15.さあ、ゲーム開始です






「よいやっさーーー!」
大きな掛け声と共に、サンジは朝からずっとひとりで、何度も何度も上と下を往復しています。お城の塔へと続く狭い階段です。
なにやら重そうな麻の袋を肩に担ぎ、いったい何を運ぼうとしているのか、冬だというのに額には珠のような汗が滲んでいるではありませんか。
お城のとある一角に、平らで、とても眺めのいい上に殆ど人が来ないという、そんな場所がありました。大きく広いお城なのでそんなところもあるのでしょう。いつの間にそんな所を見つけたのかわかりませんが、そこへとサンジは荷物を運んでいるようです。
高いお城の上からは、周りの景色がよく見えます。春から夏にかけては色とりどりの花や麦やたくさんの緑に囲まれて、とても美しい大地の絨毯となります。
ですが、今は塔も森も畑も街もぜんぶ雪で蔽われ、遠くに見える山までずっと真っ白でした。
サンジが今いる塔の一角もまるでクリームのようです。誰一人踏み入れたことのない、純白の美しい雪を惜しみなく掻いてはまた荷を運びました。
いったい何をしようとしているのか、そんなサンジの上で塔の上で旋回してる黒いカラスが「カァ!」と一際澄んだ声で鳴きました。



暖炉で火が燃え盛っています。
火掻き棒でつきますと、薪がバチッと大きな音で爆ぜました。そして小さな火の子がパラパラと舞い散り、そこからもらい火してサンジが煙草をぷかーと吸い、そのまま暖炉の前で胡坐をかきました。
ぷかーぷかー、ゆったり漂う白い煙よりも、火を眺めているサンジの方がずっと暇そうで、そんな彼の隣に王子が腰掛け、サンジが黙っていますと王子も黙ったままで、ふたりでただ火を眺めておりましたら、王子がボソッと話しかけました。
「ミミィはどうした?ここんとこ持ってこねぇが」
ミミィとはパンの耳のことです。王子はそれを食べたいとか、旨いといったことなど一度もありません。彼はこれでも王子さまなのですからもっと美味しいものだってたくさん食べているはずなのに、サンジが持ちかえったミミィをいつも頬を膨らませながら食べます。少し嬉しそうな顔をします。もしかすると気に入っているのかもしれません。
するとサンジが、「……厨房が」そういって低い声でぼそぼそ呟き、それから大きな溜息をつきました。


「イガラムが?」
「そうだ。どこまで知ってるのか怖くて聞けねぇけどさ」
サンジの話によりますと、
「近頃、厨房でお仕事をしてらっしゃるとの噂が小耳に入りました。まさかと思いますけど真相をお聞かせ願えますでしょうか?」
イガラムから単刀直入に切り出されたと、それはそれは面白くなさそうな顔で、咥えタバコのまま下唇を突き出しました。

