11.ぷくりと膨らんだ頬を見て、胸がチリチリ切ない音を
石畳の上をサンジが飛ぶように走ります。
その後ろを血相を変えたイガラムが砂埃を巻き上げ追いかけてきます。
白い石垣を蹴って、樹木で作られたアーチを飛び越え、強靭な脚で城壁をかろやかに昇っていきますと、下からゼイゼイいいながらイガラムが息も絶え絶えになって怒鳴りました。
「…い…つもいつもサボってばっ…かり…。そんなとこは王子とそっくりなんだからっ!ご存知ですか、先生の頭髪がもはや絶滅状態にあることを!」
背中にかかる怒声を無視し、そのまま走り続けてサンジは厨房までやってきました。
乱暴に扉を開けると、
「お、またきやがった」
「そんなに暇なのか」
「よっ、旦那は元気か」
「のんきに眉なんか巻きやがって」
コックたちから次々に声がかかります。
「よう」
かるく挨拶をして、「旦那とか寝言抜かすな」ひとりのコック尻をを軽く蹴り飛ばして、「俺は暇じゃねぇぞっ!」逃げようとしたコックに踵落としを食らわせ、サンジは急いでコック服に着替えました。
「なかなか様になってきたじゃねぇか」
「いいよな、趣味で働ける奴はさ」
「足手まといになったら速攻でクビだけどな」
皆が口々に勝手なことをいいます。料理長は苦味潰した表情で、「道楽でちょろちょろされたんじゃ迷惑だ。面倒起こしやがったら承知しねぇ」と睨みを利かせると、皆に向かって大声で怒鳴りました。
「さあ、野郎共仕事だ!」
そして野太い男たちの返事が厨房に響くと、鍋や釜ががちゃがちゃ音を立てて、厨房は一気に喧騒の渦に巻き込まれました。その中でサンジも包丁を握ります。「のろいっ!あまり鈍いとてめぇをパティと呼ぶぞ!」カルネという名のコックに怒鳴られ、「食器でも洗ってろ!」他のコックにも怒鳴られ、「この…、邪魔だ!」と料理長に怒鳴られながら蹴られ、「なんだ、このクソ不味いスープは?頼まれもしねぇのに勝手に作ってんじゃねぇ!材料を無駄にすんな!」壁にまで叩きつけられて、そして最後に、
「……クソッタレ…、怒鳴りやがって…、蹴りやがって…、いつもいつもバカにしやがって…。いつかきっと、てめぇらを呻らせるようなもんを作って目の物を見せてくれる…。明日も来てやるぞ!楽しみに待ってろコンチクショー!」
怒鳴りながら厨房を出て行きました。
「…あーあ、あれでも料理にゃ自信があったんだろうさ。しかしプライド高けぇったら」
背の高いコックが、サンジの出て行った扉を見ながら呟きました。
「うちでずっとやってたんだろ?家庭料理にしちゃ立派なんだが」
「だが所詮プロじゃねぇし、残念ながらプロにゃなれん。あれでもこの国の嫁さんだ」
「優雅な御身分なのにわざわざ働きにきてさ、なんつう物好きな野郎だ」
皆が笑います。すると、ひとりのコックが口を挟みました。
「あのさ、あいつが作ったの試食したことあるか?俺は悪くねぇと思ったけどな。なんかあったかい味がしてさ」
「それが家庭料理の持ち味じゃねぇか」
「そういわれりゃそうなんだが、同じ材料なのに一味違うような…」
「アホ。だからそれが家庭料理だ。同じことを何回もいわせんな」
「…んー、なんか違うと思うぞ」
「同じだって」
「そんなのどうでもいいって。それよりも、奴の親父ってのも料理人なんだっけ?」
「らしいが。なんて名前だ?」
「さあ?」
「それこそどうでもいい話だろうが」
コック達がそんな会話をしてますと、
「ふん。確かにまだまだ全然だ。鼻息ばっか荒くて料理の基本もクソもありゃしねぇ。だがな」
料理長が立派な良さ毛を撫でながら、部下をぐるりと見渡しました。
「てめぇら、ただ漫然と仕事してると抜かされるのはあっという間だということに気づいてんのか。プロとかプロじゃねぇとか、家庭料理だろうが宮廷料理だろうが料理は料理だってことがなんでわからねぇ。自分の腕に満足するよりも、食う奴を満足させることを考えろ。馬鹿者共めが」
