彼とシャツと保健室 7









カ――――ン。空に雲ひとつない、真っ青の夏空が広がった。






―――暑い、暑すぎる。

サンジは恨めしそうな眼で、その夏空を眺めた。
窓のカーテンはピクリとも動かない。風がないのだ。その傍のベッドには男が寝ている。常連のようなでかいツラで、当たり前のようにほぼ毎日通ってくる男が寝ている。カーカーカーカー、気持ち良さそうな寝息を立てて寝腐れる様は、微笑ましいというよりも暑苦しい。
サンジはベッドへ近づくと、ぱかっと開いた口を指で摘まんだ。強引に閉じた。すると今度は鼻からすーすー息が漏れるので、その鼻をもう片方の手で摘んでみた。
ゾロの顔が赤くなる。そして苦しそうに身を捩ったかと思うと 、
「ブハッ!」
大きく息を吸い込んで、眼の前に立つサンジに向かって、
「何しやがる!オレを殺す気かッ!」
大声で怒鳴った。
サンジは溜息ついた。それでも暑さは和らぐ気配がないのだ。





「…なァ、暑くねぇか」
「夏が暑いのは当たり前だ。馬鹿か、おめぇは。暑けりゃエアコンつけろ。保健室なんだからエアコンぐれぇついてんだろ」
「…ぶっ壊れてるやがる」
「業者を呼べばいいだろうが」
「んなモンとっくに呼びつけた。そしたらメーカーからなかなか回答がこないの、ようやくきたと思ったら古くて部品が製造中止で、おまけに代替品が見つからないだの…クソったれが!あれから2週間だ!夏休みに入っちまったじゃねぇか!」
「あんま怒ると、よけい暑くなるぞ」
暑いのが嫌いかとゾロが訊ねた。
「いいや、寒いのよりは嫌いじゃねぇ。だけど、汗をかくだろ?汗臭くなんのがどうにもたまらねぇ」
「におい?別ににおわねぇが」
「この距離でにおったらかなりじゃねぇか、アホったれ」
ゾロがサンジに近づいて、その首に顔を寄せた。
「別に、なんもにおわねぇ」
とはいったものの、

―――この匂い。やっぱりか。

ゾロは思い出した。最初に頭の怪我を診てもらったとき、胸元ウォッチングした時に嗅いだ匂いを突然思い出した。だが、その時よりも幾分匂いが強く感じる。
あの時は不思議なことに鼻血がぽたぽた出てしまった。
あろうことまいか、今度は股間にへんな兆しが出てしまった。
不測の出来事にゾロは思わず舌打ちした。そして急いでベッドへ戻ると、足元に置かれてあったベッド用毛布を身体に掛けた。都合の悪いことを隠すべく、すっぽりと包まったのだった。
毛布に包まる。エアコンは故障してる。おそらく気温は体温よりも高い。なのに毛布に包まる男がいる。サンジはありえないものでも見るような目で、
「……信じらんねぇ。お前バカ?なァ、バカだろ?このクソ暑いのに何でそんなモン被ってやがんだ?」
そして大声で怒鳴った。
「見てるだけで暑苦しいわあああ!目障りだ!やめろ!!」
さらに毛布を毟り取ろうとしたが、
「オレの勝手だ!余計なことすんな!」怒鳴り返して、ゾロは必死で毛布を死守した。剥がされてたまるもんかと、最後の砦を守る武将のようである。


そこで保健室のドアが開いて、涼風のようなロビン先生がやってきた。
「ごめんなさい。お取り込み中だったかしら?」
もしかするとお邪魔かしら。と、優しく微笑んだ。
二人ともベッドの上だった。毛布の攻防戦はサンジを熱くさせ、ベッドに身を乗り上げてそれを毟り取ろうとした。普通ならありえない状況だった。スチールで出来た簡易ベッドだ。その上に何故二人も乗っているのか。ぐしゃぐしゃになった毛布やシーツはなんなのか。何故にサンジ先生は赤い顔をしているのか。
もちろん暑さの所為であるが、ロビン先生は目の前の状況をそのまま素直に受け取って、「取り込み中か」または「邪魔をしたか」と訊ねた。だが幸か不幸かその意味はサンジに伝わらなかった。暑さのあまり己の状況がよく見えてなかったか、もしくはロビン先生に気を取られたのか。

「…ど、ど、どうしました?ロビン先生」
上がった息を急いで整え、サンジは口調をレディモードに切り替えた。
「ちょっと書類を届けに」
「書類を?」
「ええ、それだけなの。ごめんなさい」
正確には、『それだけなの。(そんなつまらない用事で二人の邪魔をしてしまって)ごめんなさい』の意味だ。
「…そんな、それだけなんて」
サンジは哀しそうな顔で首を振った。
「嬉しくてたまらないが、貴女の美しい足をこんなことに使ってしまった、そのことが気がかりで」
「まあ、お口が上手ね。ふふふ」
その会話をゾロは黙って聞いていた。

―――二重人格か?
―――なんだその態度と言葉の違いは?

保健室の金髪は女好き。ふと耳にした噂だが、それもあながち嘘ではないのだろう。
ゾロはベッドから出た。妙に興醒めしたというか、股間がすとんと楽になったというか、とりあえず人前に立てる状態になったのでゾロは帰ろうとした。すると、
「あら、大丈夫よ。私が失礼するから」
あなたはゆっくりしてらっしゃいと、ロビン先生が優しく引き止めた。
「だーーーー、大丈夫ですよ、ロビン先生!こいつは暇で暇で、夏休みだってのに学校に来るくらい暇なのに今から用があるんだとか!だよな!ほら!ほらほら!」
しっしっ、と手で犬のように追い払われ、ムムッとゾロの眉間に深い皺がよった。
「部活の引継ぎで来てんだ!そんなに暇じゃねぇぞ!」
「いつも寝てるくせに。暇なくせに無理して。さっきもアホヅラで寝てたじゃねぇか」
「アホは余計だ」
「いちいちうるせぇな」
するとロビン先生がクスッと笑って、
「仲がいいのは良いことだと思うわ」
書類を机に置くと、そのまま部屋を出て行った。



「……行っちまった。…エアコン壊れてっから、暑くて出てっちまったんかな…。てか、いつになったらエアコン直るんだ?」
クソあちぃ…、サンジがまた小さく溜息をついた。
エアコンの所為じゃないだろ。それをゾロが口にする前に、
「海に行きてぇ…」
サンジが呟いた。
「海なんざ目の前にうんざりするくれぇ広がってんだろうが。なんでわざわざ」
「こんな穏やかな湾の海じゃなくて、なんつうか。波がドーーーンと男らしいのがな。荒々しいやつ」
「波がドーーーーンと?」
「ドーーーンとな」
「行けばいいじゃねぇか。車持ってんだから。だが行くなら俺も連れてけ」
そして荷物を手に、
「お前も?」
大きく頷いてゾロは部屋を出て行った。
友達いねぇんだろうな。こんな性格だから。学校最後の夏休みなのに。しょーがねーとなー、とサンジはロビン先生の持ってきてくれた書類を団扇にパタパタ扇いだ。



じりじりと照りつける太陽は夏真っ盛りだ。夏休みも残すところ20日ばかりである。










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