HOTEL RUINS 7









曲がりくねった山道の向こうから、馬車がやってくる。
薄茶色の埃と共に、ガタゴトガタゴト近づいてくる音に向かってサンジが手を上げた。

「どうした?」
男が馬車を止めた。初老にさしかかった年代の、白髪で善良そうな顔をした男だ。
「悪ィが、港まで行くなら乗せてってもらえねぇ?」
「寄るところがあるから遠回りになるが、それでいいならかまわんぞ。荷台でよければの話だが」
助かる。サンジは男に礼をいって荷物を運び込んだ。幸いなことにホロ付きの馬車だ。
茶色い大きな皮のトランク、そして布でできたずた袋のようなもの。荷物はそのふたつだ。
「えれぇデカイ荷物だな。何が入ってんだ?」
「食器とか鍋包丁、それと調味料やワイン等な。大切な商売道具だ」
料理人なのかもしれないと男は考えた。
こんな山道に似つかわしくないスーツ姿、タバコを咥えちゃいるが、身なりは小奇麗だ。おそらく10代後半だろう。黒いスーツに金色の髪がよく映える。料理人らしからぬ外見だが、追い剥ぎや野盗の類ではなさそうだ。

サンジは馬車に乗り込むと、後ろからひょいと顔を出して男に声をかけた。
「実はひとりごとを言う癖があってさ。なにやらブツブツ言うかもしんねぇが、できれば気にしないでやってくれ。すまんな。ヘンな野郎を拾っちまったって早くも後悔してるか?」
笑うと、男も小さく笑い返した。
「ひとりごとくれぇならなんてこっちゃねぇ。ただ、妖怪やバケモンの類は勘弁してくれ。あんた、まさか狐じゃねぇよな?いきなり消えたりすんなよ」
その言葉にサンジは思わず苦笑いした。






ガタガタゴトゴト馬車が進む。
サンジは荷台の最後部に座った。椅子に腰掛けるように、脚を外に出して、埃でうっすら煙る山道に目を向けた。
一見枯れて見える山々の、そこ此処に春はきている。
細い枝には新芽が、または道の片隅で黄緑色の芽をだし、小鳥はいろんな場所から様々な種を運んでくる。山は春の匂いでいっぱいだ。


その背後、薄暗い幌馬車の片隅に置かれた荷物、革の大きなトランク。その廻りに、ぽっぽっぽっと半透明の白い物体が浮き上がった。
明るい場所だと消えてしまいそうなくらい、それは不鮮明であやふやだ。
大きく背伸びをして、またはふわふわ飛び回ったかと思うと宙でくるくる回った。

「あー、狭苦しかった!」
「どうにか無事に脱出できたみたいね」
「突然だったしよ、どーなることかと思ったが、どーにかなったな」
「まさかいきなり解体業者がくるとは思わなかったわ」

早朝のことだ。小鳥が目覚めると同時に、山道を何台ものトラックがやってきた。もうもうと砂埃を巻き上げ、屋敷目指して車がやってくる。
最初に気づいたのはルフィだった。
「おい。埃と一緒に大勢の客がくんぞ」
それから彼らの取った行動は素早かった。
まずは食堂で寝ているサンジに声をかけ、そして彼が荷物をまとめている間に、ボイラーを元の壊れた状態に戻し、そして使用していた部屋も前と同じにして、最後にホテルの看板を外した。
そこまでの所要時間はおよそ6〜7分。手際の良さは今までの経験値によるものだ。
ルフィ、ナミ、ウソップが革のトランクに潜り込むと、サンジはその荷物を手に山をかけ降りた。
ふもと近くまで来て、どうにか足を見つけて乗り込み、今現在に至る。


「此処って半年くらいだっけ?もう少し居られると思ったけど。残念だわ。居心地よかったのに…」
薄暗い幌馬車に窓はない。外を向いて座るサンジの、その向こうに広がる山の景色を見ながらナミが呟いた。
「今度は海が見える場所がいい」、ルフィがトランクから開放され、伸び伸びと宙に舞う。
「俺ァ、海でも山でもかまわねぇ。でも幽霊屋敷だけはごめんだ。マジモンがいたらと思うと生きた心地がしねぇ…」、ウソップはブルッと身を震わせた。彼は新しい廃屋に移動する度に、本物の幽霊を怖がっている。
「…やめてよ、それ言うの。私だって怖いんだから…」
ナミも身震いして、鳥肌の立った両腕をごしごし擦った。


サンジはひとり外の景色を見ている。
「俺ァ、速攻で蹴られると思ったが、意外と怒ってねぇんかな?」
その後姿を見てウソップが呟いた。彼にもそれなりの覚悟はあったようだ。
「さあ?今はそんな余裕がないだけじゃないの?かなり疲れてるみたいだし」
いつしか金色の頭が揺れていた。
ガタゴトガッタン、馬車のリズムに合わせて、頭と身体が左右にゆらゆら揺れている。
「おそらく夕べはろくに寝てないんじゃないかしら」
「その問題を追及する気はまったくねぇが、寝てねぇのは事実かもしれねぇ。声をかけたらすぐに反応したしな」
「もうひとりは熟睡してたのにね」
「おい」、ウソップがナミに釘をさした。
「おめぇ、それをサンジに言うんじゃねぇぞ」
思い出したくなくても脳裏に浮かぶ。白いテーブルクロスに包まり、サンジは半裸で横たわっていた。乱れた金髪、そして大きくはだけたシャツとその胸元。ウソップは思わず目をそむけた。
申し訳ないやら居た堪れないやら気恥ずかしいやら、とても言葉に言い表せない。その寝姿にへんな色気があるように思えたが、さすがにそれは目の錯覚だろう。事後だと思うから妙に悩ましく感じてしまうのだ。サンジの色気など気のせいに決まっている。仲間のシモ事情など、知ってどうなるものでもあるまい。ウソップはひとり頷いた。
その隣で寄り添うように男が寝ていたが声はかけなかった。ナミのいうとおり熟睡していたからだ。
「あんな姿をお前に見られたと知った日にゃ、どんだけサンジが気落ちすることか」
そして自分とルフィが蹴られるところまで、容易に想像できる展開である。

