4.みどりの森の剣士








年が明けて3月。
魔法使いは誕生日を迎えて17になった。
そしてこの頃ルフィが夜泣きをする。
赤ん坊のころにはなかったことだ。不安げに泣くのを両腕で抱き、優しく頭を撫でる。それでも暫らくすんすん泣いているが、次第にその声は小さく腕の中で消えてゆく。
近頃そんな事が多い。





5月。
久しぶりにゾロが姿を見せた。
「よお、ちっとばかしご無沙汰しちまったな」
金は足りてるか、子供は元気かと、そしてルフィを見るなり、
「ガキっちゃ、でかくなんの早ええ…」
ひどく驚いた顔をした。
ルフィはゾロを覚えてないらしく、誰だ?と不思議そうな目で見ているが、もともと人見知りしない性格なのかすぐに懐いたようだ。しばらくゾロに纏わりついていたが腹でも減ったのか、
「コック。めしめしめし」と、たどたどしい言葉で今度は魔法使いのローブにしがみついた。

「ああ、飯にしような。アンタも食ってねえんだろ?」
「何でお前…、今度はコック?」
少し顔を赤らめ、
「仕方ねえ…。村で『飯を作ってくれるのはコックだ』なんて誰かから教えられたみてぇでよ…」
『ママ』よりはマシだ。
それを聞いたゾロは顔を背けて、ぶっと吹き出した。






食事のあと、
「てめぇ疲れてるんじゃねえの?湯を張ったから入ってこいよ」
ゾロに湯にはいるよう促した。
2部屋しかない狭い小屋。少し広いほうの部屋にあるのは小さな竈と台所、暖炉と粗末なベッドとそして木のテーブル。最初はひとつしかなかった椅子も今は3つある。
もうひとつの小さい一部屋には足のついたホーローのバスタブ。
「風呂だけ随分と立派だな」
「前に仕事した家で報酬に貰った。風呂好きな爺さんが死んだんで、もうあんなデカイのはいらねえんだと。湯を沸かすのも大変だからだろ」
「どんな仕事だった?」
「その爺さんが死ぬ前にもう一度だけ『ねむ』が花咲くのを見たいってさ。それも1月でよ、夏まで持たねえと思ったんか、俺んとこに依頼がきた」
そんな事より早く入れ。ゾロを湯へ追いやった。





湯上げの布を渡し忘れた魔法使いは、部屋の外から声をかけるがゾロの返事がない。
覗いてみれば湯船にもたれかかって眠りこけている。だいぶ疲れているのだろう。それよりも、魔法使いは男の胸に刻まれた大きな傷跡に眼を奪われた。
胸から腹部まで達した大きな傷。

こんもり盛り上がった肉に荒い縫合。
吸い寄せられるように近づき、湯に浸かっていない部分の傷に手を触れようとするといきなりその手を掴まれた。
「何だ?」
「何だはてめぇだろ?何だよコレ?」
「この前、すげえ強いヤツと戦った。負けちまったけどな」
「痛てぇだろ…」
「斬られた時はもちろん痛かったが、今はもう痛まねぇ」
「馬鹿か?てめぇがじゃねえ、身体がだ。大事にしろとは言わねえが、あまり可哀想な事するな」

手を振りほどき、布を置いて部屋から出て行った。







暖炉の火がぱちぱち音を立てて爆ぜる。
ベッドでルフィの寝息が聞こえるとゾロが口を開いた。
「先月、国王が亡くなった」


王弟の反勢力と壮絶な戦いがあったらしい。
サー・クロコダイルは外部から傭兵を雇った。腕の覚えのある者を高額な報酬で雇いいれ、それは国王側の兵士に大きなダメージを与えた。
ゾロは傭兵の頭にあたる剣士と戦い、そして敗れた。命を取られることはなかったが身体には大きな傷跡が残り、正規軍は大きく後退を余儀なくされた。
そんな中、ずっと床に臥せっていた王が亡くなった。今は他の王族や大臣が代行しているが城全体を覆う空気は重苦しく、兵士たちも口には出さぬが諦念に近い感情を抱き始めている。


「そんなに大変なら、こんな所に来てていいのか?」
「だろ?俺も思ったが、ナミが言い出したら聞かねえ」
「ナミ?」
「ああ、ナミって城に金庫番兼魔女みてえな女がいるんだが、コレが俺に行って来いと。行ってどんな様子か、どんな風に育ってるか見てこい、つうんだよな」
「ルフィがか?」
「ああ、それを皆に言って聞かせろとよ。ようするに士気を高めたいんだろ」


「何だお前?変な顔してるぞ?」
「俺?」
どこか怪我したような、その傷を今思い出したような、魔法使いはそんな不思議な顔をした。語彙が乏しいゾロはそれをなんて表現していいか解からない。
その時、寝ていたルフィが突然泣き出した。
ベッドへ腰掛けて魔法使いは黒い髪と頭をそっと撫で、小さな身体に手を置く。
「近頃こうして夜いきなり泣き出すんだよな。ガキでも何か感じるのかもしんねぇ…」





