HOTEL
 RUINS 1








荒れ果てた山の斜面にそれはあった。
絡まる枯れた蔦と古びた石塀。ひび割れた硝子と、傾き錆びついた銅製の看板、それはまさに名前に相応しい。

HOTEL RUINS





「ホテル・ルインズ?」
ゾロは看板の前で立ち止まった。
どうみても廃墟にしか見えない建物だ。営業していない可能性のほうが高い。だが、ゾロは敷地に足を踏み入れた。
ぱきぱきと枯れた小枝を踏み砕き、かさかさ枯葉が舞い散る石畳を歩く。塵積もって腐土と化したものの間から、黄緑色の小さな春が芽吹いてるのが見える。

いい匂いだ。
時折鼻を掠める食べ物の匂い。その匂いに誘われるように、ゾロは重い木の扉を開いた。








「いらっしゃい。クソお客さん」
建物の中は思ったよりも小奇麗だった。廃墟としては上出来な、上等な部類に入るだろうと思われるくらいのたたずまいだ。
割れた窓硝子から、穏やかな春の太陽がさしこむ。やわらかな光が部屋の埃を空中に浮かび上がらせ、その片隅から男がゾロに声をかけた。
白いシャツに黒いスーツ姿、金髪の若い男だ。

「ここは泊まれるのか?」
「もちろん。少しばかりボロいがな」
1泊いくらだ?」
2食込みで3000ベリー」
高いのか安いのか判断に困る金額だ。こんな廃墟で3000ベリーはぼったくりもいいところだが、2回の食事分を考えると悪い金額ではない。
ゾロが頷くと男がペンを渡して、古びたノートに記帳を促した。
「名前と生年月日、年齢。それと健康状態も」

ロロノア・ゾロ。1111日生まれ。19歳。良好。

19?ずいぶんと老けてんだな、あんた」
男が煙草に火をつけ、ゾロの手元を覗き見てつぶやいた。客商売とは思えないくらい口調が無愛想なら、態度もこの上なく横柄だ。
「余計なお世話だ。それよりもなんで健康状態まで記入する必要がある?」
「突然死されたら困る」
あんたはデカイから処分に困ると、男が可笑しくもなさそうな顔で口端だけで笑ってゾロに問いかけた。
「此処へどんな理由で来た?」
「泊まりに」
匂いにつられてきたとは言いたくない。
「馬鹿か?そんなことを訊いてんじゃんねぇ。こんな場所になんの用事があって来たのか訊いてんだ」
挙句は客に向かって馬鹿呼ばわりだ。
ゾロがここに来たのに理由はなかった。港を目指して歩いていたら、何故かこんな場所に来てしまっただけだが、もちろんそんなことを説明する義理はない。
「おめぇにゃ関係ねぇ。だが、いくら『こんな場所』でも、俺は客だ。てめぇ、俺に喧嘩売ってんのか?」
「お客さん。実はな、俺はあんたを写す鏡なんだ。あんたが紳士なら俺もそれなりにあんたを写し、もしもレディならあんたは此処で天国を見ただろうに」
フロントの男が今度はあきらかな意図をもって笑った。意地の悪そうな表情である。
ゾロは賞金狩りだ。賞金首を追って、町から町、いろいろな国を渡り歩いている。血生臭い職業といっていいだろう。それなりに腕には自信があるが、ここでむきになっても一文にもならないのを知っている。こんな男を斬っても刀が錆付くだけだ。
「廃墟ホテルのフロントにぴったりだ。てめぇがな」
「お褒めにあずかりまして。だがな、来る客も此処に似つかわしいぜ?」
本当に生意気な男だ。一発ぶん殴って出て行ってもかまわないが、とりあえず今は腹が減っている。殴るのはそれが不味かったらでも遅くないだろう。
「御託はいいから、とっとと鍵をよこせ」
ゾロの手に鍵を渡した。
「部屋は203号室。この左側にある階段を上って、右にいって3つめだ。夕食は6時。朝食は7時。ルームサービスは午後9時まで、って何処へ行く?そっちは右だぞ!左の階段だといっただろうがっ!なんで1つしかねぇ階段を間違える?」
そして今度はその階段下から、
「左じゃねぇよ!右だ、右へ3つめだ!人の話を聞いてんのか、てめぇ!」
フロントの男が大声で怒鳴った。










