HOTEL
 RUINS 2








チチチと小鳥が囀り、破れたカーテンの隙間から朝日が顔をのぞかせる。
廃墟には上出来なくらいまぶしい朝だ。


「よく眠れたかい、お客さん」
フロントに降りると男が足を組んで椅子に腰掛け、くわえタバコのままちらりと視線をゾロに向けた。
相変わらず横柄な態度だ。
別室へ通されると、そこには朝食の準備がすでに整っていた。
予告どおりレンズ豆のスープ、そしてパンと、簡単に並べてそのまま部屋を出ようとする男をゾロは呼び止めた。

「ちっと来い」

指先でちょちょいと呼んで、傍にきた男の口元に温かな豆のスープを運んだ。銀のスプーンですくって、
「口を開けろ」
「ちゃんと味見はしたぞ」
「いいから飲め」
その口にスープを流し込み、次に木の実のはいったパンを小さく千切って、それも男の口に押し込んだ。不審げな顔をして咀嚼する男にゾロが尋ねる。
「美味いか?」
「俺は不味いもんは作らねぇ。どういうつもりだ?」
「別に。ただ、ここにゃ人間は二人しかいないんだろ?今度からおめぇも俺と一緒に飯を食え」
いいか、と訊ねると男は曖昧に頷き、そのまま部屋を出て行った。








ホテルの庭園で、かつて立派な庭園だったであろう面影だけを残した荒れ果てた庭で、ゾロは筋肉トレーニングをした。
身体が基本の商売だ。いかなる場所で寝ようとそれだけは欠かしたことがない。
それが終わると今度は昼寝の時間である。
酷使した筋肉を休めなければならないし、ゾロにとって唯一の憩いと言っていいかもしれない。
草むらでうつらうつら寝ていると、またいい匂いがしてきた。
今度は甘い匂いだ。
誤解を受けやすいが、ゾロは甘いものが嫌いじゃない。正直いって好物である。
酒のつまみ、白米、そして甘い菓子。
いずれもいける口だが、顔立ちの所為かまたは酒好きだからか、そういったものが苦手そうに思われているらしく、何処へいっても甘いものを勧められることはあまりない。
昼寝を中断して、ゾロは匂いの方向へ、ホテルへとまた戻った。





「アフタヌーンティーにしようかと思ってさ。あんたの分も用意してあるから、よかったら付きあわねぇか」
フロントの男が狭い中庭に台を運び、わざわざテーブルクロスを広げて、なにやら大げさなものをその上に並べ立てている。椅子が2脚用意されているところをみると、最初からゾロを誘うつもりだったらしい。
金属で作られた背の高い棚のようなものにはサンドイッチ、そして小さなケーキがきれいに飾られていた。
「歴史を感じさせる大層なモンだろ?このティースタンドはここで見つけたんだ。それなりに歴史のあるホテルだったんだろうな。こんなに寂れて廃墟になっちまったが…」
ポットから紅茶を注いでゾロに手渡した。

「これも料金のうちか?」
「いいや。サービス」
ゾロが最初に手にしたのはサンドイッチ。緑色の薄い野菜が挟んである小さなものだ。半分にして、それを男に差し出した。
「食え」
「自分で好きなの取るから、それはあんたが食ったらいい」
それをわざわざ男の口元に運んで、
「いいから食え」
唇に触れそうなくらい近くに持っていくと、困惑した表情で男が僅かに口を開いた。


「これは何だ?」
薄いパンに間に茶色いものが塗られている。
「はしばみの実をペーストにしたものだ。美味いぜ」
それも端を千切って男の口に運ぶ。
フォークに乗せてケーキを食べさせようとすると、さすがに男が文句を言った。
「どういうつもりだ?まさか毒でも入ってると思ってんのか?」
「いや」
「一緒に食うだけじゃ納得できねぇ?」
首を小さく左右に振って、
「おめぇはなんか隠してんだろ?」
「何かって?」
「その答えを知ってるのは俺じゃねぇ。ほれ、口を開けろ」
そういいながらゾロが男の口にケーキを運ぶと、男はフォークまで食いそうな勢いで腹立たしそうにがぶりと齧りついた。
せっかく気合をいれて用意した席なのに、てめぇのおかげで落ち着いて食った気がしねぇ。そんな男のぼやきを無視してゾロは最後のケーキを自分の口に入れた。
クランベリーの甘酸っぱい小さなケーキ。どうやら最後まで好物は取っておく性格らしい。








「自分で食うから、それはもうやめろ」
夕食時のことだ。
山で狩ってきたのか、それは立派な雉鳩のローストだった。赤くきれいな肉の焦げる匂いと香ばしいソースの香り。
ゾロはまた自分の口に入れる前に、フォークを男の口元へと持っていった。
「おい、皿を交換するか?」
「いや、そこまで疑ってるわけじゃねぇ。ほれ、口を開けろ」
充分に疑っているではないか。喉元まででかかった言葉を男は飲み込んで、
「自分で皿から取るから」
申し出たが、ゾロは小さく首を傾げて問いかけた。
「食わせてもらうのは嫌か?」
「慣れてねぇ」
「嫌じゃなけりゃ問題ねぇ」
「じゃあ、嫌だ」
「優先順位としちゃ2番目だ。いいから口を開けろ」
男がフォークに齧り付いた。
悔しそうに、少し赤い顔をして、整った歯が金属に当たってカチリと音を立てる。
そして自分の皿から肉を切り分け、滴る肉汁を舌先でぺろりと舐めとってから、
「ほら、てめぇも口を開けろ。お味見付だぜ」
男がそれをゾロに運ぶ。口元に置かれたものにゾロの表情は渋く、眉間に皺が寄った仏頂面に肉が吸い込まれた。







