桃色バズーカ









ウソップが最初にそれに気づいたのは、一体いつ頃だっただろうか。
あまりにも些細なことばかりで、それは例えば、顔にかかった金色の髪を、うっとおしそうに指先でかるく弾く仕草であり。
または、白いシャツを腕まくりしたときに見せる、何気ない腕の動き。
ネクタイを緩める指の動くだったり。
「旨めぇ」、と珍しくゾロから褒め言葉が出て、「当たり前だ。俺様の飯が不味かったことなんかあるか」、吐き捨てるようして顔を背け、その時、金色の髪の隙間から覗く耳が、何故か赤いような気がしたりと、思い出してもそんな些細な、どうでもいいようなことばかりのような気がする。


ルフィの選んだコックは強かった。養親が元海賊であることが強く影響しているのか、蹴り技がとにかく半端ない。環境の所為か人相もお世辞にもいいとはいえず、しかも料理人のくせにいつもクソクソいってばかりの口汚い男である。
金髪碧眼で大の女好き、一見線が細そうな、少しばかり神経質に見えるコックは凶暴だった。
穏やかな性格でないのは一目瞭然、短気といってもいいくらい、非常に切れやすい男である。
そんなコックが、何気に色気を醸しだすことがある。
普段が普段なだけに、それはウソップにとって容易には受け入れ難く、だから気づくのが遅くなってしまったのだろう。



それはいつのことだったか。
お風呂から上がった後、上気した赤い顔で、サンジは美味そうにビールを呑んだ。それ自体なんでもないことだ。風呂上りならば顔も赤いだろうし、喉も渇くだろう、そこで酒を呑んだら顔がますます赤くなっても別に不思議ではない。
そして後からキッチン入ってきたウソップにもビールを勧めた。
屈んで冷蔵庫の中をのぞきこんだまま、
「何がいい?お、このビールなんかどうだ?少し癖があるが旨めぇぞ」
ずっと顔を突っ込んだ状態で、後ろ手でウソップにビールを見せて、
「あ、これこれ、これがまた」
などといいつつ、でも顔はずっと冷蔵庫の中だ。
冷蔵庫の端に片手を置き、後ろ手に何種類かのビールを差し出す。その一連の作業を行う背中が何故か色っぽいのだ。
シャツの上からでもわかる肩甲骨の動き、骨ばった肩、その筋肉の動きとか。
何故そう思ってしまうのか、ウソップはわからないので考えてみた。
もしや自分は極度の欲求不満なのだろうか。男に色気を感じるとか、よりにもよってそれがサンジとか、自分はなにか勘違いしてるに決まってる、そうだそうに違いない等、脳内会話をしながら、
「俺ァどれでもいいから、適当に選んでくれ」
なんて云いつつ、内心では、
何だこの色気は?本当に気のせいなのか?と、また思考がループしてしまう。
そうこうしているとうちに、ウソップは自分に向けられた視線に気づく。
振り向けばそこにはゾロが立っていた。
またか、と、ウソップは思う。妙な既視感だ。
「おい。俺にもだ」
「てめぇもか?」
ゾロには何も聞かず、勝手に選んでビールを放り投げた。ゾロも何も云わず宙でキャッチして、プシュッと蓋をあける。
そんな会話の短さと行動に、阿吽の呼吸を感じてしまうのは何故だろうか。いつもは余計なことを言って、いらん喧嘩して廻りにも迷惑かけてるくせにと、ウソップは心でツッコミをいれる。
たまに、そう、たまにかどうかも定かではないが、そんな事がある。でもいつからこうだったのか、ウソップは思い出せないのだ。


何故あのコックに色気があると思ってしまうのかということについて、ウソップは理解できなかったし、深く考えたこともなかったが、ただそう感じた時は不思議とゾロが傍にいた。
確信はない。が、いたような気がする。さして広くもない船だから当たり前といえばそれまでだが、サンジと話してるといつの間にやら近くで寝ていたり、いつの間にそこにいたのか、等、そんなことが何回かあったのは確かだ。



