さようなら、ザジ 20








喩えるならば。鳩が豆鉄砲を食らった、そんな顔である。ナミの眼が大きく見開かれた。

「アンタが?サンジくんと?え?アンタが?えええ?あのサンジくんと?」
ゾロが簡単に事情を説明したのは2部屋分の個室を確保するためであり、どうせいつかはばれると思ったからだ。
ヘンな噂がたつ前に行動を起こしたのは、昔故郷であった出来事でゾロが学習したからであろう。
そして、抑えとくべき相手はナミだ。
頭がいいから、他の仲間への説明だって的確にできるはずだ。ルフィに説明したところで、
「へぇ。いいんじゃねえか、別に」くらいしか反応はないだろうし、ウソップはきっと過剰反応する。おそらく豆鉄砲ではすまない。
だからナミにゾロは話した。

「…さすがグランドライン。予想外だわ…」
「俺も予想外だ。お前が想像するよりも、我ながら驚いてる」
「なあに?天使のように可愛いサンジくんの子供時代を一緒に過ごして、ついそんな気になったわけ?」
そうナミに言われてゾロは思い出した。
「アホ。そんな趣味はねえ。だが仕方ねえんだ。あれでも天使からもらったモンだからな」
「天使からもらった?サンジくんを?」
「『天使の贈り物』だと。大事にしろってな。笑われたような気もするが、知らずにうっかり手にとっちまったからしょうがねぇ」
「なんかよくわからないけど、目出度い話なのよね?」
ナミが笑った。

「でもサンジくんたら、私にずっと惚れてるようなこと言っといて、アンタを選ぶなんて。いいわね、ゾロのくせに若い恋人ができちゃって。男だけど。あまり羨ましくないけど。もしかすると、私がその気になったらゾロ、アンタ振られちゃう?」
少し意地悪な顔で笑うナミに、ゾロが言い返す。
「若いつばめってヤツか?」
「……嫌ないい方するわね」
「……お互い様だ」


部屋を出る前、ナミが振り返った。
「別に協力するつもりはないけど、邪魔もしないわ」
ゾロにしてみれば、放っておいてもらえるにこしたことはない。
「晩年になって、やっとできた大切な恋人だもんね」
「誰が晩年だ!おめぇとは1歳しか違わねえだろうが!」

そういや、もうすぐアンタの誕生日じゃない。けらけら笑い、

仲良くやんなさいよ。

手をひらひらさせ、また笑いながらナミは部屋を後にした。







船はグランドラインを進む。
『俺たちの船は誰にも負けない』と船長が豪語するサニー号は強い。
船長は別格の強さを持ち、ナミは天候を自由自在に操り、ウソップは狙ったものは必ず撃ち落す。
サンジの足はどんなものでも砕き、そしてゾロはその名前を世界中に知らしめた。
大剣豪として。







「てめぇはもう二度と俺の名前をいうな」
ある晩、ゾロはサンジからそう言い渡された。行為のあと、ゾロがうとうとまどろみ、サンジがタバコをふかしていた時のことだ。
名前を呼べといったり、言うなといったり、ゾロにしてみれば大変面倒臭い。やはり『コック』で充分だと思いつつも、とりあえず理由を訊いてみた。
「何で?」
「何で?何でじゃねえだろ!」
ゾロは普段その名前を口にしないくせに、平気で行為の最中だけ名を呼ぶ。しかもサンジがいきそうな時に限ってそれを口にする。
耳元で、低い声で囁かれてサンジは身悶えする思いだ。ヘンな声が出てしまうのは絶対その所為だと思う。

「それと、もうひとつ」
やってる最中に余計なことを言うなと、ゾロはサンジから指導を受けた。
余計なこととはなんだろう。
「黙ってやれと、そういうことか?」
「違う。余計なことを言うなっていってるんだ」
「よくわからんが、なら何を言えばいい?『一突き二突き三突き』とでも言いながら黙々やれってか?」
「……ひ、一突き?てっ、てっ、てめ…ふっ、ふっ、ふざ……」
サンジは突発的な怒りで言語に障害をきたした。

