彼とシャツと保健室 9








田舎ゆえか、部屋だけは広かった。そして一見豪華そうに見えるものの、その実かなり造りはチャラく、はっきりいってペラッペラな安普請である。だが、たとえ温泉でなくても、そこ風呂があって布団があって屋根があって寝られればいいわけで、少なくとも男同士で泊まる部屋の装飾など無駄以外何物でもないとサンジは考えた。
部屋に入るとまずは風呂に湯を入れて、待っている間に洗面台で服を洗った。海水でごわごわになった服を脱いで、腰はバスタオルで覆って真夜中の洗濯だ。
そして洗い終わったものをハンガーにかけているとゾロが風呂場へ向かうのが見えた。

「てめぇも洗濯か?」と訊けば、
「いいや。風呂に入る」ゾロが返事して、そしてサンジが怒鳴った。
「ちょーーーっと待った!何でてめぇが先なんだ!!」
「お前はまだ洗濯中だろ。時間の有効利用だ」
脱衣室からぬけぬけという声が聞こえると、サンジの表情が見る見るうちに物騒になった。髪が半分逆立っている。
「いいや終わったぞ!今終わったとこだ!オレが先に入るからてめぇは出ろ!」
自分が入れた風呂である。当然のようにサンジは優先権を主張した。
「まだ終わってねぇ」
これだ、これもだ。と浴室から自分の脱いだ服を次々に放り投げると、
「あ?これって、てめぇの…」
サンジの台詞が言い終わるのを待たずにドアが閉まった。
床に脱ぎ捨てられた服が落ちてる。指先で摘まんでにおってみると、予想どおり汗臭くて磯臭い。仕方なしにサンジは洗濯した。癪に障ったので、自分の半分の時間でぞんざいに洗ってやった。
2回目の洗濯も終わって、サンジはソファーに腰掛けてタバコを吸った。冷蔵庫からビールを抜いて一気に飲むとようやく一心地ついた気がした。酒は風呂上りまで我慢すればよかったと思いつつ、サンジはまたタバコを吸った。
まだ出てくる様子がない。しょうがないので、もう1本飲んでまたタバコを吸った。
それでもまだ出てくる気配すらないのでもう1本吸った。もちろん酒も飲んだ。テーブルに並んだ空き缶が邪魔になって、灰皿に小さな山ができた頃、サンジのイライラは頂点に達した。

―――遅い。あまりにも遅い。遅すぎる。どこを洗ってる?まさかあのツラでパックでもしてるのか?

ついに痺れを切らしたサンジは浴室へと向かった。
いちおう外から声をかけたが返事がない。いくらなんでも声が届いてないことはないだろう。そう、中は水音ひとつしないのである。
遠慮せずに扉を開けると、そこには寝てる男がいた。
あまりにも想定内だった。
口を開けたまま、カーカーカーカー気持ち良さそうに眠っている。サンジは小さく舌打ちして、そのだらしなく緩んだ口を摘んだ。
まずは顔面におもいきり蹴りを入れる、もしくはこのまま湯船に沈める。さて、どちらがこの星に優しいのだろう、等と唇を引っ張りながら考えていると、突然ゾロの目が開いた。
いきなり手首を掴まれ引っ張られ、挙句無理やり腰を強く抱かれ、そのままバランスを崩してサンジは飛沫とともに湯船へと倒れ込んだ。
服を着たまんま、頭の天辺からずぶ濡れである。そしてゾロはといえば、頭をサンジの肩に乗せたまま、気持ち良さそうにまた寝ってしまった。
スースースースー寝息がくすぐったくて、馬鹿のくせに頭が重くてそのくせ暖かくて、まるで大型の獣に懐かれてるような感じがした。
なんていうか、ことごとく思うとおりにいかないとサンジは小さなため息をついた。。
お湯が何故こんなに熱いのか。
どうしてこんな温度で寝ることができるのか。
こんなところで何故にこんなことになっているのか。
サンジは忌々しげに舌打ちをした。
このままではのぼせてしまう。自分にとって適正な温度ではない。

そしてサンジは緑色した短い髪に触れた。
そっと触れ、そのままむんずと鷲掴みにして、さあ頭突きでも食らわしてやろうかと構えると、いきなり鼻先を舐められた。
温かく湿ったものが鼻先に触れる。
「だあああああああ!汚ねぇっ!」
サンジが喚いた。
「ドアホ。そうそう何回も頭突きなんか食らってたまるか」
そういってまた元の位置に顔を置いた。そしてその肩に自分の額をすりすりと擦り付ける。懐かれてれてるのは確かだろうが妙に動物じみた仕草で、まるでそこが自分のポジションだといわんばかりに無言で主張している。
「うっとおしい」とサンジが呟くと、
「うるせぇ」といいつつ、ますます頭を擦り付けた。

サンジは考えた。
そう。こう見えて、この男はまだ童貞だったのである。
ようするに、これは思春期にありがちな、同性に対する憧れによる一過性の性倒錯ではないだろうか。目上の者に対する尊敬が基盤となった、つまりカッコイイ自分はこの男にとって『憧れの先生』なのだろうと推察した。ならば思いあたる節があり過ぎる程ある。そう考えれば腹が立たないどころか、逆に可愛いとさえ感じるから不思議だ。
サンジは珍しく優しく話しかけると、
「あのな、気持ちはわからねぇでもない。童貞じゃ仕方ねぇしな。だが最初はみんな童貞だからなんも気にするこたァねぇぞ。いくらオレに憧れたとしてもだな…」
ゾロが薄く目を開けた。

―――童貞?それは自分のことか?