「なんだこりゃ?」
王子は不思議そうな顔で、サンジからもらったものを眺めました。狐色した見たこともない物体が、何の変哲もない皿に無造作に盛られています。
「じゃがいものパイユ」
「こんなの飯の時にゃなかった気がするが」
「コックたちのまかない料理だ。いいからそのまま手で摘まんで食ってみろ、塩気もあって意外とうめぇぞ。しかも出来たてだしな」
いわれるがままにそれを口に入れると、またすぐにもうひとつ摘んで口に放り込みました。そうたいした量ではありませんでしたが、全部口にいれてもぐもぐと頬張る王子にサンジが問いかけます。
「旨いか?」
こっくりと頷くのをみて、
「な、悪くねぇだろ?こういうのはナイフやフォークで食うより、そのまま手で食ったほうが何故か旨く感じんだよな」
サンジがニッと笑いかけました。
「へぇ」と、王子も自分の指先を見ています。ガラが悪いとはいえこれでも王子なので、普段は手掴みでものを食べることなどないのでしょう。
「パンだってさ、もちろん普通に千切って食うのもいいが、焼きたてのにハムやら野菜を挟んでガブリと食うと、そりゃもう旨いのなんの」
食ったことあるかとサンジに聞かれ、王子は正直に首を左右に振りました。パンにハムや野菜が挟んであるものなど、見たことも食べたこともなかったからです。すると、
「やっぱしな。お前さ、口が悪くてオツムも弱ぇけどやっぱ王子様なんだ。飯んときなんか意外とお上品だもんな」
ロビンちゃんの躾がいいからだと、サンジが笑うと王子はムッと眉間に皺を寄せました。
褒められてるのかバカにされてるのか、ですがどう考えても褒められてるような気がしません。妙に腹がむかむかします。
「食ったことなくて悪いか?」
「いいや。別にてめぇの所為じゃねぇし。今度俺がまた作って食わせてやってもいいぞ」
ニヘラっとサンジが照れ臭そうに笑いました。
「お前が?まさかこれもお前が作ったんか?」
王子がそんな男の顔をまじまじと見て訊きました。
「そうだ。旨かったろ」
すると、ふんと鼻息で返事をしました。
「昼間こそこそと何処に行ってるかとおもえば、こんなことしてやがったんだな」
「…う。……こんなことで悪かったな…」
サンジが気まずそうに目を逸らしました。
「イガラムがいつもいつも血相変えて探してたぞ」
「……だってさ」
ベッドへごろっと寝転がり、そのまま王子に背を向け、すっかり不貞腐れてしまった様子です。まだ就寝には早すぎる時間です。
その背中に王子が話しかけました。
「毎日毎日、お前が講義もろくに受けないで逃げてばかりいるってな」
「…逃げてるわけじゃねぇ。ただ興味がねぇつうか…。出てくるのは死んだ奴ばっかで、しかもたまらなく話長ぇしさ…。俺には向かねぇんじゃないかと思うんだが…。実はもう辛くて辛くて…。俺マジでハゲができるかも…」
背を向けたまま、低い声でぼそぼそ何か呟いています。
「ふん。別に料理するなと言ってるわけじゃねぇ。それしか取り柄がねぇんなら好きにやりゃいいさ。だが、あまり講義をさぼると教師の頭がツルッパゲになるぞ」
そう言って同じくベッドにごろりと横になりますと、今度はサンジがいきなり起き上がりました。
「…取り柄?おいこらちょっと待て!おとなしく聞いてりゃ、いうにことかいて取り柄がそれだけとか、ふざけんな!じゃてめぇはどうなんだ?寝てるか食ってるか、ひとり黙々と薄暗いことしてるかしかねぇじゃねぇか!自分を棚に上げてよく人のことがいえるなっ!」
「人聞き悪いことぬかすなボケッ!有事に備えて筋トレしてるだけだ!」
「ケッ、王子が筋トレして何になるってんだ、たわけ!何が有事だ!棒切れ振り回してまさか剣士にでもなろうってのか、王子がなれるかアホンダラッ!」
