彼とシャツと保健室 3








6月、学校は衣替えのシーズンにはいった。
この高校は私服である為か、見た目は普段と何も変わらない。まだ長袖を着ている者もいれば、早々と半袖になった者、またはタンクトップで来るヤツもいて、各自好き勝手な服装で学校生活を過ごしている。
だが学校の片隅、ここ保健室では人知れず衣替えが行われたようだ。
サンジがスーツの上着を脱いで白いシャツ姿となり、そして細めのネクタイと、シーズンインの軽やかな装いとなった。
だが、いくら服装は軽やかでも今日は雨だ。湿気が高くて部屋がむしむしする。
タイを緩めて胸元のボタンを3個外したら、開いた窓から入ってきた蚊がその白い首に小さく赤い跡を残した。
蚊を叩き潰し、ぽりぽり首を掻きながらサンジは仕事を続けた。
今日はパソコンで『保健だより』の作成作業を行っている。
「えーと…」
頭の中でまとめた文の入力を始めた。


皆さん、お変わりありませんでしょうか。
早いもので新学期からもう3ヶ月経ちます。新入生の皆さん方もようやく学校に慣れてきた頃でしょう。
衣替えも済みますと、長雨の続く梅雨の季節です。この頃は体調を崩しやすくなる時期でもありますので、充分な睡眠や栄養など健康管理に………


ふと、入力する手が止まった。

―――こんなの読むヤツいんのか?

おそらく自分なら読まない。というか、学生時代を思い出しても読んだ記憶がさっぱりない。
もしかすると自分だけかもしれないけれど、でも可愛い女子高生ならともかく、男子高生の『歯』やら『目』やら『湿疹』等の心配など、いくら仕事とはいえ何故自分がしなければならないのか。はっきりいって全然興味が無い。たとえ仕事であってもだ。しかも読んでもらえない可能性が高いとなれば、かなり空しい作業である。
小さくまた溜息を放ち、萎える心に鞭打って作業を続けていると、保健室の扉が開いてほんわかといい匂いが漂ってきた。
実際のところ、本当に香ったかどうかは定かでない。もしかすると勘といっていいかもしれないが、その勘はものの見事に当たった。麗しのロビン先生が保健室にやってきたのである。


「お仕事中ごめんなさい。ちょっといいかしら?」

オアシスが自ら歩いてやってきた。じめじめした部屋が別なもので潤されようとしている。それはまさに芳香漂うオアシスといっても過言ではなかった。
椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がると、逸る心を抑えてサンジは訊ねた。
「どうしました?ロビン先生」
「ええ、ちょっと棘を刺してしまって…」
取って下さる?と、ロビン先生は細くしなやかな手を差し出した。

サンジの鼻穴がぷくっと大きくなると、
「見せて貰っていいですか?ああ、これは結構深く入ってるな…」
ロビン先生の手をそっと取り、毛抜きでソレを抜きにかかった。

―――棘め…、棘の分際で生意気な。

心でぼやき、

―――オレもロビン先生に入りてええええええ

そして叫び、棘につまらぬ嫉妬をしながら、深く入り込んだソレを探っていると自分の前髪が妙に気になった。髪が邪魔でよく見えない。サンジは髪を振るようにして、少し頭を上げると――。
そこは前人未踏の秘境だった。
眼の前には、どこまでも深い肉の谷間がある。
湿気と気温のせいだろうか、谷間は仙境に漂う霧のごとく、しっとりと艶やかに濡れそぼり、仙花に似たその芳しい香りはまるで此処が天国のようだ。サンジの鼻はますます広がった。
そうしてるうちに、毛抜きが何かを掴んだ。手ごたえを感じたサンジは後ろ髪を引かれる思いで棘を抜き取ると、
「ありがとう」
ロビン先生が優しく微笑んだ。
「とりあえず消毒だけはしときましょう」、そして手当てを済ませ、ロビン先生が静かに部屋を出て行くと、残り香がほんのりと部屋に漂い、サンジは大きくひとつ呼吸をした。その空気を胸いっぱいに含んだ。

―――今夜のおかずは決まったな

パソコンを打つ手が軽くなった。カチカチと軽やかなタッチ、まだ閉じきらない鼻からは歌が流れ、サンジの機嫌はうっとおしい梅雨空を吹き飛ばしてしまうくらい上々だ。
そしてまた扉が開いた。ノックもせずに誰かが入ってくる。
今度は野郎かと、サンジは顔も上げずに作業を続けた。空気が一瞬で汗臭くなった気がする。

「ちょっといいか」

案の定、男の声だった。
だが教師ではなさそうだ。その声は低めだがまだ若い。ようするに生徒のようだが、でも物言いが妙に偉そうなのが気になるといえば、多少気になる所である。
頭を上げずに眼の端で、サンジは入ってきた男にちらりと視線を送った。
剣道着だ。そして腰には何故か竹刀が3本。

―――なんで3本?

でもサンジはまだ機嫌がいい。あまり深く考えず、面倒なので顔も向けずに、ロビン先生の残り香がまだ漂う保健室で、
「どうしましたァー」
かるく、あかるく、心のこもっていない返事をした。


じめじめと蒸し暑い、6月のある雨の日のことだった。





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