PRESENT/MEMORY








荒れ狂う海だった。
波は大きなうねりとなり水龍と化して、そこに在るもの全てを拒む。重苦しく圧し掛かった灰色の雲は海を吸い上げ、幾本もの竜巻はまるで天に聳え立つ巨大な柱だ。

「…すげ」
その光景を見て、コックが口をぱかんと開けたまま小さく呟いた。
「…絶景だな」
「感心してる場合じゃねぇぞ!早く舵をとれ!自動操縦だけじゃおいつかん!」
俺が大声で指示を出すと、
「わかってらーーー!今やろうと思ってたんじゃねぇか!チクショー、命令すんな!」
きっちり怒鳴り返してから、コントロールルームへと走って行った。
言い返さねば気が済まないのは性分だろうか。普段は自分で判断して動くが、次にとるべき行動を俺がうっかり指摘するとむきになることがある。なかなか面倒な性格だ。

海が渦を巻いている。
大きな海王類が「ギャギャ」と悲痛な悲鳴をあげ、抗うすべもなく渦に吸い込まれていく。自分たちを乗せた船は、幸いにも渦を巧みに避けていった。いくら船が最新型とはいえ万能ではない。ここまで海が荒れていたらそれだけに頼っているわけにはいかないのが現状だ。機械の予測できない部分をコックが補った。奴も機械ではあるがこう見えてもハイスペック、しかもフレキシブルで非常に人間に近い。いや、近いというより人間臭いというか、
「どうだ?俺の操縦はパーフェクトだろ。海王類に勝ったな。あいつ、海が荒れる前にこの船ごと呑み込もうとしやがった。つーか俺らのこと食う気まんまんだったもんな。くるくる渦巻かれて竜巻で飛ばされてやんの。ざまあ!」
勝ち誇ったように、天に向かって高笑いした。ようするに、ロボットなのに性格が悪いと思う。
近頃たまにだが、コックが子供じみて見えてしまうことがある。
最難関海域と噂が高いこの海では何があるかわからない。目まぐるしく変化する天候もさることながら、いきなり襲われ見知らぬ奴と戦ったり、槍の雨がバカスカ降ったり海底火山が爆発したこともあったり、または巨大な海蛙に食われそうになったりとか、挙句は悪魔の実がどうしたこうした、そしてスーツがぼろぼろになって、ネクタイもすぐにボロボロになるので自ら3本1000ベリーの安物ネクタイにしたりと、たった1年の間にいろいろあった。
だが、ここにきてからコックが少し変わった気がする。生活環境による変化か、もしくは初期化の影響かはわからない。
コックは基本アホツラのくせに妙にすました顔をすることがある。ほんとはバカのくせにたまに眼鏡をかけたり、笑ってるのかと思ったら怒鳴ったりとか、ころころと態度や表情が変わるのが特長だが、たまにさっきのような子供っぽい顔も見せるようになった。
もしかすると、ガキ臭く感じるのは自分の問題か。
俺は今年で29歳になる。
「てめぇは海王類のうんこになるだけだが、俺は消化できねぇし。未消化のままクソに混じってたまるか。ざまあみやがれってんだ」
ケッケッケーと笑う横顔は、13年前と同じようで違う。





夜になると海は一転して穏やかになった。
真っ黒な空は相変わらず厚い雲で覆われているが、今は風ひとつない。完全に凪いだ状態だった。
「先に風呂入っちまえば。背中洗うときは呼べよなー」
キッチンからコックの声がする。
前とは比べ物にならないくらい小さなキッチンではあるが、コックはどうやら気に入っているらしい。初めて船内に入ったとき、真っ先に向かったのがキッチンだった。物珍しげにあちこち触っては、
「へー。ちゃんとしたオーブンがある。船は最新式なのにオーブンは旧式というか、レトロ?こういうのってえらく高いんじゃねぇのか?あ、フリーザーも最新型だ!すげぇ!」
ひどく喜んでいた。
2回声をかけてきたが、返事をしないでいたらコックが甲板にやってきた。
そして、
「…なんだこれ?」
目の前に広がる夜の海に、
「…海がこんなになるのか」
コックが息を呑んだ。

