自転車こいで月までいこう









遠く海を渡ってきた夏風が、すばやく島を駆け抜ける。
覆い茂った緑の樹木を揺らし、白い雲をちぎって、そして自転車をこぐサンジの背中をやさしく押した。

「…重い。なァ、何でこんなに重いんだ?実は腹に石でも詰まってんのか…?」
「文句いってねぇで、みしみしこげ。まだ看板は見えてこねぇぞ」

ルールは次の看板まで。だがその看板がなかなか見えてこない。この起伏の激しい島の道路を、サンジはゾロを後に乗せて自転車をこいだ。
もう3〜4qは走っているだろう、背後で立ち乗りするゾロがひどく重く感じる。交替してからずっとなだらかな上り坂が延々続き、サンジの愚痴も多くなったり少なくなったり、息も上がってかなり辛い。


「…何か、身が詰まってる、って…いうか…。詐欺にあった気分…?」

身長はほぼ同じである。確かにゾロのほうが筋肉のつきはいいし、胸板も若干厚いかもしれない。でもさほどは変わらないだろうと思っていた。それが間違いと解かったのは一台の自転車。島の貸し自転車屋に置いてあるのは、殆どキュートなママチャリだった。女の子なら可愛いが、男には痛々しいほどキュートだ。スポーツタイプは一台だけ、だから二人で1台借りた、島の地図と共に海沿いを1周する為に。


「お、おい!看板だっ!降りろ!いつまで乗ってやがるっ!」
もう看板か」
ゾロは涼しい顔で、自転車から降りて場所を移動した。

広い肩に手を置き、サンジは上がった息を整えながら改めて廻りの景色を見渡した。樹木が葉の裏をのぞかせ、さわさわと風に揺れて、左側には水平線まできらきら輝く青い海が見える。
だがそんな光景を堪能する間もなく、気づけばいつしか道路は下り斜面にさしかかっていた。その先は、かなり急な下り坂がカーブしながら続いている。

「なんだそら?何でてめぇに替わったとたん下りなんだ?」
「知るか!いいからちゃんと掴まってろ!」
振り落とされんな、とゾロが背後に声をかけるなり、ぐんぐんぐんぐん加速して自転車は斜面を下って、

ちっくしょー、俺ァ納得いかねえええええええ――――――

サンジの大きな声が島風に吹き飛ばされた。







この夏の旅行はふたりにとって初めてのものだ。そしてこれが最後かもしれないと互いに考えている。だから受験を控えているにも係わらず、3泊4日の日程でこの島へとやってきた。

「島に行こうぜ!島!青い空と青い海!」
くるりと回って、
「そしてレディとひと夏の出会い!」
ピンク色のハートを撒き散らして舞った。そんな男を誘ったのはゾロだ。

高校2年の時に初めて二人はクラスが一緒になった。
「犬猿の仲っていうのか?そんなに喧嘩ばっかりしてるんなら離れていたらいいじゃねぇか」友人たちにはそう言われていたが、「じゃれあってばっかりいる」という者もいた。
喧嘩ばかりしているが仲が悪いわけではない。話せばそれなりに会話は弾むし、何より同性だから変な気を使わなくて楽だ。二人にとって喧嘩はただのコミュニケーションのひとつらしい。
口が悪くてガラも悪い、剣道馬鹿で愛想もへったくれもない男、友人とは呼べないその男にサンジは一目置いていたりする。普段つるんで遊ぶ仲間よりも、実は少しだけ信頼していたりもする。
だが卒業後、お互いの進路はまったく違う。既に他の友人達は受験に向けて、塾にセミナーに忙しい毎日をおくっているそんな中、「夏休み、何処かいかねぇか?」珍しくゾロが誘いをかけ、「行くならば」サンジが行く先を決め、ゾロが船の手配をして、そしてサンジが宿を決めた。








月夜の晩、桟橋を出港したその船は、見た目だけは大きくとても立派な船だった。が、ゾロが手配したのは一番安いであろうと思われる切符だ。
何も考えず、ただ切符が取れればいいくらいのつもりだったらしい。だが、この件についてゾロはサンジから「難民船に乗せられた」、「貧乏臭せぇ」、「どこかに売り飛ばされるかと思った」等々、最低でも10回の嫌味をいわれたのは事実だ。
帰省と観光の客でごったがえしたその船は人で溢れかえり、船室も広い場所ではあったが、大勢に揉まれての雑魚寝状態である。快適な船旅とはほど遠く、空気も寝心地も非常に良くない。
あまりの息苦しさに、ふたりは毛布を持って甲板に出た。

