HOTEL RUINS 4








「だから俺ァ言ったじゃねぇか」
ウソップは半透明の身体をぷかぷか漂わせ、それみたことかと言わんばかりだ。
「それ、さっきもいったわ。もう、年寄りみたいに同じこと何回もいわないで」
「年寄り?俺が年寄りならおめぇは婆さ…」
台詞の途中でウソップはナミに殴られ、すごい勢いで宙に飛んだ。実体がまだ希薄な所為か、まるで空気が抜けていく風船みたいである。
「…俺たちの仲間になんねぇかな」
ルフィがつぶやいた。腕組みして考えている風に見えるが、浮かんで回って、見るからに彼は落ち着きが足りない。
「…仲間って。あんた、ほんとにアレを仲間にするつもり?生体エネルギーがかなり多そうだから気持ちはわからないでもないんだけど、相当な頑固モンだとみたわ。しかもケチ」
「いや。エネルギーがどうこうよりも、奴ってなんか面白そうだよな?」
「面白い?」、ナミが首を傾げて、
「あの男が?何処が?」、ウソップも大きく首を傾げると、サンジが「俺もなかなか面白いと思う。生意気そうな奴だが」、そしてシャツをめくり、両の手首を3人の前へと差し出した。
「さあ、おめぇらも疲れただろ。食ったら少し休むといい。あ、ナミさんは首の方、そんで指じゃなく口にしてくれよな。いっぱい吸っていいからさ」
そうナミに微笑むと、いきなりルフィがサンジに飛びついた。
「ル、ル、ルフィーーーーッ!お前に言ったんじゃねぇ!こら吸いつくな!離れろ!てめぇにそこ…吸われると…力…抜…け」
そう言うなり、身体がソファへ向かって大きく崩れた。
目を閉ざしたまま、仰向けになったサンジの胸が浅く呼吸を繰り返す。
「…サンジくん、大丈夫?」
その手首に指先で触れ、エネルギーを吸い取りながらナミが心配そうに声をかけた。
顔から血の気がなくなっている。北方系のせいか元から色は白い方だが、今は人形と同じ白さだ。
両腕を絡ませ、ぎゅっと抱きついて、その首にルフィが吸いついている。仰け反る喉からときおり呻きに似た息が漏れた。
「…ルフィ。あんた少しがっつき過ぎ。可哀想に、サンジくんふらふらじゃない」
そんなナミの言葉も彼には届いていないのだろう。ルフィは貪るように吸いつき、もちろん離れようとしない。ずっと抱きついたままだ。
「サンジのためにも、やっぱ奴を仲間にした方がいいかもしんねぇ。今更だが、このままじゃ負担がかかりすぎる。身体が戻りつつあるから、その分エネルギーが必要なのはわかるんだが…。自分でもセーブがきかねぇんだろうなァ…、おまけにコイツは吸引力が強いから…」
ルフィとサンジの姿を見てウソップが低くつぶやいた。
漆黒の両目はしっかりと閉ざされ、その表情はまるで母親から栄養をもらう赤ん坊のようだ。本能ゆえか、表情に邪気がない。

「…ップ。…おい、ウソップ」サンジがウソップを呼んだ。
「…終わった。もう寝てる。だが、力が抜けちまった…。コイツを剥がすの手伝え…」
二人がかりでようやく離すと、ルフィは満足気な表情で目蓋を閉ざし、眠りながら笑う口元がむにゃむにゃと緩んだ。とてもしあわせそうだ。
「…チクショー、怒る気にもなれねぇ…」
大きく息を吐き出し、サンジがまた身体を横たえた。そして数回大きく呼吸して乱れた息を整え、
「さっきの話だが。ルフィは自分のために仲間にしようと言い出したんじゃねぇと思う。もちろん、俺だって奴で楽しようとか考えてるわけじゃねぇ」
その言葉にウソップが大きく頷くと、ナミがやさしく微笑んだ。
「バカね、サンジくん。ホントはそんなの分かってるの。もう百年以上の付き合いなのよ?あなただって仲間でしょ?多少なりとも、あなたの考えだって分かってるつもりだけど。まさか、ただの餌だと思ってた?」
「さすが、ナミさん」
かすかに笑い、サンジは手元のランプを消した。青い眼が闇に閉ざされる。半透明の物体が宙にゆらゆら漂い、そして部屋の空気が僅かに揺れた。








