満天の星空。
不寝番の夜、サンジは見張り台の上で、ひとり天を仰ぎ見た。
天青石や翠玉柘榴石に紫水晶、そして金剛の渦巻く星雲、きらきら輝く宝石のような夜空から、小さな真珠の欠片が流れ落ちてくる。
ひとつめを見つけ、ふたつめを見送って、そしてみっつめを見つけた時、流れ星に小さな願いをかけてみた。

痺れるような熱いキスを、できればナミさんと――

すう、と星は流れ、そして消えた。








星にねがいを 1








「あれはまずいかも…。ルフィ、皆を呼んで!方向を変えなきゃ!」
「そうね、そうしたほうがいいわ」
「え?あの雨が?」
船長が首を傾げた。





今日は朝からずっと曇り空だった。
ナミは甲板に立ち、進行方向に低く立ち込める灰色の雲を指差した。
雨が降っているのだろう、雲の下がうっすら煙って見える。ナミの言葉にロビンは頷き、ルフィは不思議そうに首をかしげた。
「あれはもしかすると普通の雨じゃない可能性があるわ」
「普通じゃねぇ雨って?」
「私も本でしか読んだことはないけど。どちらにせよ、この海域で雨に打たれるのは用心したほうがいいわ。可能性は低いけど、考えられないことではないから」
「ロビンも知ってたの?」
「ええ。あまり知られてないけど、航海士さんも本で知ったのかしら?」
「この前買った本に書いてあったわ。あまり重要視してなかったけど。もちろん普通の雨の可能性のが高い。発生率はかなり低いらしいし。でもリスクは少しでも避けるわ」
「だから何なんだ?おめぇらのはなし、全然わかんねぇぞ」
「……え?…ルフィ、アンタなんで此処にいるの?」
「へ?」
「だから皆を呼んでっていったじゃないっ!」
「あら、大変。もう眼の前だわ」
「って暢気にいわないで、いやああああああああ!」
空は暗く低い雲に覆われ、しとしとと降る細い雨が船を濡らした。

「大袈裟だな。ただの雨だろ?」
「そうね。ただの雨だと思うけど、答えは明日になれば解かるわ」
「明日?」
「船長さん、女の子になるのはお嫌いかしら?」
そういってロビンがクスクス笑った









「稀に、ごく稀にだけど逆転現象が起きるらしいの」
「逆転現象?」
皆がいっせいにナミを見た。夕食後のことである。

「そう、男が女になったり、またはその逆になったり」
「大人が子供になったとか、または若い人が老人になったとかの事例も読んだことがあるわ」
ロビンが飲みかけの紅茶から唇を離した。
「それは誰でもなるのか?」
いまさら子供に戻ってしまうのは非常に困る。が、女になるのはもっと困るし、ましてや老人になるなど勘弁だ。いずれも体力的に今より劣ってしまう。ゾロが眉を顰めた。
「さあ、はっきりわからないわ。どれくらいの期間そうなってしまうのか、どういった状況になるかもまったく不明」
「でも、ただの雨だって可能性が高いんだろ?」
ウソップは実際見ていないからか、珍しく考えがポジティブだ。雨が降っていた時間、格納庫で部品の在庫チェックをしていた。雨には濡れていない。どうやら自分はその現象と無縁だろうと少し高を括っている。
「大変じゃねぇか!!もしもナミさんが男になっちまったらどうすんだ!!人類最大の損失だぞ!どうすんだチョッパーーーー!」
なんて叫んでいるサンジも、自分はキッチンにいたから問題ないだろうと余裕があるのは否めない。
「ちょっと、ルフィ。アンタなんでそんな嬉しそうな顔してるわけ?」
「いや、だってさ、なんか楽しそうじゃねぇか?」
ルフィはどこまでもルフィだ。
「そっかー、俺、女になったらどうしよう」、ゲラゲラ笑いつつ、「あっ!チンコが無くなったらどうやってションベンすればいいんだ?やばいだろチョッパー!」、どうでもいいことを本気で心配している。
とりあえず明日になってみれば、ただの雨かそうでないかがはっきりする。いまさら先のことを心配しても仕方ない。と、口でいうほど誰も深く考えないのは麦わらの一味の長所だ。








その翌朝のことだ。野太い悲鳴が、まだ寝静まった船を揺るがした。
「きゃあああああああ」と、女性のような悲鳴だが、でも声が男だ。
男部屋から、キッチンから、皆が声のする方向へ、トイレへと走った。

「どうした?何があった?」
「今の悲鳴はゾロか?」
「ったく、朝っぱらからオカマみてぇな声でなに叫んでやがんだ?」
皆が床にぺたっと座り込んだゾロを見下ろした。

「…へ、変なものが…」
「変なもの?」
「なにかあるのか?」
するとゾロは何故かあたりをきょろきょろ見回し、
「…チョッパー…?チョッパーはどこにいるの?」
扉の影にいたチョッパーを見つけるやいなや、いきなり小脇に抱えると何も言わずに走り出した。
そこへナミが慌てた顔で飛び込んできた。
「おい!チョッパーはどこだっ?!」
ゾロが連れてったとウソップが返事するなり、
「俺が?…ったく冗談じゃねぇぞ…、おい、チョッパアアアアアアアア!」
ナミはガラの悪い口調で叫び、また飛び出すようにトイレを出て行った。ルフィとサンジ、ウソップが不思議そうに顔を見合わせ首を捻り、そのまま甲板に出るとそこはロビンがいた。サンジから話を聞くと、「まあ」と少し驚いた顔をしたものの「それは困ったわねぇ」と、あまり困ってなさそうな顔でニコニコ笑った。