いつだったか、これも記憶は定かではないが、甲板でウソップ工場を開いていたときのことだ。
サンジがやって来て鍋を直してくれという。渡された鍋は持ち手が少しぐらついていたので、小型の発電機とハンダを用意してさっそく修理を始めた。
それをサンジはずっとそばで見ていた。
「へぇ、器用なもんだ」
感心したように頷く。
褒められれば、もちろん悪い気などするはずもなく、手順を説明してやろうという気にさえなる。
「まァな、コツがあるんだ。まずは、この部分をだな…」
と、何故かそのとき、自分の手元を覗き込む、サンジの首とか鎖骨にふと目がいった。
男の、首や鎖骨である。喉仏がついている、いつも鍛えてばかりいるゾロより少々細いかもしれないけれど、それでもれっきとした野郎の首だ。
もしかすると色が白いからか。それとも意外と肌の肌理が細やかなせいだろうか。それとも自分の目がイカレているのか。
――なんだこれは?色気か?ただの勘違いなのか?さっぱりわからん。
と、ウソップが微妙な角度で首を傾げていると、首の後ろがジリジリ焦げるような感じがした。手元ではハンダがジジジジ小さな音をたてている。
サンジがふっと顔を上げて、
「てめぇも見てみろマリモ。たいしたもんだ」
ウソップの背後に向かって話しかけた。
すると、うっかり手元が狂ってしまったのか、銀色をした鉛のしずくが、ウソップの素足にぼたっと落ちた。





ある寒い冬、ウソップが不寝番の日のことだった。
ずっと見張り台の上にいて、途中うとうとしたものの、あまりの寒さに居眠もままならなくなってしまった。もうすぐ朝になろうというのに寒すぎるのだ。
ずずっと鼻水をすすって、下を見てみると、キッチンの窓にはもう灯りがともっていた。サンジが早くも朝食の準備に取りかかっているのだろう。ならば暖かい飲み物でももらえないものかと、まだはっきりしない眼をこすりながら、ウソップはマストを降りた。

「…ううううう、寒い…。サンジ、何か温まるもんでも飲ませて…」
料理中のコックに話しかけるとその手を止め、
「ん?なんだ、寒くて眼が覚めちまったか」
そういって一瞬だけ振り返ったサンジを見て、ウソップの眠気は完全に吹っ飛んでいった。
ほんのり醸し出される、とか、そこはかとなく漂う、なんて生易しいレベルではない。
ざっくりとした黒いセーターを着たサンジには、色気や色艶と呼ぶにふさわしい、あきらかにピンク色したものがあった。
ウソップの顎がすとんと落ちるくらい色っぽい。
「で、何がいい?ホットミルクがいいか?それとも眠気覚ましにコーヒーとか?」
驚きのあまり、すぐに返事ができない状態だ。顎が落ちてしまった。そして返事がないのを不思議に思ってか、野菜を剥きながらサンジがまた振り返った。
目元が少し赤い、というか潤んでいる。唇は艶やかで、そしてその肌はしっとりとしていて、芳しい匂いがしそうなほどで、はっきりいってとても艶かしい。
「あ?あ、あ、…じゃ…コ、コ、コーヒ……」
自分の声がひどく掠れている。口の中はすごくカラカラなのに、唾液がいつの間にかじわじわっと滲んできて、ごくりと喉を鳴らしそれを嚥下しようとした瞬間、背後の扉が大きな音をたてて開いた。
ひいいいいいーーーーー、ウソップは心で悲鳴を上げた。身体は硬直したまま身動きすることもできず、怖くて振り返ることもできない。
「なんだ、てめぇも起きてきたんか」
それだけいうと、サンジはウソップには温かいコーヒー、そしてゾロには濃い目のグリーンティを用意した。



このようなことが幾度か重なれば、どれだけ鈍かろうと、嫌でも解かってしまうことがある。
たとえサンジに色気を感じても見てはいけない。
深夜、または早朝、ようするに、皆が動いていない時間は、むやみ歩き回らないほうがよい。
此処はグランドラインである。たとえ何が起こっても、不思議なことなどなにひとつないのだ。