「明日には出発しようと思う」
翌朝。パンを3回おかわりして、山盛りのピクルスを平らげ、スープを2杯腹に流し込んでコンポートのおかわりは4回、ゾロが朝食を終えたときのことだ。正面にはサンジが腰掛けている。
「別に奴らが怖くて逃げるわけじゃねぇ。勘違いするな。最初からここに長居するつもりはなかった。ただ、てめぇの飯が」
「俺の飯が?」
「……」
話の途中でゾロが口を閉ざした。
「飯がなんだってんだ?まだ信用できねぇとでも?」
「なんでもねぇ。口がすべっただけだ。それよりも、お前はずっとこの場所に住んでんのか?此処なんだろ、ヤツラが封印されてたのは」
「いいや。別の場所。あそこはもうとっくに取り壊されちまって、今じゃ爺さん婆さんの保養施設になってるらしい。此処で何軒目だったか、あまりに数が多すぎて覚えきれねぇ」
「世界中で廃墟巡りって訳か」、ゾロが少し笑った。
「好きでしてるわけじゃねぇよ。ヤツラが人目を気にせずに住める場所は意外と限られてるからな」
サンジがタバコに火をつけた。吐き出された煙が流雲状の模様を描く。
「で、そこまでヤツラの面倒見て、お前にどんな利点がある?ただの物好きか?それとも、なんか弱味でも握られてんのか」
あの女に。そう言いかけた時、サンジからいきなり鼻先を弾かれた。
「…っつ!」
「少しは考えてから喋れ。クソ野郎」
「間抜けたツラをみると思考力が低下するのかもしんねぇな」、ゾロはテーブルに転がっていた木豆を指先で弾き飛ばすと、それは金色の前髪の隙間をぬってもろに額を直撃した。

「痛てぇじゃねぇか!クソがっ!」
「お互い様だ!飯食った後にクソクソいうんじゃねぇ!」


「グランドラインって知ってるか?」
ゾロの眉がピクリと上がった。
「身体が戻ったら、そこに行って海賊王やら狙撃王とやらになるんだと。ナミさんは世界中の海図を描くっていってた。ホントの話かウソかは知らねぇけどな。あ、ナミさんの話はホントだから。疑うんじゃねぇぞ、罰が当たる」
「お前、グランドラインがどんなところか知っているのか?」
「いいや。だが、それがどんな所でも、嘘でもたとえ騙されても構わねぇと思ってる。腹立つことも多いが面白くて気のいいヤツラだ。退屈しねぇよ」
「やっぱただの物好きじゃねぇか」、ゾのが口端が笑ったように捲れた。
「グランドラインは半端ねぇ海だともっぱらの噂だ。生きて戻れる奴は少ねぇ。おめぇが飼ってる奴らはとんでもねぇホラ吹きか、もしくはとてつもない大馬鹿だ」
「そりゃ両方当たってるんじゃねぇか?」
サンジが笑う。


「グランドラインは多少気になるが、予定を変えるつもりはねぇぞ。明日には出て行く」
「そうかい」、サンジが椅子から腰を上げた。そして、
「なら、今夜は久々に腕をふるうとするか。最後の晩だしな。兎のラグーなんかどうだろ?いやもっと肉々しいのがいいか?この時期なら意外と山鶉なんか美味いんだよな。さて、どっちにするか。そうだ、とっておきのチーズも残ってたっけ。すると、ワインはあれがいいか?ちょっとばかりもったいねぇ、あんな貴重品なのに」
テーブルの食器を片付け、ひとりごとを呟くと、
「晩飯か?」、そう問いかけるゾロの喉が思わず鳴った。腹いっぱい食ったばかりだというのに、また胃が動いてしまうのはどうしたわけだ。
「そうと決まれば、早めに準備しとかねぇと」
ゾロを無視してサンジが手際よく皿を片付ける。
そして部屋を出る前に振り返り、ニッと笑った。
「ホントは旨かったと言いたかったんだろ?」
返事をしないでいると、「素直じゃねぇな。ったくガキはよォ」そのまま部屋を出て行く後姿を追いかけるように、ゾロの怒鳴り声が響いた。
「待てこら!てめぇだって体は成長してねぇんだろうが!なんで俺だけガキ扱いなんだ!勝手に決めつけんな!」








