やわらかな夜









サンジが泣いている。
毛布に頭まですっぽりと包まり、その中で身体を丸めている。
泣いてるといっても、涙を流しているわけではない。
別に悲しんでる様子でもなく、その姿はただ寝ているようにしかみえないが、それでも、
やっぱ、泣いてやがんだろうなァ、と毛布に包まったサンジを見るとゾロは思ってしまうのであった。






サンジがゾロの部屋に転がり込んできたのは5日ほど前のことだ。
何の連絡もなく夜間に突然やってきて、問答無用でずかずかと上がりこみ、そしてなんの理由を説明せずに、ゾロも訊かなかったらそのまま当然のような顔で居ついてしまった。
二人の付き合いも10年になる。
お互いの部屋を行き来して、一晩か二晩を共に過ごし、またそれぞれの生活に戻っていく。そんな暮らしが10年だ。
今、サンジはゾロの部屋で寝ている。



朝起きて、サンジは飯の支度をする。ちゃんと二人分だ。
それを食ってゾロは会社に行き、サンジも少し遅れて職場に行く。
夜。ゾロが帰宅する時間は様々だ。残業でかなり遅くなることもあれば、たまには早く帰れることもある。あまり遅いとサンジは寝てしまうが、まさか待ってたわけではないだろうに、まだ飯も食わずに起きてることもあった。もちろん早く帰れれば一緒に晩飯を食う。
そういう生活が5日間続いていた。
気楽といえば気楽だが、何故かサンジの言葉数がいつもよりかなり少ない。だからといって機嫌が悪いというわけではなさそうだ。
たとえば、サンジは今テレビを見ている。
その画面にはお気に入りのタレントが出ている。すごく痩せてるのにとても胸は大きく、着ている服はいつも肌の露出度が高くセクシーだ。
いつもならば、
「うほっ!今日も可愛ぃーーー!また、そんなパンツが見えそうなスカートはいちゃって…」
角度を変えれば見えるんじゃねぇか、とテレビ画面を下から覗いたりする。今時の中学生だってしないことを平気でする。
それが、
「お。悪ぃ」
間違ってゾロがリコモンを踏み、チャンネルが禿げたおっさんの政治討論に変わっても何も言わない。文句すらいわないのである。
これが普段ならば、
「あああああ!何しやがんだ!早く戻せ!早く!あ!あああああCMになっちまった!……てめぇ…。嫉妬か?焼きもちか?ジェラシーか?俺が女にうつつ抜かすのがそんなに面白くねぇんかーーー!男の嫉妬ほど見苦しいモンはねぇぞハゲ野郎!!」
毛を逆立てて怒鳴るくせに、今はただぼうっと画面を見ている。

「おい。風呂があいたぞ」
声をかけると、初めて気づいたように、
「あ?終わっちまったのか?」
居眠りしてたわけじゃないのにごしごしと眼をこすり、言われるがままに風呂に入って、そして出てくるやすぐに毛布に包まった。
アイボリー色した毛布はサンジをすっぽりと爪先まで包み、ゾロが入り込む隙間などどこにもない。






仕事を早く片付けて、その日ゾロは家に戻らずに、真っ直ぐバラティエへと向かった。
風紀がいいとはいえない街の、細い裏路地にあるその店は繁盛していた。
「クソいらっしゃいませ、お客様ァ!あいにくと当店は満席でございますが、少しお待ちいただければ席をご用意…」
出迎えてくれたのは鉢巻したイカツイ顔の男だ。一見さんならばこの男を見ただけで引き返すかもしれないくらい、とても接客向きとは思えないが、これでもコックでサンジの同僚である。
「あれ?アンタ、サンジの?よォ、久しぶりだな。随分と珍しいじゃねぇか。だけどヤツは今日休みだぜ」
「ああ、知ってる」
「知ってんのか?まあ、どうでもいいが。見ての通り、席が空いてねぇんだ。腹が減って我慢できねぇなら、その辺に座ってるヤツどかすか?便所ででも食わせりゃいいだろ。ちっとだけ待ってろよ」
指をボキボキ鳴らし、近くのテーブルに向かおうとするのを、首根っこを掴まえゾロが止めた。
「いい。いいからそのまま食わせとけ」
その時、別のテーブルからパティに声がかかった。
「おい。飯はまだか?どんだけ旨いのか知らないが、いつまで待たせるつもりなんだァ?帰っちまうぞ、こら!」
ケバい女を連れた男だ。金の太いネックレスがはだけた胸元から見え隠れしてして、どう見ても堅気の商売ではなさそうだ。
呼ばれたパティが、
「ちょうどいい。ヤツを叩き出してくるから待ってろ。客のくせに生意気な、うちにきて飯の催促なんざ百年早ぇえってんだ!」
ボハッと盛大に鼻を鳴らし、いきり立つ男をゾロがまた止めた。サンジといい、此処のコックは血の気が多いのばかり揃っている。
「別に急ぎじゃねぇ。俺がまた出直す」
「すまねぇな。見てのとおり人手が足りねぇもんで、どうにも回転が悪くて仕方ねぇ」
今日、サンジが休んでいるのは通常に割り当てられた休日だからだ。突発的なものではない。
「誰か急用で休んだ奴でもいるのか?」
ゾロが何気に訊ねた。
「……いや、オーナーが……。アンタ、サンジから聞いてねぇのか?」






