14.冬のはじまり





パチパチパチパチ、小さく黄色の火の粉が弾け飛んでいます。猛々しい生き物と化した炎も今ではすっかり落ち着き、そうしているうちに部屋もだんだんと春のように暖かくなってまいりました。
「いきなり寒くなってしまって、昨夜はお寒かったのではありませんか?用意するのがすっかり遅くなり申し訳ございませんでした。これからはいつも部屋を暖めておくよう命じておきますから」
イガラムが火掻棒でつつくたびに、黄色く小さな火の粉がパラパラと舞います。
「今年はいつもの年よりも冬の訪れが早いような」
バチッと木の割れる音がして、
「寒くなるんでしょうかねぇ」
パアッと赤く燃え盛り、
「王子?」
そんな暖炉の火をぼうと眺めながら、黙ったままの王子にイガラムが呼びかけました。
「王子、聞こえてますか?」
起きているか、または目を開けたまま寝ているのか、いつもにも増してぼうっとしてるが大丈夫か、または具合でも悪いのかと矢継ぎ早に訊かれ、
「…いや。なんでもねぇ」
そういって立ち上がりました。
「え?どちらに行かれるんですか?」
「裏庭」
「せっかくお部屋を温めましたのに…」
「ならてめぇが暖まっていけばいい。ゆっくりしていけ」
「は、ゆっくりって…?ちょっとちょっと王子!なんとまあせっかちな…」
誰もいない部屋にイガラムを残し、王子は部屋を出て行きました。




その晩、夕食の時間もとうに過ぎ、城の中がしんと静まり返った頃のことです。ようやくサンジが部屋に戻ってまいりました。朝早くに出て行ったきりでしたので王子と顔を合わせるのは今が初めてです。
「お、暖炉に火がはいったんか?うほっ、あったけーーー!」
そういって、さっそく暖炉の前に座り込みました。
火に両手をかざし、爆ぜる炎を無言で眺めておりましたら、いきなりなにを思い立ったか、ソファに置かれたムートンを暖炉の前へと移動しました。
そして白いふかふかのムートンを2枚、刺繍が施されたクッションを3個ばかり放り投げ、その上に胡坐をかいて、サンジが王子を呼びました。
「てめぇも来てみろ」
すぐに動く様子がないのを見るや、焦れたようにボンボンと乱暴にクッションを掌で数度叩き、
「ほら、いいからこっちに来いってば」
ようやく王子の身体が動きました。

