ぱ、ぴ、ぷぅーーー、と、不思議な音がした。


「信じられない…」
「なんつうか、やる気とか根こそぎ無くなるような気の抜けた音だな、そりゃ…」
「俺の風上でするのだけは勘弁してくれ…」
眼にしみると、ウソップはすでに涙目だ。
「飯も食わねえで、よく屁だけ出るよな、てめぇはよォ…」

「そんなに褒めるなよ、照れくさいだろ」

船長は太陽のように眩しい笑顔で、シシシと嬉しそうに笑った。






漂流楽団





ボロくて小さなボートだ。今にも底が抜けそうである。
そんなボートが、ルフィとナミ、ウソップ、ゾロ、サンジを乗せて、大海原を心もとなげにぷかぷか漂う。


「おい、どうにかなんねぇのかナミ。航海士だろうが」
「どうにかなるものなら、とっくにしてるわ。いいから手を動かしなさいよ。進みが悪いじゃないの」
「俺の所為じゃねぇだろ。しかし、この方向であってんのか?」
間違ってんじゃねぇかと、ゾロが漕ぎながら横目でナミを見た。
「アンタじゃあるまいし。大丈夫に決まってるでしょ」
たぶん。と、遠く水平線を睨みながらナミが答えた。必死で何かを探しているようだ。
「アンタは方向なんか気にしないでいいから、さっさと漕いで。いつもぶんぶん鉄団子を振り回してるでしょ?こんな時しか役に立たないでしょ?」
「アホ抜かせ!こんなことする為に鍛えてんじゃねぇぞ!」
「もう!何が目的だって構わないの!口や頭は使わなくていいから、身体だけ使えっていってんのがわからないのっ!?」
「わかってたまるかっ!!俺をなんだと思ってんだ!」
またゾロが怒鳴って、その時不思議な音が船長から奏でられた。激しく気の抜ける音だ。






事の起こりは、まず朝方、嵐に遭遇したことにある。
竜巻によるものか、雨風に混じって小さな魚がたくさん空を飛んだ。それを見た船長はメリーの頭上でそれはそれは喜んだ。嵐だというのに楽しんでいた。小魚に混じって、たまに大きい魚も空を飛ぶ。ルフィの腹がぐうと鳴った。
なんてことをしてるうちに、落ちた。
泳げないルフィを助けにサンジが飛び込み、その際サンジの足に絡まっていたロープがゾロを巻き添えにして、慌てたゾロはウソップの鼻を掴み、ウソップは近くにいたナミの服を引っぱり、ずるずるずると芋ずる式に5人が海へと転がり落ちた。
チョッパーはナミに指示されたとおり、舵を取っている。ロビンは船室だ。打ち付ける風や波の音にかき消され、5人がいくら叫んでも気づいてもらえず、みるみる内にメリー号は遠ざかっていった。
どこかの嵐に巻き込まれたものなのか、どこぞの船の物らしき小さなボートを見つけたのは、不幸中の幸いといっていいのかもしれない。





「…なあ。全然進まねぇ…」
珍しく船長が弱音を吐いた。腹が減って力がでないのであろう。
5人でこの小さなボートに揺られてから、もう既に半日以上は経っている。当然ながら腹も減ったし、喉もからなカラカラに乾いている。船から落ちたのは朝飯を喰う前だった。
ナミの指示でボートは潮の流れに逆らって進んでいる上、あきらかに定員オーバーである。思うように進むはずなど無く、空しく時間だけが過ぎていく。
だが、方向は間違っていないはずだと、ナミは無言で何度も頷いた。
「もう少しで別の流れにのるはず。だから我慢して」
「もう少しもう少しって、さっきからそればっかり…」
ルフィが口を尖らせる。そんな小さな呟きは、10倍になって彼に返ってきた。
「はい?どの口が寝言を言ってるのかしら?何処かのおバカさんがのこのこ出てきて、魚がどうのこうのと、嵐だというのに浮かれてたのが間違いの元でしょ?チョッパーやロビンみたいに大人しく引っ込んでればなにも問題など起こらなかったのに。挙句に波に攫われて、自覚はあるのかしら?仮にも船長のくせに。いつもいつもいつも揉めごとばっか起こして。その軽はずみな行動がどれだけ皆に迷惑をかけるか、一度でも考えた事あるのかと。軽はずみなことはするなと、本当に当たり前なことなんだけど、それすら言うだけ無駄なのかと、とことん議論してみたいものだわ。この前だって、あの時だって」
ゾロやサンジ、ウソップは黙ったままで、ルフィは聞いているのかいないのか鼻をほじり、ナミの愚痴を掛け声にボートは進んでいった。





