16.怒鳴り声が冬空に
朝からずっとふわふわふわふわ粉雪が舞っています。
昨夜から降り続いた雪は、サンジがせっかく雪掻きした場所をまた白く塗りかえてしまいました。
「……クソがっ」
どんよりとした灰色の冬空を睨むように見上げ、小さく舌打ちして、
「自然に文句をいってもしゃーねー。俺がもう一度雪掻きすっから、てめぇは下からレンガと木材を運んどけ」
そう指示しますと、サンジはスコップを手に、さっそく雪を掻きはじめました。
意外と慣れているのでしょうか。それはそれは恐るべき手際の良さで、白い雪の塊はどんどんどんどんなくなっていって、そして作業しながら背後で立ったまんまの王子に話し掛けました。
「これが片付いたら俺も一緒に運ぶ。あ、そこにある手押し車を使っていいぞ。いやさ、てめぇのとうちゃんが頼んでもいねぇ橋を勝手に作ってくれてさ、おかげでそれが使えるようになったわけだ」
「親父?」
「そうだ。俺が運んだ材料は全部橋にされちまった。最初より時間がかかんねぇのはいいか悪いかは別にして、荷車が使えるようになった」
話しながらもサンジは手を休めません。王子はふんと鼻を鳴らしますと、粉雪が舞い落ちる中、荷車を押して下へと降りて行きました。
よっほよっほ。
二人が荷物を運びます。
よっせよっせ。
冬だというのに二人の額から珠のような汗が飛び散り、無言で黙々と荷を運び続け、ようやくその作業が終ったのは開始からおよそ2時間後のことでした。
「さすがに二人いると早ぇ」
運び込まれた物を見て、サンジが満足げな顔でタバコに火をつけました。
ふう、と空に向かって白い煙を吐いて、
「だんだん明るくなってきた。午後にゃ晴れるかもな」
ひとり呟くと、
「よっしゃ。昼間までもう踏ん張りだ。枠組みだけ作っちまうから」
腕まくりして、
「おい。てめぇ、木は切れんのか?」
王子に聞きました。
「木?」
「だから、木を切ったことあるかって聞いてんだ。そこに長い材木があんだろ。あれを」
そういって懐から図面らしき紙を取り出すと、何10センチの長さのものを何本、切り口の角度は何度と、細かい指示をだしました。
「何で切るんだ?」
王子が訊きました。
木など切ったことがありません。生まれてこのかた、のこぎりなど持ったことも触ったこともないのですから。するとサンジはなんて当たり前のことを訊くのかといった表情で、
「アホか。てめぇは立派な剣を何本も持ってんだろうが。それでちょちょいとだな、いいか、スパッと斬れ。スパッとだぞ。切り口は美しいにこしたこたぁねぇ」
と偉そうにいうのを聞いて、王子が血相を変えて怒鳴りました。
「バカ抜かせっ!!俺のはそんなことする為にあるんじゃねぇぞ!ふざけんのもたいがいにしろっ!何がちょちょいで切り口は美しくだ!てめぇでやれ!!」
唾を飛ばして怒っています。
そして怒鳴られたサンジはいつものように怒鳴り返すでもなく、ただニヤニヤと笑いながら、タバコの先をすっと王子の胸へと突きつけました。
「再確認させてもらうが]
前置きして、
「まさか忘れたわけじゃねぇよな?よもや約束のひとつも守れねぇとか?」
そういいますと王子は眉をピクピクっとさせ、奥歯をギリギリ鳴らし、黙ってその場を立ち去ったかと思うとすぐに立派な剣を手に戻ってまいりました。無言で剣を抜き、そして木を睨み、大きく振りかざしますとあっという間に指定どおりの木材の出来上がりです。
「やりゃできんじゃねぇか」
ニヤッと笑い、
「それが終わったら俺が戻るまでに土を捏ねておいてくれ。ひとっ走りして厨房で飯作ってくる。知ってるか?今日から明日までイガラムが出掛けてんだぞ?」
アハハッと嬉しそうに高笑いして、サンジは汚れた前掛けを放り投げ、そのまま厨房へと走っていきました。
しばらくしてサンジがバスケットとポットとカップを手に、飛ぶように戻ってまいりました。
二人して積んだレンガに腰掛け、
「これに挟んであるのはフライとピクルスだ。この白いソースは服に垂らすんじゃねぇぞ。たしか海獣はてめぇの好物だったよな?それとこっちのパンには」
ひとつひとつ説明しながら熱い紅茶に温めたミルクをたっぷりと注ぎ、それを王子に手渡します。
ですが渡された紅茶には口をつけず、そのまま横に置いて、おもむろにパンにかぶりつきました。大きな口でガブッと齧り付き、もしゃもしゃ口いっぱいに頬張りながら、ひとつめを食べ終わると紅茶を飲み干し、すぐにふたつめのパンを手に取りました。
サンジは王子から少し離れた場所で、タバコに火をつけました。
そして空に向かってふうと煙を吐き出しますと、ゆらゆらゆらゆら冬の空気に溶けていきます。
