彼とシャツと保健室 11









じょんわじょんわじー、じょわじょわじょわじー。
じーじーじーーーじょんわじょんわじょんわじょんわ…


台風一過の後は、見事な夏空だった。
眩しいほどの青空と白い雲、そして行く夏を惜しむかのように、蝉の声が聞こえた。







夜明けと共に、サンジはゾロを叩き起こした。
早々に出発しなければならない。
男二人でラブホを出るところなんて、誰にも見られたくない。いくら車とはいえ、絶対誰の目にも触れて欲しくないと、サンジは急いでその場所を後にした。疚しいことがあったのだから尚更だ。
適当な場所で車を止めて地図を広げ、そして現在地を確認して、また地図を見ると、その手がわなわなと震えた。
「…あ、…こ、この阿呆ったれ!」
そして地図をフロントガラスに叩きつけて、サンジが大声で怒鳴った。
「馬鹿ったれ!クソったれめが!てめぇはどこを見てやがった!」

「お前が今ぶん投げたやつだ。つーか、朝っぱらから怒鳴るな」
ゾロはまだ眠そうに、欠伸混じりの返事をした。
「たわけ!方向違いも甚だしいぞ!もういい。わかった。もう金輪際てめぇのいうことは信用しねぇ。右だといったら左に曲がってやる。真っ直ぐとナビしたらオレは戻る!」
「そういうのを天邪鬼という。大人の癖に大人げねぇともいうんだ」
うっとおしそうにボリボリ耳をほじると、その耳元でまたサンジが怒鳴り声をあげた。

「ふざけんな!方向音痴なんて生易しいもんじゃねぇ!今、何処にいると思ってやがんだ!」
北の海よりも、もちろん家よりも遥か遠いところにいた。






こんなことがあったのは、つい7時間程前である。早朝で道路が空いていたからだろうか、もしくはアウトバーン並みに飛ばしたからか、奇跡的といってよいほど早い時間に戻ってこられた。とりあえずゾロを降ろして、サンジも自宅に帰ってからシャワーを浴びて、そして再び学校に着いたのはちょうど昼を少し過ぎた頃だった。

蝉の声がひどく煩く感じる。腹立たしいほど頭に響く。
しかも昨日よりも暑い気がする。
サンジはひとり、保健室で呻った。

それにあそこの様子がどうも変だ。
異物感というか、まだモノが挟まっているような感覚が消えない。まさか閉じきってないのかと、恐る恐る自分で触って確認したしまった程だ。さすがに痛みは消えたが、ずっと違和感だけは残っている。
おまけにひどい睡眠不足だった。帰りの車中、助手席でガースカゴーゴー寝てる男に、サンジは幾度も殺意を覚えた。ボコボコに蹴って、飛ばして回してまた蹴って、いっそ蹴り殺そうかと、湧き上がる感情をありったけの理性で、必死に抑えたのであった。

『本当に童貞なのか?』
サンジは昨夜の疑問を反芻した。
問題や疑問点を挙げるとすると。
まずはキスだ。ねちこいというか、童貞のくせに妙に上手いというか、普通童貞があんなキスをするだろうか。いや、童貞だからあんなにねちこいのかもしれないが、少なくとも自分ならあんないやらしいキスはしない。それにするのとされるのでは、驚くほど違っていた。思わず腰が抜けそうになったのは誰にもいえない話だ。

そして、あの手も大いに問題がある。無骨な手は器用だった。思わぬ働きをした。全身をくまなく撫でられ、不本意ながら自分の身体は予想外の事態になってしまった。
おまけにあの目、そしてあれもこれもと考えれば考えるほど、ゾロ未経験説が疑わしく思えてならないサンジだった。





保健室のドアが開いた。
机にうつ伏したままのサンジが顔を上げると、そこにはゾロが立っていた。

「皆勤賞モンだなてめぇは…。またきやがったのか…」
何故かいつものようにベッドへ向かわないで、サンジの机の正面へと腰掛けた。

「大丈夫か?」
珍しく真剣な面持ちだった。しかもどことなく優しげな表情だ。
「あ?何が?」
「だから、辛く…」


『大丈夫?辛くない?』
優しく声をかけると恥ずかしそうに顔をそむけ、少し拗ねたような横顔にはピンク色に染まった柔らかな頬が良く似合っていた。以前、サンジが世間でいう初物をいただいた時の甘い思い出である。

まさかそれを自分が言われる日がくるとは、しかも年下の男子高校生に、身体の心配をされる日が来ようとは夢にも思わず、
「だから、身体が辛くねぇかと…」
「い、い、言うな!言ったらぶっ殺す!ぶちのめす!」
サンジは思わず涙が出そうになった。
泣けるものなら泣いてみたい。泣いてすむなら泣いてもいい。ちりちり胸が痛んで、しかもまだケツが痛くて、ふたたび机に突っ伏して両手で頭を抱えたまま、サンジは苦悶した。


