17.それでもゲームは続きます






その数日後のことです。
サンジは王子を連れ立って塔の階段をあがっていきました。延々と続く、狭い石の螺旋階段、ようやく上まで昇りきるとそこには橋が架かっていて、さほど大きくはありませんけれど、出来たばかりの新しい橋のようです。ところどころ細やかな装飾も施され、小さいけれどとても丁寧な造りに見えます。
「これ、てめぇの親父が造った橋な。俺以外に需要があんのかどうかはしらんが」
王子をチラリと見て、
「な?無駄に立派だろ?」
つまらなそうな顔で問いかけますと、
「この前聞いた。同じことを二度もいうな」、王子は負けず劣らず興味なさそうな顔で返事をしました。
「………毎度のことながら、話がろくに続きやしねぇ」
露骨に舌打ちして、彼は空に向かって顔をあげました。
「青空だってのに」
いつもどんよりと寒々しい冬空が、今日は珍しく晴れています。真っ青な、それはそれは透きとおった、まるで天にも届きそうなほどにきれいな青です。
「ようやく出来上がったってのにさ」
今度は小さな溜息をついて、
「…なのにてめぇなんかに、つうかてめぇしか誘う奴がいねぇ俺が、俺は気の毒でしょうがねぇ」
なにやらぼそぼそ呟やき、そしてくるりと振り返りますと何故か誇らしげな表情で、こういいました。

「どうだ?」


大きなお城の南の塔の一角、高く、長く、平らなその場所に、なんと温かな湯が湧いているではありませんか。
つい先日のこと、レンガを組み立てたり、刀で木を切ったりしてこしらえたところで、温かそうな湯気がもわもわもわもわ立ち昇っています。
きちんと六角に形作られた赤茶色のレンガ、中からはコンコンと湯が湧き上がり、溢れ出た湯は透明な流れとなって細い水路から塔の壁を伝い、下へと流れ落ちていきます。
「なんだ、これ?」
王子が不思議そうに首を傾げました。
小さな小さな丸いお風呂のような変なもの、このようなものを見るのは初めてです。
「ロテンっていうんだと」
ようするに屋外にある風呂だと説明するなり、いきなりサンジが服を脱ぎ始めました。
上着のみならずズボンやパンツまでパッパと無造作に脱ぎ捨てますと、そのまま湯の中へと入りました。ザブンと湯音とともに溢れて、ザザッと流れていきます。水路から溢れた湯は、石畳に積もった雪の塊をみるみるうちに融かします。
「…ふぅ……」
気持ち良さそうな顔で眼を閉ざし、大きく息を吐き、
「突っ立てないで入れ。製作者の端くれならば」
そういって湯船から王子を見上げ、彼にニッと笑いかけました。





レンガで造られた六角形のその入れ物は、さほど大きいわけではありません。どうにか膝折らずに、大の男が二人で入れるくらいの広さでしょうか。
サンジに向き合うような形で王子が腰を下ろしました。
両腕をレンガにかけ、王子はずっと眼を瞑ってましたけれど、しばらくしますとサンジと同じように、気持よさそうに大きな息を吐きました。
「…ふうぅ……」


「どこから湯を引いてる?部屋からか?」
薄目を開けて王子が問いかけます。
「俺も最初はそれを考えたが、距離や勾配や水圧とかの関係でできそうもねぇ。で、どうしたもんかと思ってたら、ここってすぐ近くに源泉があってさ、お前知ってたか?でな、かなりの湯量だし、これならってことで問題解決だ。この城ってさ、沸かさないでもお湯が出んだろ?最初は魔法かと思ったもんな、マジで」
あまり興味のない話題なのか、王子は「ふうん」と小さく2回呟き、またすぐに眼を閉じてしまいました。口元が微かに緩み、その表情はどことなく機嫌が良さそうです。
「おい、イガラムにばれると面倒だからいうんじゃねぇぞ」
そうきちんと念を押して、サンジもまた眼を閉ざしました。

澄んだ冬空は高く、宇宙が透けそうなほど真っ青で、その空気は氷のようにキンキンに冷たくて、温かな湯気は真っ白な塊になってもわもわもわ漂い、そんな空気の冷たさと湯の温かさと気持ちよさに王子はだんだんと気が遠くなってきて、どれくらい時間が経ったのか、ふと眼を開けてみますと湯気の向こうで男が空を見上げておりました。
青い眼が青い空をじっと見ています。

「前にも」
そう呟き、王子は思わず口を閉ざしました。自分で自分の声に驚きました。いつの間に声に出てしまったのでしょう。
「前にも?」
途切れてしまった会話を繋ぐように、サンジが話の続きを促します。
実は、王子はあることを思い出しました。
結婚した、最初の日のことです。その晩、お湯がどうのこうの、そしてお湯がもったいないから一緒に入らないかと自分に云わなかったでしょうか。
そんな些細なことです。
王子がひとつ、小さな息を吐きました。
「なんで知ってる?入ったことあるのか?ロテン?」

