黄泉比良坂 4









「そろそろか」
ひとりごとのように呟き、サンジが立ち上がった。
「てめぇは殺されたって死にゃしねぇだろ」
口端に煙草を咥え、
「いいか、100まで生きろ。憎まれ、皆に疎まれて、おもいっきり世にはばかってやれ」
ニヤッとサンジが笑う。
その声が、遥か彼方から聞こえてくるようで、金色の髪も、その表情も、逆光でよく見えなくて、ゾロが思わず眉を潜めた。





ゆっくり向けられた背中に、ゾロが声をかけた。
「ちょっと待て。さっきから俺は腹が減って仕方ねぇ。何か持ってるなら置いていけ」
「アホか。こんなとこに食い物なんかある訳ねぇ」
「いいから探してみろ」
いわれるがまま、黒いスーツのポケットを探ると、サンジが一瞬動きを止めた。
ゆっくりと抜かれた掌に、セロファンに包まれた、小さな赤い飴玉がひとつ。
「なんで?」
サンジが訝しげな表情で、手の中のものを見た。
「お前がいつもチョッパーにくれてたヤツだろ」
それを寄こせと、ゾロは手を差し出した。
サンジは飴玉を掌に乗せたまま、微動だにしない。
「おい?」
「……いや、これをやるわけにゃいかねぇ」
再びポケットへ閉まおうとする、その手をゾロが握った。
「寄こせっつてんだろ?」
「はっきり断ったはずだ。しつけぇ、あきらめろ」
手首がするりとゾロの手からすり抜けていく。
その腕を、またゾロが掴んだ。
「…てめぇ、触れんのか?」
「気合で多少のことはどうにかなる」
「すげぇな、おい」
サンジが笑うと、もう片方の腕を振りかざすや、その手から小さな赤い宝石のようなものが、大きく弧を描いて遠くへ飛んで行った。
「……騙しやがったなこの野郎」
ゾロが舌打ちし、草叢へと一歩足を踏み入れ、サンジに背を向けたまま、飴の投げられた方向を見た。
そしてゆっくり振り返って、
「ったく阿呆が、煙草じゃ腹が膨れやしねぇ」
ゾロが煙草を大きく吐き出した。
白い煙が大気に揺れる。
「……俺の?」
何もない唇に触れ、サンジの声が震えた。
「…お前…、自分が何をやったかわかってんのか…?」
「わかってる」
「…いや…わかってねぇだろ…?」
そして大声で怒鳴った。
「この馬鹿がっ!!!!!なんで俺のいうことが聞けねぇんだ!!!!」



――――あの世の物は、けっして口にしちゃいけない。うちに帰れなくなっちまう
――――忘れるんじゃないよ。もう二度と戻ってこれなくなるからね


全て曾祖母が教えてくれたことだ。黄泉戸喫といっていた。



「なんでお前がそんなことを知ってる?」
ゾロは疑問を口にした。
「知らなくたって、死んだらわかっちまうことがある。何でてめぇまで知ってる…」
サンジはまだ消化しきれない怒りのオーラを纏ったまま、ゾロと視線を合わせようともしない。
「十億万土だって聞いた」
「十億万土?」
「そんくれぇ長い道程なんだと。子供の頃、死んだばあさんが教えてくれた」
「それがどうした」
「ボケ、そんなに遠いならなおさらだ。ひとりで逝くよりはいいに決まってる」
サンジがゾロを見た。
「どうせいつかは死ぬ。だが誰かにやられてくたばるのは我慢ならねぇ。俺がいつ死ぬかは自分で決める」


―――死んだ者に関わると、えらく切ない気持ちになっちまうらしい
―――いずれ自分もいく道だ。そんな気持ちにもなるんだろう
―――だからこそ関わっちゃいけない。そっと逝かせてやったほうがいいんだ


父親の言葉まで脳裏を過った。
「年寄りの言うことは聞いとくもんだ」
間違ってないのだろう。自分の馬鹿さ加減に可笑しさが込み上げてくる。いっそ大笑いしてもいい気分だ。