「…いくら声をかけてもグースカ寝やがって…。夕飯は6時だと言っておいただろうがっ!せっかくの料理が冷めちまうだろ!何時だと思ってやがんだ?9時だ、9時!ルームサービスも終了の時間ですぜ、お客さん!」

腹に激痛を感じたゾロは眼を覚ました。
眼を開けると入り口の扉は壊され、フロントの男がランプを片手に物騒な顔で仁王立ちしているのが見えた。もう片方の手には料理の置かれた銀のトレイ。どうやら食事を持ってきてくれたらしい。
少しだけ昼寝をつもりが寝込んでしてしまい、確かに遅れた自分も悪いかもしれないが、いきなり蹴ることはないだろうと無性に腹が立つ。


「…痛てぇぞ、こんちくしょーが…。モーニングコールを頼んだ覚えはねぇ…」
「そうか、余計なことをして悪かったな」
トレイごと引き上げようとする男を止めた。
「客に対する無礼と相殺な。俺が食い終わるまでそこで待ってろ」
やはりこの料理の匂いだった。男の持ってきた料理は豆のスープ、黒パン、チーズ、なにやら野菜の入った煮込み料理。見た目は質素だが匂いがいい。だが不味かったらぶん殴ろうと思う。蹴りのお返しと、自分に対する横柄な態度を戒めなければならないのは客としての務めだ。暴力ではない。
「ここに従業員は何人いる?」
「俺一人」
「お前がオーナーか?」
目の前の男は多少多めにみても20歳は超えていまい。自分と同じくらいか、もしくは若干年下に見えなくもない。
「いいや。俺はただの雇われ管理人。オーナーは別にいるが。何だ、興味がある?」
いや、と首を左右に振って、豆の入ったスープを口に含んだ。
どうやらこの男が作ったらしいそのスープは、数種類の豆と小さな肉のきれっぱし、そんな粗末なものしか入っていないがかなり旨かった。酸味のある黒パンと、表面がパリパリと堅くて薄いチーズ。そして味のしみた野菜の煮込み料理。口は悪く、性格もかなりひねくれてそうだが、料理だけは美味い。
ゾロは壁にもたれて煙草を吸う男に声をかけた。
「おい、ここって湯は出るのか?」
「ああ、ボイラーは直したから大丈夫だ」
「んなら、なんで電気くれぇつけねぇんだ?」
「電気は目立っちまうだろ?」
ニッと笑うところを見ると、正規で開業してるわけじゃなさそうだ。
「お前、ちょっと風呂に湯を張ってこい」
「はい?なに図々しい事をおっしゃるやら。んな、サービスはしてねぇから」
「あ、なんかしくしく腹が痛てぇ…。蹴られて内臓でも破裂したか?それとも食中毒?豆のスープで?それとも茸?もしくは…」
わざとらしく腹を押さえたゾロをみて、男は眉間に皺をよせ仏頂面のままバスルームに消えた。










「食い終わったか?」
からっぽの皿にスプーンを置いたら男が訊ねてきた。
「なァ、旨かった?」
顎を引くような感じでゾロが頷くと、ひどく満足気な顔をした。その表情がどことなく子供っぽい。やはり20歳は超えていまい。いいとこ17〜18歳くらいだ。
「他に客はいるのか?」
いるわけないと思いつつも、ゾロは訊ねた。
「あんたひとり。だからこうやって頼まれもしないのに食事を届けてやったんだ。いつまで経ってもこねぇし。起こしても起きねぇし。神経太いな、あんた」
「うるせぇな、おめぇは。それより、ここよりもマシな部屋はねぇのか?細かいことをいうつもりはねぇが、カーテンは破れてるし、窓硝子もひびはいって、しかもなんかいるぞ、ここの部屋」
男がちょっと驚いたような顔をした。
食事を待ちながら一眠りしていたとき、ゾロは確かに自分の周りで気配を感じた。音もなく、気配だけが部屋に漂っていた。だがこの男のものではない、もっと別の何者かだ。
「選べねぇんだよ。これでも一番まともな部屋でな」
半分だけゾロの問いかけに答え、
「ランプは点けたままにしておくから、寝る前はちゃんと消せ」
そして空になったトレイを片手に、
「それと、夜はふらふらと出歩くんじゃねぇぞ」
おとなしく部屋にいろ、とくわえ煙草で、
「出るんだよな、ここ…」
ケケケッと、意地の悪い笑い声で、男が部屋を出ていった。










