星にねがいを 3








午後、お茶の時間になり、サンジは焼き立てのパイを切り分け、ナミに手渡した。
「ありがとう、サンジくん」
ゾロの外見をした彼女がにっこりと嬉しそうな顔をする。
夕飯時、彼が腕によりをかけた料理を、
「んーー、美味しい。うん、いつも美味しいわサンジくん」
彼女が、ゾロの顔をしたナミが幸せそうに微笑む。
または明日の下ごしらえをしていると、
「サンジくん、何か飲み物ある?」
なんていいながらキッチンに顔を覗かせる。
その度に、サンジはなんともいえない感情に襲われてしまうのであった。
何故かは知らないけれど、自分はマリモに名前を呼ばれたことがなくて、だからと別に気にもしたことないけど、でも気のせいじゃないはずで、眉毛とかぐるぐるとか、しかもそれらには枕詞のようにアホがつくし、料理だって何を作ったところで美味しいとか褒められたことないのに、
「どうかしたのサンジくん?変な顔して。美味しいわよ?」
ふっと顔を覗き込まれる度に、サンジの背をぞわぞわぞわぞわ虫唾のような悪寒が走る。
蹴り飛ばしてやりたい。
居心地の悪さに足がむずむずする。
だが中身はナミだ。蹴るなんてもってのほか、ぞんざいな言葉遣いも出来るはずもなく、地味にストレスばかり溜まってしょうがない。
サンジはゾロと喧嘩がしたいわけではなかった。
この広い海で、縁あって仲間になったわけだ。仲良くできればそれにこしたことはないのは解かってはいる、頭ではわかっているが、
「あ、サンジくん、これもお願いね」
なんてゾロの姿で頼みごとをされると、どんなに凶暴な海獣がいようが海にダイブしたくなってしまうのであった。





チョッパーはあれからずっと調べていた。
そう長い間ではない、ちゃんと元に戻るはずだ。理屈ではわかっていても、『大丈夫、俺がなんとかするから』なんて、偉そうに口にした手前もあってか、彼らのために一日でも早く元に戻してやろうと彼なりに一生懸命頑張っていた。
そして船長であるルフィは実に無頓着だった。
「なァ、ナミィ…。いつ次の島に着くんだ?」
メリーの頭の上で退屈そうに遠くを眺め、甲板で本を読むナミに、いつもと同じ口調で話しかけた。
「そうね、もうちょっとかしら」
本を読みながら彼女が返事をする。
「もうちょっと?明日の朝くらいか?」
「…んー、明日はどうかしら。でももうすぐよ」
「もうすぐ?じゃ明日の昼頃か?」
「…そうねぇ、お昼はどうかしら」
「そうか夜に着くのか。晩飯どうする?やっぱ肉だよな?」
そしてナミが怒鳴った。
「んもう!!肉はどうでもいい!今、本を読んでるのっ!!見てわかるでしょ!?」
怒鳴られているのに、
「おい、ヒステリーをおこしたオカマみてぇだぞナミ」
ゲラゲラ笑えば、涙目でさらに怒鳴られ、かたやゾロには、
「なァ暇だろ?暇だよな?じゃ俺と一勝負するか?」
嬉々とした顔で誘う。そして闘いながら、
「ん?お前、パワーが落ちてるぞ。それに、それ。ゆさゆさ揺れてるの、邪魔じゃねぇのか?」
大きな胸を指差し、「うるせぇ!!!好きで揺らしてんじゃねぇんだ!!!!」マジ切れしたゾロに殴られた。
それでも、
「暇だなァ…。なんか楽しいことねぇかな」
メリーの頭上で呟くルフィは、次なる冒険のことしか頭にないらしい。