「おい。うっかり飛び込むんじゃねぇぞ」
ふと昔のことを思い出した。とりあえず釘を刺して置いたが、そんな言葉などろくに聞こえていないのだろう。
「…あ、これって夜光虫の一種?初めて見た…」
呆然とした表情で、立ったまま海を見つめた。

海が黄緑色に光っている。
無数の光が瞬き、真っ黒な水面で輝いている。夜の海に咲く花のようだ。
その輝きは時に弱まり、または微かに移動しながら、見るもののことなどお構いなしに自分たちの営みを続けている。
穏やかになった海をぼんやりと見ていたら気づいた。黄緑色の小さな明かりがぽつんと海に灯され、なんだろうと思っているうちに、それはあっという間に増えていった。
光は幾本もの輝く帯となり、揺らめき、そして面となって夜の海を覆いつくした。
コックが隣に腰をおろした。
「…ジジイもこんな海を見たんか」
「どうだかな。この星かどうかわからんし、同じもんかどうかも定かじゃねぇが、おそらくこんな光景も見ただろうさ」
俺がそう返事すると、そのまま口を閉ざした。
船は待機状態だから、ほぼ無音だ。波の音すら聞こえない。だからコックが黙ると耳が痛いくらい静かになってしまう。
あまりに静かなので、ふと隣に腰掛ける男を見た。
鼻や頬に黄緑色の光が反射して、金色の髪まで黄緑に光っている。その白い横顔からは何も読み取れないが、綺麗な表情だった。男に対して、それは適切な表現ではないかもしれない。眉だってオプション全開にぐるぐるで、どこが綺麗なのかと問われれば返事に窮するが、思うだけなら自由だろう。
絶対口にすることができない言葉だからなおさらだ。そんなことを言った日には、コックがどんな顔で笑うか簡単に想像がつく。

突然、ピーーと金属音が鳴り響いた。
さほど大きな音ではないが、俺は背後に首を向けた。
「オーブンだ。後は余熱で焼くから放っておいても問題ねぇ。今夜はてめぇの好きな海獣の…」
そういったかと思うと、
「あ?あれ?おい今日は何日だ?」
突然コックが回りをきょろきょろ見渡した。いくら海や甲板を眺めてもカレンダーじゃないから答えは見つからないだろうに。
「11月だ」
可哀想な頭だからと、せっかく教えてやった俺をキッと睨みつけて、
「ボケ。んなのはわかってる。チクショー!今からじゃ間にあわねぇ!つうか材料足りねーーー!蝋燭もねぇぞ、どうすんだ!」
頭を掻き毟る姿をみて気が楽になった。今年はというか、去年もそうだったが、どうやら蝋燭を吹き消さずに済みそうだ。
「…おい。喜んでんじゃねぇぞこら。クソが、仏壇用の蝋燭すらねぇってのに」
「そんなのケーキに刺しやがったらぶっ殺す。祝われてんのか弔われてんのかわかりゃしねぇ」
俺の返事を無視して、そのままコックはむすっと口を閉ざした。

夜光虫の群れがまた形を変えた。
ゆうるりときれいな流線形を描いた後、また黄緑色の沼になった。それは夜の海に浮かぶ沼だ。
咥えていた煙草を揉み消して、コックはその手をそのまま俺の肩に置いた。そして何を考えたか、ふいに顔を寄せると、乾いた唇でそっと頬に触れた。
「あ?」
だがされた俺よりも、してきたコックの方がひどく驚いた表情だ。目を大きく見開いて、
「…え?別にヘンな下心とかじゃねぇんだが…。なんだこれ…?」
おもいきりバツが悪そうな顔をしたかとおもうと、隠すように俺の肩に頭を置いた。
「……そうか。初期化以前の…」