狭くて窓のない部屋は、まだ朝だというのに闇の暗さだ。
サンジがランプを点し灯りを細く絞る。するとそのかすかな灯火に、煙に似た白いものがふわりと浮かび上がった。
「明日出てくっていうのか?」
サンジが頷くと、ウソップが腕組みして唸った。
「…説得するにゃ、ちょっとばかり時間が足りねぇ。どうする、ルフィ?」
「うーーーーん…」宙に浮いたまま、ルフィも唸る。唸りながらふわふわ漂い、そしてくるくる回って、やはり落ち着きが足りない。
「今回は諦めた方がいいんじゃないかしら」
同じく宙を飛びながらナミがそういうと、
「…ナミさん。パンツ見えてる…」
鼻血を垂らしたサンジを殴りつけた。
「ちょっと!タダ見厳禁!お金とるわよっ!」
「そんな短けぇスカート穿いて、見るなというのは無理な話だ。見たくなくても目に入る。そんなモンに金をは…」
話し終わる前に、またウソップが宙に舞った。

「うーーーん」ルフィが唸り、サンジが煙草をスパーっと吐き出し、誰もが黙っていると、いつの間にかウソップがお面を被りマントを翻して颯爽と現れた。
「さあさあ諸君、困ったときは私の名前を呼びたまえ!」
「うおおおおお!そげキングーーーー!いつの間に来たんだよ、お前ーーー!」
ルフィが叫び、そして目がきらきら輝く。
「……あんた、何故疑わないの?よくそう新鮮に驚けるわね?そっちの方がビックリだわ…」

そげキングが一冊の本を広げた。
「ここにいろいろな薬の作り方が載っている。偶然見つけた…、んじゃなくて、こういうこともあろうかと君たちの為に用意しておいたものだ。いろいろ役に立つぞ。毒薬や痺れ薬、何でもござれだ」

「で、これを作ってどうするんだ?まさか、奴に一服盛れとでも?」
そげキングが大きく頷くと、サンジがなにもいわずその顔面に跳び蹴りを食らわした。
「てめぇの実体ができつつあってよかったぜ。思う存分蹴れるしな。ふざけんじゃねぇぞ、こら!料理人がそれをやったらもう終わりだ!てめぇは俺に喧嘩を売ってんのか!」
軽く吹っ飛んで、宙でくるくる回る。
「…ま、待ちたまえ、サンジくん。暴力はいかん、俺が悲しむ」
デカイたんこぶをつくり、ウソップが訴えた。
「飯に混ぜようって魂胆だろうが。俺ァ絶対そんなことしねぇぞ!」
すると、ナミが宙からすとんと降りてきた。
「お面が吹っ飛んだわよ、ウソップ。それよりも、あれで用心深そうだから、あまり露骨なのは避けた方がいいんじゃないかしら。警戒してると思うし。でも」
ナミがちらりとサンジを見た。
「ねぇ、料理はアレだけど、もしもお酒だったらどう?それならサンジくんの良心もあまり痛まなくてすむんじゃない?だって、サンジくんはコックだけどソムリエじゃないもん」
「そうだな。奴はかなり酒が好きそうだし、そっちの方がバレにくかもしれん」、ウソップが手をポンと叩いた。

「仲間にしたいとは言ったけどよ、だからといって薬とか使うのはどうなんだ?卑怯じゃねぇのか?」
ルフィはどこか納得いかない表情だ。
「ただの時間稼ぎよ。みんなで説得して、あの男が納得するまでの時間が必要だわ。それでも嫌だっていうなら、それはそれでしょうがない話だし。あ、これなんかどうかしら」
ナミが開いたページをテーブルの上に広げた。
「なになに『思うとおりにならない相手を服従させる薬』?…ずいぶんストレートだなナミ。さっきと言うこと違うじゃねぇか…」
「貸してみろ、俺が選ぶ」そういって、本の頁をめくりはじめたウソップの耳元で、いきなりサンジが怒鳴った。
「ちょっと待ったーー!戻れウソップ、違うその前の頁だ!」
強引に頁を戻させて、
「惚れ薬?マジかよ…。効くんかな」
そうつぶやくと、ウソップがサンジを見た。
「惚れ薬?奴に使ってお前に惚れさせ、それで仲間にしようって魂胆か?」
するとウソップの頭上に踵が落とされ、彼の身体がメリメリと床にめりこんだ。
「つまらん冗談はほどほどにしとけ」
「…だ…って実体のない俺たちじゃ効き目ないじゃねぇか。それと、あまりボンボン叩くな。バカになったらどうする」
「心配するな、それ以上バカにならん。それに誰が奴に使うといったよ?つうか、気色悪ィことぬかすな!」、大声で怒鳴ると、
「そうね。私達には無理よ。それにいくら実体があったとしても、もしも私にそんなモノを使う奴がいたら床に埋め込まれるくらいじゃすまないわ」
「だよねぇーー!さすがナミさん!」、サンジが顔を引き攣らせ、笑った。