筋トレも昼寝もままならず、居場所を失ったゾロの足はいつしかキッチンへと向かった。
外見がナミだからか、サンジの対応がいいからだ。頼めばすぐに酒を出してくれる。しかも上物だ。
最初は、『チクショー、女にだけこんないい酒呑ませてやがった』と、腹立ったものの、どことなく機嫌よさそうな顔を見れば、今更いったところでと、ことさら文句は言わなかった。
そして、なんとキッチンにいると酒のみならず料理の試食がある。
出来上がったばかりのものをつまみに出してくれる。
だが、同時に不満と物足りなさを感じているのも確かだ。
入れ替わって1週間経つ。ようするに、1週間コックと喧嘩をしていない。
とても居心地のいいはずのキッチンが、泡のない気の抜けたビールのように感じ、ゾロは無言で腹におさめた。

そんなある日、ゾロがみかん畑で身を隠すようにごろごろしていると、甲板からサンジとウソップの話し声が聞こえてきた。
「ウソップ、今晩食いてぇもんあるか?」
「ん?俺様のリクエストが聞きてぇのか?」
「聞くだけだ。食材があるとはかぎらねぇ。この海域じゃ秋刀魚はいくら頑張っても釣れねぇとさ」
「あのな、秋刀魚も好きなんだが、実はクリームシチューとかグラタンとかさ、それとオートミールなんてのも好きなんだよな…。昔、かあちゃんがよく作ってくれたっけ」
「そんな乳臭ぇ食いものが好きだったのか?わかった、他ならぬてめぇの為だ。今日の夕飯は森の幸のホワイトシチューにしてやろう」
「森の幸?何が入ってる?」
「森だからな、あんな茸やこんな茸、茸だらけ、まさに森の恵みだ」
「おい待てっ」
ウソップが手でビシッとお約束のツッコミを入れる。
「リクエストどおりなのに贅沢なやつだ。じゃ、菌糸類の薫り高きグラタンってのはどうだ?」
「いや、森の幸も菌糸類は勘弁だ。つうか、フツーのシチューやグラタンでいいだろ」
「それがな…、不測の事態というか、保存用のきのこにカビが生えちまってさ、早く処分しないとまずいだろ?」
「カビ?大丈夫なのか?」
「や、問題ないだろ?同じ菌糸類つうことで」
サンジは豆の皮を剥きながら、ウソップは釣り針の修理をしながら、二人が話し続けている。
聞くでもなく耳に入ってきた会話にゾロは考えた。
コックの話は、いや話どころかコックそのものがいつも突っ込みどころ満載で、だからといわけではないが、ついついいらん口出しをして喧嘩になってしまうわけだが、ナミの身体になってからというもの喧嘩すらならない。
ナミの身体だということがコックのストッパーになっているのか、嫌味をいえば一瞬ムッとした顔はするものの、ものすごく変な顔でぎゅっと口を閉ざす。我慢でもしてるつもりなのか。
だから喧嘩はもちろん会話にもならないし、別に喧嘩をしたい訳ではないがけれど、ようするに、ゾロは不満がある。





10日目。南南西の風、快晴。
昼を少し過ぎた頃、ある海賊船から襲撃を受けた。
数こそ向こうのほうが多いものの、さほど強い敵とも思えず、ナミとゾロが入れ替わっているハンデもそう問題ではなかったが、ただ問題がまったくないわけではなかった。
「ちょっと、なにすんのよ!!いやあああああ、むさ苦しい顔を近づけないでっ!」ナミが怒鳴り、
「おい。すぐにくたばるんじゃねえぞ。俺を楽しませろ」
ゾロがニッと笑い、
「お前、キンタマついてんのか?小さくてみえねぇだけか?いくらなんでも弱すぎだろ…、この玉無しが」
そういっては寂しそうな溜息をついた
敵に、『麦わらの一味の航海士はオカマで、女剣士はキンタマの心配ばかりしてる』、そんな認識をされた。
海賊だから奪うものは奪う。そして敵を開放したとたん、最後っ屁のようにいきなり大砲を打ち込んできた。丸腰にするのもなんだと1発だけ残しておいたのを打ってきた。ようは恩を仇でかえしたわけである。
それはメリー号の横を掠めるように海へ落ちて爆発した。大きな水柱があがる。船を左右に大きく揺らし、飛沫は大粒の雨となって船を濡らし、その時、サンジはとっさにゾロを庇った。
正確にはナミの身体を、自分の身体で覆うように守ったのである。
そのまま敵の海賊船は立ち去っていった。