ちょうど一年前だ。
あれから1年経って、自動修復機能により戻ったデータは約3割だった。今後どの程度まで数値に変化があるかはわからないが予想以上だ。さすが便器会社よりもお高いだけのことはある。
コックが最初に思い出したのはナミのことだった。根っから女好きなのか、彼女は胸がでかかっただの、瞳は星よりも煌めき、唇は朝露で腰がどうした足が云々と、妄想混じりのことをしばらく口走っていたが、そうしているうちにひょいと受付の女のことを思い出して、これまた余計なことに処分した会社のことを言い出した。
「処分?会社を清算したってのか?全部?まさかグループ全部か?」
俺は大きく頷いた。
「あそこは俺がいなくたって問題ねぇ」
俺ひとりいなくたって世界は何もかわらない。あそこで寝ているのも悪くなかったが、場所を変えて居眠りするのも悪くない。しかも、此処じゃ気を抜いた昼寝してると生死にかかわるのだ。ここだって俺がいなくても何も変わらないけど、自分には意義がある場所だ。俺はもっともっと強くなれる。
「……お前、俺があんだけ苦労してでかくした会社を勝手に」
しばらく文句いっていた。
「この甲斐性無しが!」
もっと口汚い言葉で散々罵られたけど、この海で海賊相手に戦ったり海王類に襲われたりジャングルには見たことない虫がいて悲鳴を上げたりと忙しくて、それどころじゃなくなったのか次第になにもいわなくなった。喜ばしい限りである。
だが、思い出さないことの方がはるかに多い。それは例えば。
一度だけ見た海のこと。
そして砂漠の海を泳いだことや。
ふたりだけで過ごした時間など。
自分とそういった関係があったことも、とんとさっぱりだ。此処にきてまた海を見ても、一緒に砂漠を歩いてもコックは思い出しもしなかった。
たまに思い出し笑いをすることはあった。いきなりケケケーと笑い出す。その様子があまりにも不憫で、訊けば、
「ほらあれ。てめぇの見合い相手。ありゃすごかったな。すっげえ形相で脅威的な速度だった。お前、あれと結婚すりゃよかったのに。こんな星までわざわざ来なくたって、毎日がきっとスリリングだったと思うぞ。お前より強そうじゃね?」
そういってまたコックが笑った。


黄緑色の発光が強まってきた。淡い輝きの集合体から別なものに変化しようとしているようだ。眩しい光に目を細めると、コックが話しかけてきた。
「今の俺は前の俺とどう違う?」
そう問いかけられ、ようやく俺は気づいた。あまりにも単純なことで、なのにありえないと考えてたのは、こいつがロボットだからだ。
「今の俺は16の俺とは違う。別物じゃねぇけど、やはり違う。だけど俺の中には16の俺がまだいる。てめぇが多少変わってもしょうがねぇ話だ」
変わっていくのは自分だけだと思い込んでいたらしい。俺の話を聞いて、コックは意外そうな表情をした。
「そんなに変わったか?」
「ほんの少しだけだ」
嘘じゃない。少しだけガキっぽいというか、生き生きした顔をするようになって、そしてたまに心を揺すぶられるような表情を目にする機会が増えただけだ。
「例えば?」
バカめ。口が裂けてもいえるか。
黙っていると、俺を見てコックが微かに笑った。
「今年はプレゼントこねぇな。執事の腹巻が見られないのは残念だ。てめぇんとこのばあさんが送ってくれる健康食品は貴重品だったのに。マジで滅多にお目にかかれねぇようなモンばっかだった。こんな海の上じゃしょうがねぇにしても、お前行き先くれぇ親父らに連絡しておけばよかったんだ」
腹巻の心配は余計だ。むこう10年分くらいあるのだ。それにばあさんの贈ってくれるものは毒か薬かわからないようなモンばかりではないか。
誕生日がキーワードになったのだろうか。
コックがそういうのを口にするのは初めてだ。他人絡みのデータしか残ってないと思っていた。


