6.あら、あちしにはちょっと小さいわねい…。残念ながらボンクレーには
サンジは暗い夜道を走って、家路を急ぎました。
途中で魔法はとけてしまい、いつもの服に戻ってしまいました。かまどの灰でところどころ薄汚れています。ですが、このほうがどれだけ気が楽かわかりません。コルセットで縛られるなんて真っ平です。どれだけ美しかろうと、ドレスもガラスの靴ももういりません。
それよりも早く家に帰って、あの魔法使いをしばきあげればならないと、サンジは必死で走り続けました。
ようやく戻ると、家の中は真っ暗でした。物音ひとつしませんし、ネズミすらいません。とても静かです。
ふかい溜息をひとつ吐き出しますと、サンジはそのまま椅子に腰掛けました。煙草を吸う気にもならないのは、ただ疲れているからか、または気が抜けてしまったのでしょうか。
しばらくすると、継母と姉が戻ってきました。
気だるげな表情で出迎えたサンジにむかって、姉が話しかけてきました。
「バカね。そんなつまらなそうな顔して、だからアンタもくればよかったのよう」
サンジは返事をしませんでした。何故かする気にならなかったのです。
「今夜もあの女がきたわ。きれいなドレスだったわねい。まるで光の結晶のよう…。あちしの次くらいに美しかったわ」
もうなんと返事して良いか、
「そうそうそう!そういえば、あの女の胸がいきなり膨らんでたのよーう!昨日はあんなにぺったんこだったのに!あれはなんか詰め物してるに違いないと思うわけ。ガッハッハ!なけりゃないで、女も苦労するじゃなーい!あちしもないけど」
どんな顔して良いかもわかりません。
「でもね。あちしは見たわ」
姉が話し続けます。目をキラリと光らせ、
「姫が王子を蹴ってたわ。ダンスに紛れて、わからない奴らも多かったと思うんだけど、でもあれはあきらかに蹴ってたわねい。途中で血相変えて出て行ったけど、あれって王子はふられたんじゃないかしら?」
今度は高らかに笑いました。
「王子が追いかけるときのあの形相、まるで鬼神のようだったわねい、ガッハッハ!親の敵じゃあるまいし、あれじゃ女が逃げるのも当然よう!」
ふぅ。サンジはまた溜息を漏らしますと、「もう寝る」そういって席を立ちました。
嫌なことがあったら寝るのが一番です。
大丈夫です。明日になれば忘れてるに違いありません。そう、明日になれば、きっとみんなも全部忘れてくれることでしょう。
その翌日のことです。
国中に、あるおふれが出されました。
『昨夜、城内における舞踏会で、ガラスの靴の忘れ物があった。その靴がぴったり合う人物を探してる。心当たりがあるものは、すみやかに申し出るように。なお、近衛師団が実物を持参の上、各家を回って捜索を開始する。皆の協力を求む』
そのような内容でした。
サンジは目の前が真っ暗になりました。朝だというのに夜みたいです。
なんと根深い、王子は自分に蹴られたことを恨んでいるに違いありません。ですが、恨まれるのはお門違いです。自分だって散々な目にあったのですから、お互い様なのです。
そしてサンジは荷物をまとめはじめました。数枚の服と包丁、そして調味料を幾つか選んでバッグに詰め込みました。もうこれ以上の面倒はごめんです。係わりあいたくありません。こうなったら手っ取り早く逃げるに限ると、荷造りをしておりますと、
「ちょ、ちょっと何処に行くのようっ!!」
姉が引き止めました。
「俺は旅にでる。親父みたいに世界中を回って、腹を減らせてる奴には飯を、可愛いレディには愛を与えるんだ。だから」
止めてくれるな!そういって出て行こうとするサンジにボンクレーはしがみつきました。
「朝御飯も食べてなくて、腹を減らせてるあちし達はどーなるの!?せめて御飯が終わったらにしてくんない!まずはあちしに飯と愛を与えなさいよう!」
涙ながらに訴えられ、サンジは考えました。
捜索隊はまず各家庭を回るのです。それに大きな国なのですから、そう簡単にうちに来るわけがありません。朝ごはんくらい作るくらいの時間は、なにも問題ないでしょう。
ついでだから、かまどの掃除くらいしておいてもいいかもしれません。
しばらく不在するのです。鍋ももう一度きれいに磨いておこう、床もピカピカにしておこうと考えました。
そうこうする内に2日過ぎてしまい、3日目の夜に慌てて旅立とうとしますと、継母がいいました。
「ボーイ。何があったかわからないけど、夜道は危ないから明日にしたほうがいいんじゃナッサブル?」
心配してくれてるのでしょうか。珍しく優しい口調です。
ならば明日の朝は彼らのために山のように飯を作って、それから出て行こう。
サンジはそう決心しました。
その翌朝、サンジが早起きをして、家中の食材を使って飯をこしらえてますと、玄関を叩く音がしました。
「こんな朝っぱらに」
継母が出ますと、そこには十数名の兵士が立っていました。朝の来客、それは何本も国旗を掲げ、ある者は馬に乗って、それはそれは立派ないでたちをした、城の兵隊たちでした。
玄関に入りますと、豪華なビロードのクッションに鎮座した、ガラスの靴を出しました。
