2.みどりの森の訪問者








子供は猟師と仲良くなった。
そして少しずつ猟師を真似て言葉遣いが悪くなったが、誰も咎める者はいなかったしそれよりも男と話をしたり、色々教えて貰えるのがとても嬉しいらしい。
男が猟に出る日は必ず姿をみせて一緒に森をあるいた。
そんな子供を猟師なりに可愛がった。口の悪い粗暴な男ではあったが、ただ一緒に歩きながら、時には話をしながら最後には獲物の分け前を与えた。
そんなある日、今日は来るといった日に猟師はなかなか姿を見せず、子供は森を歩いて男を捜す。
そして森の外れ、川沿いの崖下で横たわった男を見つけた。
頭部から流れ出た血の跡と、不自然に曲がった首。
呼びかけても返事のない冷たい身体。
子供はしばらくその場に座り込んでいたが、陽が落ちて森が翳りゆくのを感じ諦めたようにようやく腰を上げ、あの不思議な言葉を口にした。
すると猟師の身体から、ぽん、ぽん、ぽんと小さな白い花が咲き、みるみる男を覆いつくす。疲れた面持ちでその場を立ち去り、そして子供は少しだけ泣いた。







森には魔法使いが住んでいる。
その噂で森を訪れる者も少なくなかった。
大概は「作物の実りを良くして欲しい」、「家畜の乳がもっと良く出るようにならないか」、または「鶏が玉子を産まなくなった」等であったので子供はこころよく引き受け、お礼に野菜や小麦、山羊の乳や玉子などを貰う生活をしている。
でも中には「呪って欲しい人物がいる」、と物騒な事をいう者もいた。

一度だけ、たった一度だけ子供は要望を聞き入れ「呪い」をかけ、その人物の身体の中に小さな炎を燃やす。
だが子供に還ってきた代償は大きかった。
背中が裂けるように痛くなって息もろくにつけず、身体には膿みをもつ小さな出来物がいっぱいできた。それから子供は二度と呪いをかけることはしない。





そして子供はこの春16歳になる。
少しずつ大人に近づき、子供らしさが抜けてきた。
くるりと丸まった眉は愛嬌があって、金色の髪と青い眼、色白のきめ細やかな肌と、かなり人目を引く容貌をしているが、猟師仕込みの口だけは大層悪かった。
「名前は?」と聞かれることも多かったが一度も自分の名前を口にしたことはなく、聞かれる度にただ薄く笑うだけだった。
村人たちは名前を知らない子供を『森の魔法使い』とだけ呼ぶようになる。





霙が降る寒い夕方、魔法使いの家を訪れるものがあった。
大きな音でドアを叩かれ、シチューを煮込む手を止めドアへと向かう。そのドアを開ければ冷たい空気が流れ込み、その前には黒い頭巾姿の男が立っていた。


「此処は魔法使いの家か?」
腰には3本の剣。全身を包む黒いマント。堅気の者でない気を放ちながら無愛想な低い声で男は尋ねた。
「いいから中に入れ。そんなとこに突っ立てられたら寒くて仕方ねぇ」
中へと通された男は入るなり無遠慮に室内を見渡した。
「随分と狭いな。おい、お前ひとりか?魔法使いとやらは何処へいった?留守にしてるのか?」
子供相手からか、男は不躾な視線と質問を投げつける。
少しむっとしながらも、魔法使いは男がその胸になにやら抱えているらしい事に気づいた。
「此処には俺しかいねえよ。それよりお前、何抱えてる?」
「じゃお前が魔法使いだってのか?」
問いには答えず、ひどく驚いたような声を出した。
どうやらこんな子供とは想像もしていなかったらしい。男がコートの頭巾を取ると、中からでてきたのは珍しい緑色の頭髪だった。
頭巾に隠れてよく見えなかった男の風貌もよくわかる。
精悍な顔立ち、よく日に焼けた肌。年の頃は20代後半といったところであろうか。男はコートの中から危うい手つきで赤ん坊を出し、そして、

「未来の国王だ」

驚き、眼を見開いた魔法使いに、抱けと謂わんばかりに差し出した。








小さな暖炉の前に座り、男は語る。

最初は王妃が病に倒れた。産後の肥立ちが悪いのかと皆は危惧したが、どうやらそうではないらしい。ただ日増しに衰弱し、手足の痺れを訴えた。
そして原因が判明せぬまま王妃は息を引き取る。

皆が悲しみにくれる中、王の側近、そして国王自身も次々と病に倒れていく。城中にその奇病に対する脅威が広まった。
その原因を突き止めたのは新しく医師として城に招かれたトナカイだった。彼は若いながらも豊富な知識と経験を持ち合わせ、素早く原因を解明した。
『ダンスパウダー』
雨を降らせることのできる禁断の魔法の粉。
そして微量ずつ体内へ入れることによってそれは毒となり、最後は死に至らしめる知られざる猛毒。
厨房の人間を尋問して浮かび上がった人物は王弟だった。
「サー・クロコダイル」、派手なパフォーマンスで国民にも絶大な人気をもつ人物である。
その男が謀反を企てた。





