いぬ の はなし。 10









12月。その冬は暖冬だった。
推薦による内部進学を決めた俺は、高3にしてはその時期をかなり楽に過ごせたと思う。
数日前、親父から正月に戻ると連絡があった。仕事が忙しいので、3日ほどしかこちらには滞在できないようだ。



朝から台所で音がしてる。
朝餉の用意ではなく、ヤツが正月を迎える準備をしている音だ。
忙しそうな男に近づくとロクなことがない。
こたつで寝ていたら味醂を買って来いといわれた。用事を済ませ、また横になると今度は重箱を出せと呼びつけられ、「何処にあるか知らねぇよ」と答えると、「口答えするな。いいから探せ」、有無を言わさず脇腹を蹴られた。
だから探す振りして2階の自室で昼寝だ。
窓から差し込む日差しが暖かい。こんな穏やかな冬はますます眠くなって困る。
家の前をバイクが通る音が聞こえる。
冬の太陽が部屋の畳を温め、そこに身体を横たえた。










「いいご身分だな、おい」


「で、重箱は見つかったんか?」


仁王立ちとはこういう姿を指すのだろう。このまま寝ていると身体に受けるダメージがでかそうで、俺はゆっくりと起き上がり胡坐をかいた。

「探そうって気はあんのか?」
「何処にあるか検討もつかねぇ」
「てめぇんちだろうが?」
呆れ返ったように溜息をひとつ付くと、ヤツもそのまま対座で胡坐だ。
「あったけぇな、この部屋は。随分といい部屋を貰ったじゃねぇか」
「そうか?フツーだろ」
お前は知らないことがありすぎる。そう言いながらタバコに火をつけた。一休みするつもりなのだろう。
口から吐き出された白い煙が部屋に漂う。この部屋に入ってきた時と違って今は穏やかな表情だ。
煙を吐き出す色素の薄い唇。そこにタバコのフィルターが、白い紙がついているのに気づいた。
自分の口を指差し、「ここ」、と教えたらヤツもそれに気づいたらしい。指で取ろうとしたが、なかなかソレが剥がれないようで唇を引っ掻いたり摘んだりしている。


ヤツの口からタバコを外して、その唇に俺は手を伸ばした。
乾いて、かさついた唇だった。
湿らせてから取ろうと、口に中に指を差し入れると整った歯と薄い舌が触れた。
生温かく、それは湿って柔らかい。
指にちくちく触れる堅い歯と対比して、それを強調するように滑る舌。
指を噛まれたらさぞや痛いかもしれないと、思いつつも指はそのままで。

たまにだが、思うことがある。
何故この男は、こうして自分の前にいるのだろう、と。

視線を逸らさずに、俺を正面に見据え、開かれた唇から嚥下できない唾液が指をつたう。ゆっくりと手首まで流れ落ち、俺はヤツの頭を引き寄せた。



思ったとおり、そこはヤニ臭い。
指で感じたと同じようにそれは湿って柔らかく、だが、口の中の温度は予想よりも低かった。
舌を吸うと、同じくらいの強さで吸われ、下唇を啄ばみ堅い歯をなぞって、指で感じたものを確かめるように唇と舌を絡ませた。
「んっ…」、ヤツの鼻から息が漏れ、
「…あ」、微かな声が耳をくすぐる。
余計な動きを牽制するかのように互いの両手を握り、触れているのは口だけだ。
混じりあった唾液が口から零れ、拭うこともできずにそのまま唇を重ねた。


この男の手で耳に3つのピアスを開けられ、俺はヤツの胸に残ったリングをつけた。
何度、欲望を吐き出したか解からない身体だ。
イヌになって手に入れたものは、肉が少ないから骨があたって痛いくらいで、女のように抱き心地がいいわけではなかった。ふくよかな胸だってないし、尻だって小さい。どんなに愛撫しても潤わないし、挿入だって容易じゃないただの男の身体だ。
だが、初めて触れた場所が、ヤツの匂いが存在を教えてくれる。ここにいると、確かに今ここにあるのだということを。
舌が触れ、絡ませて、舐めて噛んで、その感触が後頭部から背中を走る。微かに漏らす甘い息が、耳から頚椎、脊髄へ快感となってびりびり響く。
薄く眼を開けると、ヤツは眉間に皺を寄せながら、その眼は堅く閉じられていた。髪の色よりも少しだけ濃い色をした睫毛。金色の毛先が微かに震えているのが見えた。


外からまたバイクの音が聞こえる。郵便配達かもしれない。窓から差し込む太陽を身体に感じ、冬とは思えないくらいに温かい。
玄関から音がした。郵便かと思ったが、どうやら違うようだ。
ドアが開く音と、そして耳に馴染んだ声。