暫らく泣いていたのをあやし、再び眠りにつくのを見届けてから魔法使いは戻り際に酒を持ってきた。
「貰いもんだが飲むか?」
「ああ、酒は大好物だ。遠慮なく貰う」
グラスになみなみと注ぎ、嬉しそうな顔で飲み干した。
「おめぇも飲むか?もう17だろ、かまわん。俺が許す」
偉そうに言うのが少しばかり腹立つが、でもグラスに注がれた液体は綺麗な琥珀色だ。一気に飲み干すと、じりじりと喉と腹が焼けるように熱くなった。


「お前、生まれは何処だ?金髪なんかここら辺にゃいねえ」
「毬藻だって、この辺にゃいねえぜ?」
「ほっとけッ」


「ノースブルーだ。晴れた日は透き通るように青い海。曇りの日は深いブルーグレーで、雨の日は沈むような灰色になる。だがどんな色でも俺は好きだった」
「何故、この森へ来た?」
「ジジイが死ぬ前に森へ行けってさ。俺に森で言葉を覚えろって。なんで森なんだろ?今でもわかんねぇ…。物心ついたときからずっと船の生活だった。ノースを離れてからは世界中を回って、その途中でジジイは死んじまったからかなり大変な思いをさせて貰ったがな」
「一人で此処まできたのか?」
「仕事の時はよく放って置かれたし、大概はひとりで何でもできる。生活能力高いんだぜ、俺様」
眼の前の少年は笑いをまじえて淡々と話すが、それがいかに大変な事かゾロにも解かる。
9本の銀の匙。
出逢った当初に聞いた話を思い出す。
10本目を貰う前に老人は亡くなったのであろう。9歳の子供が一人で海を渡り、大陸に降り立ち、そしてこの森まで辿り着いた。


「もう一度聞くが、お前の名前は?」
「何だ、聞きたがりだなてめぇは。もう何も教えてやんねえよ」
「いいじゃねえか、教えろ」
「へっ、嫌だね」
「憎たらしいガキだな、てめぇは…」
「そんなら今度はてめぇの事を教えろ。その毬藻は何処の湖で取れて、何を栄養に育った?」
初めての酒に酔ったのか、白い頬がほんのりと赤い。そして意地の悪そうな笑いと憎まれ口。
んのヤロッ、腹立てながらもゾロは答えた。


「イーストブルーだ。のどかでいい村だったぜ。剣の修行の為に村を出て、前国王の目に留まりそのままこの国で仕官している」
此処はいい国だと思う、視線を酒に落とした。


「国の為か、自分の為なのか、その傷はどっちだ?」
「両方だ。俺はもう二度と負けねえし、負けるつもりもねえ」


服の間から覗く大きな傷跡。魔法使いは腕を伸ばして、指先でそれを触れた。
「俺が癒しの魔法を使えたとしてもこれは治してやんねえ。どうせまた傷つくるだろ?だけど可哀想だよな、てめぇの身体。こんな目にあわされてよ…」
赤く盛り上がった傷口をなぞる白い指。
「俺の身体だ。どう使おうと俺の勝手だろうが」
「だからてめぇは解かっちゃいねえんだ。酷いご主人様だぜ、身体が泣いてんじゃねえか…」
ゆっくりと離れてゆく指先、ゾロは自分の身体からそれが遠ざかるのを眼で追った。
そのまま魔法使いは床へ転がった。どうやら酔っているようだ。


泣きそうなのは、おめぇの顔だ。
くるくる眉毛をへの字に下げ、だらしなく隙間をみせる口元。まだ少し幼さが残る頬を赤く染め、床に寝入る魔法使いの顔を見てゾロは思う。


残った酒をひとり飲んでいると、またルフィが泣き出した。
魔法使いは起きる気配がない。仕方なく真似て頭を撫でるが無骨な指の所為か、いつもと撫で方が違うのかますます泣き出しゾロは往生した。


泣きつかれてルフィは眠り、やっと身体を横たえたゾロはその夜夢をみた。
見たことのない海だった。
波は穏やかだが、水も大気もひんやりと冷気を含んでいる。
それは氷のように透明な青。
海の青に、空に広がる薄雲がうっすら灰色の影を落とすとブルーグレーに色が変わった。どこかで見たことのあるような気がしたが思い出せない。
そんな夢をみた。





そしてもうひとつ。
あたり一面に細い枝から薄紅色のぼんやりとした花がふわふわと咲き、その中で老人が静かに眠っている。
老人が浅い息をするとその花も微かにゆらゆらと揺れる。
いつしか老人の呼吸の音が止むと、花はひとつひとつ、そっと消えていった。
薄紅色の淡い花、それの名前をゾロは知らない。
ただそれだけの夢。










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