[みどりの森物語]








むかしむかし、ある森の中に、魔法使いが住んでいた。
それはおとぎ話よりもむかしの、世界がまだ魔法をもっていた、そんな頃にあった話。






1.みどりの森の魔法使い






天に向かって、どこまでも高く伸び続ける針葉樹、そこは海のように深く、どこまでも緑色をした迷路のような森だった。
そんな森の中にある廃屋に、いつしかひとりの少年が住み着いた。
その子は金色の髪と青い眼をした、まだ幼さが残る子供だった。
春風の穏やかなある日、どこからかふらりと村にやってきて、そのうち森の中へと入っていきそこへ住み着いた。 その子が誰とどうやってそこまで来たか誰にも語ることなく、子供ながらにして自ら廃屋を修理し、木の実や野草など森の恵みを受けつつ、ひとりで生活を始めた。
そんな子供を心配する村人もいたが、しかし村全体が非常に貧しかったため、声はかけるものの、誰も彼の手助けをしてやることができなかった。
それから少しばかり月日が流れた頃、ある噂が村に流れた。


あの森にすむ子供は魔法使いらしい。


そんな噂が村人の中で広まった。







ある農夫の話。
薪を取りにみどりの森へ行ったときのことだ。森の奥深くで、その子供と会った。
こんな森の何処で見つけてきたのか、籠一杯につやつやとした苔桃の実を持っている。真っ赤に熟れた苔桃がひどく美味しそうで、農夫は自分の持っている食料と交換をもちかけた。
苔桃のかわりに村人から山羊のチーズをもらった子供は嬉しそうな顔ですぐに半分ばかり頬張るや、残りを持っていた粗末な布で大事そうに丁寧に包んだ。
そんな子供の身なりは大層変わっていて、全身はすっぽりと生成りのローブで覆われている。余程サイズが合っていないのだろう、体から服が浮いて、動くたびにがさごそ布の擦れる音がした。


「いくつだ、坊主?」
「10歳」
「こんな薄暗い森の中で寂しくないか?村に住んだらよかろう?」
「平気だ」、と答えるも、それでもやはり人が恋しいのか、男の傍へ腰掛けなかなか離れようとはしなかった。
そんな子供を相手に、男は世間話をした。
年に一度の村の収穫祭の話。
この話は子供をたいそう喜ばせた。青い眼を輝かせながら男の話を聞き入る。
そして自分の家族の話。
子供は視線も逸らさずに、大人しく傍らで聞いている。
自分の子供の話をしながら、男はふと、眼の前のこの子供がひどく不憫に思えた。
年端もいかない子供がこんな森の中で、たったひとりで暮らすということはどんな寂しいことかと胸が痛んだ。
確かに村は耕作する農地も少なく、いつも貧しい。だがこんな子供のひとりくらい、どうにかなるのではないかと考えた男はある決心をした。
話が途中になり、子供は男を不思議そうに見ている。
「なあ、やっぱり村へ来い。たいしたことはしてやれんが、お前みたいなチビひとりくらいならどうにでもなろう」
その言葉に子供はゆっくりと首を横に振った。
「覚えなくちゃいけないことがあるから」
「こんな森で何を覚えるっていうんだ?」
「言葉」
「言葉?」
「うん。いろいろな言葉」


樹、草、鳥、獣、虫、魚、風、水、炎、土…


ゆっくりと、ひとつひとつ丁寧に単語を並べた。
男はただの夢見がちな子供の話だろうと、否定もせずに優しく問いかけた。
「どれか覚えられたかい?」
「草を覚えた」
「そうかお前さんは草の言葉を知っているのか。それなら俺の育ちの悪いじゃが芋やとうもろこしに、もっと実をつけろと言ってやってくんねぇか?毎年毎年出来が悪くてかなわねぇ」
笑いながらいうと、「うん、いいよ」と、そのまま男について子供は森を出た。
子供の言葉を信じた訳ではなく、ただきっかけがなかったのだろう、やはりこのまま村に住まわせよう、と村まで連れてきた。
男の家に着くなり子供は畑へと向かい、そこで今まで農夫の聞いたこともない言葉を口にした。
それは言語といっていいのかどうか、発声すら真似のできない不思議な言葉を小さく唱え、そして引き止めるのを聞かずにまた森へと帰っていった。
その年の初夏、男の畑の作物はいままでにない豊作だった。
重たげにたわわに実った数々の野菜、穀物。男は麻袋に詰めて森へと持っていった。
それは子供の言葉を男が信じたからではない。感謝というわけでもない。ただ自分の子供と歳の近い、まだ幼きその子の為にと男はそれを森へと運んだ。







ある猟師の話。
森の奥深くで男は狩りをした。その場で獲ったばかりの獣を解体していたら、そこへ見慣れぬ子供がやってきた。
「見ていてもいいか?」と問われ、「ああ、だが邪魔したら承知しねえぞ」、男は無愛想に答える。
獣を捌く手を休めずに男は子供に聞いた。
「どこのガキだ、お前は?」
「森の子」
「んあ?なんだ、お前か。この森にひとりで住んでるガキってのは?」
変なのに出会っちまったぜ、と少し笑いながらそれでも男は子供に話しかける。
「いくつだ、おめぇはよ?」
「11歳」
「そうか。だけどよ、おめぇ、気持ち悪くねぇ?こんなの見てて」
「全然。でも上手だよな、アンタ」
「そうかよ?長年やってるからなァ…。でも褒められたのは初めてだぜ」
嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あんまり近寄るんじゃねえぞ。おめぇのその白いおべべに血がついちまう。しかしよ、それ少しばっか大きいんじゃねえか?」
「いいんだ、すぐに大きくなるから。それよりそれ、家に持っていって食べるのか?」
「いや、これは全て売りモンだ。うちのガキらに食わせてやれるのは欠片ぐれぇだな」
なんせ貧乏だからよ、と苦笑混じりに答え、いつしか会話は途切れることなく続いていく。
捌いた物を手際よく片付け、全て袋に詰め終わるとその中から小さな肉塊を子供に渡した。
「これでも食え。ちゃんと飯食ってんのかよ?ガリガリじゃねえか」
色白の肌にローブから見える細い手足、男には子供がひどく儚げに見えたらしい。
子供は嬉しそうにそれを受け取り「お礼だ」、となにやら変な言葉を口にした。
「何だそりゃ?お前それどうやって発音したんだ?真似しろってもできねえぞ」
「だからお礼。それ、みんなに喜んでもらえるといいな」
くるくる巻いた眉毛を下げ、子供は嬉しそうに何度も振り返りながらその場を立ち去った。


持ち帰った獣肉はそのまま町の肉屋へと売られていったが、後日その肉が大層美味であったと猟師は肉屋から礼を言われた。
その後、幾度か森の中で子供と出会い、その度に肉の欠片を渡せば子供はあの不思議な言葉を唱える。
いつしか男の獲る獣肉は評判となり、そして卸値が何倍にも高くなった。
そのお陰で猟師は自分の子供たちにも、欠片でないちゃんとした肉料理を食べさせてやることができた。




こんな話がいつしか村人の間で流れた。










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