HOTEL RUINS 3








9年前のことである。
サンジは街の料理屋で働いていた。レストランバラティエ、その街一番の規模を誇る人気料理店だ。
3月になったばかりのある日、サンジはオーナーから用事をいいつかって、ひとり隣街に出かけた。そこで用事を済ませて店に戻ろうとする頃はもう陽が傾きかけ、しかも急激に天候が崩れて強風と共に激しい雨が降り出した。雷まで鳴っている。春の嵐だった。
サンジは人家のない街道から脇道へと入り、雨宿りする場所を探した。どこをどう走ったかサンジは覚えていないが、そこで見つけたのが1軒の廃屋である。
建物自体は大きい。だが、外からみてもひどく荒れ果てている様子だ。
どのくらいの年数が経っているのか、すっかり錆び付いて重くなった扉をようやく開けると、黴臭いにおいがツンと鼻を衝いた。
外気の流れで澱んだ空気が動き、青白い雷光が暗い室内を照らした。
正面には広い階段、そして高い天井は立派な装飾が施されている。だが壁はところどころ崩れてて、立派なシャンデリアはぐらぐらで落ちそうだし、窓硝子は今にも砕けそうに危うく、重厚なカーテンはぼろぼろで部屋のあちこちは蜘蛛の巣だらけだ。
「…立派に幽霊屋敷だな」
サンジが思わずつぶやいた。
もちろん怖いわけではない。ただ濡れた身体を拭くための清潔そうな布と、あわよくば年代物のワインでも酒倉に残ってはいまいかと、暗い屋敷の中を歩き回った。

「…クソが。なにもありゃしねぇ」
きれいそうな布はもちろん、酒も食料もなければ鼠もいなくて、いくら蜘蛛の巣だらけでも蜘蛛の子一匹いなかった。
そしてサンジは2階に目を向けた。
どうせ期待はしてないが、もしかすると着替えくらいあるかもしれないと考えた。
ギシギシ鳴る階段を昇っていくと、いきなりその足元が崩れ落ちた。突然、すとんと抜けたように階段が壊れ、なす術もなくそのまま落下してしまった。

「…いっ。いでで…。このボロクソ階段が!」
瓦礫に埋もれ、暗闇の中でサンジは呻いた。
階段下は空洞だった。壁のどこかに出口はないかと手探りで探すと、小さな取っ手に触れた。引っ張るタイプの金属ノブだ。
それを引こうとしたら、そこに何かあるのに気づいた。ようやく目が慣れてきたのだろう。
よく目をこらしてみると、扉に数枚の紙が貼ってある。
紙には古代文字のようなものが書かれてあったが、それを読めないサンジはあまり深く考えず、その訳のわからない紙を破って扉を開けた。

「こんなとこに隠し階段かよ…」
サンジの胸が期待で小さく踊った。
人目を避け、こんな隠された場所にある扉、そして狭い階段だ。もしかすると、その先にお宝が眠っている可能性が充分ある。
注意深く階段を降りると、その下にはまた扉があった。
「随分と用心深ぇ。もしかすると、こりゃ、もしかするかもな」
その扉にも何故か紙が貼ってあった。上と下、そして取っ手のところだ。また訳のわからない文字が書かれてる。
無造作に紙を破ってサンジは扉を開けた。





「で、俺は5回扉を開けた。そしたらこうなっちまった。とり憑かれたのかもな」、フロントの男が椅子に腰掛け脚を組んで、タバコの煙を大きく吐き出した。
「ようするに、てめぇは5回の忠告を全て無視したわけだ。人間欲をかくとロクなことにならねぇって教訓だな」
そういって、ゾロは首の後ろをぼりぼり掻いた。

「いじわるな人に騙され、閉じ込められてたの。これでもサンジくんは恩人なのよ、だから彼のことは悪くいわないで」
「だよねーー!実はナミさんを助けにいったんだ!ほんと俺って王子さまみたいだろ、ナミさん!」
「助けに?そのわりにゃ、最初俺たちを見たとき、ギャッと叫んでたよな?」
「アホいえ。ありゃようやくナミさんに会え、その喜びのあまりだ」
「私も嬉しかったわよ、サンジくん」
「だよねーーーー!俺もだよ!」
「俺も嬉しかったぞ、サンジ!腹が減って腹が減ってもうどうしようもなかったしよ!ヘンな紙が邪魔して出るに出られず、餓死するかと思った!」
「飢え死にだけはしねぇから心配すんな。だが、あの後調べたら、『人民を脅かし、悪さをする妖怪を閉じ込めた』って文献に載ってたぞ。てめぇのことじゃねぇのか?」
「違う!確かに昔食い逃げは何回かしたことある、畑の野菜を引っこ抜いて食ったりしたこともあるが、それで追いかけられたことも数々あるけど、人を脅かしたことは絶対ねぇぞ!」
ルフィが大声で叫んだ。