「ルフィもガッカリすんじゃねぇぞ。仲間なんざ、縁がありゃすぐに見つかる」
ルフィが宙でくるりと回った。
「別にがっかりなんかしねぇ。きっと奴は仲間になる」
ナミとウソップが思わず顔を見合わせた。
「そりゃ無理だ」
「何を根拠に」
「勘だけどな。賭けてもいいぞナミ。一億ベリー、だが負けても金はねぇ」
ルフィが笑った。



後頭部が揺れている。腕組みしたままこくこく揺れて、たまにがっくんと落ちる。縦にゆらゆら横にゆらゆら、金色の髪が揺れる様は風に吹かれる植物を連想させる。長閑な春の光景、その微笑ましさにナミの頬が緩んだ。
「よほど疲れてんのね」
いくら後ろ向きとはいえ、サンジが自分の前で居眠りする姿をみせるのは珍しい。いつも大仰なほどナミを崇め、真っ先に彼女を心配するのがサンジだ。そんな彼がうとうと居眠りをしている。
「ああしてっとサンジもガキ臭ぇ。年長者って顔でいつも威張ってっけど、ほんとは俺らの方が年上だよな」
ルフィは本来17歳で、そのまま身体の成長は止まっているが、その間に百年の年月は経っている。ウソップやナミも同様だ。
背中を丸め、居眠りしているサンジの後ろ姿はどことなく子供っぽく見える。

「ううん」
ナミが首を左右に振った。
「サンジくんはもうガキじゃない」
ナミは唇に人差し指をあてた。こっそりとないしょ話をする悪戯な妖精のように、その唇がニッと笑った。
「あのね、彼は大人になったの」

「…ナミよ。それこそサンジに言うんじゃねぇぞ。ホントかどうかはともかく、お前にそう思われてたと知ったら…」
ウソップは考えた。もしもそうだったら、たとえ相手が男でも、これは目出度いことなんだろうか。嫌がってたような気がするが。ウソップは考える。が、考えれば考えるほど、ウソップの鼻は前回にもまして萎れていった。


サンジが眠っている。
ガッタンガッタン馬車に揺られ、金色の髪は春の光にあかるく輝き、さらさらふわふわ飛ぶように揺れている。
3人が暗がりで話していると、突然サンジの姿が馬車から消えた。
「あ」
「やべ」
「落っこちた」










大きな音だった。まるで雷が落ちたかのような音と地響きにゾロは目を覚ました。
ドンドンバリバリガリガリドッカン、建物がびりびり震えている。
天井から壁が剥がれ、雹のようにバラバラ舞い落ちてくる。大きな衝撃音とともに壁が震え、窓ガラスは波打ち、とても寝ていられる状態ではない。
ゾロはゆっくり身体を起こした。
ヒビ割れたガラス窓の向こうはすっかり明るい。日差しの角度からするとおそらく朝だろう。
そして廻りに人の気配はない、部屋には誰もいなかった。
大きく欠伸をして、短い頭をぼりぼり掻いた。いつしか自分がテーブルクロスを毛布にして寝ていたことにゾロは気づいた。
白く大きな布だ。よくよく見れば、夕べの料理にでたソースらしきものやら酒の染み、おまけに食べ物らしからぬ染みも多々付着している。
そして自分の様子はといえば、前は大きくはだけて、ズボンのファスナーは全開だ。


激しい衝撃音と共に、部屋がぐらりと揺れた。部屋が軋み、悲鳴を上げている。
ゾロが腰を上げかけると、身体の下でカサリとなにやら妙な感触がした。見るとふたつに折り畳んだ紙だ。目を通しているうちに、視界の隅で何かがキラリと光った。
金色の髪が数本、絡まるようクロスに付いていた。
長さは15p程度、絹糸に似た細い髪だ。指先で摘み、掌に置いてみる。朝のひかりの中で、きらきらと金糸は黄金の輝きを放った。

ゾロは腰をふたたび下ろした。床に座ったまま、両手で頭を抱える。緑色の髪を乱暴に掻き毟り、そして獣じみた低い唸り声をあげるや、
「…こ…の、バカが。まだ抜けねぇのか…」
自分の下腹をどんと拳で叩いた。むろん急所ではない。すると今度はおもむろに股間を押さえ、ギュッと握って、
「…っ…たれがっ」
大きな溜息とともにきつく目を閉ざした。

部屋が揺れている。
壁はぼろぼろに剥げ落ち、ガラスは割れてシャンデリアが床で砕け、まるで建物自体が傾いているようだ。
3本の刀と荷物を手に、そして紙切れを無造作にポケットに押し込んで、ゾロはようやく重い腰を上げた。






お客様各位


この度は当ホテルをご利用くださいまして、誠にありがとうございます。
大変勝手ながら、当館は本日をもちまして閉館させていただきます。つきましては、裏面に記載されております方面に移転させていただくこととなりました。お近くまでお出掛けの際は、どうかお気軽にお立ち寄り下さい。
またのご利用を、従業員一同心よりお待ち申し上げております。


                             HOTEL RUINS   
                             MANAGER  SANJI










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2008/11.01