「何だ、ありゃ?」
サンジの指の方向に何かが浮いていた。最初は遠すぎてわからずただのゴミかと思われたが、よくよく見れば大きな長箱だった。表面に細かい装飾が施されている。一見豪華そうだ。
「何、何、何?まさか宝箱?」
ナミの眼が宝石のようにきらきら輝き、
「肉か!肉なのか!?」
ルフィの眼が獣のようにらんらんと輝いた。
「つうわけではなさそうだな…」
少なくとも肉のわけは無かろうと、サンジが巧みに手繰り寄せ、軋む蓋をこじ開けると、中にはいろいろな楽器が入っていた。
おもちゃの赤いピアノ、バイオリン、錆びたトランペット、小太鼓、タムタム、古ぼけたカスタネット、色鮮やかなマラカス、フルート、クラリネット、ハーモニカ、見たこともない、使い方さえわからない楽器もはいっている。

「役に立つのかこれ?」
ゾロがつまらなそうな顔で楽器を手にして、
「なんの役に立つかわかんねぇけど、腹の足しにならねぇのは確かだ…」
力無い声で船長がつぶやいた。
「いやいや、なんか懐かしいぞ。俺んちに同じようなのがあってさ、こうみえても昔はな」
そういってウソップはトランペットを手に立ち上がり、空に向かって力強く吹くと、なんとも気の抜けた音が海上に鳴り響いた。ぷーーー、と、ぺーーー、と、ぽーーーの中間のような音だ。


「……」
「……」
「…トランペットってこんな音だったかしら?」
「へっただなあ、ウソップは。俺の屁の音と変わんねぇ」
ルフィが笑う。
「一緒にするな!」
怒るウソップを尻目にルフィはごそごそ箱を漁りだした。たとえ腹のたしにならないものでも、興味はあるのか何やら探している。そしてマラカスを手にすると、
「待て待て待てい!てめぇの楽器はコレだろうが!!」
それを放り投げ、嬉々とした表情でサンジが小太鼓をルフィに渡した。首から太鼓をかけて、両手にスティックを持たせる。
「それでタッタカタッタッタッーーッ、って叩いてみ」
「ん?こうか」

素直に小太鼓を叩くルフィの姿にクルー達は腹をかかえて笑い転げた。だが当の本人は気を悪くするでもなく、なにが楽しいのか延々と小太鼓を叩き続けている。
「これって使えるんじゃない?」
ナミがニッと笑う。
「チョッパーは耳がいいでしょ?海上で大きな音を出し続ければ気づいて貰えるかも」
その提案に各々、箱から自分用の楽器を探した。
ナミはおもちゃのピアノを選んだ。
「何か弾けるのか?」そんなウソップの問いに、「『猫ふんじゃった』くらいは弾ける」と答えたが、「『猫ふんじゃった』しか弾けないんだろう」と指摘できる勇者はいなかった。

サンジが選んだのはバイオリンだ。
理由は、「かっこいいから」だ。ゾロに「弾けるのか?」と訊かれ、「弾いている奴を見たことある」と返事した。
そんなサンジの奏でるバイオリンは、「猫の断末魔のようだ」、「喉が締め付けられるように息苦しい」と大層不評であった。

ゾロはタムタム、銅鑼を選んだ。
「簡単そうだから」、「でかくて男らしい」が理由のようだ。
あり余る腕力で鳴らされる銅鑼は、「無駄に音がデカイ」、「鼓膜に支障が生じる」と、これまた不評である。



「好き勝手に鳴らしても耳障りなだけだから、何か曲を演奏しましょう」
ナミが仕切る。
「まず、最初に『ド』の音を出してみて。といっても無理そうだから『ド』に近ければいいわ」

そして、せぇの、で各楽器から出た音は『ド』からはるかに遠く、それは『レ』からも『ミ』からも遠かった。

「悪いのは音感?楽器?それともやっぱり技術かしら?」
「楽器だろ?」
「ああ、楽器だ」
「楽器に決まってる」
そんなことより演奏だ、と海上オーケストラが始まった。