その深夜、ゾロは喉の渇きに眼を覚ました。
部屋にドリンク類は置いてない。飲料にどころか冷蔵庫すらなくて、そしてゾロが欲しいのはジュースでも水でもなく、実は酒だ。
ルームサービスは9時まで。
時計を見ると、深夜も1時近い。
ゾロは部屋を出た。
フロントまで近かったのは覚えている。あの男がいるかどうかは判らないが、調理場でも行けば酒くらいあるだろうと考えた。
しかし、近いと思ったはずなのに、すぐ側にあると思った階段が何故か見つからない。照明もない建物は暗く、ランプでも持ってくれば良かったかとゾロは後悔した。
あまりにも暗いから階段が見つからないのだと思う。
ようやく見つけた階段はどことなく昼間に通った場所と違うような気がする。だが、視界が悪いからそう感じるだけかもしれない、躊躇うことなくその階段を下りた。あの男も階段はひとつだと言っていたではないか。
真っ暗で荒れ果てた建物の中、ある扉からかすかに明かりが漏れているのが見えた。
ゾロがドアに手をかけようとすると、中から何かが聞こえてきた。ぼそぼそと内緒話のように密かな、それは数名の話し声だった。

「……だよな。…って…よ」
「…とっとと食っちまえば……」
「………ぇ…もう…っと…」

ドアの隙間から中の様子を伺い知ることはできない。ただうっすらと黄色く薄暗い灯りが漏れているだけだ。

「…ンジ。腹が…」
「……っく。あんたの…でしょ?…が、いつも……ばっか…」

少し甲高い女の声も聞こえる。

「…ァ、怒らな…で。ナ……。とに……、あまり……ぐずぐすしても……」

この低い声はフロントの男のものか。音がこもってはっきりとは聞き取れないが、確かに聞き覚えのある声だ。
そしてゾロがドアノブに手を置くと、いきなり声が止んだ。

ドアの向こうには金髪の男がひとりで椅子に腰掛けていた。足を組んで、口元にはくわえ煙草である。
「…あんたか。夜はふらふら出歩くなと言っておいたはずだが…」
「喉が渇いたから酒を貰いにきた」
すると、何もいわずに男は奥の部屋へと消えた。
見渡すほどの広さはなく、狭く古びた部屋だった。
粗末な木のテーブルと椅子。椅子は2脚あるが片方は誰も座った様子すらなくて、表面にはうっすらと埃が溜まっていた。テーブルの上には飲みかけのティーカップと、そして吸殻が溜まった灰皿が置かれてあった。
ソファをベッド代わりにして寝ているのか、毛布が畳まれてある。
あの男の他に、誰かがいた形跡はなかった。
しばらくすると奥の部屋から男が2本の酒を手に戻ってきた。

「一緒に部屋まで行ってやるから」
「何で?」
「どうせ戻れねぇだろ?」
「来れたんだから、戻れねえわきゃねぇ」
「あんた、どうやってここまできた?」
「歩いてに決まってんだろうが。バカか」
男が蔑んだ眼でゾロをみると、
「……ずいぶん働きモンの足だな。とにかく一緒に行ってやるから」
まるで人質のように自分の手に酒を握ったまま部屋をでた。










「昼間見たときはただの廃墟だったが、夜みると感じが違うもんだ」
暗い廊下を、片側にある破損した窓から青白い月光が照らす。床に散らばった様々な物が陰影をつくり、黒い影がまるでオブジェのようだ。
「人から忘れられた建物ってのは、どこか物哀しいがキレイだよな」
答えながら男がゾロの3歩先を歩く。
「キレイだとは思わんが、暗くて余計なものが見えないのがいい」
「てめぇは情緒がねぇ」
「お前にあるとも思えねぇ。だが、見えないぶんだけ感覚は鋭くなるぞ」
「そうかい」
軽く受け流して、男が暗い階段をゆっくりと下りた。

「やっぱり何か棲んでんだろ?」
「幽霊とか化けモンがな。出るっていったろ?怖いか?」
男が部屋の前で立ち止まると、振り返ってかすかに笑い、そしてゾロを促すようにその扉を開けた。
どこからか、何か弾けた物音が聞こえる。


「明日の朝飯はなんだ?」
「レンズ豆のスープと木の実入りパン。量だけはある」

ひび割れた硝子が床に砕けたのか、それは冷たく硬質で青白い音だった。
月光が弾けたらこんな音かもしれない。
そう考えてからゾロは軽く首を振った。ガラにもないことを思ってしまったと思わず舌打ちして、男から渡された酒を口に含んだ。











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