「……マジで頭がおかしいのか?なんで薄笑いなんかしてる?後悔しても俺は責任とれねぇぞ?」
サンジがゾロを睨んだ。
「後悔?」
サンジの煙草を咥えながら、ふてぶてしくもニヤッと笑った。
「阿呆、するにきまってる。てめぇなんざと一緒にいて後悔しねぇわけがない」
するとサンジが頭を両手で激しく掻き毟り、
「チックショーーーー!!!!!てめぇになんざ俺の気持がわかってたまるか!!!自分がどんだけ馬鹿なことしたかわかってねぇから、へらへら笑ってられんだろうがっ!!!」
大声で怒鳴った。
「わかってる、同じことを2回もいわせるな。そんな簡単なことも理解できねぇとは」
「うるせぇ!!!返せっ!!!」
ゾロの口から短くなった煙草を奪い取った。まだ腹立ちがおさまらないといった表情だ。
「てめぇが俺の想像以上に馬鹿で、しかもマゾなのはわかった。後悔したきゃ好きなだけしたらいい」
「ふん、後悔なんざしたとしても口に出さなきゃわからん」
「なんだその理屈は?」
呆れたような声で、
「なんでそう、ななめ上から」
そういってサンジが笑った。
ゲラゲラゲラゲラ、腹を抱え、
「趣味が鍛錬と後悔とか」
「後悔は別に趣味じゃねぇ。鍛錬も違うぞ。おい、何が可笑しい?笑うなボケッ」
ゾロの真顔の反論を無視して、サンジが涙を流して笑い続けた。





「日が暮れちまった」
藍色に染まった空を見てサンジが呟いた。
「てめぇがグズグズしてっからだ。十億万土もあるって話なのに」
ゾロが道を歩きはじめると、
「…おいこら」
その背中にサンジが声をかけた。
「なんだ?十億万土がどれくれぇ長いかなんて俺が知るわけねぇだろ」
「…なに寝惚けたことぬかしてんだ?」
そして大声で怒鳴った。
「てめぇは俺の前を歩くな!!!それじゃ永遠に何処にもつかねぇぞ!!!」
「俺に怒鳴るな!!!どこに標識がある!?間違ってるって決めつけんじゃねぇ!!!」
「なにが標識だ!!そんなもんあるかクソ野郎!!!てめぇにゃ本能ってもんがねぇのか!!!死んだら何処へ向かうかぐれぇ自然にわかりそうなもんだろっ!!!!」
「ちょっと先に死んだからって、先輩面して威張るんじゃねぇ!!!」
それを聞いたサンジの目が三角になったが、奥歯をギリギリ鳴らし、
「……てめぇを思いっきり蹴り飛ばしてやりてぇところだが、残念ながら時間がねぇ…」
我慢のあまり声を震わせた。
「こっちだ、こい」
いつしかあたりの景色が変わっていた。そこはゾロの故郷のそれではない。
ほの暗くも温かい、そしてもう道とは呼べない道を、二人が歩き始める。

「なんだここは?標識がねぇぞ」
ゾロが文句をいった。
「さっきから標識標識ってうるせぇが、いつも標識なんか見てんのか?」
標識があれば迷子にならないのか、あっても迷子になるのか、もうどうでもいいが多少は気になる。すると、
「見ねぇが、あるにこしたことはない」
訳のわからない返事がかえってきた。
「勘弁してくれ…。もしかすると後悔するのは俺の方じゃねぇのか?クソが…」
「さっきからクソクソうるせぇクソコック」
「コックは廃業だ阿呆」
「コックじゃなくてもコックだ馬鹿め」
「は?てめぇは死んでも俺の名前を呼ばねぇ気か?」
するとゾロがニッと笑った。
「いいや。呼んでやる」



「なんせ十億万土だ。先は長い 」
















END



2006.1.30
2015/4/29改稿