「いや」
サンジがまた空を見て、
「親父が、俺のな、もうずーーーーっと会ってねぇ、生きてるのか死んでるのかわからねぇ、俺の親父が昔」
と、話し始めました。


それは彼がまだ小さい頃の話です。
久しぶりに父が家に帰ってまいりまして、とても嬉しかったサンジは父のためにたくさんのお湯を沸かしました。
その日は雪混じりのとても寒い日でしたので、温かいお風呂に入ってもらおうと子供ながらに思ったからです。
何度も何度も水を汲んできてはかまどで湯を沸かし、その沸いた湯をどんどん運び、ホーローのバスタブがいっぱいになると、そこに父が待ってましたとばかりに入ってお湯を溢れさせ、気持ちよさそうに顔を洗って、そしてサンジにこう言いました。
「お前も一緒に入るか?気持ちがいいぞ」
そんなことは初めてす。でも父にそういわれたのが嬉しかったのか、サンジは慌てて服を脱ぎ、あまり急いだからか服に足を引っ掛け転ぶのをみて、無愛想な父が眼を細めました。
親子水入らずのお風呂、そして父がこんな話を聞かせてくれました。

遠く遠くにある、山からいつも煙が出ていて、たまには火を噴く、島中がゆで卵のにおいの、ある小さな島に行った時のことです。その島にはいたるところにお風呂がありました。
こんこんと一日中お湯が沸いていて、大きなお風呂や小さなお風呂、そしてなんと外にもお風呂があって、その周りでは草木が生え、そして昼は青空の天井、夜になれば星空が天井になるというとても変わったお風呂です。
そんないろいろある中には、男の人も女の人も一緒に入ることのできるお風呂もあると、まるで夢かおとぎ話のような話にサンジは幼い胸をときめかせました。
自分も父のように大きくなったらその島にいって、きれいなおねえさんと一緒にそのお風呂に入ってみたい。
ふと、義理の母と姉の顔が頭を過って、サンジはそれを打ち消すように激しく頭を振りました。
母と姉が家に来たばかりの頃です。
それから父がこういいました。
「大人になると酒を飲む。すると酔っぱらう。酔っぱらうとつい本音が出ることもある」
よくわかりませんが、とりあえずサンジが小さく頷きます。
「大人も子供も風呂に入る。裸だ。すっぽんぽんだ、俺もお前も、何も隠せない」
こくこく頷きます。
「相手が何を考えているか、どんな奴かわからなくても、いろんな話をして酒を交わせば多少なりともわかることがある」
そして、
「お前はまだ知らないだろうが女と一緒に風呂に入るとそこは天国だ。若いのはもちろん、多少年はいっててもたとえ顔が残念であっても女はいい。だがいけ好かねぇ奴は駄目だ」
眉間にしわを寄せ、首を左右に振ってから、
「だが仲間なら、もしくは…」
サンジを見て、
「出会いは運じゃない。縁だ。わけのわからん奴だと思っても自分と繋がってることがある。そんな奴とはとりあえず話せ、酒を飲め、風呂に入ってみろ。少しだけわかることがあるかもしれん。あの島の露天風呂は最高だった」
思い出を噛みしめるかのように、そのままぎゅっと目を閉ざしました。
それを最後に、父は一回も家に戻ってきておりません。


「で、あのオカマとも一緒に風呂に入ったと」
「は?あのツラで図々しくも姉だと言い張った奴とか?無茶いうんじゃねぇ」
王子は湯でばしゃっと顔を洗って、
「…確かに気持ちがいい」
小さく呟きました。
と、その時です。
黒いものが突如王子の視界に入ってきました。
それは黒く、まるで弾丸のようにこっちに向かって一直線に飛んできます。
王子の眉がピクッと上がり、不穏な気配を感じたサンジが振り返る間もなく、その物体は電光石火で彼から金色の髪を一房奪っていきました。
真っ黒なカラスです。
「いっでえええっ!!」
頭を押さえてサンジが喚き、
「……あのクソカラスめ、またしても、…もう、もう絶対に許さねぇ…!祟りがなんだ、誰がなんといおうとおろしてくれる!!!降りてこいクソッタレてめぇ逃げるな勝負しろ!あたまのてっぺんから丸焼きだこの野郎おおおおお!!」
仁王立ちになって、大声で怒鳴りました。

青空にむかって、怒りの拳をブンブンと振り上げる男に、
「おい」
王子が、
「いいから座れ」
声をかけ、
「そんな粗末なものを、俺の前でぶらぶらさせんじゃねぇ」
そういって、下からお湯をぴゅっとサンジめがけて飛ばしました。勢いのある飛沫が、剥きだしの股間を直撃です。
「…え?」
きょとんとした顔で、
「粗末?てめぇのと変わらねぇ、よ、な?」
何故か慌てて自分の股間を手で覆いますと、
「またハゲなんかこさえやがって阿呆め。もう生えてこねぇぞ」
王子の返事に、彼は言葉にならない言葉で怒鳴りました。
「*−※▽?▲!!!!!!!!!!」
ハゲとか粗末とか好き勝手いわれ、怒りのあまり言葉にすらならなかったのでしょう。金色の髪をぶわっと逆立て、鬼の如く目を吊り上げ、歯を剥き出し怒鳴りながら顔を真っ赤にして憤る男を見て、王子がブブッと吹出しました。
サンジが怒鳴ります。
「な*っ■、…●×…だっ!!!!!!」
笑われたからでしょうか、なにやら激しく抗議をしているようですが、まったく言葉になっておりません。
ますます王子は笑いが止まらなくなってしまいました。ゲラゲラゲラゲラ腹を抱え、ゲラゲラゲラゲラ大声で、カンカンになって怒る男を前にして、仰け反ってはそれはそれは楽しそうな笑い声が空に響き、

「カァァァァーーーーー」

遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、真っ青だった美しい空は、いつしかまただんだんと灰色の厚い冬雲に覆われていったのでありました。












ようやくいい感じになってまいりました。気のせいじゃないはず。もうちょい続きます。
こんな更新ペースに付き合ってくれているあなた、感謝です。


2014.11.14