「俺が何をしようと俺の勝手だ!てめぇこそ今更コックにでもなるつもりかこのスットコドッコイ!いらん口出しすんな!」
「自分が先に口出ししたんだろうがっ!」
「うるせぇ!」
と、互いを激しく罵りあうと二人は背を向けたまま、またベッドに横になりました。
陽がすっかり傾いています。きっともうすぐ夕餉の知らせがあるのでしょう。二人は黙って目を閉じるとそのまま眠ってしまい、イガラムから激しく扉を叩かれるまで気づきませんでした。
イガラムは長い廊下を歩きながら、ふうと溜息をひとつ吐きますと、
「近々先生の髪型が変わります。単刀直入にいえばカツラなるものを装着される訳ですが、お二人とも極力その話題に触れませんように。子供のようにわざと指摘するなどもってのほかです。わかりましたか?」
そして二人は彼の後ろでこくこく何回も頷いたのでした。
その3日後のことです。
飯の支度を終え、休憩時間になって誰もいない厨房で、サンジはひとりで作業をしています。そろそろ時間だと竈の扉を開けますと、焼きたての香ばしい匂いが鼻をくすぐりました。しあわせがいっぱい詰まった匂いです。
本当にいい匂いで、いえいえ、それだけでなく、こんがりとした狐色の焼加減も実に絶品で、
「よっしゃ」
サンジは満足気に頷くと、右の拳をパンと左の掌に打ち付けました。
我ながらなんて素晴らしい出来栄えだと、おのれの技術と才能に惜しみない賞賛と拍手を送りたい気分です。
これであの王子をぎゃふんと言わせるのです。
参ったとあの偉そうな口から言わせ、自分はソファに大きくふんぞり返って、またこれが食いたいならばその傲慢な態度を改めよと、王子を見下すことができる腕によりをかけた重要なアイテムなのです。
焼き上がったパンを手にすると、ひとつのパンには用意しておいた新鮮な野菜と熟成した塩漬け肉の薄切りを挟み、もうひとつのパンには焼きたてのサバとレモンとオニオン、そして最後のパンにはボイルしたてのソーセージとたっぷりのマスタード、それとキャベツの酢漬けを一緒に挟みました。
たいそうな皿に盛りつけから蓋をして、あらかじめ用意しておいた飲み物を持って厨房を出ました。
部屋では王子が待っています。
今日の昼飯は自分が用意するからここで待つようにと言い聞かせておりましたので、おそらく腹を減らせて自分の帰りを待っているはずです。
この美味しそうな匂いを嗅いだだけで、奴の腹がぐうぐう鳴るやもしれません。
もしかすると涎を垂らすかもしれません。
きっと物欲しそうな顔で自分を見ることでしょう。
サンジは想像するだけで高笑いしそうになるのを堪えて、長い廊下を足早に歩きますと前からイガラムがやってきました。
「おや、珍しく楽しそうなご様子で、いったいどちらに行かれるのです?」
イガラムが話しかけてきました。
「パンを焼いたんでさ。あ、俺がパンを焼いたからって女みてぇとか誤解すんじゃねぇぞ。ここに来る前は毎日やつらに飯作ってたんだ。それに奴が食ったことねぇっていうから食わせてやろうかと思って。だが誤解すんな。気が向いたからとか、しょうがなくだぞ。別に奴の為にとか」
そんなツンデレ紛いの言葉に、ほうほうとイガラムが微笑ましそうに頷きます。
「これはパンの匂いだったのですね。さぞや王子も喜ばれることでしょう」
「そんなたいしたもんじゃねぇんだけど」
ちょっと自慢したい気持ちで、サンジが皿の中を見せると、
「これをあなた様が作られたのですか!?見たことな…、いえなんと美味しそうな…!いい匂いが…!」
するとそれを見たとたん、イガラムの腹がゴゴゴゴと地鳴りのような音を立てました。
「……失礼。わたくし食事がまだでして…。さささ、早く王子に!」
