ガラスの靴。または美しい魔法
1.お前は間違っている。サンジが叫びました
それはサンジが11歳のころの話です。
旅の料理人をしている父親が、ひとりの派手でグラマラスな女性と、サンジよりも年上の子供を伴って、家に帰ってまいりました。
「お前の新しい母親と姉だ。仲良くするといい」
サンジはとても喜びました。
母は物心つくまえに亡くなっていましたので、もちろん顔は覚えておりませんし、その温もりすら知らないで育ったのです。ですからどんなに派手であったとしても、自分にも母親ができたことが、サンジは嬉しくてたまりませんでした。
家でたったひとり、いつ戻るかわからない父の帰りを待たなくてもいいのです。家族が増えたのです。
ですが、若干不思議に思うこともありました。
継母の連れ子、名はボンクレーというのですが、もしかすると姉ではなく、もしや兄ではないかと、そんな疑いを持つようになりました。
いいえ、兄というよりも、
「…お腹が減ったわねい。ママン、あちしお腹が減ったわ。でもパンがないのよう!腹がグーグーグーうるさいから回るわねい!グルグルとグーグー、どっちがうるさいかしら?両方うるさいですって?ンガッハァッハッハッハ!気のせいよう!」
トゥシューズを履いてくるくる回る様は、どうみてもオカマにしか見えないのです。
新しい母親、名はイワンコフといいます。
「なんておバッキャブル!」
継母が笑います。
「パンがなければパンケーキを食べればいいじゃないの?なにも問題ナサブル!」
ヒーハー!と笑う母は、最初見た女性としての面影が、まったくといっていいほどなくなっておりました。ほんの数日の間に、まるで別人のようです。
化粧が濃いのは相変わらずで、でもとてつもなく巨大な顔になってしまったのです。こんなに顔が大きかったでしょうか。ともすると、部屋から顔がはみ出してしまうかもしれません。
父はまたすぐに旅に出てしまいました。
この家にいるのは自分と、兄のような姉と、巨顔な母です。いいえ、もしかすると、継母も母ではないかもしれません。
彼女はいつも下着のようないかがわしい服を着ていました。下半身は黒の網タイツです。そしてそこにはもっこりとした股間の膨らみが。そんな彼女を母と呼ぶのは、女性に対する冒涜ではないでしょうか。
そうして継母と義理の姉、サンジと、父のいない3人の生活が始まりました。
生活するには、生きていく上では、いろいろ煩雑なことがあります。そのひとつが家事というものです。サンジの継母は、家事というものをまったくしようとしませんでした。
「俺?俺が作るんか!?」
腹が減ったと力強く訴えるけど、なにもしない母と姉にサンジは飯を作り、
「洗濯ぐれぇしろよ!臭ぇだろうが!」
同じ服を何日着ても気にしない二人分の洗濯もして、
「なんで片付けねぇんだ!」
散らかすことはあっても、物を片付けるということをしない二人の通った後にはゴミの山が出来て、
「ゴミはゴミ箱にだ!てめぇらまとめてゴミ箱にぶち込むぞ!だからポイポイ捨てるんじゃねぇってば!俺に喧嘩売ってんのか!!」
見るに見かねたサンジは箒を手に、または鍋とお玉を振り廻し、そして長い一日の終りには、深く大きな溜息をつくのでした。
「……俺がなさぬ仲だから?苛められてる?クソが、いつか追い出してくれる!」
そうこうしてる内に数年の月日が経ちました。
サンジもすっかり大きくなりました。でもやってることに、今も昔も変わりがありません。一日中、掃き掃除をしては床のモップかけをして、いつも腹を減らせている母や姉の為にご飯をつくります。もうすっかり諦めに似た気持ちで、怒鳴りながら家事をこなしました。
その所為でしょうか。サンジは若干人相が悪くなってしまいました。母親譲りの金髪とキレイな顔立ち、そして元々は素直な性格の持ち主でしたが、成長と共に口が悪くなって性格まで歪み、今ではすっかりガラが悪くなってしまいました。