『てめぇはガキん頃、皮膚が弱くてよ。このケツがすぐに赤くなっちまうんだ。痛てぇのか、ひぃひぃ泣きやがって容易じゃなかったぞ』
そう言いながらサンジの尻を愛撫したりする。される方はたまったものではない。







11月になり、朝晩かなり冷え込むようになった。
時折、とてつもなく大きな氷山と出くわすことがある。
「うほーーーー!でっけえ!」
ルフィが見上げ、眼を輝かせた。
絶壁のような氷の山。白く表面を覆った隙間から、青白く透きとおった肌が見える。
「すごいわね。まるで行く手を阻むようだわ」
「グランドラインも奥までくるとまるで秘境だな」
「…そうか。そんな遠くまできちまったか……。痛てて、持病の癪が……」
「これから何が襲い来るかわかったモンじゃねえ」
「まずは氷山ね。たかが氷山だと甘く見るとひどい眼にあうわ。水面に浮かんでるのはほんの一角だから、なめてかかると船をやられるわよ」
「俺の作った船を信じろ。こいつは最強だ」
「んじゃ。とりあえず、これを片付けちまうか。邪魔だしな」
船長の口調は軽い。
「ゾロ。斬っちまえ」

氷を切り裂いて船は進む。







「………はァ…」
溜息と似た声を漏らし、サンジはゾロの下から出ようとした。風呂に行くためだ。身体中にべたべたと体液が纏わりついて気持ちが悪い。
すると、突然ゾロから殴られた。
「……ってえ。痛てぇじゃねえか!いきなり何をしやがんだ、このクソ野郎!」
「うるせえ!てめぇという奴ァ………」

サンジの喘ぎ声は切ない。
漏らさまいと我慢して声を殺し、それでもこぼれてしまう声はひどく切ない。
声というより、息だ。
微かに、低く、高く、荒く密かに息を漏らす。
それだけでもゾロはかなりくるのに、とんでもないことを抜かした。
「……っと」
『もっと』か、『そうか、もっとか』と、『ならば遠慮はいらねえな』、そうゾロが解釈したら、
「…奥。もっと、奥だ」
奥を突け、とサンジが仰け反り、うわ言のように何度も呟いた。

「いいか。俺だからこんなモンで済むが、あんなはしたないことを抜かすと、お前穴だらけにされちまうぞ。解かってんのか?」
「…あ、穴だらけ………?」
仏頂面で頷くゾロに、
「なっ、なっ、何がはしたねえってんだ!てめぇにそんなこと言われる筋合いはねえぞ!しかも、穴だらけ……?」
サンジは怒りに身を震わせた。
「……俺が何を言った?おい!何を言ったかいってみろ!」
「言いたくねえ」
もちろん、口にするのも恥ずかしいからである。
「いきなり人をブッ叩いたくせに、言いたくねえで道理が通るか!」
「通る」
「通らねえ」
「通る」
「絶対に通らねえ!」
「しつけえな、お前は。じゃ、通るでいいから、風呂に入るのはもう少し後にしろ」
「やだ」
「後にしろ」
「へっ、やだね」
「生意気だな、てめぇは!いいから後にしろって言ってんだろうが!」
「ふざけんな!もう一回とか抜かすつもりだろ!」







寒いせいか、近頃みんな暇さえあればキッチンに集まってくる。
ウソップは工場をキッチンに移動させ、フランキーはわざわざ武器を持ち込んで磨き、ロビンは本を読んでナミはテーブルで海図を描く。
ゾロは眠り、その傍でチョッパーが薬を調合する。
船長は暑かろうが寒かろうが必ずライオンの頭の上だ。
我慢強いというより、痛感感覚が人よりかなり鈍いというのが定説だった。だが空腹には敏感だ。
サンジもテーブルで何やら書き物をしている。
「何だ、それ?」
ウソップが訊くと、料理のレシピと買出しリストだと答えた。
「レシピはともかく、そのリストの字は何処の文字だ?見たことねえぞ」
すると、「内緒だ」と、ニッと笑った。