ゾロなりに顔色の悪いサンジを慮った台詞であるが、何故か裏目に出てしまった。もちろん悪意があったわけではない。
昨晩にしてもそうだ。初めての相手に2ラウンドこなすつもりはさらさらなかった。そこまでがっついてるつもりはなく、ただどうにも我慢が利かず、相手に負担をかけてしまったのは自覚している。謝るつもりはないけど、心配くらいするのは当然だ。
本当のことをいえば、『もう1回いけるんじゃね?』、と耳元で悪魔が囁いたのを、理性総動員で追い払ったのだから感謝されてもいいくらいだと思う。

そのくらい我慢が利かなかったのは、それが想像以上だったからだ。

まずあの声は反則だと思う。
あんな切なげな声を出されては、我慢するなというほうが無理ではないか。

そしてあの肌も匂いも全部駄目だ。
意外と筋肉質だが皮膚はなめらかだった。さらりとしたさわり心地は極上で、うっすら汗を掻くとまるで手に吸い付くようだった。
そしてあの匂いに至っては、フェロモンでも発してるのかと思うほどだ。

おまけにあの青い目とか、あれとか、またはあれなんかも、いろいろと思い出せば思い出すほどまた下半身が熱くなってしまう。



サンジがふと顔を上げて、ゾロを見上げた。
「つかぬことを訊くが、お前って本当に童貞?」
どうせわからないなら、これ以上考えるより訊いたほうが早いとサンジは判断した。

「童貞?」
ゾロは少し首を傾げてから思い出したように、
「ああ、野郎相手じゃ童貞だった」過去形で返事をした。

「はァ?野郎?じゃ聞くが女は?」
「女?それならある。それなりにってくらいの数だが」
「お、お、お前…?そりゃ童貞って言わねぇだろ?つうか、じゃあ聞くが、何でオレはこんな痛い思いをしなきゃならねえんだァ?この、このッ…」
わなわなと身を震わせ、爆発寸前の、その鼻っ面をゾロはぺろりと舐めた。
「うわっ!汚ね!」
「お前、風呂場でも同じこと言ってたな」
「はァ?」
「だから、こういう事なんだろ?」
シャツの胸元を掴んで、サンジを引き寄せようとした寸前、いきなり保健室のドアが開いた。慌ててゾロが身体を引くと、そこにはお久しぶりのエース先生が、
「ちょっと、いいかな」と、中に入ってきて
「はい、なんでしょう?」
腰を上げて席を立ったサンジに、数枚の書類を差し出した。

「今度の職員健診の件だけど」
「はい。これが何か?」
「記入漏れというわけじゃねぇんだが、…ん?」
そしてサンジを見て、
「んん?んんんん?あれ?」
と、不思議そうな顔で、

「なんか雰囲気変わった?」
まじまじ見ながら、サンジにグイッと顔を近づけた。

「は?」
思わずサンジの上半身が仰け反ると、

「いや、なんていうか、いつもより色っぽ…、あれ?」
今度はゾロを見て、

「お前、いたのか?」
初めてその存在に気づいたのか、少し驚いた表情をしたかと思うと、また、
「あれ?」
サンジを見て、
「あれれ?」
と、ふたたびゾロを見てから、

「あ、もしかすると喰われちまった?だからか?」
エース先生がサンジに熱い息を吹きかけた。

「へ?」
息が頬をくすぐって、その質問の意味にサンジの心臓がドキッと脈打った。思わず視線をゾロに向けると、そこには眉間に深い縦皺を寄せて、物騒な青筋を立てた男がいた。まさに仁王立ちだ。



「お前ね、人の狙ってるモンに手出しするんじゃないよ」
エース先生の声がする。


「てめぇにゃ関係ねぇ話だ。つうか口出しすんな。ついでに手も出すんじゃねぇ」
不機嫌そうなゾロの声も聞こえる。

「やったからって、デカイ顔するか?まだまだガキだな、てめぇは。オレは処女性にこだわりねぇから、あんま気にならんけど」

再びエース先生の声がして、

「ふざけんな!」
ゾロの怒鳴り声と、

「まあまあ、そんなにムキになるな。お前が先陣切ったなら仕上げはオレでどうだ?」
エース先生の笑い声、

「なにが仕上げだ!鬼畜か、てめぇは!」
またゾロが怒鳴っている。




そんな二人の声が何故か遠く感じる。
だんだんと声が遠ざかっていって、同時に気が遠くなりつつあるサンジの頭の中に、小さな疑問がぽこりぽこりと湧き出てきた。




―――こういうのって、なんていうんだっけ。
―――ネコとか受けとか。
―――もしかすると、オレって『受け』なのか?




養護教諭サンジ22歳。初めて自分の属性を知る。















END


2009/05.01改稿  番外編へ続きます。