といいつつも腹はさっきから恥ずかしいくらい鳴りっぱなしです。慌てて自分のお腹を押さえ、
「…いや面目ない。…ったく、この腹ときたら聞き分けの悪いっ!」
「…腹に怒鳴ってもしゃあねぇだろ。あのさ、これでよかったら食うか?」
自分の腹を叩きながら滅相もないと断るイガラムに、
「3つもあるから。作りたてですぐに食うのが旨いんだ。いいから遠慮すんな」
そういって、サンジは塩漬け肉と野菜の挟んであるパンを手渡しました。
「たまにゃ恩のひとつも売っておかねぇとな。あの巻き毛がハゲるとは思えねぇけどさ」
ひとりごとを言いつつもサンジの足取りは羽根が生えたように軽く、鼻歌混じりに廊下を曲がるとそこでボンクレーと出くわしました。
「久しぶりじゃないのよう。どうしたの、楽しそうに眉毛なんか巻いて」
「うっせぇな。楽しくて眉が巻いてんじゃねぇ」
俺は急いでるからてめぇなんざかまってらんねぇと、その場を通り過ぎようとしましたら、
「ちょちょちょ、ちょっと待ちなさいよーう!アンタ、あちしに何か隠してるわねい?」
そういって、ボンクレーがサンジの前に両手を広げ、大きく立ちはだかりました。
「何を隠してるってんだアホ。急いでるっつうに、てめぇの相手なんざ」と、言い終わるよりも先に、
「んもう、たった二人の兄弟で水臭いじゃないのさっ!結婚しちまったら他人なわけ!?じょーだんじゃないわよーーう!」
目にも止まらぬ速さでサンジの手にあるトレーを開けると、
「やーーーーーっぱり!!あちしの大好物!!サバサンドウウウウウ!!」
サバの挟んであるパンを盗み取りました。
「だあああああ!なにしやがんだこらっ!」
そして素早く口に放り込むと、
「んぐふっぐぐっぐ」
「もう食っちった、じゃねえ!返せ戻せこのやろう!てめぇの為に作ったんじゃねぇぞっ!」
サンジが怒鳴って蹴を放ちました。今更戻されても困りますが、怒鳴らずには、2〜3発蹴らずには気が済みません。
ですがボンクレーはひょひょいと蹴りを避けつつ、くるくる回ってそのまま何処かへ行ってしまいました。
実をいいますと、サバサンドは姉の大好物のひとつです。
最近では滅多に作る機会もなくなりましたが、昔は兄弟喧嘩して互いに意地を張り合い口を利かなくなると、サンジは黙ってこのサバサンドを作りました。すると姉はさっきのように「サバサンドウウウウ!!」と大喜びでくるくるといつまでもいつまでも回ったのでした。
「…ちっ、残りひとつだけになっちまった」
これでお腹が足りるでしょうか。少ないと文句を言われないでしょうか。
でも悩んでる時間はありません。とりあえずこれだけでも王子に届けないと。足りるとか足りないとか後のことはそれからです。サンジが急いでその場を離れようとすると、
「あら」
背後から優しい声が聞こえてまいりました。
「まあこんな場所で珍しいこと。もう此処の生活に慣れたかしら。元気そうでよかったわ」
そういってまたきれいな指でサンジの髪に触れ、
「最近会ってないけどあの子は元気?ヘンね、同じ家に住んでる家族なのに。うふふ」
と、王妃様がクスクス笑いました。
同じ家とはいえ、此処はお城です。しかもその広さたるや、生まれてからずっとここに住んでいる王子が未だ城の中で迷子になるほど広いのです。
元気だと返事してから、
「ロビンちゃん、お腹の赤ちゃんは元気なんか?」
王妃様に声をかけました。
気軽な口調でロビンちゃんと言われ、王妃様はおもわずクスリと笑ってしまいました。年下の者からこういう風に話しかけられることなど初めてで、腹が立つよりも何故か微笑ましい気分になったからです。
「ええ、とても元気よ。安定期に入ったのかしら、近頃お腹がすごく減るの。食い意地の張った赤ちゃんね」
そういって少し膨らんだお腹を優しく撫でました。