「おい、父さんだ。帰ったぞ」

ピクリとヤツの身体が動いた。
力の抜けた指先、振りほどこうとした手を強く握り締め、強く舌を吸うと小さく声を漏らす。

「ゾロ、いないのか?」

もうちょっとだ、あともう少しだけ。
廊下を歩く音と、その足音が階段の下に来るまで。
最後に唇だけを数回触れ合わせて、俺は親父に返事した。
ヤツは顔を逸らしたまま窓から外を見てる。髪に冬の日差しが反射して輝き、部屋の中はとても暖かい。少し風がでてきたのか、冷たい北風が小さく2階の窓を揺らした。



遠い北国から帰ってきた親父と、俺とヤツと、ヤツが作る料理で新年を迎える。だが、そこにはイヌがいなかった。
「よお、帰ってきたのか!遠いのに大変だったな!とりあえず、俺の頭を撫でれ」と、親父を出迎えるイヌがいない。
コタツで正月をくつろぐ俺たちに、
「俺も入れろ!じゃなきゃ、お前たちが出て来い!散歩に行こうぜ、散歩!いいぜぇ、散歩は」、呼びかけの声がなかった。










4月になって俺は大学に進学した。
親父は仕事が忙しいと、その時は帰ってこなかった。大学に進むくらいでいちいち親に来られては迷惑だが、親父は入学祝にと置時計を贈ってきてくれた。
アナログな、カチコチ音を立てて針を進める昔ながらの時計だ。
俺はそれを枕元に置いた。
カチコチ、カチコチと、それは小さな音で時を刻む。


それから少しして、ヤツが胸のピアスを外すと言ってきた。
理由は大学4年になって行われる教育実習のためだ。今まで考えたこともなかったが、どうやらヤツは教師になりたいらしい。

「いくらなんでも、こんなの付けてちゃまずいだろ?」
誰に見せるわけでもないが、これじゃ健康診断も海も夏のプールも、温泉だって行けないし、事故にあっても救急車に乗れないとヤツが不満を並べ立てた。


心臓の上に付けられた小さなピアス。
自分でつけたものは自分で外す、とヤツを床に座らせた。
装着は簡単だが、何もなくなってしまうのが名残惜しい気がする。小さな穴の開いた乳首を口に含むと、俺の頭を掴んで引き離した。
「そっちばっかじゃな。大きくなったら困る」
艶やかな笑いだった。
いつからこの男はこういう笑いをするようになったのか?
日常とはまったく違う表情だ。だが、その顔に俺は簡単に煽られてしまう。
もう片方の乳首を咥えると、「くすぐってぇ」、身を捩りながらクスクスと小さく笑い、白い首に唇を落とすと大きく喉が仰け反った。
アヌスにオイルを塗り込んで、ゆっくりと身体を沈めると苦しそうに呻いた。
何度も、幾度となく開いてもまた簡単に閉じられてしまう身体だ。
仰向けに大きく足を開かせて、繋がった部分の上を撫でた。会陰はこの男の性感帯であり、撫でながら押すと面白いくらい身悶える。
隠すように顔の上に置かれた両腕を払った。
「隠すな」
顔を隠すなと、腕を払われた男は不満気な顔だ。四肢を広げて床に置かれた身体に深く打ち込んだ。
「…つぅ」
声を抑えるなと、会陰を強く押す。
「あっ…っ」
何も隠すな、全部すべて曝け出せと言葉のかわりに身体を開く。浅く前立腺を刺激して、深くと奥まで突き進むと苦しいのかヤツが呻いた。
「…て、てめぇは…」

俺が何だ?
「…っ」
堅く屹立したペニスから滴りが溢れ落ちる。
触れ、扱けと、自分のものに伸ばされた手を弾いて、睾丸の下をぎゅっと押すと身体がガクガクと痙攣を起こしたように波打った。
「うっ…っ…」
何かを我慢してるような、辛そうな顔だ。開かれっぱなしの口元が唾液で濡れている。
赤く染まった頬を包むように触れると、迷惑そうに小さく睨み返してきた。浅めに挿入して、強くまた会陰を押し、
「なあ、やっぱりここに付けさせろよ。アレの替わりに…」
呻き、震える身体に覆い被さった。
「……はっ…んな…の…」
小さな声で、俺の首に腕を回して、
もうとっくにだ。感じてると呟いた。
そして悲鳴のような声で、
「アッ、アアアアアアッ」
大きく身を震わし、放たれた精液が俺たちの腹を汚した。










大学が始まると、慣れない環境のせいか戸惑うことも多かった。一番は教室の場所だ。まるで迷路のように複雑だと思っていたが、周りからするとそうでもないらしい。
「どうして迷う?ある意味器用なヤツだ」と、同級生からヘンな褒め言葉をもらった。


カチコチ、カチコチ、小さな音で時計が時を進める。
大学と家の往復。用意された温かい食事とヤツと、そして親父とイヌのいない生活にも慣れた。
7月の終わり。暑い夏の日だった。滅多に鳴らない家の電話が、俺とヤツを遠い北国へと呼び寄せた。










NEXT