それはそれは、不思議な不協和音が青海に流れた。



「これは、音楽とはいえないわね…」
「…まったくだ。廻りから魚が逃げちまった…」
ウソップが頷く。
「目的はでかい音だ。音楽なんかどうでもいいだろうが」
「てめぇに音楽を理解しろっていっても無駄かもしれねぇが、ナミさんの仰ることにケチはつけるな。そもそもてめぇのソレが音楽から一番遠い。『楽しむ』が抜けてる。音だけだ。はっきりいって煩せえ」
サンジがゾロにケチをつけた。
「ああ?そんならお前のそのギイギイうるせぇバイオリンは凶器か?今度、敵の前で弾いてみろ。みんな喉を掻き毟って悶え苦しむぞ」
「はい?なにが凶器だってんだこら!いいか、凶器ってのはウソップのトランペットのことをいうんだ!あれは敵も味方も根こそぎ戦意を喪失する、揃いも揃って腰抜けになる最終兵器だぞ。地味にすげぇぞ」
それを聞いたウソップが反論した。
「おいこらサンジ!失敬なことぬかすな!本当の凶器は俺じゃねえ、ルフィだ!あのリズムはすげぇぞ、歩くとき両手両足がバラバラになる。恐るべき秘密兵器だ」
「何だよ、俺のリズムの何処が変だっていうんだ?お前、失礼だぞッ!」
「おいルフィ。俺が手拍子取るから、それで叩いてみな」
サンジが8ビートで手拍子を打ち、それに続いてルフィの太鼓を叩いた。
「……なんか微妙に変だな?もう一度やってみ」
もう一度サンジが手拍子を打ち、それにルフィが続く。

「……何だ?このリズムは?」
「な?おめぇ、この太鼓で行進できるか?俺はできねぇ自信がある!」
こんなやり取りに、さすがにナミが口を挟んだ。
「そんなのどうでもいいわよ。アンタ達が下手なのに変わりがないじゃない」
五十歩、百歩だと、冷たく言い放つナミに、
「ならば俺が百歩だ」
ゾロがふんぞり返り、
「馬鹿抜かすな。俺が百歩だ。てめぇは1歩。数もロクに数えられないのか」
サンジが返すと、
「おめぇら、ことわざの意味を知ってんのか?数字が多い方が偉いってモンじゃねえ。はっきりいうと逆だ。そういうのを『目くそ、鼻くそを笑う』って云うんだ…」
ウソップがあきれ返ったように溜息をついた。ルフィは意味が解からないのか、興味がないのか、ひとりで太鼓を叩き続けている。

「それなら俺は『目くそ』だ。眉毛は『耳クソ』な。ウソップ、お前が『鼻くそ』。お、ウソップなんかぴったりじゃねぇか」
ゾロが笑うとサンジが訳のわからない顔をした。
「何が?『目くそ』、『鼻くそ』の勝負だぞ?」
「あれは順位があるんだ。『目くそ』『鼻くそ』『耳クソ』の順でエライ」
「はァ?」
「『目くそ』は甘くて、『鼻くそ』はしょっぱい。『耳クソ』は苦いから順位は一番下だ」
だから、おめぇは耳クソだと偉そうに話す剣士にサンジの蹴りが飛んで、ボートがゆらゆら大きく揺れた。
「……てめぇという奴ァ。ナミさんの前でなんつう汚ねえこと抜かしやがるッ!」
「誰の身体にもあるモンだ!汚ねえも何もねえだろッ!この耳クソがッ!」
「耳クソ、いうなああああああああ!」
狭いボートで暴れる二人に容赦ないナミの鉄槌が下された。
「次は海の中だから。わかってんでしょうね」、そう大きな釘を刺され、二人の頭の天辺にはデカイたんこぶができた。



再び青海に不協和音が流れる。


魚も鳥も寄せ付けない、その奇天烈な音色は、繰り返し繰り返し演奏されるうちに不思議なメロディーを生んだ。


太陽が海に落ちるまえに見えたもの。


はるか彼方に、ぽつんと浮かぶ小さな船。


夕陽できらきら輝く海に、跳ねた何匹もの白く大きな魚。


ただの偶然か、息苦しさにのた打ち回ったのか、本当の答えを知るものはいなかった。






END


一部、汚い表現がございましたことをお詫び申し上げます。
2006/6.14