「それで?」
膝の上に赤ん坊を乗せ、魔法使いがそっけなく聞く。
「内乱が起きる」
「だから?」
「預かって欲しい。この赤ん坊は次期国王だ。王妃も亡くなり、国王も床に伏せっている今、これでも我々の希望の星だ」
希望の星と言われた赤ん坊は猿のように顔を歪ませ、ふえ〜んと泣いた。
黒い髪に手をおき、そっと撫で付けると安心したのか大人しくなる。
「俺が?赤ん坊を?馬鹿言うな。子供なんか育てたこともねえし、育て方も知らねえ。それに育てる義理もねえだろ?」
「……俺も、もっと年配の人物かと思っていた」
「…そりゃ悪かったな、ご期待に添えねぇで。わかっただろ、いいからコレを連れて帰れ」


しばしの沈黙の後、男が重たげに口を開いた。
「最初、俺はただの護衛でついてきた。しつこい追っ手によって、ひとりまたひとりと倒され今じゃ残っているのは俺と赤ん坊だけだ。こんなんでも一緒にいれば情が湧く。国が落ち着くまで安全な場所で暮らさせてやりたい」
「アンタが大変だったのはよく解かった。だが俺じゃ無理だ」
「城を出てからもう一月以上だ。赤ん坊にも負担が大きい。これ以上は連れ回せない」
「村で育てて貰ったらどうだ?」
「その村でお前の事を聞いた。魔法使いなんだろ?赤ん坊を厄災から守ってくれねぇか?」
「無理だ。此処には山羊もいねえし、飲ませる乳だってねえ」
懐から重そうな皮袋を取り出し、
「金ならある。これで山羊を飼って乳を飲ませてやってほしい」
「だから、俺はガキなんか育てたことねえんだって!聞いてんのか、おいこらっ!」
いきなりやってきて赤ん坊の面倒を見ろといい、山羊を飼って乳を飲ませろという。男の勝手な物言いに魔法使いは腹が立った。
それを聞いて男も声を荒げた。
「俺だって、おめぇみてえなクソ生意気なガキに大事なもん預けたくもねえッ!だけど仕方ねえだろッ!場所といい、条件といい、此処が最適なんだ!四の五の言わねぇで育てろ、このぐるぐる眉毛ッ!」
「ああ?人様の世話になろうってのにその言い方はないんじゃねぇ?人にものを頼むときはもっとへりくだったらどうだ?少しは申し訳なさそうに言えねえのか!毬藻ッ!」
「毬藻ってなんだ?」
「緑色で水の中にいて、そしてまんまるい」
額にぴきっと血管を浮かせ、それでも男は頭を下げた。

「頼む」

「殺さない程度にしか面倒みれねぇぞ…、クソッタレが…」
「死ななければ、どんな育て方してもかまわねぇ…」
子供相手に頭を下げたのが悔しいのか、それとも馬鹿にされたのが腹立たしいのか、男は小さく歯軋りをした。


魔法使いは盛大な溜息をついて、そして子供を男に預けるとスープを椀にいれて戻ってきた。
赤ん坊をまた腕に抱き、小さな銀のスプーンをその口元にあてて、含ませるようにそれを飲ませる。
「いい物もってんだな」
「ん、これか?クソジジイが俺の誕生日の度に1本ずつ用意してくれた。この小さいスプーンは俺が1歳時のモンだと」
少し笑った。
クソジジイが誰かは知らないが、先程までの眉間に皺を寄せたガラの悪い人相から打って変わって今は穏やかだ。
さらさらと金色の髪が揺れ、陶器のような白い肌に暖炉の炎がゆらゆらと影を落とす。
「何本持っている?」
「9本。10本目は貰い損ねちまった」
「何歳だ?」
「15。もうすぐ16」
四捨五入すると20だ。子供らしい見栄を張った。
赤ん坊にスープを飲ませ終えると、今度は男のためにシチューを用意した。
山の幸と僅かな肉片、そして竈で焼いたパン。
素朴なものであったが、冷えた身体には暖かく、男はそれがひどく旨く感じた。


泊まっていってもいい、その魔法使いの言葉に甘え、男は毛布を借りて床へ横になった。
小さく粗末な森の小屋。
未来の国王は魔法使いの横で静かに眠る。





翌朝、魔法使いは城へ戻る男を森の出口まで見送った。
此処まで送るつもりはなかったが、いくら教えてもとんでもない方向へゆこうとする男に呆れ返り、結局一緒に森の出口まで来てしまった。


「また、様子見に来るから」
男の言葉に素直に頷く。それに少し安心したのか、
「コイツの名前は『ルフィ』だ。そして俺の名前はゾロ。ロロノア・ゾロという」
名乗り、続けて「お前の名前は?」と聞くが魔法使いは薄く笑うだけだった。
「名前を教えろ」
「アンタの好きに呼んでいいぜ、毬藻」
「はあ?ふざけてんのか、それとも馬鹿なのか?いいから名前を言え」
「てめぇにゃ教えられねえ」
きっぱりとした口調で言われた。
要するに教えるつもりがないらしい。憮然とした表情で、それでも男はまた「頼む」と頭を下げて城へと戻っていった。





昨夜から降っていた霙交じりの雪がやみ、遠く北の空に青空が顔を出す。
2月の終わり。まだ雪を残したみどりの森にも少しずつ春がやってくる。










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