そんなある日のことです。
「パーティよパーティ!お城で舞踏会だなんて楽しみじゃなーーい!王様もたまには気が利いたことをするわねい!」
二人はここぞとばかりにゴージャスなドレスをあつらえました。きらびやかな金の布に紫や鮮やかなピンクの刺繍が、帽子の羽毛は孔雀顔負けの派手さで、もうそれはそれはすごいドレスです。
この国の王子さまのお嫁さんを選ぶ為に、貴族の娘たちや可愛いと評判の若い娘などが、お城に招待された時のことでした。
「何でてめぇらが招待される?選考基準はなんだ?」
サンジが問いかけますと、
「あちし達が美しいから?いやだ、自分でいうと恥ずかしいじゃないのよーう!ガッハッハッ!」
そういって、ボンクレーはこの世のものとは思えない奇抜なドレスのまま、くるりくるりと回りました。
いくら贔屓目に見ても女性とは思えません。といいますか、ギリギリで人類です。
「ニューカマーは人類の美しい宝ですもの当然だわ。眉毛ボーイ、ヴァナタもヴァターシ達と一緒に行きましょう」
「まさかドレスで?」
「あたりまえじゃないの。今夜は男なんてお呼びじゃないワッキャブル」
そうサンジに声をかける継母の姿は、ただならぬ雰囲気を醸し出した、どこからみても立派なオカマです。
「ケッ。ふざけんな。誰がドレスなんか着るか。てめぇらみたいなオカマと一緒にするな。王子とやらの嫁探しが目的だろうが。俺には関係ねぇ」
別に負け惜しみのつもりで言ったのではありません。自分は呼ばれませんし、ただ少し悔しかっただけです。
モップを手に立ち上がりますと、
「俺はまだモップがけが終わってねぇんだ。水も汲みにいかねぇと」
イワンコフは悲しそうな表情でサンジを見ました。
「おお眉毛ボーイ…。そうやっているうちに大切な若さが失われてゆくことに、ヴァンタは気づいてナッサブル?だけど名案がある。そう、それは」
一度言葉を区切ってから、
「恋せよ乙女!古人はいったわ!愛はすべてを凌駕するの!だから舞踏会なワッキャブル!」
ヒーハーヒーハーーー!イワンコフが高らかに叫びました。あまりの口の大きさに部屋が呑みこまれそうです。
サンジはいきなりモップを2つに叩き割って、
「……恋?恋っていったか?なにを悠長なこと…。そんなもんしたいに決ま」
今まさに怒鳴ろうとしましたら、継母は窓の桟を指ですすっと撫でました。
「あら汚れてるわ」
ほこりの付いた指先をまじまじと見ています。
「いいセンスしてるじゃなーい、さすがママン」
姉が笑います。
「継子」
「いじめの」
「お約束?」
3人の声がきれいに揃いました。
ンガッハッハ!ヒーハーヒーハー、笑い声と共に、二人はきらびやかなドレスを翻してお城へ、その後姿にむかってサンジが大声で怒鳴りました。
「もう戻ってくんな、コンチクショー!このオカマがっ!!」
誰もいなくなった家は音がしません。
いつも喧しいからでしょうか、耳が痛くなるほど静かです。
まだ磨き終わってない鍋をころんと転がして、サンジが呟きました。
「……親父のヤロー、なんで帰ってきやがらねぇ。実はオカマだったから?てめぇで選んだ嫁だろうが…」
誰もいない空間に声が吸い込まれるようです。
サンジの父は、あれから一度も戻ってきませんでした。でも仕送りだけはちゃんとしてくれます。ですから生活には困らないものの、何故か父親に見捨てられたような気がしてなりません。どうして連絡をくれないのでしょう。
オカマな母と姉。父に文句を言おうにも手段はなく、その居場所さえ明らかではないのです。
ふと、サンジは床に何かきらめくものが落ちていることに気づきました。よく見ると、それは姉のドレスに付いていた珍しい虹色の貝殻でした。
きらきら輝く虹のかけら。