白くまあるい月が夜空にぷっかり浮かんでいる。
ぺらぺらと紙のように薄く、手を伸ばせば届きそうなくらい現実感がない。隣でサンジが毛布にすっぽり包まり、何やら呟いているのにゾロは気づいた。掠れた低い声。波と潮風に消されながら、いつしかその声が音楽にかわって耳に届いた。


「なんて曲だ?初めて聞く」
「『FLY ME TO THE MOON』、私を月まで連れてって、だと。昔の曲らしいぜ。この頃ジジイがよく聴いてたんだよなァ。覚えちまった」
サンジの祖父にとって思い出の曲らしい。遠い昔を懐かしむように、近頃は繰り返してこの曲ばかり聴いていると説明した。
「恋の歌だってさ。愛しいレディがベッドで歌ってくれりゃ、ジュピターだってマースだって、俺ァ何処にだって連れてってやんのに…」

そしてまた、サンジが歌う。
月夜の甲板に歌が流れる。
囁くように、でも波の音よりもはっきりと、潮風よりも優しく耳元を撫でてゾロのピアスがチリリと小さく揺れた。
そして天にはお月さま。
暗い甲板の片隅で、背中合わせに夜をすごす。ゾロは船の揺れと共に深い眠りの世界へ、そしてサンジは慣れない環境の所為か、またはその揺れの所為なのか、なかなか寝付けない夜を過ごした。










自転車は止まることをしらない。

細いタイヤが浮いて沈んでバウンドしながら地面を離れ、飛んで、跳ねて、ギシギシ鳴いて、くるくる廻る。
びゅんびゅん景色を飛ばして、ぐんぐんぐんと風を切る。
びゅうびゅう夏風が、ふたりの背中を進めと押す。


下まで一気に降りて、その加速で上り坂を登ろうという考えらしい。ゾロはブレーキをかける気配すらない。下り坂の1番真下で速度はMAXとなり、そしてこんもりした上り坂がふたりを待ち受ける。


「おいっ!飛べるぞ!」
ゾロの肩に置かれた手が、期待でうっすら汗ばんだ。
「てめぇを月まで連れてってやれっかもな!」
「あんだ、そりゃ?マジかよ?」
背後でサンジが仰け反って笑うと、


「飛ぶぞっ!」

自転車は高らかな笑い声とともに夏空を飛んだ。










「いででででで…。月を通り越して天国へ連れてかれるかと思った…」
「…あたたたた…。お前があそこでバランス崩さなきゃ転倒しないで済んだんじゃねぇか?」
「あ?何で俺の所為?てめぇが勝手にふらついたんだろうが?」
何でもかんでも人様の所為にするな、男らしくねぇ。そんなサンジの台詞に、
「お前、空中でバランス崩して俺の右肩をぎゅっとして、ぐいっとやったろ?アレがまずかったんだ.
自覚ねぇのか?そうゾロが反論すると
「はい?その前にてめぇがふらついたから俺がバランス崩したんだろ?ちなみに俺のバランス感覚はてめぇ以上だ」
文句をつけた。

道路横の雑木林へ夏風に流されるように落ちて、そのまま草叢へと転がった。自転車はへなりと歪み、タイヤがカラカラ空回りする。その傍らで、自転車より丈夫なふたりの男が掴み合いで喧嘩をした。
月まで行くことはできなかったが、それでも自転車は夏空に飛んだ。島風に流され、青空に浮かんだ。
そしてこのとき、空中遊泳がサンジの尻のほっぺたに小さな傷跡を残した。

小枝がささやかな悪戯をした。
「刺さった、刺さった!」、喚くサンジと曲がった自転車、地面で大の字になったゾロと夏草の匂い。


その傷にゾロはくちづけを落として、消えない咬跡をつけることになるが、それはもう少しだけ先の、そしてこれからの話。















END





大切なリアル友人であり、愛すべきゾロサンフレンズの祝30万打に


2006/5.10