みんなが部屋を出て行った後、ゾロは眼を覚ました。
大きく欠伸をして、部屋を見渡すとサンジがテーブルに突っ伏し寝ていた。手に鉛筆を握ったまま眠っている。
手元にノートが広げられ、メモらしきものが2〜3枚置いてあった。そこに書かれた字を見てゾロはサンジの背中に毛布をかけ、そして静かに部屋を出た。

こむぎこ
しお
さとう
こしょう
にく(いっぱい)
まめ
ドライチェリー
レモソ
ライム
こめ
やさい
たまご
パソ
さけ







「海流が変わったわ」
ナミが海を見て、そうみんなに言った。
「何だ、何処かに流されてるってのか?」
「ううん。海底にある流れがずっとひとつの方向にむかっているの。すごく緩やかな流れだから今まで気づかなかったけど」
「何処にだ?」
問いかける船長を無視してサンジを振り返り、ナミははっきりとした声で断言した。

「きっと、その先にあるんだわ。世界中の海流が集まる場所。すべての流れが、海が、魚も全部そこに集まるの」


オールブルーよ。








「オールブルーが見つかったらよ、帰りは真っ先にジジイのとこに行ってやりてぇ」
サンジがベッドでそう呟いた。
「生きてんのか?あの爺さんは」
「死なねえだろ?くたばるツラしてねえし。そういや、チョッパーんとこの婆さんもまだ元気らしいぜ。手紙が来たって喜んでた」
「あの婆さんが?」

ドクターくれは。彼女に初めてドラムで会ったとき、
『あたしゃ、まだ花の130代だよ。若さの秘訣を知りたいかい?』
ニッと笑った顔はともかく、確かに身体だけは娘のように若かった。
「今は150代か?すげえな……」
「だろ?ジジイだってあの婆さんに負けず劣らず元気に違いねぇよ。奴らは半分物の怪だ」
赫足のゼフ。
元海賊船の船長で、コックでありサンジの養い親だ。
おそらく今でもバラティエで誰かを蹴っ飛ばしているに違いない。
ルフィの祖父である『拳固のガープ』、彼もまた元気に現役で海軍生活を送っているようだ。
『じいちゃん、しつこくてよぉ……。お前が海賊王になったら地の果てまで追っかけてやるって。じいちゃんの言うことをきかないヤツはお仕置きだと。そんで早く海軍に転職しろってうるせえんだよな……』

「ことが済んだら、お前も国に帰るのか?」
サンジにそう問われてゾロは久しぶりに故郷を思い出した。

「そういや、昔お前を村に連れて行ったことがある。覚えてるか?」
頼みの綱であった両親は不在で、しかもヘンな噂を流されて、結局ザジを自分の手で育てることにしたのはあの村がきっかけだった。
サンジは少し考えている様子で、
「………いや。覚えてねえ」
そう答えたが、実は少しだけ覚えていることがある。
それは不安だ。
ゾロのズボンの裾を、ぎゅっと握り締めたのは怖かったからだ。
サンジはあの時自分がゾロに置き去りにされそうになった事情を知らない。ただ、漠然とした不安だけを感じ取っていた。

「お前も一緒に来いよな」
そういうと、ゾロは眠そうな顔でまたひとつ欠伸をした。だが、コックを親に紹介することを考えたら眠気が飛んだ。
どんな顔をするだろう。
孫だと思って喜ぶ両親の顔が、驚きに変わっていく様が見てみたいものだ。
実はそういうところがゾロは祖父とよく似ている。だが、幸か不幸か自覚はなかった。