「え?し、真相?」
正面から問われ 若干どもりつつ、
「いや、なんつうか、別に俺は、だって俺はコックじゃねぇから…、でも、どこからそんな噂が…?」
曖昧な返事をするもイガラムは視線を逸らさず、サンジの目をじっと見つめました。まるで心の奥まで覗くかのような眼差しです。
「どこから出た噂かわたしにはわかりません。さきほども申しましたとおり、ただ小耳に挟んだだけです。コックでもないのに厨房でコックのように働いているはずなどないと信じてよろしいですよね?ご存知のように、あなたのお仕事は別にあります。覚えなければならないことも、これからまだまだ山のようにあるのですから。政治経済はもちろんのこと、語学や歴史、何度か申し上げておりますが歴史といって馬鹿にしてはいけません。王家の歴史や国の歴史、これこそ幾度もお伝えしておりますけど、古きを学ぶということは」
蛇に睨まれた蛙のように目を逸らすことができず、聞きたくもない話を延々かたられ、挙句に、
「パンは趣味で焼く程度になさいませ」
大きな釘を刺され、
「ただの釘なら引っこ抜けばいいだけだが、それからというもの小腹が減ったといっては足繁く厨房にきて、つまみ食いしてばっかしやがって、おかげで食料は減るしうろちょろされて邪魔でしょうがねぇと他のコックは怒るし、そんなことに俺が行けるわけねぇよな?ありゃ絶対見張ってるに違いねぇ…」
そういって今度はあからさまに大きな溜息をつきました。
余談ですが、頻繁に厨房に出入りするようになって、イガラムは20kg太ったようです。
そして、
「最後にもうひとつだけよろしいでしょうか」
とどめのように、
「でも、と、だって、は言い訳がましいのでおすすめできません。男子たるもの、何時いかなる時でも潔しとならなければ。きりっとなさいませ」
そう言われたとサンジが頭を抱え、
「なァ、それって俺が嫁だからか?なんかしんねぇうちに嫁にされちまってさ、自分でも気づかねぇうちに女々しくなっちまったんか俺は?」
最後に大声で怒鳴りました。
「チクショーーーー!もう嫁やめてえっ!!つうかヤメだヤメ!だから男じゃ無理だって!いまさらだが生産性が全然ねぇ!いくら豪華なベッドにてめぇと一緒に寝てたってガキができるわけじゃなし!できたら無茶苦茶怖ぇ、つうか死にたくなんぞ!しかも料理や掃除すらできねぇ!?好き好んでしたいわけじゃねぇが、長年染み込んだというか、ようするに男の俺がなんで嫁なんかやってんだって話だよな!?まずはそこから間違ってんだろうがっ!根本から全てだ!」
間違っている、納得がいかん、理不尽だと吼えています。
ああ見えてもイガラムは武人出身です。そこらへんがサンジの気持ちといいますか、男のプライドのようなものに引っかかったのもしれません。
いつまでも喚き続けるサンジの隣で、王子は無言で紙をくるくる丸め、それを耳に詰め込むとごろっと横になり、大きな欠伸をしてそのまま目を閉じてしまいました。



そのような事があって、だからと熱心に講義を受けるでもなく、そうしてるうちにサンジは数日前からひとりでなにやら始めたようです。
どこから集めたのか重いレンガをせっせと運び、土を運び、バケツやら木材を運びこんで、なにやら作っています。
人目のつかない場所で、時折図面らしき紙を睨みつつ、なんだかんだしておりますとそこへ意外な人物がやってきました。
「よお」
と、まるで街角で会ったかのように気さくに声をかけてきた男は、それはそれは豪華なマントを羽織っておりました。
「こんなとこでなにしてやがんだ?」
なのに下はパンツだけで、、
「む。いいレンガじゃないか。何を作るつもりだ?」
積み置いた物を手にすると、
「ったく、俺に黙ってこんな楽しそうなことを…」
王様はまるで魔法のようにマントの中から金槌を取り出しますと、
「よし。俺様にまかせとけ」
頼まれもしない作業を勝手に始めてしまいました。
土を捏ねてレンガを重ね、それはそれはどこぞの名工と呼んでもいいほどの手際の良さと素早さです。
「あ、ああ?あ、あ、ああ?ちょ…、ちょっと待て…」
サンジはたいそう慌てました。
「なんで、なんで、橋なんか…!?だああああああ!!!勝手なことしてんじゃねーーぞこらっ!!つうか、なんで金槌なんか持ってんだ!?あんた王様だろっ!」
いくら王様でも許せなかったのでしょう。勝手なことをされ、怒りのあまり敬語を使うどころではありません。王様をあんた呼ばわりで怒鳴りました。
パンツの王様が作ったもの。それは城の塔と塔を繋げる、それはそれは見事な橋です。細部には丁寧な装飾まで施されていて、なのにサンジから怒鳴られ、「俺の趣味だ。金槌持っててなにが悪い。俺は生まれ変わったら世界一の大工になるはずの男だぞ」そういって不満そうにむにゅっと下唇を突き出しました。
「趣味?大工?」
すると王様は、
「それにしてもお前、こんなとこで寒くないのか?まわりは雪だらけだぞ?雪だらけ?雪?うおおおおおおおお寒っ!」
いま気づいたかのようにブルブルと寒そうに身を縮ませるのを見て、「だったらズボンはけば?」冷たいツッコミを入れるサンジの頭上で、カラスがぐるぐる旋回しました。