サンジの言葉に疑問を感じた。
女との経験ならある。が、もしかすると世間には童貞には女向けと男向けがあるのだろうかと、いつの間にやら疑問まで迷子になってしまったようだ。
確かに男相手の経験などないし、ならばまだ自分は童貞なのだろう。等とあらぬ方向へと思考を巡らし、途中からすっかり目は覚めていたけれど、サンジの話を全然といってよいほどまったく聞いていなかった。
「…オレが教えてやるからな。感謝しろよ」
都合のいいことに、この部分だけ聞こえた。

そしてゾロはキスをした。
唇を重ねて、少し開き気味の唇を割って、その隙間から舌を入れて、ゆっくり温かさを味わってから少しだけ舌を絡めた。
一度唇を離すとそこにはサンジの驚き惚けた顔があった。
目の焦点が少しばかり合っていない。眼球はほぼ点だ。そしてまた唇を合わせると、今度は丁寧に上唇を舐めてから舌を中へと滑らせた。上顎をなぞり、なめらかな舌先を吸う。
「…ん」
鼻からふわっと息が漏れて、サンジは我に返った。
意識は戻ったものの後頭部は押さえ込むように大きな掌で覆われ、唇は奪われたまま呼吸も思うようにならず、口の中は蹂躙されてと、いろいろ芳しい状態ではない。
サンジの胸に手が触れた。
熱い掌が濡れた皮膚を撫でて、そうしているうちに小さな突起を探しあてた。爪先で刺激して潰すように押す。
唇が移動した。首から鎖骨へ、そして胸を愛撫して、少し膨らんだ肉芽を舌で包んだ。
「あっ」
おもわず声が漏れた。その声に含まれている妙な甘さにサンジは驚いた。

「お、お、お、おおお、お前…、何やってんの…?」
動揺のあまり声まで裏返って、しかもどもってしまった。
「セックス」
露骨なほどストレートなゾロの返事がどうしたわけか頭に入らない。セックスという単語の意味が良くわからない。
「はァ?セックスって……つっ、噛むなアホ」
無意識に逃げる身体をさらに引き寄せ、ゾロは絡めた腕を背中から腰へと移動させ、背筋をなぞるように窪みまで指を滑らせた。薄い尻の肉を割って、
「…あ?あ、あ、あれ?ちょ、ちょ、ちょっと待て、お前どこ触って…、そこは尻の…」
指を入れた。
「アッ…」

―――なに、なんで指が?


いろいろ頭が回らないのは、サンジがのぼせてしまったからというのもある。ちょろちょろ流れ続ける湯がとにかく熱い。そんな状態でキスされ、胸やらなんやら愛撫されて、しかも尻まで触られている。
いつの間にか身体にいろいろな熱がこもって、熱の出口が見つからなくて塞がれてしまったようでサンジはうろたえた。正直いって、どうしていいかわからない。
だからとりあえず文句をいった。
「…ちょっと待て。だから…、だから…、ああもう、俺が待てっつってんだろうがっ!」
「何で?」
ゾロは顔も上げようとしない。
「何でじゃ…っ……まずはソレはやめろ」
サンジは身を捩った。
「ソレってどっちだ?」
尻か、乳首か、ゾロが訊き、
「どっちもに決まってる。バカか」
「駄目だ。だがどっちかなら考えないでもねぇ」
挙句、上からの選択を迫った。
「…チッ、じゃ胸は触んな」、サンジが仕方なく妥協した。心臓に近い位置をいつまで弄られていると妙な気分になる。切ないような、うずうずするような、なんともいえない気分だ。
どうやらサンジは押しに弱いらしい。
バスタブで、熱い湯の中で、あらぬところに指が入っている状況で二人の会話が進んでいく。

「実はてめぇはホモだったのか?」
サンジが問いかけた。至極真っ当な質問である。
「実はホモじゃねぇ、と思う」
ゾロが目を閉じたまま返事した。
「思う?ずいぶんあやふやだな。てか、なんでこんな事になってる?」
「だから、教えてくれるっていった」
「何を?」
「さっきも答えた」
そういって、
「セックス」
また小さな肉芽を口に含んだ。確かにゾロは【ちょっとだけ】待った。


―――俺が教えるのか?セックスを?これが童貞だから?俺が養護教諭だから?というか、いつそんな話になった?

要約するとサンジはこうことをいった。
『童貞なのは仕方ない話である。だがいくら自分が憧れの存在であっても、いくらカッコイイといっても、こんなことは一時的な感情であって、今本当に必要なのはレディとの甘酸っぱいお付き合いだ。だから女の口説き方、落とし方、避妊、そして後腐れない別れ方など自分の体験談をまじえて教えてやろう。だから感謝しろ』
この話の最初と最後の部分しかゾロは聞いていなかった。

「俺ァ言ってねぇ…」
「言った」
「いや、言ってねぇって」
「いいや、言った」
「絶対言ってねぇ!」
怒鳴れば怒鳴り返してくる。
「絶対言った!言ったから絶対ダメだ!」
だから我慢しないと、片腕でサンジを強く抱き寄せ、文句をいうように何度も呟きながら指も動かした。

「…と、と、取りあえず、なんだ…」
またどもりつつ、
「熱いだろ?のぼせちまうよな?とりあえず続きは風呂を出てからって、なァ、マジで熱くねぇか…?」
すっかり湯あたりした挙句、身体もろくに洗わず、あろうことか尻の穴だけ指で洗われて、サンジの眉毛と頭はもうぐるぐるぐる巻きっぱなしだ。

―――もしかすると、無意識でそんなことを口走ったのだろうか?

頭を抱えたくなった。
サンジは本当に押しに弱い。



場所を風呂から部屋へと移し、嵐はどんどんどんどん激しさを増していって、強い風と大きな雨粒がホテルの窓を叩いた。










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