8.森が願うもの








その夏は予想どおりの旱魃であった。
魔法使いに雨乞いの依頼が殺到したがそれらは全て断った。近隣の村で疫病が発生したとの噂を耳にして、しばらくは村に寄り付かない方がいいだろうと魔法使いは判断した。
長引く内紛に加え、旱魃による食糧不足、そして疫病の発生。城から救済の手は望めない。今、この国は病んでいる。





秋になっても穀物の実りは非常に少なかった。
食糧不足のためか、森に入ってくる人間が後を絶たない。
魔法使いは小屋に結界をはった。樹に頼んでその存在を隠し、ひっそりと時の過ぎ去るのを待つ。
乾ききった空気が樹木を傷め、焼くような夏の暑さと深刻な水不足が森にもダメージを与えた。もたらす恵がひどく少ない。実りをつけるほどの力が樹木にないのであろう。僅かに実ったそれすらも森に入った人々が根こそぎ摘んでいってしまった。
毟られるままに佇む樹木。その秋、森は少しだけ様変わりをした。





夏の猛暑にひきかえ、その冬は例年にない厳しい冬となった。
暖をとる為に人々は森から枝を奪った。大量の枝が薪として運び出され、雪の重みを支える枝の少なさに樹木は自ら枝を折る。
圧し掛かるような冷気と、連日の吹雪。耐えるように人々は春を待つ。





春になって、暖かい日差しが雪を溶かし、雪解け水が川を下って平野を潤した。
この春、魔法使いは19歳になる。
去年から少しずつ生えてきた産毛のような顎髭を大事にしている。祖父も立派な三つ編の髭を生やしていた。そこまでは願わないが、髭を生やすという行為が男臭くて気に入っているようだ。
昨年の冬から小屋も食料の備蓄が薄く、さぞ腹減らしのルフィが文句を言うかとも思ったが、予想に反して何も言わなかった。与えられた分だけを食べ、それに関しては何も言わなかったが村に遊びに行けないのが辛かったようだ。
「いつ村に行けるのか」と連日のように訊かれ、魔法使いは少し参り気味だ。
雪解けを待って、久しぶりに訪れた村は荒んでいた。
食糧難がもたらす強奪、村を去っていくもの、新たに村に入ってきた者。その変化に驚いた。小屋に帰るなり、さっそく魔法使いは木の根をすり潰したものでルフィの髪を染めた。
黒から明るめの茶色へと色を変える。
用心するにこしたことはない。





5月になってルフィは4歳になった。
ますます動きが活発になり、猿のように森を飛びまわる姿は、とても王族の子息とは思えない。
まだ穀物の収穫時をむかえていない為に村の食糧難は慢性化しており、近隣の村でも状態は変わらないらしい。
魔法使いはたまに植物の言葉を唱える。
それは自分のために、そしてルフィのために。
国全体が飢えているであろうこの状態で、自分たちの為だけに使う言葉。この行為は魔法使いの心を磨耗させるらしい。
時折、疲れたように遠くを見る。
森を通り越して、もっと遠くを見つめるその眼を、ルフィが不安に思っていることに魔法使いは気づかない。





7月。今年は平年よりは劣るもののそれなりの収穫が見込まれ、村も少しだけ活気を取り戻した。
だが、替わりに良くない噂が聞こえてくる。
国王軍と王弟軍の戦いが激化しているらしいとの噂が村中に流れていた。両軍共に大勢の兵士が亡くなって、こんな辺境の村にまでいずれ徴集がくるかもしれない。
こんな噂が広がった。
その噂は魔法使いの心に不安をもたらす。
ゾロがここ1年、ちょうど1年、顔を見せないことに気づかされた。今まででも長い間、訪れなかったこともある。あの男のことだ、心配はないだろう。そう思いつつも小さいしこりの様な不安が消えることはなかった。





森に秋が来た。
去年の猛暑、そして一際厳しかった冬。その影響か森は眠ったように静かだ。
樹が何も生まず、静かに葉だけを落として冬をむかえる用意をはじめた。
魔法使いが草の言葉を唱える回数が増え、そして遠くを眺めることが多くなった。
近頃ルフィがやたらに抱っこをねだる。
「てめぇは何歳だ?4歳にもなって『抱っこ』なんかねだるな」、突き放すように放っておいても、両手を差し出し「抱っこ、抱っこ」といつまでもしつこい。あまりのしつこさに、「おんぶならしてやる」魔法使いは半分折れた。
それからというもの、村に出向くときさえ「おんぶ」とルフィは歩こうともしない。
ぶつぶつ文句をいう魔法使いに背負われ歩く森の道。何故かルフィは嬉しそうだ。
傷を癒すように眠りについた森と、背負われて満足気な顔をして眠るルフィ。背中がぽかぽか温かく、それはまるで自分が背負われているような不思議な錯覚を魔法使いにもたらした。

ふと亡き祖父を思い出す。
『赫足の魔法使い』、赤い靴を履き、そう呼ばれていた老人に男手ひとつで自分は育てられた。親のことは何もわからない。何故か訊くことさえ躊躇われ、顔さえも思い出せず、抱かれた記憶すらない両親。
思い出せるのは温かい祖父の背中と懐かしい匂い。こうして背負われながら、船から青い海をみていた遠い日の記憶。近頃、ひどく海が懐かしい。





ゾロが姿を見せなくなって2度目の冬が訪れた。
村に食料の調達に出向いた折、耳にした噂。真偽の程は確かではないが、国王軍が大敗したとの噂が村中に流れていた。


ぱちぱちと爆ぜる暖炉のあかり。
何をするでもなく、その炎をぼんやりと眺めていた魔法使いはルフィの泣く声にふと我に返った。
今でも夜泣きが治まらない。
まだ幼い身体を抱きとめ、薄茶色に染まった頭を撫でる。いつまでも止まない泣き声を聞いていると、泣いているのがルフィか自分かわからなくなって、眼をきつく瞑って小さな身体を抱きしめた。
胸の中の小さなしこり、今ではそれに押し潰されそうなほどに大きく育っている。
逢いたいわけではない、ただ不安をとり除きたかった。
早く冬が終わればいい、今年ほどそれを願ったことはない。
冬の夜は酷くせつない。





暗く長い冬がおわり、春が訪れた。
今年も森の芽吹きは悪いが、昨年よりはだいぶいい。少しずつ回復しているのだろう。
この森に自分は育ててもらった。優しく、包み込むように自分を受け入れ、様々な恵をあたえてもらったことに感謝している。だが、いま森は深く傷ついている。そして守られることで自分は弱いのだと自覚した。もっと強くなりたい、心身共に強くありたいと願う。
この冬、魔法使いはある決心をした。


海に帰る。


秋に、ささやかなものでも森の再生を見届けたならば、冬をむかえる前に海にかえろうと。
そして海にでるまえに、城の近くまでいき噂の真偽を確認する。
この眼で事の顛末を確認してからルフィを連れて海原にでようと考えた。
祖父と同じ道を歩もうとおもう。


広大な海で。










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