彼とシャツと保健室 4









じっとりと蒸し暑く、男臭い道場でゾロは仲間と稽古に励んでいた。
竹刀を両手に持ち、もう一本を口に銜え、

「オラアアアアアアア!鬼、切イイイイ!」

顧問が不在なのをいいことに、稽古と称してどうやら遊んでいるようだ。
3本刀、これはゾロの一番お気に入りのスタイルだった。もちろん正当なスタイルではないが、暇さえあれば仲間相手にして作った技をご披露している。回りの仲間を敵とみなし、次から次へと倒していく。
さすがに全国大会2位である。だが、実は負けて2位になった訳ではなかった。
決勝戦においてゾロは、胴に見事一本、と思われる試合運びをしたが何故か審判によってただの有効とされた。それがどうにも納得がいかず、試合を勝手に中断して審判に詰め寄り、その胸倉を掴んで、
「ふざけんじゃねぇ!どこに目ん玉つけてやがるッ!」
罵声を浴びせた。
礼を重んじる剣道で、これはかなりまずい行為だった。優勢であったにもかかわらず、反則負けの形になってしまったのはしょうがない。ようするに、ゾロは少しばかり口とガラが悪い。


バタバタ回りが倒れていく。
だが思いがけないことは何処にでもある。入ったばかりの新人の頭上にゾロの竹刀が振り下ろされた。それなりに手加減したらしいが、それでも新人は目を回した。くるくるふらふらと、前後左右に倒れながら、その剣先が思わぬところに向かった。面を付けていなかったゾロの頭へ、その天辺へと背後からガツンと落ちた。
予測不能のあまりゾロはそのまま蹲り、頭を抱えてうーうー唸る。
大きなたんこぶを見るや、仲間が「保健室へ行ってこい」、といってゾロを送り出した。






「どうしましたァー」
妙に軽い返事だ。というより心がまったくこもってない。
キンキラと軽いのは金髪だけでなく、どうやら中身もかなり軽いようだ。しかも返事だけで振り返ろうともしないし、実に横着な野郎だとゾロはムッとした。
サンジはスイッチを切り替えた。生徒相手になにも愛想振りまく必要はないと、ロビン先生モードから通常モードへと口調を変えた。残り香が薄れてしまったのはこの生徒の所為じゃなかろうか。あきらかに汗臭い。
「だからどうしたっつうんだ?」
「ここ」と、ゾロは怪我した自分の頭を指で差した。
サンジはちらりと横目で見るや、
「頭が悪ぃんか?そりゃ無理だ。オレじゃ直せねぇ」
「中身じゃねえ!」
「あー無理無理。オレじゃ無理」
「怪我だ、怪我ッ!喧嘩売ってんのかこのヤロー!!」
本当に失礼な奴だ。憤慨しながらゾロは大声で怒鳴った。


「ん?怪我だァ?」
どれ、とやっと腰を上げて、ゾロを椅子へ座らせ、
「あー、ちっと切れてるな。ハハ、でっけえたんこぶ」
サンジは立ったままその頭の天辺を見て少し笑った。
珍しい髪だと思う。緑色だ。どうやら染めているわけではないらしいがヘンな色には違いない、と意外にも柔らかいその短髪を弄りながら、でもやっぱヘンな色だとサンジは思った。


頭の天辺がむずむずする。ひんやり冷たいのは消毒液か。だが痛みも引いた今では何やらこそばゆいだけだ。しかも笑われた。
ムスッとしながら頭を垂れ、ふと視線を下から上へあげると、

―――あ、写真の

ゾロは思い出した。
そうだこの男だ。うなじやら、首筋やら、鎖骨やら何やらの写真を見せられたことを、はっきりと思い出した。それが今、自分の目の前にある。しかも鎖骨より下の部分、ようするに胸元が白いシャツの隙間から見え隠れしていた。

―――写真より白い?

処置をしながら「吐き気はないか?」、「眼は霞まないか?」と、訊ねてくる。

―――腹なんか結構締まってる。スポーツでもやってたんか。

そんなサンジの言葉が耳に届いているのかいないのか。

―――それにしても白い

ゾロは観察に余念がない。

―――乳首まで見えちまってるが。ピンク?野郎がそんな色しててなんの得がある?