「勝てば官軍だもんな。あんなところに閉じ込められてた俺たちじゃ、なにをいわれてもしかたねぇ」、ウソップが小さく溜息ついた。
「ずいぶん昔の話だけど、私たちは海賊だった。ううん、もう船はなくなってしまったけれど、今でも海賊だわ。悪魔の実の能力者に騙され、肉体を奪われたままずっと閉じ込められてたのよ」
「肉体?そういや、てめぇらはなにを食ってるんだ?身体がねぇなら物は食えねぇだろ」
気になっていた疑問だ。
すると、
「サンジくんよ」
チラリとフロントの男を見た。
「は?」
こいつ?この男を食ってるというのか?ゾロが不思議に思っているとナミがニッと笑った。
「正確には、サンジくんの生体エネルギーを分けてもらってる。分かりやすくいうと成長とか老化みたいなもん。だからサンジくんの肉体は年をとらないのよ。後は宿泊客のをちょっとだけ分けてもらうの。気づかれない程度にね」
「ウソップ。お前、コイツに鼻を握られたんだって?」
ウソップが頷くと、
「ようやく俺たちの身体が戻りつつあるんだ」
ルフィが嬉しそうにしししと笑った。
「身体が戻ったらよ、腹いっぱい肉が食えるよな」
「肉だけじゃないわ。お金だって黄金だって触れるわよ?元に戻ったら、稼いで稼いで稼ぎまくるわ」
「他にすることあんだろ…。戻ったらまず船を手にいれねぇと」、ウソップがまた溜息ついた。


「まァ、なんにせよ、奴らのいうことは話半分で聞いとけ」
サンジが咥えタバコで煙を吐き出しそういうと、ルフィとウソップが大声で怒鳴った。
「嘘じゃねえ!」
「ねぇわけあっか!てめぇら俺になんといったか覚えてるか?最初はランプの精だっていったよな?お前の願いをかなえてやるって。そのランプを探すの手伝えと、そうしたら何でも願いを叶えるといったの覚えてるか?そうしたら、実は天使だとか、それで悪い魔法使いがどうのこうの、あげくは生霊だとか、ホントは海賊王だとか、実は狙撃の王だって抜かしたこともあるよな?」
「海賊王は嘘じゃねぇぞ!これからなるんだ!」
「狙撃王も嘘じゃねぇぞ!俺の人生設計にちゃんと含まれてる!」
「なってから言え!」
「でも嘘じゃないの、サンジくん…。わたしの言うことも信じて貰えないのかしら…」
ナミが「うっ」と目頭を押さえると、
「もちろん信じてるさ、ナミさん!だから、そんなに嘆き悲しまないで…」
サンジはおろおろうろたえ、それを見ていたゾロが、
その女、涙でてねぇぞ。
心で突っ込みをいれた。




「と、いうことで」
ナミがゾロを正面から見据えた。
「ここまで正直に話したんだから、私たちの誠意は汲み取ってもらえたわよね?どう?理解してもらえたかしら?」
「どれが誠意かわからねぇが、あやうく俺がそのなんたらエネルギーとやらを吸いとられそうになったのは分かった。油断も隙もあったもんじゃねぇ」
「全然理解してないじゃない。バカね。しかもケチだわ」
「ケチ」ウソップの口が尖り、
「ケチ」ルフィがブーブー言うと、
「なんでケチ呼ばわりなんだ!」、ゾロが怒鳴った。
「可哀想な境遇だと思わないの?」
「ぜんぜん」
「そんなにいっぱい生体エネルギーを持ってるくせに、ほんとケチ。有り余ってるんだから少しくらい寄こしなさいよ。私たちに協力すれば、老化しない身体が手に入るのよ?こんなの得ようと思ってもなかなか手に入らないんだから。本当ならこっちが金を貰いたいくらいなのに。それをタダでいいっていってるのに。ホントに欲しくないの?」
「いんねぇ。それにそこまでのものなら、爺さん婆さんから吸いとったらいい。それ以上年取らなければ喜んで協力してくれるに違いねぇ」
「そりゃ駄目だ。爺さん婆さんはスカスカで旨くねぇ。なんか出がらしのお茶みてぇなんだよな。あまりガキだと青臭ぇしよ、10代後半くれぇが量質ともに一番充実してて旨ぇんだ」
「そんなグルメまがいのことを言われても協力するつもりはねぇぞ。面白い話を聞かせてもらったのにすまんな」

「…だからコイツに話しても無駄だと俺ァ言ったじゃねぇか」、ウソップの姿が溜息と共に消えた。
「…んもう、ホント10代って生意気。サンジくんくらいアホならいっそ可愛げがあるのに」、ナミが悔しそうな顔で「ドケチ」そうゾロに言い放って姿を消して、
「おい。あのナミからケチ呼ばわりされるなんてすげぇな、お前。俺らの仲間にならねぇか?楽しいぞ」、ルフィが笑い、そしてスーッと霧のように見えなくなった。


「ちょっと待て!なんで俺がケチなんだ!!」
なにもない空間に向かってゾロが吼えた。怒鳴った後、何気に後ろを振り返ると、フロントの男が椅子に腰掛けニヤニヤ笑っていた。笑ったままゾロを見ている。
「なにを笑ってる?」
「別に」
そういって、フロントの男が立ち上がり出口へと向かった。その後姿にゾロは声をかけた。
「おい。明日の朝飯は何だ?」
「セサミブレッドのピクルスサンド。いい具合に漬かってる。それと木豆のスープ。デザートは山瓜のコンポートだ。どれも量だけはある」
深夜だというのに、いきなり胃が活性化してグググッと動き出した。メニューを聞いただけでこれである。あまりにも単純すぎて、自分の臓腑とはいえちょっと情けないくらいだ。

「ランプは置いとく。寝る前に消すのを忘れるな」
「おめぇはいいのか?灯りがなけりゃ真っ暗だ」
「俺?」
微かに口元が綻ぶと、
「夜目が利く。眼のせいかもな」
青い眼が薄闇でかすかに光る。そしてニッと三日月のような笑い顔を残してその姿が消えた。
破れたカーテンから弱々しい月光が部屋にこぼれてくる。ゾロは手を伸ばし、ランプの灯りを絞った。
ホウ。梟の低い鳴き声が、遠く枯れた山々に響く。










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2008/9.6