きらきらきらきら、星が零れ落ちそうな夜空だ。
当番になった不寝番のその夜、ナミは見張り台の上で小さな溜息をついた。吐息のように微かで、そしてどことなくせつない溜息だ。
今日で入れ替わって15日になる。いつまでこの状況が続くのか、先の見えない不安が彼女の胸をずっと悩ませていた。
そのとき、すっと小さな星が流れた。
輝く星空から、ひとつ、ふたつ、と白い光が落ちてくる。
ナミは流れ星に願いをかけてみた。
早く、一日でも早く元に戻りますように――
空を見上げ呟いたけれど、落ちてくるのが早くて間に合わない。
またキラッと星が光る。
今度こそと、その星に狙いをつけると、下から低い声がした。自分を呼ぶ声だ。
サンジが夜食を運んできてくれた。
今から上に持っていくという申し出を断り、ナミは自分で甲板に降りた。
コックの用意してくれた夜食は丸いパンケーキとバター、それと黄金色した蜂蜜が添えられていた。甘い匂いがあたりに漂っている。
これはナミの好物のひとつだ。みかんは好きだけど、だからと柑橘類だけが好きなわけではない。でも太ってしまうからあまり作らないでくれとサンジに頼んだことがあるくらいだ。
少しくらい太ったからとサンジは気にしないけれど、やはりナミは気になるのだろう。だが、ゾロの身体ならば話は別である。
パンケーキを口に運んだ。蜂蜜がとろっと甘くて脳が痺れそうで、ふわっとした生地は温かくてきめが細かく、そしてバターの香り、文句なしに極上のパンケーキだ。
もう一切れ、口に運んで、もぐもぐ食べ終わると同時に、ナミの口から小さなため息がこぼれた。ふと漏れてしまったような、そんな切なさにサンジの胸がチクッと痛んだ。
そろそろ2週間になろうとしている。ルフィだけでなく、さすがに自分もこの状況に慣れてしまった。眼の前のゾロが、これはゾロでなくナミであると判断できるようになった。
となれば、器は多少アレになってしまったとしても、やはりナミは愛おしいのである。
勝気で、頭も良くて、お金が大好き、怖がりだけど最強のレディ、ルフィの選んだメリー号の航海士だ。
でも18歳の女の子、ふと見せる些細な仕草がとても可愛らしい。
金が絡まない時の笑顔は、太陽よりも眩しいのである。
それはゾロの姿であっても変わることはない、まさにこれこそ彼女の本質なのだろう。たとえ、その姿はどうあろうと。
サンジは黙ってその隣に腰を下ろした。



近頃、ナミは人知れず悩みがあった。
もやもやもやと気分が晴れないというか、気分だけでなく下半身がずっともやもやしているのである。朝は特にひどい。男の身体は本当に面倒であると、パンケーキを口に運びながら、また小さな溜息をついた。
打ち明けることのできない悩み、憂いは彼女の表情になんともいえない切なさを滲ませた。見ているサンジの心まで切なくなる。
熱い紅茶を手渡し、サンジは寄り添うように身体を近づけた。
カップを手にすると、その香りを楽しむかのように、ナミはそっと瞼を閉ざした。触れたのか触れてないのかわからないけれど、カップを膝の上に置くと、またそっと溜息のような息を吐いた。
夜空は星が瞬いている。
まるで星のような静かな呼吸、端正な横顔、ずっと伏せられたままの目蓋。
サンジは、
「お茶を落とさないで」
小さな声で注意を促すと、その唇に触れるようなキスをした。

聞こえてくるのは静かな波の音だけだ。
星のみまもる、誰もいない夜の甲板で、ふたりはそっと唇を触れ合わせた。
それは、温もりを伝えるだけの優しいものだった。





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