継母と姉は物珍しそうにそれを眺め、
「で、これを履いてみればいいわけ?」
姉がさっそくそれに足を通しましたところ、
「…あら、ちょっと小さいわねい」
寂しそうに呟きました。本当はちょっとではありませんでした。長身のボンクレーは普通の男性よりもかなり足が大きいのです。
その様子を見ていた兵士たちは落胆のあまり、がっくりと肩を落としました。
「困った…」
立派な体格をした男が非常に困った様子で、
「私は隊長のドルトンと申す。昨日、我らは千軒の家を回った。一昨日もゆうに千軒以上回った。だが、誰一人として合う方が見つからぬ。普通の女性には大きすぎる、大柄な女性でも大きい。女物の靴だがこれは男サイズではないかと考え、男にも履かせてみたが、それでも大きすぎたり小さすぎたりして何故か合わぬのだ。皆で思案にくれていると、ある兵士が『舞踏会で警備をしていたとき、かぼちゃのようなパンツを穿いていた方を見た。もしや、人並みはずれた風貌を持つあの方なら』と、招待客から必死で探し出して、今日は一番に伺ったわけだ。それでも駄目となると、もう何処を探してよいのやら…」
そういって、大きな溜息をつきました。
他の兵士たちも「見つからなければ城にも帰れぬ…」と、困りきった表情で、その顔には疲れが滲んでいます。
すると姉が、
「アンタたち困ってるのねい…。わかった。あちしにまかせて」
そういって、再びガラスの靴を手に、
「履けぬなら、履いてみせようほととぎす!」
足をギリギリとねじ込むように、無理やり履こうとして、「うわあああ!壊れる、壊れますっ!」兵士たちを慌てさせました。
「ボーイ。ヴァンタもそんなとこに隠れてないで、試しにみたら?もしかすると合うかもワッキャラナブルじゃない?」
継母の言葉に、サンジは心臓が止まるかと思いました。
せっかくキッチンに隠れていたのに、気づいた兵士たちが一斉に自分を見ています。
「…いや。だって俺んじゃねぇし…」
「ええ、わかってます。試すだけでも」
兵士がすがるような目で訴えます。
「実は」
サンジは毅然とした態度で兵士を見据えました。
「うちは母と姉、そして俺しかいねぇ。父の消息は不明だ。男は俺一人で、だから今は俺がこの家を守っている。こんな家でも俺達家族には大切な家だ。俺が守らなきゃ誰が守る?その俺がおいそれと履けるわけがねぇだろ。あんたらはこの家の主に女物の靴を履けというのか」
これから家を出て行こうとしてること等、いろいろ棚に上げてしまいましたけど、我ながら立派ないいわけだと思いました。ですが、
「…そうか。無理をいってすまぬ。だが試すだけでよいのだ。我らを助けるとおもって」
隊長のドルトンがすまなそうな表情で、サンジに靴を差し出しました。
「…いや。だから」
「本当にすまない」
なかなか容易に引き下がろうとしません。サンジは思い出したように、ポンと手を打って、
「お、そうだ!こうしちゃいらんねぇ。俺は大切な用事が」
その場を逃げようとしましたら、いきなり姉に手をギュッと握られてしまいました。
「……ごめ゛ん!」
手を握ったまま姉が泣いています。ボロボロボロボロと、大粒の涙をこぼして、
「あのね…」
透明な涙が頬を伝って流れ落ちて、
「…あのね、あちし、あちしも本当は男なの!ずっと騙しててごめ゛んねいっ!アンタがそんな風に考えていただなんて、アンタの男気に、あちしもう黙ってらんないっ!嘘ついてごめ゛んっ!!!」
涙ながらの告白に、サンジは唖然としました。何をいまさらと、握られた手を振り解こうとしたのですが、今度は泣きながらぎゅうぎゅう抱きつかれてしまい、どうにも身動きがとれなくなってしまいました。
「では、こちらをどうぞ」
履いている靴を無理やり脱がされて、
「ちょちょちょ、ちょっと待て!」
暴れようとするのを両脇から押さえつけられ、姉に抱きつかれてサンジも必死です。女装していたことがばれてしまいます。あれだけオカマを馬鹿にしていた自分が、実はオカマだったと誤解されてしまいます。一度ならず二度までもドレスを着たとあらば、もういいわけもできません。
「待てってば!冷静になって考えてみろ!普通の男はガラスの靴なんか履かねぇぞ!他所を探せ!」
「うんざりするくらい探しましたから大丈夫です。お姉さまも、あ、お兄さまでしたっけ、履いて下さいました。男気のある立派な方です。ですからあなた様も」
「…いや、俺にゃ男気なんてたいそうなもんは…。あ、あ、あああ、だからやめろって!全然大丈夫じゃねぇ!」
そんな抵抗もむなしく、
「うわああああああ!なにしやがる!勝手なことすんなあああ!」
ガラスの靴がその足にすっぽりおさまりますと、
「おや?」
「まあ?」
「なんと!」
「おおおおおっ!」
「まるであつらえたようにピッタリではないかっ!」
姉や継母、隊長のドルトン、そして兵士たちから驚きの声が上がると、「……も…うダメだ…」サンジは本当に白目を剥いて、そのまま後ろにひっくり返ってしまったのでした。
すまぬすまぬといいつつも、まだつづきます
2009/09.21