昼間はともかく、さすがに夜になるとそんなことはしていられません。外は氷点下です。
夕方には部屋に戻り、お風呂に入って冷えた身体を温め、そして用意された食事をするともうすることがなくなってしまいます。
いえ、他にすることはあるにはあるのですが、出来るだけ本なんか読みたくないサンジにはそんな選択肢など端からありません。
そして王子も冬になって鍛錬の時間が短くなったのか、部屋にいることが多くなりました。
暖かい暖炉の前で、王子は酒を飲み、サンジはタバコをゆくらせ、二人でぼうっと火を眺めておりますと、何を思いついたのかサンジがいきなり立ち上がり、荷物やら衣装箱をごそごそ漁りはじめました。
いったい何を探しているのでしょう。
そうこうしているうちに、
「あったあった!」
と、小さな箱をそのまま王子と自分の間に置きました。開ければ、箱の中にはたくさんの絵札が入っています。
「カード?」
王子が不思議そうな顔をしました。
「そうだ」
シュッシュと慣れた手つきでカードを切りだすやいなや、
「まさかと思うが、今からポーカーでもやるつもりか?」
それはそれはやる気がなさそうな欠伸をしました。
彼の額には、目には見えない太い字で、『めんどくさい』とハッキリ書かれております。
「別にポーカーでもかまわねぇんだけどさ、ここはやっぱスピードだろ」
「スピード?」
「まさか知んねぇとか?」
「知らん」
「マジでか?」
「悪いか?」
「…いや、ほんと、どんだけ王子さまなんだってさ。つうかスピードは庶民の遊びだったのか」
サンジは舌打ちして、ざっとゲームの説明をしました。そして、
「わかったか?わかったよな?大丈夫だろ?そんな難しいゲームじゃねぇしさ、いつも筋肉ばっか鍛えてるからといって、よもやこんな簡単なのが1回で理解できないほどバカじゃねぇよな?」
失礼ないい方で、微妙な位置で首を傾げたままの王子を無視して、
「そうだな。ガキじゃあるまいし、ただゲームしてもつまんねぇ。賭けるぞ。といっても初めてだ。ハンデはくれてやるから心配すんな。5回戦だ。5回のうち1回でも勝てば、てめぇの勝ちでいい。どうだ太っ腹だろ?」
いうなり、返事を待たずにさっさとカードを並べ始めました。



憮然とした面持ちで王子は手持ちのカードをじっと睨みます。カードに穴でも開きそうなほど鋭い視線です。すると、
「いくら眺めてもてめぇの負けだ負け。しょうがねぇよ、最初だしさー初心者だもんなー」
そういいつつ、
「何を隠そう、俺はスピードキングと呼ばれた男だ」そういってサンジが声高らかに笑うのを見て、王子の眉間の皺はますます深くなりました。
ろくな説明もしないで勝手に始め、しかも自分の承諾なしで、あろうことか理解できなければバカ呼ばわりと、どれもこれもかなり理不尽だと思うのですが、それをどう口で表現していいか王子はわかりませんでした。完全たる負けです。ぞんざいな説明に1回目などルールすらわからないうち負けてしまいましたけれど、でもどんな形であれ負けは負けで、後からでは何をいっても言い訳にしかならないのです。
などと、いくら頭で理解していても、やはり納得がいかないのは仕方ないことかもしれません。王子はえらい仏頂面でカードとサンジを交互に睨みました。
かたや勝者たるサンジは何がいいかと考え始めたようです。
別に最初から目的などなかったのでしょう。ぶつぶつ独りごとを言う様は、まさに頭の中がだだ漏れ状態でした。
「…物っていってもな。お城だから大概のものは揃ってるし、てめぇは王子さまで欲しい物は何でも手に入るし、できるなら俺と離縁して欲しいがそうも簡単にいかねぇだろうし。可愛い嫁さんが欲しかったけど今じゃ俺が嫁もどきだしな。かといって包丁や鍋をもらっても使える場所がねぇとなりゃ、いまさら欲しいものなんか…」
そして何が思いついたのか、ニカッと王子に笑いかけました。

「てめぇの時間」
指を一本立てて、
「俺の時間?」
「そうだ。しゃーねーから一日で勘弁してやる。それと幾つか条件に付け加えさせてもらうが。いいか、文句と嫌味はご法度だ。苦情も禁止。別にてめぇに危害をくわえようってわけじゃねぇし、夜中までどうこうしようなんて考えてねぇから。大雑把に一日」
だから一日だけ俺に好きに使わせろというのがサンジの要求です。
王子は苦味潰した表情で、目の前の男を噛みつくような眼で睨みました。





つづきます


2012/3.2