ある日、ゾロとサンジの仲を知ったウソップは顎を床まで落とした。
「……昔、サンジが船降りる前だったか。ヤツが『恋人を自分好みに育てるのは男の夢』だとか何とか抜かしてたよな?」
もちろん、ゾロは覚えてない。
「覚えてねえが、あったとしてもそれはヤツの夢で、俺はそんな夢は持ってねえぞ」
だが結果としてそうなった。
「ずいぶん、おめぇに甲斐甲斐しかったが、あれも仕込みか?」
「そんな仕込をした覚えもねえが、最近じゃ面倒みてもらうどころか蹴られてる」
「ゾロゾロって懐いてたよな?」
「だから今は蹴られてるっていってるだろうが。しかも般若のようなツラでいきなり蹴りやがる。手加減もクソもあったモンじゃねえ」
「……しかし何が起こるかわかんねえもんだな。サンジは赤ん坊になっちまうし、しかもおめぇらはデキちまうし…、もしもこの上サンジにガキなんか出来たら、俺ァどうしたらいいんだ?ここはグランドラインだ。しかも廻りはゴムやらハナハナやらヒトヒトだの、おまけにヨミヨミなんてのもいるし、訳のわかんねえ能力者でいっぱいで、うっかりサンジが何か孕んでも不思議はねえだろ?」
頼むからそん時は俺に相談しないでチョッパーにしてくれと、ウソップは真剣な表情だ。
「間違っても相談しねえから心配するな。それより、チョッパーにお前が診てもらったらどうだ?頭からなんか湧いてるぞ」





船は進む。
夢を実現するために、それぞれの思いを乗せてグランドラインを進む。





「そういや、明日はてめぇの誕生日だな」
サンジはタバコに火をつけて、白い煙を吐き出した。
ゾロは明日、39歳になる。
その晩、サンジは夢を語った。

「年齢的にいえば、てめぇが先に死ぬだろ?それでなくても剣士なんて職業柄、いつ死ぬかわかったモンじゃねえよな?おまけに海賊だしよ。そしたらさ」

若くて可愛い嫁さんをもらう。
レストランを経営しながら休みの日はパイを焼いて、妻や子供たちと楽しく過ごす。
庭にはブランコと、いちじくや林檎、ナツメや杏など実のなる樹を植えて、そして犬を飼う。
みんなで壁のペンキを塗ったり、庭でバーベキューをしたり、またはサッカーして遊んだり。
そこはいつも笑い声が絶えない。

そう、嫌がらせのような夢物語をゾロに聞かせた。
サンジがゾロに呼ばれればすぐにいくのはザジの後遺症だが、ゾロもそれに近いものはある。
たまに保護者になってしまう。
ゾロは自分が死んだ後のことなどどうでもよくて、勝手なことを抜かしやがってと思わないでもないが、ただこの男がそれでしあわせになれるのなら、それはそれでかまわないと思ってしまうのである。
昔、ザジが話した夢のようだ。
だが、当然いってやるつもりは全然ない。
ここまで好き勝手言われ、それでもお前が云々など、ゾロはその性格ゆえ死んでもそんなことは口にしない。とりあえず後でお仕置きでもしてやるかと考えていると、サンジがゾロの鼻を摘み、

「だけど、あまり早く死ぬなよな。寂しくなる」


「ほんのちょっと、だけどな」、念を押しながら小さく笑った。








性欲。それに愛と名前をつけたのはサンジだった。19年前のことである。
だが、今になればわかる。

意地を張り合い
前しか見ていなかったあの頃
コックが赤ん坊になったとき
初めて自分の名前を呼ばれたとき
雨に打たれ、雪に埋もれ、寒さに震えるザジを抱き、二人で過ごした冬も
ひとり船に乗るザジを見送った港で聞いたあの汽笛

仲間が待っていてくれたこと
この男が、今自分の傍にいることも

今ならばわかる。

すべての流れには源があるのだと。






それは、あった。









確かに、そこに、愛はある。




















END



2006初ゾロ誕。2006/11.11〜2007/8.2