「なかなか使えそうなのねぇな」
また頁をめくるウソップの耳元で、今度はルフィが怒鳴った。
「待てよ、ウソップ!戻れ戻れ!もっと前の頁だ!バカ戻りすぎだ!」
「耳元で怒鳴んなよ!」
「そこだ!」ルフィの目が血走った。
「すげぇぞ、これ!」

「肉汁?」
「ただ『肉汁』って書いてあるけど」
「ちょっと待って、読んで見る。このソースを使えば、すべてのものが極上の肉味に変わる?肉味だから肉汁?」
「な?すげぇだろ!魔法のソースだぞ!」
「確かにすげぇが、材料もすげぇ」
「耳垢蝙蝠の耳。小便蜥蜴のしっぽ。だんだら脱腸蜘蛛の唾液200ml。便所大百足の脚…、お前こんなモノで作ったソースを食えるのか?俺は作りたくねぇし、味見もしたくもねぇが…」
「しかも、こんな材料聞いたこともねぇ」
「一番の問題は、たとえこれを作ったとしても、あんたは食べられないことじゃない?」
「でも、いつかは身体が元に戻るだろ?肉だってなんだって食えるようになる!その時こそ、この魔法のソースだ!今のうちから材料を用意しとかなきゃな」
嬉しそうにルフィが笑った。満面の笑みだ。

「ナミさん、どれにする?スタンダードに痺れ薬なんかどうだろ」
ルフィを無視してサンジが頁をめくると、ナミとウソップが傍らに寄ってきた。
「そうね。そこらが無難な線かしら」
「肉汁はどうだ?」ルフィが問いかける。
「おい。スタンダードというなら眠り薬なんかいいんじゃねぇのか?奴ァ居眠りばっかしてっから、自分でもきっと不思議に思わねぇぞ。やたら眠いくらいでよ。その薄らぼんやりした頭に『ほぅら、お前は仲間になりたくなってきたァー、だんだんその気になってきたァー』って刷り込みでもしてみるか?」
話の内容はともかく、ウソップは意外と真面目な表情だ。ナミが頷くのを見て、サンジがまた本の頁をめくった。
「これだ。無色無臭だと。悪かねぇ。でもすぐに手に入らなそうな材料もある。メスカルサボテンなんざここらにゃ自生してねぇぞ」
「近いので代用すりゃいいんじゃねぇか?山サボテンじゃどうだ?この時期じゃあるかどうかわかんねぇが」
「山サボテンならこの山で見たことある。俺にまかせろ。肉汁の材料も探さなきゃなんねぇしな」そういってルフィが加わった。
「ネムネム海草はどうする?さすがに此処じゃ無理だ」
「フツーの川苔でもいいだろ?近くに川があった。それより眠眠蝉はどうするよ?3月じゃいくらなんでも蝉はいねぇ」
「そこらの木の根っこを掘り起こせばテキトーな蝉の幼虫くらい見つかんだろうさ。それでどうにかなるんじゃねぇか?」
「…そんなに代用品ばっかで大丈夫?似て非なるものができたりしない?」
ナミがどことなく不安そうな表情だ。そんな不安をサンジが笑って打ち消した。
「大丈夫だよナミさん。失敗したらしたで、別に俺らの口に入るわけじゃねぇし。なァ、ウソップ?」
同意を求められ、「そうそう、そのとおり。どうせ奴に使うんだしな」ウソップが鼻を振って頷いた。
「そうね。私たちがどうこうなるわけじゃないのよね。気にすることないか?」
ナミが可愛く舌をだすと、
「ナミさんは心配性だなー」サンジがまた笑った。
「そうそうそう。こんな怪しげな本だしよ、少しでも効き目がありゃめっけもん。駄目で元々、期待しなけりゃ失望もねぇ」ウソップも釣られてネガティブに笑う。
「ウソップ、そげキングに謝れ!せっかく持ってきてくれたのに失礼だぞ!でもどうせ肉汁材料も集めなきゃなんねぇしな。俺も協力してやっていいぞ」、高らかに笑うと、サンジが「しつけぇ」、そういって笑顔でルフィを蹴り飛ばした。
「おっしゃ!じゃ、各自手分けして材料集めだ。決行は今夜。皆の幸運を祈る」
ウソップの長い鼻が得意げに、天井に向かってピンとそそり立った。










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2008/9.13