その晩のことだ。
それは喩えるならば、腹を減らした河童が、あろうことまいか好物のきゅうりに噛みつかれたような声が、「んぎゃあ」と、世にも情けない悲鳴が暗闇に響いた。


最初に部屋に飛び込んできたのはフロントの男だ。
半分壊れた扉を蹴って、
「どうした?」、ゾロに声をかけ、室内の有様を見ると、
「てめぇは……」大声で怒鳴った。

「まだ、ちょっかい出すなと言っておいただろうが!」


ゾロが何かを掴んでる。
半透明の、なにやら頼りなさそうな物体だ。
仄かなランプの灯りの元でふらふらと宙に身体を泳がせ、長い鼻を掴まれ、そして泣き言をいった。
「だってよ、ルフィが腹減った、腹減ったってうるさくてよぉ…。少しだけなら気づかれねぇかと思って…。コイツ寝てばっかりだし、チャンスだと思ったんだよな…。ああもう、鼻を掴むなよ……」
力が抜けると、それがまた情けない声を出したのを見て男が舌打ちした。
「…悪ィ。すまねぇが、それを離してやってくんねぇか?」
「まあ、触っててあまり感触がいいもんじゃねぇからな」
これくらいで勘弁してやると、ゾロは手を離すとその手を男の黒いスーツにごしごしと擦り付けた。
「…んとに、失礼なヤツだな、てめぇは…。俺の服が汚れるだろうが!」
「おい、どっちが失礼だ、サンジ!」
「うるせぇ!人の言うこともきかねぇで、化けモンのくせに簡単に鼻なんか掴まれてんじゃねぇよ!」
「化けモンはコイツだろ?ゴーストを掴むなんざ、非常識にも程がある!」
「誰が化けモンだ、こら!離してやった恩を忘れやがって!しかもおめぇはゴーストって面じゃねぇ。それよりも、一体コイツは何だ?お前が飼ってるのか?」
「どうせ飼うんなら、もっと可愛げのあるヤツを飼いたかったぜ。食い意地ばっかはりやがって」
「ルフィのヤツだな。ホント、奴は食い意地がはってんからな」
「おめぇも含まれてんのを忘れんなよ。ウソップ」
「おい、話がずれてきてるぞ」
「ずれてんのはてめぇの脳味噌だ。横から口を挟むな」
「俺のどこがずれてるって?この化けモンはおめぇの仲間だろ?こんなうっとおしいのをうろちょろさすんじゃねぇ!夕べから寝てる人の周りをひょろひょろ飛びやがって、落ち着いて寝られやしねぇぞ!安眠妨害も甚だしい!」
「うっせ!夜中にぎゃあぎゃあ喚きたてんな!てめぇは此処にきてから寝てるか食ってるかのどっちかだろ?何が安眠妨害だ。睡眠不足は俺の方だぞ、クソッタレが!」
「俺が客だってこと忘れてんのか?ずっと我慢してたがな、おめぇはちくちくねちねちと勘に触ることばっか言うよな?うるせぇわ生意気だわ、眉毛ぐるぐるのくせしやがって」
「そうだそうだ!サンジ、おめぇはいつもうるせぇんだ!ぐるぐるのくせしやがって」
「クソッパナ、てめぇがそれを言うか?いつも誰に食わせてもらってると思ってやがんだ、ボケ!」
「確かに食わせてもらってるがよ、俺の取り分は少ねぇぞ?ルフィが一番がっついてやがるからな。それによ、おめぇはナミにはヤツに内緒で別にくれてやってんだろ?ちくしょお…」
贔屓だ贔屓、えこ贔屓と長い鼻をしたゴーストが喚くのを無視して男がそっぽを向いた。
「仕方ねえ。趣味はナミさんだ。ナミさんがいなけりゃ、誰がてめぇらなんざにくれるか」
「…相手にされてないくせに」
「成仏してぇのか、ウソップ」
「ちょっと待て。こいつらは何を食うんだ?つうか、こんなのがあと何匹いる?」
「何匹いようが、てめぇの知ったこっちゃねぇ」
「何匹とは何だ、何匹とは!犬猫じゃあるまいし、失礼だぞおめぇら!」
「ナミさんはともかく、てめぇらは12匹で充分だ。あ、一緒にしたら犬猫に対して申し訳ねぇか?」
「ほんっとに失礼なヤツだな、おめぇは!」
「おい、人の話を聞け!また話がずれてんぞ!」
「何にも知らないんだからてめぇは黙ってろ」
「ガキのくせに、随分と生意気な口をききやがって。大人に対する口の利き方を教えてやるか?」
「誰がガキだって?」
「ぐる眉」
ゾロがくいと顎で指すと、ふふんと男が鼻で笑う。
「たしか19だっけ?」
煙草に火をつけ、
「面はともかく、まだまだションベン臭せぇお年頃だな」
ゾロの顔に向って大きく煙を吹きかけた。
「クソガキが、てめぇこそ大人の会話に口出しすんな」
「そうだ。聞いて驚け、こう見えてもサンジは爺だぞ」
「誰が爺だ!俺はまだ28だっ!」

28

「誰が?」

18の間違いだろうとゾロが口を挟む間もなく、なんの気配もなく背後から声が聞こえた。


「サンジくんよ。ちなみに私は18
「百年前はな。なァ、お前、食ってもいい?」










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