7.王妃様が優しく微笑みました。大丈夫、心配しないで






通されたのは昨夜と違う場所です。
そこは大理石の上に重厚な赤い絨毯が敷かれ、廻りには大臣たちが立ち並び、その背後には屈強な兵士達が立っている、それは立派な部屋でした。
サンジが導かれるままに、絨毯の上を歩いていきますと、その先に緑色の髪をした王子の姿が見えました。
指をボキボキ鳴らして、ひどく凶悪な人相で、
「…手間かけさせやがって」
王子は待ち受けていたかのように、ニヤリと口端で笑いました。

「しつけぇ野郎だ。ずいぶん大袈裟なことしてくれたな」
サンジはだんだん腹が立ってきました。たかが女装して舞踏会に出たからと、ちょっと蹴ったくらいで、いつまでもそんなことを恨まれても困ります。オカマ呼ばわりもうんざりです。もう継母や姉にもばれてしまったのですから、隠すものはもう何もありません。ただただ苛立ちが溜まってきて、何故か脚がむずむずします。
「で、俺になんの用だ?ダンスの続きでもしようってのか」
「俺と踊りてぇならドレスを着てこい。オカマが」
「オカマ呼ばわりすんなハゲ。いくら女に相手にされねぇからって、俺にかまうんじゃねぇ」
王子の眉がピクッと持ち上がりました。
「かまう?俺が?てめぇに?お前が俺の前をちょろちょろすっからだろうが。目障りでしょうがねぇだけだ。ハゲハゲいうなボケ」
「…粘着質な野郎だ」
「勝手にほざいてろ」
二人の間で青白い火花が飛び散ります。
目を逸らさずにずっと睨みあっていますと、周りの空気までざわざわとささくれたってくるようです。
「ここでいいのか」
「かまわん」
「城が壊れてもしらんが」
「ほっとけ」
「俺は剣とか武器は使わねぇ。蹴り技だけだ」
「俺は素手だ。いつもは剣だが、てめぇ相手に武器はいらん」
「ケッ、負けた言い訳にすんじゃねぇぞ」
二人から、ゆらりと物騒な気が立ち上がった、その時、

「こちらの方で間違いはないのね?」

低く、優しい声が聞こえてきました。
王妃様です。美しい王妃さまが、いつの間にか二人の近くに立っていたのです。まるで、猫のようにしなやかな動きとその美しさに、サンジは驚きました。容姿もさることながら、その上品で優美な仕草や甘くてハスキーな声に、いっそ蕩けてもいい、というよりも身も心も蕩けたいと思うほどの美しさでした。
「違いねぇ。コイツだ」
王子の返事に、廻りから「おおおっ!」どよめきが起こりました。
「そう」
王妃は優しく頷きますとサンジに向かって、
「あなたはイワさんのお子さんだったのね。知らなかったわ。でも良かった…」
ホッと安堵の息を漏らしますと、
「乱暴でわがままなところもあるけど、根は優しい子なの。ちょっとわかりにくい優しさだけど」
サンジの頬に細くきれいな指先を伸ばして、
「ずっと連れ添ってやってあげてね」
その頬にかかった金色の髪に、そっと触れました。

「…連れ添う?」
サンジには何がなんだかわかりません。あまりわかりたくありません。ただ髪を触られたことがすごく嬉しくて、王妃さまはやっぱりいい匂いで、ですが誤解という名の大きな渦に巻き込まれたように思えてなりませんでした。
「どういう意味だ?」
王子も不思議そうな顔で問いかけました。状況がよく呑み込めない様子で、しかも喧嘩の腰を折られて少し機嫌が悪そうです。するとそこへ、巻き毛の男イガラムが駆け寄ってきました。
「おおおおお…!王子!いつまでもご結婚に興味がないご様子で、私はひそかに胸を痛めておりましたが、こんなにも早く決まろうとは、なんとめでたい…!」
そしてサンジを見て、
「御髪を切られてしまったのですね。とてもお美しかったのに…。ですが、あなた様の輝きはあのドレスに勝るものです。本当の美しさは心の輝きなのです…。どうか末永…く…っ」
感極まったのか、声を震わせ涙ぐむ姿をみて、この男の誤解を解くのはとても面倒かもしれない、サンジは心からそう思いました。やはり逃げたほうがいいかと。