そっと手にのせると、それを身に纏って楽しそうに出掛けていった二人のことを思い出しました。つい先程のことなのに、妙に思い出されて仕方ないのは、嫌でも一緒にいるからかもしれません。この数年、ずっと一緒に過ごしているのです。サンジがこの家でひとりになることは滅多にないのですから。
いつも煩わしいと感じていた継母と姉ですが、いなくなると寂しいと勘違いしてしまうほどに静かです。
そんな二人も、きっと今頃は城で楽しんでいるのでしょう。
光り輝くお城の大広間、ピンクや黄色の可愛い蝶々が乱舞する中で、毒蛾のような粉を撒き散らしながら、さぞや楽しく笑っているのでしょう。
そう思うと、もう羨ましいやら妬ましいやらで、居ても立ってもいられない気分です。
本当のことをいいますと、サンジだって舞踏会に行きたかったのです。もちろん王子など興味ありません。
何故かといえば、そこには国中から選ばれた、一部の選考ミスは否めないものの、おそらくそれはそれは見目麗しいレディ達が、花のように着飾って舞い踊っているに違いないからです。
そう、そこはまさに天国。
もっと直接的な表現をすれば、千夜一夜にも負けないくらい、どうしようもなくハーレムなのです。
街で一番キュートと評判な、ナミさんもおそらく呼ばれていることでしょう。
もしかすると隣国の王女、ビビ王女も来ているかもしれないではありませんか。
たいそうな美人と噂の高い、ロビン王妃に会えるかもしれないのです。
でも招かれておりません。一部の手違いを除き、男は誰一人招待されていないのです。
行き場のない哀しみに、サンジの口からせつない溜息が漏れました。
だけど悲しんでばかりもいられませんでした。まだ鍋磨きが途中です。サンジは気を取り直して、放り出した鍋を手に、またキュッキュと磨き始めますと、何処からか声が聞こえてまいりました。
「だいぶへこんでやがんな。置いてかれちまって拗ねてんのか?」
変な形をした黒い帽子を被り、黒く長いコートを着た、黒ずくめの男がいました。年季の入ってそうな杖を手に、フードの隙間からにょきっと長い鼻が突き出ています。
まるで魔法使いのような格好です。
「誰だてめぇは?いつからそこに?泥棒か?勝手に人んち入ってきやがって、蹴り殺すぞ」
いつの間に入ってきたのでしょう。
サンジが男を睨みつけますと、
「すっかりガラが悪くなっちまって…。赤ん坊のときはあんなに可愛かったのに…」
長鼻の男は、そっと小さな溜息をつきました。
「俺様は魔法使いのウソップ。お前が生まれたとき、俺がお前に祝福を与えた。身も心も美しく育ちますように、ってな。それがまあ、どうしたことだ、この有様は?どこのチンピラかと思ったぞ」
コスプレした男が気の毒そうな目で自分を見ています。サンジはケッとそっぽを向きました。魔法使いだか何だか知りませんが、見知らぬ奴にそんなことを言われる筋合いはないと思いました。
「身も心も美しくだァ?馬鹿か?そんなんは屁の役にもたちゃしねぇ。どうせなら、強くカッコよく、レディにもてもての人生が送れるように願ってくれりゃ良かったのに。もちろん、今の俺でも十分カッコいいが」
ウソップはまた溜息をつくと、
「……その自己評価の高さなんだ?しかもすっかりひねくれちまって…」
そして気持ちを奮い立たせるように、長い鼻をキリッと上げて、
「だが大丈夫だ。俺にまかせとけ」
魔法使いは、ドンと自分の胸を叩きました。
「お前んちにネズミ捕りがあるだろ。そこに間抜けなネズミが沢山引っ掛かってるかもしんねぇ。まずはそれを持って来い。後はかぼちゃをひとつ。さあ、裏の畑から抜いてこい!とっとといってきやがれ!」
偉そうに言いつけました。ですが返事がありません。
「おい。ネズミとかぼちゃだ!俺様が一肌脱いでやろうっていってんだぞ!」
やはり返事がありません。