とある夏島に辿り着いたときのことである。
そこはリゾートアイランドだった。立派な娯楽施設や、ホテル、コテージ、スパ、エステ、そして様々な店が立ち並び、大勢の人で賑わっている。おまけに海軍の姿がどこにもないのだ。
先日戦った海賊船からはお宝をごっそりいただき、久々に懐が豊かになったせいかナミの機嫌も良く、皆に渡されたお小遣いがいつもに比べるとかなり多かった。
「たまにはゆっくりしましょう。そう、揉めごとさえ起こさなければ、何をしててもかまわないわ」
その島でログが溜まるまでの時間、各自自由に過ごすことになった。
ログが溜まるのは5日だ。
「3日目に、確認のためにみんなで一度集まるのはどう?誰かが問題を起こしてるかもしれないし」そういってルフィを見て、「その時に残り2日分のお金を渡すわ。一度に渡すと、一度に全部使っちゃうかもしれないし」ルフィとゾロを見て「ましてや落としたらすっごく困るものね」ウソップとまたルフィを見た。



その3日後のことだ。仲間たちが再び集まった。
ナミとロビンは別々に行動していたようだ。いろいろ情報交換をしている。
「おめぇらは何をしてたんだ?」
ウソップに訊かれ、「内緒よ」そういって2人はクスクス笑った。
チョッパーはウソップと行動を共にしていた。チョッパーは寂しがり屋である。
「二人で何して遊んでたの?」、ナミが聞いてみたら「内緒だ」と、2人は顔を見合わせ、思わせぶりな含み笑いをした。
どうせたいしたことはしてないだろう、そうナミから思われてることに気づく由はない。
同じ質問に対するルフィの答えは至極簡潔だった。
「食ってた。遊んでた」
なにを隠すでもなく、なんのひねりもなく、そのまんまの船長がいた。
そこへサンジが姿を見せた。少し離れて、その後ろをゾロが歩いてくる。



驚くことに、つやつやだった。
髪はさらさらで、肌はつるつる、唇はぷるっぷるで、眼はうるうるしている。
頭の天辺から爪先まで、眩いばかりにきらきらきらきら光輝くサンジがいた。
「んナァミさああああああん!ロッビンちゃああああああん!」
彼女たちを見つけるやいなや、いつものようにハートを撒き散らした。そのピンク色したハートまでつやつやだ。
「ああ"?なんだ?てめぇら、なんで俺の顔をじろじろと見てやがる?」
そういってルフィとウソップを睨んだ。男が相手だと人相も口もすこぶる悪い。だけどどこからか、ぷるぷるっと音がした。
「サンジ。お前、なんでべっぴんになったんだ?」
ルフィが不思議そうに首を傾げた。
「べっぴん?俺が?男前ってことか?」
サンジが首を傾げ、
「いや?あれ?なんでべっぴん?」
ますます首を傾げる。
「…サンジくん…?もしかすると…それって…まさか…」
途中まで言いかけて、ナミは口を閉ざした。ゾロが席についたと同時だった。
そしてため息とともにそっぽを向いて、そしてテーブルで頬杖ついたナミの口から、「…アホくさ」と、とても小さい呟きをウソップは聞いてしまった。
「サンジ、どうしたんだ?きらきらしてるぞ?エステでも行ったのか?」
「そうね、そんな優秀なお店があるなら、私も行ってみたかったわ。ふふふ」
チョッパーの質問に、笑いながらロビンが答えた。
ウソップは『つやつや、つるつる、さらさら』、のサンジが恥ずかしいやら恐ろしいやらで直視できなかった。眩しくていけない。恥ずかしいのはサンジのはずなのに、何故自分が赤面してしまうのかわからないけど、でも恥ずかしくて堪らない。
仲間の様子がいつもと違うことにサンジは戸惑いを感じた。
「おい、何だってんだ…?」
「馬鹿か、てめぇは?だから今日は来るなっていったんだ」
ゾロが横目で睨むと、
「何で?さてはてめぇ、俺のいない間にナミさんにちょっかい出そうと企んでんのか?ふざけんじゃねぇぞこら!!」
サンジが怒鳴り、
「馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だと、知ってはいたが……」
それはそれは大きな溜息がゾロの口から漏れていった。





サンジはゾロから愛されているのかもしれない。
きゅっきゅ、きゅっきゅと磨かれ、ゾロが何でどうやって磨いてるのかなんて、想像するのも恐ろしいほどにぴかぴかに輝いて、これもやはり愛の一種なんだろうなァ、と、ウソップはひそかに結論付けたのであった。










おしまい


[桃色キャノン]へ続きます。

2006/8.28  2011/11.11一部改稿