突起という程の大きさはなく、ささやかで薄く淡い色をしている。角度と動きによって、それは見えたり隠れたり。それにつられてゾロの頭がふらふら動いた。

「あ、こら。動くんじゃねぇ。ずいぶんと落ち着きがねぇ野郎だ」
頭の天辺から窘められた。BR> ゾロにしても、別に好きでサンジの胸元を観察していたわけではない。ただ頭のてっぺんを弄られて、なにもすることがなく、かといって見るものなくて、というかそんなモノが眼の前にあったら見たくなくたって眼に入ってしまう。
写真の所為か、余計な情報が頭に入っていたからなおさらだ。
すると、あるにおいがゾロの鼻を掠めた。

―――香水?何かつけてるのか。

ほんのりと何かがにおう。嫌なにおいではなく、むしろいい匂いの部類に入るだろう。
汗臭い更衣室とえらい違いだ。そんなことを考えながら、ゾロが鼻を引くつかせていると、その鼻から、

ぽた…

いきなり滴が垂れた。
鼻水でも垂れたか。でも、なんで鼻水?と、不思議に思って下を見てみれば、
「あ?」
「どうした?」
サンジもつられて下を覗き込んだ。
床に赤い血がひとつふたつ。
「おい、大丈夫か?オレと一緒に医者いくか?」
床に垂れた鼻血をティッシュで拭き取りながら、サンジはゾロに声をかけた。頭を打った後の鼻血はさすがに心配だ。
「…いや、大丈夫だ」
ティッシュで鼻を押さえながら、ゾロは何故かこの鼻血が怪我の所為ではないような気がした。ではなんの所為だと問われてもわからない。





鼻血も止まり、あらかた処置の終わったところで再び保健室の戸が開くと、今度はエース先生が入ってきた。
「珍しいこともあるもんだ。どうした。腹巻してねぇんで腹でもこわしたか?」
エース先生がゾロを見て親しげに笑う。
「誰の話をしてる?うるせぇな」
先生を先生とも思わぬ横柄な口調だ。同じ体育会系だから顔見知りかもしれないが、むしろエース先生の気さくな人柄によるものだろう。ゾロは誰に対しても口が悪そうだ。
「そんなにムッとしたツラすんなよ」
そういいつつ、エース先生の視線は別なものを捕らえていた。
「どうしたの、これ?」
サンジの首にすっと手を伸ばして、そこに優しく触れる。
どうやら虫刺されを指してしるようだが、サンジはうろたえた。
「あ?や、いえ、これは…」
その口調は先程とは違い歯切れが悪く、しかもふらふらと目が泳いだ。
「色が白いからよけい目立つ」と、エース先生は赤くなった場所から、金色の短い毛が生え揃ったうなじへと指先を移動した。首の後ろを大きな手が覆っている。
―――なんだ、こりゃ?

さすがのゾロも気づいた。

―――邪魔?もしかすると邪魔か?

そのまま部屋を出ようとするゾロをサンジが大声で呼び止めた。
「ちょっと待ったーーーー!待て待て待て!オレも行く!」
「何で?」
「…え?何でって、顧問の先生に話しをしなきゃなんねぇし。お前怪我しちまったし。鼻血ブーだし。オレ責任あるし」
「なんの責任だ?だいたい顧問なら」といいかけたゾロの口を塞ぐように、
「いやあごっつい急用でして!怪我で鼻血がブーで、せっかくお越しいただいたのに、いやー申し訳ない!なんせコイツが鼻血ブーで!」
強引に引っ張って、サンジは保健室を後にした。





はーーーーーー。
盛大な溜息が漏れた。
ふーーーーーー。
それはそれは長くうっとおしく、そんなサンジをゾロが横目でちらりと見た。
「顧問ならいねぇぞ。休みだ」
「んなのは、どっちだって構わねぇ」
サンジが胸ポケットから煙草を取り出し口に咥えると、ゾロが訊ねた。
「お前、もしやあれとできてんのか?」
「ボケ。『先生、もしかするとエース先生とお付き合いしてるんですか?』だろ?言葉遣いに気ィつけ…、だあああああああ!違う!もしかしなくても違ァーーーう!」
「違うのか?」
「あったりまえだろうがッ!」
何が楽しくて野郎とお付き合いせねばならんのだ。サンジは悲しくなった。ショックのあまりロビン先生の芳しいにおいが遠ざかり、今夜のおかずにまでケチがついたような気がしてますます悲しさが募る思いだ。
「だったら」
ゾロが一呼吸置いて、
「ちゃんと止めとけ」
「は?」
それ。とサンジのシャツの胸元を顎で指した。
「これが何なんだ?」
「んなモン、開けてっからじゃねぇのか」
チッ。軽く舌打ちしてゾロはサンジを見た。
「わけがわからん」
小さく首を傾げてサンジがゾロを見る。
頭の天辺と胸元。そこしか見てなかった二人が、初めてお互いの顔を見たのは、今はもう使われていない焼却炉の前を通りかかった時だった。
「クソ。ライター忘れちまった」、そういってサンジは恨めしそうに焼却炉を見て、ゾロは「…眠い。昼寝してぇ」と、どんよりとした梅雨空に向かって大きな欠伸をした。



梅雨も真っ只中だ。もうじき夏へと季節は移っていく。



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