返事をしないどころか、また鍋磨きを始めてしまいました。目の粗い布で、ごしごしと鍋を磨いています。
「もしもし?」
魔法使いが呼びかけました。
「もしもーし?」
すると、
「取ってくれば?」
「はい?」
「だから、てめぇで持ってくればいい。タダでくれてやっからさ。俺はネズミなんか欲しくねぇし。あ、かぼちゃはもう持ってるな」
サンジが頭を指さして、
「てめぇの頭」
ニヤニヤ笑いました。
「どてかぼちゃ」
魔法使いの口から、また小さな溜息がひとつ零れました。
「……お前は覚えてねぇだろうが、赤ん坊んときはマジで可愛いくてなァ…。俺の指をギュッと握って笑ってよ。そりゃもう可愛くてな、どんだけ天使かと思ったんだぞ?なのに、いくらなんでも、こりゃねぇよ…。可愛げの欠片もねぇ…」
魔法使いは、自らのネズミとかぼちゃを取ってきました。そして何やら呪文を唱えて、大きく杖を振りかざしましすと、どうしたことでしょう。
かぼちゃは金の馬車に、コロコロに肥えたドブネズミは馬に、小さなハツカネズミはその従者へと変身したではありませんか。
「…なんだこりゃ?」
サンジは目を丸くしました。まあるい馬車には、至るところに豪華な装飾が施されています。王さまの馬車よりも立派です。きちんとした格好をした従者はとてもネズミとは思えません。
すると、驚いているサンジにも杖先が向けられました。
杖がその服に触れますと、薄汚れた灰色のエプロンは、青く透明なドレスへと変わりました。
その聖なる輝きは、天上で織られた布のようです。海よりも清らかに、そして空よりも気高く、それはすべての青で彩られた、奇跡のような青い色のドレスでした。
「え?」
金色の髪はするすると伸びて、宙でくるくるっとロールして美しく結われ、そこには輝くプラチナの冠が、
「…あ?」
首にはダイヤを散りばめた、夜空の星をいっぱいに集めたチョーカーが煌めき、
「…おい?」
そして足元はあつらえたかのような、高価な硝子の靴になったのです。
透きとおった蒼空に、輝く太陽は黄金の髪。サンジは目が眩むばかりの美しい姿となりました。
「ふう。どうにか見られるようになったな」
その仕上がりに、魔法使いはとても満足そうです。一仕事終えたといった顔で、流れてもいない額の汗を腕で拭いますと、天に向かって杖を高々と掲げ、大きな声で叫びました。
「さあ!お前も舞踏会へ行け!てめぇの力で運命を掴み取ってきやがれってんだ!目指すは世界一の玉の輿!商売繁盛笹持ってこーーい!」
意味不明なことを言ってるといいますか、気が違っているとしか思えません。サンジの目は驚きで大きく見開いたまま、閉じることすら忘れています。
「玉の輿?なんで俺が?しかもなんでドレス?」
「ん?どうした?思ったより似合うぞ。心配するな。美しい心を取り戻すには、まず美しい外見からというしな」
そしてサンジも負けじと大声で叫びました。
「間違ってる!お前は根本からすべて間違ってるぞ!!」
魔法使いが杖を翻しますと、ひゅるっとサンジを馬車へ放り込みました。
「あ。言い忘れてたけど、12時になったら魔法はとけちまうから、ボロが出ねぇうちに帰ってこい。忘れんじゃねぇぞ」
「何がボロだ!てめぇこんな格好させやがっ…」
馬車から身を乗り出したサンジの言葉を遮って、
「あーわかってるわかってる。おめぇが文句いうのももっともだ。リミット付きですまんな。なんせまだ修行中なもんで。ちなみに俺は世界一の魔法戦士を目指してる。狙撃も得意だ。文武両道ってやつ?」
自分語りを若干まじえつつ、魔法使いはまた杖を大きく振り上げました。
馬車が走ります。光の粉がキラキラと零れ落ちて、天の川よりきれいです。
悲痛な声で叫び続ける男を乗せて、かぼちゃで出来た魔法の馬車は、夜空を流星のように駆けていったのでした。
つづきます
2009/7.27