彼とシャツと保健室 8








湿度をたっぷりと含んだ強風が、雲を軽々と千切って空に飛ばす。



「オイッ!起きろハゲ!寝てばっかいるとますます苔むすぞ!」
サンジに叩き起こされ、ゾロは仕方なしに渋々と眼を開いた。
「台風が近づいてるってさ。絶好のチャンスじゃね?荒れ狂った外海が見られんぞ」
そういやそんなことをいったような。半覚醒の状態で、嬉々とした表情の男をぼんやりと見た。
「オレは午後は休みだ。てめぇはどうだ?」
「…んあ、問題ねえ」
大きく欠伸をして、欠伸のついでのようにゾロが返事した。

夏休みになのにわざわざ登校してきて、何が楽しいのかエアコンもない保健室で昼寝してる男に、問題などあるはずなかろう。サンジはそう考えていた。
だが、ひとつだけ問題があるとすれば、ゾロは3年生だ。受験を控えている。しかし夏期講習にすら出てる様子がないなら、担任でもない自分がそこまで心配する必要はないだろうとも考えた。
互いに予定がなければ話は早い。
午後一で出発することに決まった。
目指すは北。そして飛沫が弾け飛ぶような荒々しい外海だ。



「なんつう車だ?」、車には興味がないが、あまり見かけない車なので、ふとゾロは訊いてみた。
「ランチア」
これでもラリー仕様だと、ハンドルを握りながらサンジが咥えタバコで答えた。
「足回りがカチッとしてるから運転しやすい」
サンジなりにこだわりがあるようだ。
「てめぇももうすぐ免許取れんだろうが。予定はあんのか?どんな車が好みだ?」
そう訊かれてゾロは初めてそのことについて考えた。
考えてみれば、いや考えずとも答えはひとつだ。車に興味がない。まったくない。
車など、走って、曲がって、止まれば充分ではないのか。足回りがカチッの意味すらどうでもいい。
そしてサンジは、「出来れば取っておいた方がいいかもな。やっぱデートの時に車は必要だろ?だが無理して高けぇの買うこたァねぇぞ。車に釣られてついてる女なんざろくなモンじゃねぇ。あんまショボイのもなんだけどな」、ゾロを無視して延々好きなことを好きなだけ話した。
二人を乗せた車は、ただひたすら北へ北へと、強風の中を海へと向かっていった。


夜には戻ってこられるはずだとサンジは考えていた。
教諭たる自分の立場を考えれば、いくらなんでも生徒を深夜まで連れまわすわけにはいかない。だが、そんな気遣いもゾロには不要らしいと、車中の会話でわかった。3時間以上同じ車内にいれば自然とそういう話もする。
ゾロの家庭状況だ。中流のちょいと上、それなりに裕福な家にはありがちな話であるが、両親共に多忙な為かほぼ放任状態だ。一人っ子だからと甘やかされることなく、というよりも、厳格な祖父によって子供時代より躾と武道を仕込まれたことや、その祖父が亡くなって放任に拍車がかかったことがわかった。
だが厳格な祖父から躾けられて、どうしてこういう孫に育ったのか。それはどんだけガラが悪い躾なのかとサンジは不思議に思った。いまひとつ理解できない。 これも祖父による躾の賜物なのだろうか。



午後4時を少し回ったとき、ようやく海に着いた。
予想通り、いや予想以上に波が高く風も強い。
墨汁を垂らしたような灰色の雲、砕けた飛沫は風に飛ばされ、激しい雨のように地面を打ち付ける。
「すんげえーーーーー!」
サンジは大声を上げた。物好きもそうそういないのか、回りには人の姿がまったくない。押し寄せる高波は岩を砕かんばかりの激しさである。
「気持ちいいーーーー!最高だな、おい!」
飛沫と強風に吹き飛ばされそうだ。
当然ながら、二人はびしょ濡れになった。

車に戻ってから、サンジは少しばかり後悔した。
合羽を着ればよかった。着替えを持ってくればよかった。ぐっしょりと濡れて気持ち悪い上に、身体がたまらなく磯臭い。妙にべたべたする。

車に戻ってから、ゾロは少しばかり目の置き場に困った。
運転する男が濡れている。自分も濡れてるが、それはかまわない。だが、しっぽりと濡れた白いシャツが肌に張りつき、身体の線を浮き彫りにしていた。はっきりいってエロい。生々しくも艶かしい。裸よりいやらしく感じるのはどうしたことか。
はしたない。そんな単語がゾロの頭に浮かんだ。

「何処かで風呂でも浴びてくか?」
サンジが提案した。
「かまわんが着替えはねぇぞ」
「ランドリーがあると思うが。なけりゃそんときまた考えればいい」
そして車は高速を降りて、海から山へと走った。温泉を探すためだ。
車はラリー仕様らしいがナビはついていなかった。サンジ曰く、「ナビなんざしゃらくせえ。あんなもんに頼ってばっかいると人間馬鹿になる。あれば便利かもしれんが必要ねぇ。おまけにそんな金もねぇ。地図で充分」 それが持論のようだ。
助手席でゾロが地図を広げた。
後から考えればかなり無謀な行為であったが、その時は知る由もなくサンジはゾロに地図を託した。ゾロの言葉どおりに車を走らせたのであった。





「……ここは何処だ?」
サンジが呟いた。
「見てのとおり山だ。温泉に向かってるから間違いねぇ」
山には違いないが、木々があまりにもうっそうとしていて、あたりがあまりにもうら寂しい。
「……オレは秘湯なんか探してねぇぞ」
「意外と細けぇな。秘湯も温泉にゃ違いねぇだろうが」
「バカ抜かしてんじゃねぇぞこら!さっきから対向車が一台も通らねえ!前も後ろも一台もだ!」
大声で怒鳴った。
「対向車のことまで知るか!車が通らないのはオレの所為じゃねぇ!」
当然ゾロも怒鳴り返す。
雨風は次第に激しくなって、あたりもすっかり暗くなって視界もかなり悪い。
明らかに人里離れた山道だ。民家の明かりすらどこにも見えない。道がどんどん細くなってきて、サンジの気持ちもどんどんどんどん先細りになっていった。



「……信じらんねぇ。なんで道路が舗装されてねぇんだ?」
「工事中なんだろ。おい、あんま車を揺らすな。もしかすると運転下手なのか?」
ゾロが横目でサンジを睨んだ。
「ざけんな!好きで揺らしてんじゃねぇ!文句なら道路にいえ!」
「道路というよりも獣道だ。猪でも出てきそうだぞ。迷子になったんじゃねぇのか?」
「何が迷子だ!てめぇがナビした道だろうがっ!」
「…・・・黙って聞いてりゃ文句ばっか抜かしやがって。そっちこそ文句なら地図にいったらどうだ!イカレた地図なんか寄こしやがって!」
雨が激しさを増した。横殴りの雨と風の音がかなりうるさくて、だけどそれ以上にうるさい車内であった。



どうにか人里らしき場所に出られた時は、夜というより深夜に近かった。
となれば、いまさら温泉どころではない。第一希望は温泉宿、第二希望はホテル、第三希望はビジネスホテル、第四希望はと、散々探しまくって見つけたものは、

「……ラブホ?」

どう見てもラブホテルにしか見えない建物だった。
『御休憩5000ベリー〜』『御宿泊9000ベリー〜』と書かれた案内表示板がある。
幸か不幸か、『空室あり』が青く点灯していた。

―――野郎二人で?

サンジは心で唸った。
選択肢はどこまでも少なく、嵐の夜はどんどんと更けていった。










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