「俺に祝われても嬉しくねぇだろうが」
そういって、また顔を寄せてきた。乾いた唇とひんやり冷たい頬、そして金色の髪が俺の頬にかかる。
「この海のどこかにお前が望むものがあんだろ?誰よりも強くなんだっけか?俺に守られるの嫌いだしな」
何度も触れてくる唇がひどくくすぐったい。
「…これもメモリか」
何を思い出したのか、喉でククッと笑って、
「俺が見届けてやる」
てめぇの好きなようにすればいいと、コックの唇が頬で動いた。


ありえない話だ。
あまりにも馬鹿げているではないか。
俺は思わず片手で顔を覆った。その指の間から滴が伝い落ち、それに気づいたかどうかは分からないが、コックがまた俺の肩と首の間に顔を埋めた。
たかが誕生日だ。生きてりゃ放っておいても毎年毎年律儀にやってくるものだ。
コックのメモリがまた少し回復しただけだ。アホな頭の自動修復機能がちょっと働いただけではないか。
頬にキスされたからと、未経験のガキじゃあるまいし、それがなんだというんだ。
それでも滴は指の間から溢れる。意思とは関係なく流れる。つつつと腕を伝って、肘から床へとゆっくり零れて、腹が立つほど忌々しいものなのに温かい。
肩のぬくもりと同じくらい、それは温かかった。


海が戻ろうとしている。いつの間にか光が弱くなっていた。
溢れんばかりの黄緑色の光、それが今ではただの夜空となってぽつぽつ小さく輝いているだけだ。
「そろそろ飯の仕上げをしねぇと」
コックが腰を上げてキッチンに向かう。その背中に話しかけた。
「お前、本当はどこまでデータが戻ったんだ?」
コックはくるっと振り返ると、ニッと笑ってそのまま船室へ姿を消した。それが返事のつもりだろうか。そして、
「てめぇもとっとと風呂にはいっちまえ!ぐずぐずしてっとメインの肉に海賊旗をブッ刺すぞ!蝋燭がねぇ!ケーキもねぇんだ!」
わざわざ遠くから怒鳴った。この場でいえばいいものを。
「そんなもんおっ立てやがったら承知しねぇ!てめぇが食え!」
「俺?だって俺ってフリーエネルギーだから飯いんねーし。それに比べるとてめぇは燃費わりぃよなー」
キッチンから笑い声がした。
「…ケッ、ポンコツがなにを抜かす…」
ボソッとひとりごとを呟くと、キッチンからものすごい勢いでレードルが飛んできて、甲板にズボッと突き刺さった。悪口は遠くでも聞こえるというのは本当らしい。
今度は包丁でも飛んでくるかと思ったら、コックがひょいと顔を覗かせて、
「ほんとは残念なんだろ?正直にいってみろ。欲しかったんだろうが、愛情腹巻」
ニヤニヤ笑った。
「いいや。もう充分過ぎるほどもらった」
嘘じゃない。親父やおふくろ、そして執事、じいさんばあさんその他もろもろ、プレゼントと一緒に貰ったものはもう充分満ち足りている。感謝とともにゲップが出るほどだ。

俺は腰を上げた。もちろん風呂に入るためだ。ゆったりと風呂につかっていれば、おそらく黙っていてもコックはやってくる。
「何で呼ばねぇ?俺の話聞いてた?ちゃんと背中は洗ったんか?ボケ、やっぱ洗ってねぇじゃねえか!」なんて怒鳴るであろう男を風呂に引き摺りこむのもいい。どこまでメモリが自動修復されたかわからないが、いろいろやってるうちに、もしかするとまた回復するやもしれないではないか。なんにせよ、試してみなければわからない話だ。
もしかすると拒まれる可能性もあるが、なんせ俺には誕生日という切り札がある。そんな最強の武器を手にした俺に敵うはずがない。


風が出てきたのか、海が波打ってきた。その波間にまだぽつぽつと黄緑色のあかりが残っている。
夜空の星を写しとったような小さな光、それが突如として輝いた。パァーッと白く閃光のように輝き、自分たちを乗せた船を明るく照らし、そしてだんだん闇に吸い込まれるようにして、夜の海へと戻っていった。








END


2009/03.21