3.「…死ぬ」そう呟きますと、王子が楽しそうに






見事な巻き毛をした男です。年の頃はおそらく40〜50代、側近のひとりなのでしょうか。立派な体格と身なりをしています。
サンジを見て「ほぅ」と感心したように小さく呟きますと、すっと手を差し出しました。
その手を取っていいものかどうか、サンジは躊躇いました。こんなことをされたのは初めてですし、どうしていいものか迷っておりますと、
「さあ。お手をどうぞ。お嬢様」
男が優しく微笑みかけました。

「…お?」

お嬢様?
サンジは驚きました。本当に女性と間違えられたようです。確かに女装してます。ですが、いくら夜目とはいえ、普通男と女を間違えるでしょうか。オカマだと思われるのは困りますが、女性だと思われるのも心外です。
目をパチパチ瞬かせ、戸惑いを隠せずにいますと、
「ぶっ」
吹きだす音がしました。
見れば王子が声に出さずに笑ってます。

「こちらのお嬢様でよろしいのですね?」

そう聞かれて、王子の目が点になりました。
「…あ?え?正気かイガラム?こちらのって、これはお…」
男と言いかけたのか、またはオカマと言いたかったのかわかりません。ですが、王子はそのままギュッと口を閉ざしました。
口をへの字に曲げて、眉間に深い皺を寄せ、目を瞑ってうんうん唸りながら、しばらく考え込んでいた王子は、この世の不幸を全部背負ったような表情で、小さくゆっくりと頷いたのでした。
いくらオカマとはいえ同性ですから多少気が楽です。年頃も同じくらいでしょう。胡散臭い事情はありそうですが、でも香水臭い女を勝手にあてがわれるよりは、女に見えるオカマの方がマシ。そう考えたのかもしれません。
男はとても安心した表情になりました。
「さあさあ、王子もお立ちになってください。いつまでもそんな地面に腰掛けてますとお腹を冷やします。腹巻をしてないのですから」
「ぶぶっ」
その音がする方向へ王子が目を向けますと、声を出さずに顔だけで笑ってるサンジがいました。


王子とサンジが立ち上がります。
すると、
「おや。御髪が」
男はほどけてしまった金色の髪に目を止めました。
魔法で伸びてしまった髪は、まるで光の帯のように輝いています。月光に照らされ、どこまでも真っ直ぐに流れる様は、たとえようもない美しさです。
「なんと見事な」
男は何を思ったのか、庭に咲く花を摘みますと、その花をサンジの髪にさしました。
ドレスに似た色の、青く綺麗な花です。
「私は貴女様の髪を結ってさしあげることはできません。でもその花はとても良くお似合いですよ」
サンジはますますうろたえました。
ドレスを着て、髪を花で飾って、係わりたくない王子や側近に目を付けられ、この先どんなことになってしまうのか恐ろしくてたまりません。声は男のままです。反論でもしようものならば、女装してることがバレてしまうかもしれません。このままドレスを捲って、逃げてしまいたい気分です。
「さあ。こちらへどうぞ」
どうやってこの場を逃げるか、サンジは一生懸命考えました。

「…てめぇ、自分だけ逃げようって魂胆じゃあるまいな」
王子が誰にも聞かれないよう、小さな声でサンジの耳元に囁きかけました。なかなか鋭い勘の持ち主です。
「…勝手に俺の心を読むんじゃねぇ。それに今日はてめぇが主役の舞踏会じゃねぇか。何で俺が…」
「…俺だって好きでこんな。…オカマに俺の気持ちがわかってたまるか」
「…オカマオカマうるせぇってんだ。俺だって好きでドレスなんか着てるわけじゃねぇ」
「…とにかく、お前だけ逃げるのは許さん」
「…うるせぇなあ、ホントに…」
ぼそぼそ会話を交わしますうちに、二人はいつしか眩い光に包みこまれました。



大広間に入りますと楽隊は手を止め、部屋はしんと鳴りをひそめてしまいました。みんながおしゃべりをやめて二人を見ています。
導かれるようにその中央へ向かいます。すると、バイオリンが待ってましたとばかりにきれいな音を奏で、その後を様々な楽器が続きます。とてもロマンチックな曲です。
「……まさか」
広間の中央で、サンジは唖然としました。
「…ここで踊るんか?」
「…ダンスより喧嘩でもした方がマシだな。どうでもいいが、そんなツラすんじゃねぇ。オカマと踊る俺の身にもなってみろ」
そして王子が手を取って、もう片方の手を腰へと回しました。
「俺が女のステップかよっ!?」
「ドレスなんか着やがってるくせに、なにをいまさら。みしみし踊れ。俺の足を踏んづけたら承知しねぇぞ」
魔法使いのそそり立った長い鼻が、まざまざと目の前に浮かびますと、
「……あのヤロー……。殺す!やっぱ、ぶっころーーーすっ!」
サンジは大声で怒鳴りました。
ですが楽器隊の奏でる音に声はかき消され、それでも喚くサンジはくるくるっと回され、ドレスが青い海よりも美しく広がりますと、周りからわあっと大きな歓声が沸きあがったのでした。




もともと運動神経は人よりも良い方です。少し踊っただけで、女性のステップもなんなくこなすようになりました。
ですが、
「…あ、ナミさんが」
オレンジ色のドレスを見つけて目からハートを撒き散らし、
「…お近づきになりたかったぜ、王妃さま…」
二人を優しく見守る王妃を見て、それはそれは残念そうに、
「…やべっ。おい、場所を移動しろ。みつかっちまう」
そして継母や姉の姿を発見して、サンジは慌てて逃げようとしましたが、でもどこにも逃げ場がありません。
見つかるもなにも、大勢の者達が見ている前で、二人だけで踊っているのです。ですが、そんなことにも気づかないくらい激しく気が動転していました。

「おい。顔を赤くするな。気色わりぃ」
「…うるせぇ。気のせいだ灯りのせいだ…」
本当は恥ずかしくて恥ずかしくて、このまま気を失ってしまいたいくらいです。
豪華なドレスに高価なガラスの靴、そして髪には花が、腰を抱かれて女のステップと、男である自分が公衆の面前で男と踊っているのです。
恥ずかしさのあまり、どうにかなってしまうかもしれません。雨で濡れたガラス窓みたいに、目の前がぼやけています。ふらふら眩暈がするのはどうしたわけでしょう。
「ひぃぃ!」
仰け反ったり回される度に、小さな悲鳴を上げ続ける男を見て、
「白目剥くなアホ…」
王子はついに、ゲラゲラと声を出して笑ってしまいました。
白い頬を赤く染めたかと思うと真っ青になったり、そして目にはあきらかに涙が浮かんでいます。仰け反る度に白目を剥いて、気を失いそうになっている様子に、王子は笑いが止まらなくなってしまいました。
こんな面白いものを見るのは初めてです。
足は軽やかなステップを踏みつつ、なのにターンすると「ひぃ!」と悲鳴をあげ、その身体を強く抱き寄せると「…や、やめっ、ききき、気持ちわりぃ!」と顔を引き攣らせ、その表情もリアクションも、すべてが例えようもなく楽しいのです。
時間を忘れて踊るうちに、12時15分前を知らせる時計が、ボーーーンとひとつ、大広間に鳴り響きました。





まだまだつづきます


2009/7.27