昼少し前くらいからでしょうか。小雪もやんで、いつの間にやら厚く覆われた雲の間から、弱々しいも明るく、きれいな光が漏れてきました。久々に見る冬の太陽です。そんな空に白いタバコの煙がゆらり流れていきました。
午後になっても二人の作業は続きます。
手際よく、そして丁寧にひとつづつレンガを積み重ねていきました。
午後のお茶の時間になりますと、サンジはお茶と一緒にじゃが芋のパイユを作ってきました。一応フォークは添えてあったのですが、王子は当然のようにそれを手掴みで口に運びました。
むしゃむしゃむしゃむしゃ、頬を膨らませて無言で口を動かす王子の隣でサンジが図面を広げました。
「……ここに引き込むだろ…、すると、この高さだと広配が取れねぇ、となると…もっと…」
なにやらぶつぶつとひとりごとを言っています。
王子が食べ終え、お茶を腹に流し込み、ふうと大きく息を吐くと、サンジがいきなりキッと隣に座る王子を睨みつけました。
「なんで俺のシャツの裾で手を拭くんだ!雑巾じゃねーぞ!!このやろ、黙ってりゃ気づかねぇとでも思ったかクソ野郎っ!!!」
目を吊り上げて怒鳴るのを無視して、王子は大きな欠伸をしました。
いつもならば鍛錬を終え、一眠りしている時間です。また指先を擦るようにして油汚れを確認してから、もうひとつながーーーい欠伸をしたのでした。いつの間にやら雲の隙間からは、きれいな青空がのぞいています。
夕方にはもうすっかり陽が傾いてしまい、あっという間に空気までどんどんどんどん冷たくなっていきます。
サンジが大きなくしゃみをしました。
「…クソ寒み。チクショー、後もう少しだってのに…。寒くてやってらんねぇ」
鼻をグズグズ鳴らす隣で、一日かけてこしらえたものを見て、王子が小さく首を傾げました。
「何だこれは?ゴミ捨て場か?」
「ゴミ捨て場?」
「違うのか?」
「…違うもなにも、何を作ってるか知らねぇでやってたんか?アホすぎったろ」
そう吐き捨てると、王子の眉がピクッと上がりました。
「ボケ。最初になにも説明しなかったのはてめぇだ」
「自分だって何も訊かなかったくせに、なんでもかんでも人の所為にすんな」
「ドアホッ!俺が少しでも口を開こうもんなら、嫌味いうなだの文句抜かすなだの、いちいち煩ぇことばっかいいやがって!」
そんな状況であれこれ訊けるかと王子がサンジを睨みました。
「あ?もう期限切れか?」
サンジがきょとんとした顔をしますと、
「何が期限切れだドアホッ!黙って大人しくしてりゃ、さんざ人のことこき使いやがって…!ゴミ捨て場に期限もクソもあるかっ!俺の刀をなんだとおもってやがる!親父の趣味なんか知るかっ!」
待ってましたといわんばかりに立て続けに文句をいいはじめました。
耳をほじりながら面倒そうに聞いていたサンジは、陽が落ちる寸前の空を見上げました。空にうかぶ灰色の雲は橙色に焼け、空気が冷えてキンキンして、そして何処からかカラスの鳴声が聞こえてきます。
「お。カラスが鳴いてる」
「だからなんだっ!」
「いや、鳴いてんなぁと思ってさ」
「それがどうしたってんだ!!」
そんなのおかまいなしで王子が唾を飛ばしながら大声で怒鳴ります。訳もわからずこき使われたのが余程腹に据えかねたのでしょう。なんせ生まれついての王子さまですので、幼い頃から働いているサンジと違って、こんな仕事は生まれてこのかたしたこともなければ、やれと言われたこともありません。
サンジがまた空に目を向けました。端から群青色に染まってきています。どうやら夜が降りてきたようです。
「もう陽が暮れっから、いつまでも喚いてないで早く帰れっていってんだろ。ギャーギャークソ煩せぇてめぇよりカラスの方がよっぽど利口だ」
すると王子の目が見事な三角になりました。
「どっちが賢いかは知らねぇが、てめぇよりカラスの方が利口なのはたしかだ!この大馬鹿めがっ!」
だからお前はぐるぐるなんだ阿呆なんだと文句を言い続け、そして合わせたかのようにサンジの目まで三角に吊り上がりました。
「いつまでもごちゃごちゃ煩せぇっ!こんなクソ寒みぃところでバカなんかかまってられっか!文句があんなら塔の上でひとりで吼えてろ!」
「煩せぇっ!てめぇこそ壁に向かって怒鳴れ!うっとおしい!!こっち見んなぐるぐる!」
「はぁ?訳わかんね、つうか誰がてめぇなんざ見るかっ!」
怒りのあまり金色の髪がぶわっと逆立ち、
「だから俺に向かって怒鳴るなといってるんだ!指図もするなっ!!」
物騒な顔した王子が抜刀して、
「カァ」
と、カラスが一鳴きして、
「喧嘩売ってんのかクソ野郎!上等だあああああ!」
サンジの脚がふわりと舞い、そして、
「カアア」
甲高く、澄んだ鳴声が、深い藍色の空に遠ざかっていきました。
つづきます
2013.12.11