翌日、ゾロは会社を出てからクライアント先を回る前に病院へと向かった。
少しばかり迷ってしまったけど、なんとか午前中には病院へ着くことができた。
会社を出てから約2時間半。いくら初めての場所とはいえ、時間がかかりすぎてしまったかもしれない。そんなに離れた場所ではないのである。
ゾロは時間を確認してから病院に入る前に客に電話を入れ、すぐに病棟に向かったつもりであったが、不本意ながらそこでも多少時間をロスしてしまった。病院が想像以上に大きく、まるで迷路のようだからだ。廊下を歩く看護士や患者をつかまえどうにか病室へ着くと、ようやくサンジの祖父を見つけた。
病人だからそう思うのだろうか。または病室にいるだけでそう見えるのか、酷く顔色が悪いような気がする。
鼻に通されたチューブと点滴が妙に痛々しく見えた。

「見舞いにくるのが遅れちまったが」
ゾロが声をかけると、重そうに瞼が開いた。サンジと同じ青い眼だ。
「…なんだ、てめぇか。ヤツから聞いたのか?余計なことをいいおって…」

会うのは実に久しぶりである。
高校時代、サンジの家にみんなで遊びに行くと、たまにこの祖父と出くわすことがあった。いつも喧嘩ばかりしていた男だが、遊び仲間として当時からそう仲は悪くなかったような気がする。
サンジの祖父はヤクザのように凶悪な人相をしていた。
「おい、ガキ共。悪さしたら承知しねぇぞ」
そういって自分たちを睨み、威嚇して、そして何故か片足がない老人に、どうして高校生ごときが逆らえようか。

「…あのな。誰にも内緒の話だが。サンジの爺さんに初めて会ったとき、実はちびっと漏らしちまった…」
後日、ウソップがそう告白したのをゾロは覚えてる。
でも確かに見た目はアレだが、それでも昔から面倒見がいい爺さんだった。

二言三言、短い会話を交わすと、そこへ看護婦が食事を運んできた。
「…また粥か。しかし、どう作ればこんなに不味くできる?是非ともその秘訣を知りてぇから、アンタここの料理長を呼んでこい」
すると、看護婦は、
「皆さん、同じものを召し上がってらっしゃいますから。少しだけ我慢して、早く病気を治してくださいね」
慣れているのだろう、強面の老人を軽くあしらった。
4人部屋の窓側だ。ベッドが2つ空いている。ぼんやりとその空いたベッドを見ていたら、
「ひとりは昨日退院した。娘が迎えに来てな。それと、もうひとつのベッドにいた奴は1週間前か、急に容態が悪くなって死んじまった。ケッ、ここにいると辛気臭くてかなわねぇ」
だる気に身体を起こし、独り言のようにぼそぼそいいながら、ゼフは丁寧に粥をすすった。






今夜もサンジはゾロの部屋で毛布に包まっている。
アイボリー色した毛布、その天辺から金色の髪がさらさらと流れ、まるで生のとうもろこしを剥いたみたいだ。

どうやらこの男は気づいてしまったらしい。
あんなにも横暴で凶暴で殺しても死にそうにないサンジの祖父にも、いつかそういう日がきてしまうことに。
ここまでサンジがジジコンだったとは、さすがのゾロも想像すらしてなかったが、たったひとりの肉親ならばそれも仕方のないことだろう。両親共に健在の自分がそれを笑うことは出来ないのはわかってる。
そして、この男のこんな姿を見るのは初めてだった。たったひとりで、傷ついたものを毛布に包んで癒そうとしているのか。


毛布からはみ出た金色のものを触っていると、サンジが顔を覗かせ、
「…何だ?」
訝しげな顔でゾロを見た。
「別に」
そういって、僅かな隙間からなかば強引に入り込んだ。
毛布の中はサンジの匂いがする。そして感触、体温が懐かしくなるくらい久しぶりだ。1週間も一緒に夜を過ごしているのに、一度もセックスをしていない。それくらい、二人の間は近くても距離があった。

「…やんねぇぞ」
「わかってる」
早くも牽制するサンジの髪に、そして頬に唇を軽く寄せた。
眉を顰め、青い眼がまだゾロを睨んでいる。
その瞼を舐め、
不機嫌そうに皺のよった眉間にキスして、
また頬に唇を落とすと、またサンジがゾロに念を押した。
「やんねぇからな」
「知ってる」
そして、頬から耳の下、顎を舌で丁寧に舐めた。
鼻の頭を舐めたときは、
「臭せぇ…」
文句をいう男の上唇を舐めて、
「大丈夫だ。においも舐め取る」

また、頬に、
眼に、
そして、顎を、
喉を、
耳を、
額へと、口付けた。

ゆっくりとサンジの腕が動く。
ゾロの肩に、そして首に触れ、そのままゆっくりと回された腕で、ぎゅっと強く抱きついた。


本当に手間がかかると、ゾロは金色の頭を引き寄せた。
素直じゃないのは昔からだ。しかも余計なことは口にするが、肝心な時だけ口を閉ざすから始末が悪い。
自分のところに駆け込んだのは評価するが、なにも毛布に包まることはないだろう。
ぶつぶつと心でぼやきながら、白い首と肩の間に自分の顔を埋めた。

背に手を回すと、薄手のシャツ越しに背中の骨が指先に当たった。
前より少し痩せたような気がする。この男は他人の飯と腹の心配はしても、自分のことにはとんと無頓着だ。
意外と広いサンジの肩は骨でごつごつしてて、お世辞にもいい感触といえないかもしれないが、でもゾロには長年慣れ親しんだものであり、煙草のにおいと一緒に、自分の身体にしっぽりと納まる場所ができてしまったみたいな気がする。


付き合って10年経てば、こういう夜もある。
たとえセックスはしなくても、ただ抱き合って夜を過ごすことが出来る。
毛布より俺の方がはるかに上等なはずだと、ゾロは自分の身体でサンジをやわらかく包み込んだ。






END


※リーマンパラレル第7話です。32歳設定。
2007/11.7