「…ちょっと待て。なんか誤解してねぇか?」
あまりの展開に王子がようやく口を開きました。
「誤解?」
「なにがです?」
「確かにあの靴の持ち主を探せといった。だからといって、そいつを嫁にするとはひとこともいってねぇぞ。だいたい普通は嫁というのは女が」
王子の言葉を遮るかのように、
「でも」王妃が、
「ですが」イガラムと顔を見合わせ、クスクスッと笑いました。
「とても楽しそうに踊っていたわ。初めて見たの、あなたがあんなに楽しそうに笑うなんて。それまで、とてもつまらなそうな顔をしていたのに」
「あれは、コイツが…」
赤くなったり青くなったり悲鳴を上げたり白目を剥いたりと、その表情が面白かったからです。
「次の晩はそう、とてもいきいきしてたわ。あんなにいきいきと輝いてるあなたを見るなんて、それも初めてですもの」
「いや、あれは…」
踊りながら喧嘩をしていたからです。
「今も熱く見詰めあっていたわ」
王妃さまはそれが微笑ましいと言いたげな表情で、王子に優しく笑いかけました。
ただ睨み合っていただけなのに、一体なにをどう解釈したらそう見えるのか、王子は驚きのあまりどう説明していいかわかりません。
すると傍にいたイガラムが、
「お二人が庭でこっそりとお話をなさっているの拝見したとき、私は運命を感じました。なんと美しい光景かと涙がでそうだったのです…!」
そういって、目からまた大粒の涙をこぼしました。
「運命?そんなもんはお前の気のせいだ。もういいから」
泣くな、みっともない。そういいかけた時、どこからか男の声が聞こえてきました。

「……えーと、なんだ。どうみても男に見えるが。嫁が男でもいいのか?」

見れば、いつの間にか玉座に水色の髪をした男が座っていました。王様のような立派なマントを羽織っております。でも下半身はパンツ一枚です。もしかするとあれが王様でしょうか。サングラスをかけた裸の王様ですが、なんて当たり前のことをいってくれるのかと、サンジは嬉しくなってしまいました。
一番重要な部分に、ここにいる誰も触れようとしないのですから。

「王さま。せめて下穿きくらい身に着けられたほうが…」
側近の言葉を無視して、
「ありゃ窮屈でしょうがねぇ。心配するな。俺はいつでもスーパーだ。それよりも」
と、王さまがおっしゃいましたのは、お世継ぎの問題です。
王さまにはお子様がひとりしかおりません。お嫁さんが男では王家の血筋が途絶えてしまいます。
だから男が嫁で問題ないのかと、王さまはそれを心配されたのです。
王さまの言葉を聞いたサンジの心に、小さな不安が芽生えました。うまく説明できませんけど、妙に心もとなくて、もしかすると予感めいたものかもしれません。
そして王さまは、ドクトリーヌならばどうにかなるのか、と側近の者に訊かれました。
ドクトリーヌというのは、金にはがめつく、しかもかなりの高齢で、でも腕だけはいいと評判の王家専属の医師です。
サンジの不安は一層大きくなりました。疑問がずれているように感じるには気のせいでしょうか。それとも王と平民という身分の違いによるものでしょうか。不安で胸がドキドキ音を立てています。
「ええ、それならばイワンコフさまが」
イガラムという男の口から継母の名前がでてきて、ますます何がなにやら訳がわからなくなってしまいました。
その時、
「いいえ。大丈夫」
王妃はゆっくりと首を左右に振って、優しく自分のお腹を撫でますと、

「心配いらないわ。私たちに家族が増えるの」

まるで聖母の如く微笑んだのです。
「おおおおおおお!」
廻りから大きな歓声がドッと沸きあがりました。
「ご懐妊とは!」「なんとめでたい!」「こんなにめでたいことが同時にくるとは!」「王子のご結婚も決まって、王家もこれで安泰だ!」臣下の者たちは、皆、口々に祝福の言葉を述べました。
王子とサンジは放心したように立ったままで、
「……おい?」
「…マジかよ?]
「気は確かか?」
「正気でいってんのか?」
ですが、そんな言葉も皆の耳には届きません。周りはすっかり興奮しています。王さまも踊って大喜びです。
サンジの顔からすっかり血の気が失われて、そして王子も真っ青になって、
「聞け!」
「てめぇら!」
「俺は男で!」
「相手も男だぞっ!」
「わかってんのか!!」

二人は大声で怒鳴りましたけれど、そんな怒声ですら、パンパンパパンと澄みきった青空に打ち上げられた気の早い祝砲と、城を揺るがさんばかりに沸きあがった歓声にかき消され、風に千切れる雲となって誰の耳にも届かずに流れてしまったのでした。





申し訳ないことに、それでもまだつづきます

2009/09.25