黄泉比良坂 2









グランドラインへ入って5年の歳月が流れた。
世界中を巻き込み、ルフィは海賊王の高みへとたどり着いた。得たものの大きさは、失ったものの大きさと比例している。
そしてグランドラインを制覇した後、ナミは世界中の海図を書くことに目的を絞った。
ゾロは片目を失ったが、大剣豪の座を手に入れることが出来た。
ルフィが約束の地を目指す過程で、サンジの念願の夢であるオールブルーも見つかり、チョッパーもすっかり大人になって、医者としての技術にますます磨きをかけている。
ウソップは彼の目指すところである海の戦士に着実に、一歩ずつではあるが近づいている。これは本人の弁だ。
ロビンはポーネグリフ、真の歴史の解読をした。これはサンジのオールブルー同様に、ルフィの海賊王への道とリンクしていた。今ではさらに昔に失われた歴史を紐解こうとしている。
新しい仲間も増えた。
クルー達も船を拠点としての単独行動が多くなった。 チョッパーが一時的とはいえ、船を離れていたのもその為だ。
そしてゾロも、遥か遠い地にいる。
そこからも離れ、故郷へとひとり向かった。






移動の途中、雑木林の中で日が暮れてしまった。
ゾロは枯れ木を集めて火を熾し、途中の村で買ったパンとチーズ、そして1本の酒を袋から取り出した。
炎でチーズを炙り、とろりとたれそうになったものをパンの間に挟む、そしてそのまま貪り食い、酒で胃の中に落とした。
チーズの塩気が素朴なパンに良く合う。赤ワインの渋みも自分好みだ。
食いながらゾロは考えた。食い物や酒などに、前よりもこだわりを持つようになったのはコックの影響だろうか。昔は興味もなく、ただ無頓着だった。
パンを食い終わり、残りの酒を口に含みながら、ゾロは考える。
体の繋がりがあった。
どちらから共なく、あれだけ気が合わないのが不思議なくらいすんなり身体を合わせ、5年の歳月で様々な体液を交わらせた。
愛情と呼ぶべきものがあったかどうかは判らないが、執着がないといえば嘘になる。
死んだと聞かされ、何の感情も湧かないはずはない。
互いに傷つけあいながら抱き合い、もっとも近い距離にいた男だ。
このまますぐに船に戻る選択肢もあっただろうが、ここで自分が急いで戻ったとしても、おそらくそこには何もない。
遺体も荼毘にふされて、そしてキッチンや男部屋、船のいたるところで彼の面影を見つけ、そして自分は改めて知ることになる。
ただ会わないことと、もう会えないことの違いを。

ゾロは思い出した。
思い出したのが奇跡といっていいほど、昔の記憶である。
死んだ曾祖母の言葉だ。




―――黄昏時は、決して近づいちゃいけない。覚えておきな
―――連れていかれちまうからね




村の外れにある、海へと向かう、ただの坂道。
その場所を村人たちは忌み嫌い、黄昏時に限らず決して近寄ることはない。



死者の通り道。
それは黄泉へ続く坂といわれていた。







ひと月あまりかけ、ゾロは故郷へと帰りついた。
夕暮れが間近に迫っている。家や道場へは寄らず、そのまま村はずれに続く道へと歩を進めた。
そこはなだらかな、どこにでもある田舎の坂道だった。道の両端が半分枯れた雑草に覆われている。
人の全然通らない道なのに、路上には不思議と草が生えていない。
この場所でゾロはサンジを待った。
もしも言い伝えが子供を脅かすためのものであっても、ただの噂だとしても、たとえ会えないとしても、しょうがないことである。
だが、もしも。
たとえ僅かであっても、可能性があるのならば。
その小さな奇跡にゾロは行動を起こした。


坂の入り口にて、その時を待つ。









1日目

老人がやってきた。背中の曲がった、年老いた男が、道の向こうから歩いてくる。
ゾロを見つけては、その傍らに腰掛けた。
農夫だったと男は話し始めた。小さい頃から働いていて、あまり勉強することもしなかったが自分の名前は書ける。なつめやしを干したものが好物で、それを食べながらお茶をするのが楽しみ。そして男の妻のことや、出て行ったまま戻ってこない子供のことなど、男の話にゾロはただ相槌をうった。
ひととおり話し終えると、男はゾロに頼みごとをした。
自分と一緒に行ってもらえないだろうか。あんたは出て行ってしまった息子に少し似ている。一緒に行けば妻も喜んでくれるにちがいない。
ゾロは小さく首を左右に振った。
人を待っている。
その返事に男は腰を上げ、そのまま緩やかな坂を下りていった。
夕陽に照らされた背中が、最初見たときよりも曲がって小さく見えた。



老人がいった後、今度は幼い男の子がひとりで歩いてきた。
ゾロの姿を見つけたからか、嬉しそうに駆け寄ってくる。
人見知りもせずに子供が話し始めた。
ずっと歩いてきた。誰もいなかった。ずっとずっとひとりだった。寂しかった。でも誰もいなかった。
「そうか。えらかったな」
ゾロが褒めると、うつむき加減だった顔を上げ、
「あのね、あのね、僕、お菓子もってるんだ。分けてあげるよ」
はにかむように笑いながら、小さな手でポケットの中を探し始めた。こんなに小さなポケットなのに見つからないのか、必死でポケットをまさぐっている。
ゾロはポケットの上から子供の手を覆うと、
「思い出せ。誰に貰った菓子だ?父さんか?母さんか?思い出してみろ、それはお前の大切なものだろうが」
子供は数回小さな瞬きをした。

小さな後姿が少しずつ遠ざかっていく。
幼い子供の歩いてゆかねばならぬ道のりの長さを、ゾロは考えた。
同じ道を歩いていても、他者とはけっして重なり合うことのない、黄泉への坂道。
夜の帳がゆっくりとおりてきた。
白く大きな星がひとつ、西の空に輝いていた。





2日目

場所を坂の中腹へと移動した。草叢に腰掛け、眼を瞑る。
幾人かに声を掛けられるが、死者と関わることのむなしさ、切なさ、遣り切れなさにゾロは眼を閉じた。





7日目のことだ。
陽が傾きかけた坂道をゾロは歩いていた。
その日は朝からずっと、何回も、幾度も坂道をのぼり、おりてはのぼっていく。
そして見つけた。
道の切れ目で、それを見つけることができた。それは奇跡といっていいのかもしれない。
枯れ草の道端に腰掛け、タバコを燻らす黒いスーツ姿があった。
夕陽に照らされた髪が、まるで黄金の麦のようだ。



「おい!」
ゾロが怒鳴った。
「コック!!」










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