな顔をした。小さく左右に振られた首。
「宝石は大好きだからそう簡単には忘れない。その石を見るのは初めてよ」
あなたの眼の色に少し似ている、と形のいい唇が動いた。








戴冠式の日。朝から空一面の青空だった。
大きな太鼓の音が城中に鳴り響き、上空を飛んでいた鳥が慌てたように翼をひるがえす。
聖堂においてルフィは王となる誓いを立てる。
あまりの幼さゆえか、疑問も自覚もないまま流されるように王となる。
聖堂の片隅で魔法使いはそれを見守っていた。導かれ、神の前でひざまずく
ルフィの頭上に祝福が舞い降り、



その日、小さな国王が誕生した。










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