「火っちゃすげぇよな」
パチパチと赤い炎を見ながらサンジが呟きました。炎が反射して金色の髪がきらきら輝いています。
「どんなに外が寒くても火は部屋や身体を暖めることができる。それに」
ニッと笑って、
「料理もできる」
どこに隠し持っていたのか、小さな皿を取り出しました。
「なんだそれは?」
「ホラー梨のタルト。なぁ、ホラー梨とか聞いたことねぇだろ?俺も初めて知ったんだが、ここらの果物じゃないから滅多に市場にでねぇんだとさ。それもすごく珍しいんだと」
ザクッとフォークで切って、
「で、作ってみた。ほら」
と、目の前につきつけますと王子の口が開きました。
「どうだ?」
「甘い」
「そりゃ砂糖が入ってるから甘いだろうさ。他には?」
「他?」
「甘くて、それから?」
「赤い」
「赤い?なにが?」
サンジが不思議そうに問いかけました。タルトには一見して赤いところなどありません。
「てめぇの手やら服が赤い」
言われてサンジが改めて自分の手やら服を見ますと、王子が言うようにところどころ赤く染まっていました。染料の赤です。
「あ、これか。料理で使おうと思って食紅とやらを作ってみたんだが。洗濯で落ちんのかなこれ」
そういってタルトの乗った皿を王子に手渡し、サンジは汚れなど頓着する様子もなくそのままごろりと横になってしまいました。
王子は残りのケーキを口に放り込みます。それもひとくちです。頬がハムスターのようにぷっくりと膨らみました。
「食わせがいがねぇ。つうか味わいもクソもありゃしねぇ。どうかと訊かれりゃフツーは旨いとか不味いとかいうんじゃねぇのか?不味いわきゃねぇにしても、赤とか訳がわかんねぇ」
そういいますと、それはそれは長い欠伸をしました。かなり眠そうにむにゃむにゃと、目にはうっすら涙が浮かんでいます。その様子を見た王子は軽く眉を顰めました。
「おい、風呂に入ってこい。そうやって夕べも入ってねぇだろうが。そのまま寝るなボケ。ベッドへ行け」
「……うっせぇな。風呂は昼間はいったからいいんだ。でも今日は汚れてるからちゃんと入る」
とはいうものの、その目はだんだんと閉ざされていって、
「だから寝るな」
「……うるせぇな…寝…ねぇ」
「嘘こけ。今にも寝そうなくせに。起きろぐるぐる」
そういって王子はサンジの肩に手を置きました。乱暴にゆさゆさ揺すりますと、
「大丈夫だ」
いきなり目をパチッと開き、妙にハッキリとした口調で返事したかと思えば、
「起きてる起きてる。ほうら起きてるぞ。いい湯加減だからさ。今すぐ身体洗うから…、ちょっと待て……」
そのまま目を瞑ってしまいました。
そして王子が怒鳴りました。
「おもいっきり寝惚けてんじゃねぇかダァホッ!」
わざわざ耳元で文句をいっても、
「また風邪ひいても、もう絶対絶対手なんか握らねぇぞ!人前でアホズラさらしやがって、俺の話聞いてんのかっ!」
それでもサンジは眠っています。
暖炉の火が髪をさらに金色に輝かせ、白い頬は熱で薔薇色になって、まるで本当にお風呂に入ったまま寝ているみたいです。
唇をむにゅっと引っ張り、染まった頬を摘み、また引っ張って、それでも反応がないのを見た王子は小さく舌打ちしました。
外はとても静かです。
パチパチと暖炉で薪が弾ける音しか聞こえません。
暖炉の前でサンジは気持ちよさそうな表情で、すっかり緩んだ口元には笑みさえ浮かんでおりました。






朝です。
サンジが目を覚ましました。
いつもと同じ朝で、いつもと同じベッドで、いつものようにすぐ隣で王子が寝ています。
サンジは起き上がりかけてから、またパフンとやわらかな枕に顔を埋めました。
今朝はいつもと同じようで、でも違います。部屋が春のように暖かくて、そしてお布団の中もぬくく心地良くて、こんなんではとてもすぐ起きる気になりません。もう少し、あとちょっとだけ余韻を楽しもうと毛布を頭まで手繰り寄せながら、ふとサンジはあることに気づきました。
服が昨日と同じです。シャツの袖口とか赤く汚れています。
手も赤く染まったままで、もちろん着替えなんかしていなくて、昨夜風呂に入ったような気がするのは全部夢だったのでしょうか。
夢だとしたら風呂も着替えもしてなくて、手も服も汚れたままで、うっかり毛布やベッドを汚していないかと気になってシーツを覗き込みました。
大丈夫なようです。
となると、もうひとつ気になることは。