「実はさっきからパンのようなとてもいい匂いがして。御飯をいただいたばかりなのに、どうしたのかしら。またお腹が空いてしまったみたい。人として恥ずかしいわ」
「…いや、恥ずかしくは……」といいつつ、サンジの心臓がある予感にドクンと脈打ちます。
そして、
「あら、こんなところで引き止めてごめんなさい」
その場を立ち去ろうとする王妃を呼びとめ、
「…あ、…あのさ、あの、…あ、実は俺…」
トレーを開けて中を差し出すと、「まあ」と王妃様が驚いたように目を大きく開きました。
「すごいわ、まるで魔法使いのよう」
「そのままがぶって齧ると旨いんだけど、大丈夫かな…?そんな食い方したことある?」
恐る恐る訊くと、
「ありがとう大丈夫よ」
そういって、王妃様は庭先に置かれたベンチに腰掛けると、両手に持ったパンを口いっぱいに頬張り、「とても美味しい」と、それはそれは嬉しそうな顔で微笑みました。
そうして空になった皿を眺め、サンジは小さく溜息をつきました。
ですが、ない皿を眺めて溜息ついてる場合ではありません。
王子が待っています。
腹を減らせた男を怒らせると、ますます自分に不利なことだけは間違いないでしょう。何をいわれるかわかったものではありません。おそらく口先男の烙印を押されることでしょう。
サンジはくるりと踵を返すと急いで厨房に走りました。
もうすっかり片付けも終わり、ざっと見る限りテーブルにも棚にも何も残っておりません。コックもいません。食料庫には頑丈な鍵がかかっています。
「…まいったなこら」
サンジは舌打ちして、棚の奥まで調べました。
何か材料があれば、何か使えそうなものがあれば。
そして、ようやく棚の端にぽつんと置かれた紙袋に、パンの耳が入っているの見つけました。まかないで作ったサンドイッチの切れっ端のようです。パン粉にでもしようと取っておいたものでしょうか。とても粗末な袋に入ってます。ようするに限りなく残飯に近い物でした。
ですが見つかったのはそのパンの耳だけで、他は何処を探してもありません。サンジはしょうがなく、残り物のパンの耳をオーブンに入れました。
「なんだこれは?」
王子が不思議そうな顔をしました。
狐色したスティックのような形状をしたものが、皿いっぱいに盛られています。
「…パンの耳だ」
そういって、サンジは温かい紅茶を王子に渡しました。
「パンノミミィダ?」
「…いや。パ…ンの、ミミィ……」
語尾が微妙にあやふやです。そして王子はそのパンのミミィとやらを摘みますと、
「へぇ、ミミィっていうのか。これもてめぇが作ったんか」
そういって、ぱくりと口に咥えました。サンジは違うということができません。
おそらく王子はパンの耳など食するのは、生まれてこのかた初めてなのでしょう。きっと見たこともないに違いありません。何も疑わずに食べています。そして余程パンの耳が気に入ったのか、それともかなりお腹が減っていたのかわかりませんが、パクパクパクパク次から次へと口に入れて、
「……美味いか?」
サンジが訊くと、こくりと大きく頷きました。
モグモグモグモグ、王子の頬がハムスターのようにぷっくりと膨らんでいます。
何故か嬉しそうな顔でパンの耳を口いっぱい頬張る王子をみて、サンジの胸がちりりと音を立てました。
チリチリチリチリと、それは小さく切なく、あまり経験のない胸の痛みです。
「はァ……」、思わず溜息をつくと、王子が不思議そうな顔でサンジを見ました。その頬ははち切れんばかりにぱんぱんです。
「…なんでもねぇ、…いいからこっち見んな…」
何につけ、人生いろいろ思うとおりにいかないものだと、サンジの口からまた溜息が零れていったのでした。
大丈夫大丈夫、きっと大丈夫。いつかはラブラブと、誰に言い聞かせるでもなく、まだ続きます
2010/04.05