「うっ…う…、なんで…なんでよりにもよって…」
テーブルに突っ伏したまま、ゾロがべそべそべそ泣いている。
少し離れたところではナミが床の上で胡坐をかいている。壁にもたれ掛って、眉間に深い皺を寄せ憮然とした表情だ。
それを見てゾロが、
「…ちょっと、胡坐なんかやめて。…みっともないったら」
パンツが見える、と、ぼろぼろ泣きながら、テーブルの上の鉄アレイをいきなりナミに投げつけた。
「危ねぇだろうが!当たったらどうする気だ!」
「なによ!そのくらい避けなさいよ!嫁入り前なんだからね!傷なんかつけたら承知しないんだから!」
大声で怒鳴ると、またべそべそべそべそゾロが泣いた。

「…もう泣いてもしょうがねぇだろ?どうせ戻るだろうし、いっそ楽しんだらどうだ?ゾロになれる機会なんてなかなかねぇぞ?ムキムキだぞ?」
ルフィが声かけると、
「そんな機会なんかいらないわよっ!」
また怒鳴って、
「……それに、こんな、こんな身体じゃ、ムキムキなんていやああああああああ!!」
ゾロは大泣きした。
男泣きとは程遠い姿で、うぉんうぉん泣かれてさすがのルフィも困り顔だ。ミホークに負けたときだってここまでじゃなかったような気がする。
そしてこんな身体と、鍛えに鍛えぬいた自慢の身体を貶され、ナミは、正確にいうならば、ゾロはムッとしかめっ面をした。


ナミが気づいたのは朝方だ。
どうして男部屋で寝ているのだろう。不思議に思いつつも、下腹部にむずむずするような違和感を覚えたナミはトイレに行った。寝ぼけ眼で下をおろして、便座に腰掛ければ、視界の端になにやら見慣れぬものがあることに気づいた。
不思議に思い目線を下げると、そこに変なものが生えていた。
実に微妙な角度だった。


「おめぇがナミになるとは…。羨ましいような羨ましくねぇような……」
床で胡坐をかくナミを見て、ウソップが複雑な表情で首を傾げた。


朝、あたりの騒々しさにゾロは眼を覚ました。
気づけば見慣れぬ部屋だ。はて、うっかり寝ぼけてしまったかと首を傾げ、大きな欠伸をして同時に頭をかこうしたら、何故か髪がぼうぼうに伸びていた。ぎょっとしてその髪を掴み、毛先を見てみるとオレンジ色だった。どうしたことかと驚いていると、もっと驚くことに胸が大きく腫れていた。そして下半身が心もとないような嫌な予感に、思わず股間を握るとなかった。
19年間連れ添った、そこにあるべきものがない。


「きっと一時的なものだわ」
思ったより被害が少なくてよかったとロビンは考えた。乗組員全員が子供になってしまい、船の運航が立ち行かなくなり遭難した事例もある。さっきもいったようにそう長い期間でないと予想されるが、問題があるとすればその期間がわからないことだ。戦闘になれば多少のリスクはあるだろう。

「………俺、頑張ってみる。いい解決方法があるかどうか、探してみせるから!」
チョッパーは大きな声でそう宣言した。そして、
「だから大丈夫、大丈夫。たぶん大丈夫、大丈夫だと思う…」、まるで自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。

サンジはこの状態がよく理解できないでいた。
愛しい航海士と、よりにもよって仲の悪い剣士の中身が入れ替わってしまった。
頭ではわかっても、感情としてどう処理していいかわからない。可愛らしいナミの中は憎たらしいゾロで、ふてぶてしいゾロの中身は愛しいナミである。
どう接したらいいのか、サンジはただひたすら困惑した。


その日の午後になって、ナミの体調が悪くなった。外見上はゾロであるナミは青ざめた顔で、「…う、気持ち悪い…」そういって床にうずくまったものの、何故かチョッパーの診察を頑なに拒んだ。ロビンがどうにか説き伏せ、彼女が診察を受けたのは夕方近くだった。
「ゾ…、いやナミ。気持ちはわからないでもないが、我慢なんかしちゃ駄目じゃないか」
チョッパーが優しく注意した。どうやら彼女は尿の排泄をずっと我慢していたらしい。
「アホか!ションベンぐれえちゃんとしろ!俺の身体を壊す気か!?」
ゾロに怒鳴られチョッパーに諭され、ナミは下唇を噛み締めながら、軍手の上にゴム手袋を嵌めた。
その夜、ナミは当然のように女部屋で寝て、ゾロは当たり前のように男部屋だ。
ハンモックにルフィとチョッパーが眠り、床ではゾロとサンジが寝て、ウソップは不寝番でいない。
すーすー軽い寝息をたててゾロが眠る。そんなゾロが、正確にはナミの身体が気になって気になって、サンジはひとり悶々とした夜をすごした。










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