4.今宵もあなたと
「やべ。もうこんな時間か」
広間に響く時計の音に、サンジは我に返りました。白目を剥いて踊ってる場合ではなくて、いくらなんでもこの場で男に戻るわけにはいかないと、周りも顧みずに王子を放って広間から駆け出しました。
「てめぇだけ逃げるつもりかっ!」
なにやら後ろから怒鳴り声が聞こえますが、そんなのにかまっていられません。馬車がかぼちゃに、従者がネズミに戻ってしまったならば、かぼちゃを抱えて家まで歩いて帰らねばならないのですから。それでなくても、もういろいろうんざりです。
城の大きな階段を急いで駆け下りて、待っていた金の馬車に乗り込みますと、馬がすごい速度で駆けだしました。
サンジを追いかけた王子はといえば、追いかける振りして途中で進路を変えて、城裏の庭園へと走りました。また広間へ戻ったらば、今度は別の女をあてがわれるに違いないと、そのまま草薮へと消えてしまいました。
家に戻ると誰もいませんでした。継母と姉はまだ帰ってきていないようです。サンジは椅子に浅く腰掛け、タバコに火をつけました。
白い煙を吐きながら、磨きかけの鍋をチラリと横目でみて、明日の朝食は何にしよう、等とぼんやり考えました。嫌なことは考えない方がいいのです。楽しいことだけ考えよう、だけど楽しいことなんか全然思い出せなくて、サンジの口からふと溜息がもれてしまいました。
思い出したくないものほど、思い出してしまうのはどうしたことでしょう。
ドレスを着た自分が公衆の面前で男と踊ったこと。赤くなって青くなって気を失いそうになったこと。そんなことばかり思い出されてしまうのです。
手を取り合って腰を抱かれ、くるりと回されながら仰け反って、恥ずかしさに気が遠のくおもいで過ごしたあの時間は、認めたくないけれど事実なのです。
なんであんなことになってしまったのか。悶々と一人で考えておりますと、ようやく継母や姉が戻ってきました。
「なかなか盛大な舞踏会だったわ。あんたも一緒にくればよかったのに」
「頑固な眉毛ボーイ。青春は短いのに。楽しまなきゃ損するワッキャブル」
イワンコフとボンクレーが話しかけてきました。
そして、
「そういえばママン、王子と踊ったあの女は誰?見たことない顔だけど」
「ヴァターシも初めて見るわ。もしかすると貴族や王族の娘じゃないんじゃないかしら」
そんな二人の会話に、サンジの心臓がドキッと大きく跳ね上がりました。
「それにしても見事なドレスだったわねい。姫の胸はぺったんこだったけど。ガハハハハ!いやだ、私と同じじゃないのよーう」
お前と一緒にするな!と叫べたらどんなに気が楽か。でもよくよく考えたら姉と同じです。胸なんかなくて当たり前で、立派にオカマなのです。サンジは居た堪れずに二人から目を逸らし、咥えたタバコをギュッと噛み締めました。
「あんな綺麗な金髪見たことないわあちし。うちの金髪とえらい違いじゃない?」
同じだ同じ!同じ髪だ!このボンクラめ!そう怒鳴れたらば、いかほど気が晴れるかわかりません。
「ボーイ、ヴァナタにちょっと似てたッチャブルだわよ?」
心臓が危うく口から飛び出そうになりました。
「実は姫はあんたで、あんたはオカマだったと?ンガッハッハ!それじゃ姉妹になっちゃうわ!って、いやいや、いくらなんでも似てないわよ。お姫さまはこんなに人相悪くなかったわ。認めたくないけど綺麗だったわねい。あちしと同じくらい」
ボンクレーは思い出すように遠くを見ながら、
「…だけど」
小さく首を傾げました。
「踊りながら白目剥いてたような気がしたけど、あれは気のせい?」
眩暈がだんだん酷くなってきたようです。
気を失うことができたら、どんなに楽かわかりません。気を失って全部がなかったことになるならば、かまどに頭をぶつけてもいいくらいです。
翌日のことです。
姉は朝からもう大変でした。
衣装を引っ張り出しては取り替え、また着替えては別なのと交換して、部屋は足の踏み場もない有様です。
舞踏会2日目、今夜が最終日なのです。
「だから散らかすなといってるだろうがっ!」
サンジが目を三角に吊り上げて怒鳴っても、姉の衣装選びは延々と終わりませんでした。
「やっぱ、これが一番しっくりくるわ」
日もどっぷりと暮れた頃、ようやく姉が選んだのは、その背に堂々と『おかま道』と書かれた、ピンク色の派手な衣装でした。頭にふたつのボンボンを付けて、その背に何故か白鳥らしきものを背負って、かぼちゃのように膨らんだパンツをはいています。
――ついに開き直ったか。まんまじゃねぇか。
サンジは心で呟きました。
どうやらこれが姉の勝負服のようです。
何度も鏡の前で回っては入念なチェックを繰り返し、最後に満足そうな表情で、
「王子みたいな青臭いガキは興味ないけど、惚れられちゃったならちょっとは考えてやってもいいわねい。ンガッハァハッハ!でもやっぱガキは及びじゃないわ。顔洗って10年後に出直してきやがれってか?ガッハッハッ!ってこんな時間じゃないのよーう!」