何故自分はベッドで寝ているのでしょうか。

風呂に入っていないのならば暖炉の前で自分は寝てしまったはずです。そこまではちゃんと記憶があるのですから。
もしや無意識のうちにベッドに戻ったのかとも考えましたが記憶の欠片もありません。歩いた記憶がないのです。ならば王子が運んでくれたのでしょうか。
なんてことを考えているうち、サンジは微かな汚れを見つけました。
それはベッドのシーツでも、自分の毛布でもなく、まだ眠っている王子の、モスグリーン色した寝巻きの前部分についている汚れです。食紅の、できそこないの赤でした。
何故そんなところに自分の汚れがついているのでしょうか。もしや、寝ているうちに汚れが移ってまったのかとサンジは自分の服を確認しました。
手は汚れてます。
でも濡れてないので汚れは移りそうにありません。なにより普通に水で洗っても取れなかったのですから手の汚れではないでしょう。
となると自分の服しか考えられません。
あの時はまだシャツが濡れていたので、おそらくそこから色移りしてしまった可能性があります。
そして自分のシャツを再び確認しようとしたところ、サンジは一瞬妙な気分になりました。
汚れなど、そんな細かいことは気にしない方がいいような、といいますか、何故そんなことを気にしてしまうのか、どうでもいいことだと思うのに自分でも訳がわからなくて、むしろ『そこでやめとけ。考えるな』と、本能の止めているような気すらして、そんな気持ちに逆らうように、サンジは考えました。
ざっとみたところ、袖口と前から左脇にかけての汚れはひどいものの、他はそうでもありません。
袖口からとなると、自分が王子の背後からギュッと抱きついたことになります。でもいくらなんでもそんなことは考えられませんし、考えたくもありません。昨夜は暖炉に火が入ってとても暖かかったのですから、王子に抱きつく理由がありません。
となると、前面部から脇腹にかけての一番汚れがひどいところがついたと考えるのが妥当でしょう。
で、自分のその部分の汚れがどういう姿勢で王子のシャツについたのか。
何故自分はこんなことを朝から考えねばならないのか。
この妙に落ち着かない気分はなんなのか。
王子のシャツに付着した汚れ部分と、汚染元である自分のシャツ、ふたつの形を頭の中で組み合わせ、そしてサンジが呻りました。

王子に抱きかかえられてベッドへ運ばれたような、そんな図が頭に浮かんでしまったです。
「……いやいや、そんな馬鹿な」
思わず否定の言葉が口をつきました。
そんなことはありえないというか、もしも王子の立場が自分ならば、きっと足首を持ってマグロを引き摺るようにとベッドへ運んだにちがいありません。
何故王子もそうしないのでしょうか。
庶民出身の自分と違いこれでも一応育ちが良いので、こんなんでもとりあえず王子さまなので、おまけにロビンちゃんの、いえイガラムの躾の賜物といっていいのか、そんな乱暴なことなどしないのでしょうか。

まるでお姫さまだっこみたいな?

サンジは思わず呻ってしまいました
「……うーー……ん…」
まだ気持ち良さそうに眠る王子の隣で、胡坐をかいたまま腕組みをして、ぎゅっと目を閉じ、声にならない呻きをあげ、そしてまた顔をあげました。
ふと、王妃さまの言葉が頭を過ぎります。
それは初めてお会いした時のことでした。

「これでも根は優しい子なの。わかりにくい優しさだけど」

彼女の優しい微笑まで一緒に思い出しました。そして優しく鼻をくすぐるように、とてもいい匂いがしたことも。
サンジはベッドから出ると、そのまま浴室へと向かいました。
そうです。きっとこれはたいしたことでないのです。お互いさまなのだということで自分を納得させました。自分だって血まみれの王子を城まで運びましたし、だからといって恩返しなんてことはありえないにしても、こうみえて彼にも人並みの優しさくらいあるのでしょう。
何気に窓に目をやりますと、樹木がすっかり葉を落とし、低い雲と枯れ枝ばかりの寒々しい景色が見えました。今日は寒くなるかもしれない、そんなことを考えながら、サンジは着替えを用意して風呂へと向かいました。


空は厚く、白い雲で覆われていています。
暖かい部屋では王子がまだすやすや眠っていて、サンジがゆったりと湯船に浸かっているとき、空からふわりと白いものが落ちてきました。
ふわり、ふわりと、僅かな風にも流されてしまいそうな、儚く、小さい、白い氷の結晶です。溶けることなく、城の屋根をころころとかろやかに転がり落ちていきます。
初めての雪が舞い降りた朝、それは長くて寒い冬のはじまりでした。





まだつづきます


2011/11.11