笑ってる場合じゃないと、大慌てで家を飛び出していったのでした。
もうどこから突っこんでいいかわかりません。
散らかった部屋を掃除して、モップかけなんかしているうちに、サンジは手を止めて、ふと溜息を漏らしました。
継母の言葉ではありませんが、自分はこれでいいのでしょうか。
こんなことしてるうちに、短い青春が終わってしまうのでしょうか。
でも溜息ついたところで事態は何も変わりません。とりあえず今やるべきことは、かまどの掃除です。しばらく掃除してないので灰がたまっているのです。
ゲホゴホ咳き込みながらサンジがかまどの灰を片付けてますと、背後から声がしました。
「おい。灰だらけで楽しいか?それに比べ、昨日の舞踏会は楽しかっただろう。どうだ、俺様のミラクルな魔法は。感謝してもいいぞ」
振り返れば、またあの魔法使いが立っていました。
長い鼻を自慢げに立たせて、妙に誇らしげな表情です。
「……またきやがったか」
サンジはかまど掃除を放リ投げて、魔法使いを睨みつけました。言いたいことが山のようにあります。とりあえず苦情を言わねば、心安らかな夜がむかえられそうにありません。
「何だ、まさか不満でもあるのか?」
魔法使いが不思議そうに小さく首を傾げました。
「いいや。不満じゃねぇ。いいか、今からその長い鼻を」
ボキンと二つにへし折って、蹴って蹴って蹴って蹴って蹴り倒して、何処までも遠く、二度とそのツラを見ないですむくらい遠くまで、てめぇを空までぶっ飛ばしてやっから、楽しみに待ってろ。そう言おうとしましたら、魔法使いは「わかったわかった」と、手でサンジの言葉を遮って、
「あー、わかったから全部言うんじゃねぇ。ようするにアレだろ?」
杖を取り出しますと、
「そんなにあのドレスが気に食わなかったんか。意外と好みがうるせぇんだな」
言い終わるよりも早く、その杖を大きく振り上げました。
白い光です。
杖に導かれるように、たくさんの光が集まってきて、サンジはその光にすっぽりと覆われてしまいました。
ぐるぐるぐるぐる、目も開けられないくらいの白い光が、おおきな渦を巻いています。
「…え?」
パチンパチンと煌きの音が聞こえます。パァと花火が弾けたような白い閃光、それは光の結晶です。
そして光の渦がだんだん小さくなりますと、
「今度はどうだ?久々に会心の出来だ。そろそろ俺も免許皆伝か?」
魔法使いは、この上なく満足そうな様子で、にこやかに笑いました。
それは光のドレスでした。
生地は真珠よりも滑らかで、しかも金剛石で織り込まれた刺繍など見たことがありません。ところどころ黄水晶や斧石がやさしく光り、星のティアラは黄金の髪とその美しさを競うかのようです。
サンジは激しい眩暈に襲われました。目の前が真っ白で、頭がくらくらします。
呆気にとられ、金魚のようにパクパクと口をあけて、驚きのあまり声にならない様子で、
「……へ、は?」
意味不明の呟きを漏らしました。眩しくて眼も開けていられないのです。
「もう外に馬車の用意がしてある。おめぇが協力的じゃねぇから、今宵のために新鮮なネズミを捕まえておいたぞ。段取りがいいだろう俺様は、っていけね。忘れてた」
といって、何かを思い出したようにまた杖を振りますと、ドレスの胸のあたりが、ぷくんとふたつに膨れあがったのです。
「ひぃぃぃぃーーー!」
サンジはおもわず悲鳴をあげてしまいました。いきなり胸が膨れたのですから、驚くなというほうが無理かもしれません。
「せっかくのドレスもぺったんこじゃ台無しだからな。詰め物をしてやったぞ。イースト製の高級パットだ」
そしてサンジが怒鳴るよりも早く、ドレスごと馬車の中へと放り込むと、
「俺がしてやれるのもここまでだ」
魔法使いがまた杖を軽く振り上げました。
ネズミの従者は鞭を振り降ろし、かぼちゃの馬車は空へと飛び立ちます。
魔法使いが馬車に向かって、下から大声で叫びました。
「いいか、12時には戻ってくんだぞ!魔法がとけちまうからな!いくら楽しいからって、若い男がいつまでもふらふら夜遊びしてんじゃねぇぞ!」
サンジが馬車から顔を出して、
「…こっ、こっ、こっ、こここ、こっ、このやろ!てめぇ、そこで待ってろ!俺が戻るまで帰んじゃねぇぞ!動くな!いいか、絶対逃げるなっ!」
怒りに声を震わせ、時にどもりながら、同じく大声で叫び返しました。
「いやいや、礼にはおよばねぇ。名付け親として当然のことをしたまでだ」
魔法使いは笑いながら、
「アハハ、鶏みてぇな声だすんじゃねぇってば」
夜空を見上げ、
「俺も会えて嬉しかったぞ!」
大きく何度も手を振って、
「おめぇもしあわせになれよ!達者でなーーーーっ!」
キラキラと金の粉を撒きながら飛んでゆく馬車を、いつまでも見送ったのでした。
つづきます
2009/09.21