800人の兵隊、あるいは長靴をはいたウソップ









ある小さな料理店の主が亡くなり、そのわずかばかりの財産を3人の子供たちが相続しました。
一番上の兄はかまどをもらって、二番目の兄がもらったのは鍋と食器です。そして三番目に生まれたからでしょうか。サンジと名づけられた子供に残されたのは、主人が生前ガラクタ市場で買ってきた、50センチ程の高さのからくり人形でした。名前はウソップといいます。
それは、サンジが18歳になったばかりの出来事でした。
「兄貴たちはふたりで店が続けられる。かまどと鍋食器があればどうにかなるよな?だけど俺にはウソップだけ?こいつをまた売っぱらったとして、いいとこ1000ベリー。いや、750ベリーで買ったといってたな、1000じゃ無理か?じゃあ700ベリーだとして、えーと、パンが1個30ベリーで、1日2個で我慢するとして、あー、何日分だ?」
一生懸命に慣れない計算していると、それを聞いていたウソップがいいました。
「おい、俺様を売るつもりか?この、愚か者めが。いいから、騙されたと思って、俺に長靴と弓矢を買って来い。悪いようにはしねぇから」
するとサンジは怒鳴って、
「愚かなのはてめぇだ!騙されるとわかっていて金を出すバカがどこにいる?いつも嘘ばっかこいてやがるくせに!」
頭のてっぺんから踵落としをくらわせましたが、それでもウソップは引き下がりません。デカイたんこぶを自分でなでてサンジを説得します。
「いいか、落ち着いてよく考えてみろ。おめぇを騙して俺になんの得がある?絶対に損はさせねぇ。な?な?ここはグッと我慢して、今までのことはさらっと水に流して俺に一発投資してみろよ」
あまりにも熱心に言い張るので、仕方なくサンジはなけなしのへそくりを出してウソップの望むものを買い与えました。でも、釘をさすのだけは忘れません。
「いいか。俺をだましやがったら、てめぇの鼻をへし折って場末のサーカスに売り飛ばすからな。よぉく覚えとけ」



次の日、ウソップは意気揚々と長靴をはいて、背に弓矢を背負って森に出かけました。サンジが買ってきたのはお古の長靴でしたけれど、それでもその靴は枯れ枝や小石からウソップの足を守ります。ざっくざっくと、何処でも歩いて行くことができるのです。
実をいえば、ウソップは弓で狙ったものを外したことがないほど、弓矢が得意でした。
その日、ウソップは森でまるまるこえた兎を仕留め、それをアラバスタの王さまのもとへと持っていきました。
「サンディ伯爵の使いの者です。王さまへの献上品をお持ちしました。どうかお納めくださいませ」
もちろん、サンディ伯爵というのはウソップが考えたサンジの偽名です。

その3日後、またウソップはころころに太ったたぬきを仕留めると、再びそれを王さまに献上しました。
すると、国王のもとへと通され、じきじきに礼まで言われたのです。
「実に美味い兎であった。サンディ伯爵に感謝を伝えて欲しい」

そして1週間後、ウソップは森でみごとな鹿を捕まえると、また国王へ献上しました。
王様はまたもや大喜びです。
そうして、たびたび森で捕まえた獣を運ぶうちに、城の人間からある話を聞くことができました。それは王さまと王女さまが外出されるご予定です。
ウソップはサンジを伴って、ある川へとやってきました。

「さあ、サンジ!服を脱いで川に飛び込め!男らしくドンといけ!」
すると、
「ふざけんな!こんな寒い日に川に飛び込むバカがどこにいる?このポンコツ人形が!」
そういって、ウソップに回し蹴りをくらわしました。
でもウソップはめげたりしません。頭にでっかいたんこぶをつくり、鼻からたらりとオイルを垂らしつつ、根気良くサンジを説得します。
「いいかよく聞け、サンジよ。今からここをアラバスタ国王とビビ王女が通られる。噂によれば、ビビさまは水色の髪をした、それはそれはお綺麗なお姫さまだそうだ」
「お姫さま?」
サンジの顔付きが変わりました。
「これまた噂によれば、まだ15なのに胸が」
ボイーンボイーンと胸に大きな円をふたつ描くと、サンジの鼻穴がぷくっとふくらみます。
「そんなにデケェのか?」
ウソップは大きくうなずきますと、すばやくサンジの上着とズボンを毟り取って、そしてその尻をおもいきり蹴飛ばしました。
「そうだ!姫さまに会いたきゃ、とっとと川に飛び込みやがれ!溺れたふりすんの忘れんじゃねぇぞ!」



「たすけてーーーー!誰かたすけてーーーー!伯爵さまが溺れてるんだ!早くたすけてーーー!」
ウソップが大声で叫びます。
そこへ通りかかった王さまが馬車から顔をのぞかせました。見れば、いつも城に獲物を持ってきてくれるウソップではありませんか。
「どうしたね?」
「ああ!どうかたすけてください!サンディ伯爵さまが…」
その訴えに王さまはうなずき、伯爵を早くお助けするよう供の者に命じました。
ウソップが王さまに訴えかけます。
「実は伯爵さまが川で溺れているすきに、盗賊がやってきて着る物持ち物、すべて攫っていってしまったのです。私は必死で止めました!助けを求めて叫びました!見てください。荒くれ盗賊共が、か弱き私にこんな仕打ちを」
ウソップの長い鼻からオイルが漏れ、頭にはたんこぶ、顔には蹴られた痕がまざまざと残されています。
王さまその有様を見て、一番立派な服を着替えとして伯爵に用意するよう供に命じました。
「ああ、なんと心優しいお方でしょう。実を申しますと、サンディ伯爵はこれから領地の見回りに向かうところだったのです。この先はずっと伯爵の領地なのですが、馬車まで奪われ途方にくれるばかりです。それを待ちわびていた農民たちがどんなに悲しむかと思うと…」
涙に似たオイルを目からぼろぼろ流すと、王さまが気の毒に思ったのか、
「ならば、代わりに私が行って声をかけておこう」
そうおっしゃってくださり、ウソップはまたサービスで大粒のオイルを零しました。
実をいいますと、これは彼の得意技のひとつでして、嘘泣きといつもサンジにいわれていました。

サンジは川から救い出されると、その寒さと水の冷たさに身を震わせました。
濡れた金色の髪からぽたぽたと雫がたれ、白いシャツは肌に張り付き、細めの身体の線をくっきりと浮き彫りにします。冷たい水がサンジのピンク色した小さな乳首を勃たせ、シャツの上からぽちっとその存在を顕にしています。その顔は紙のように白く、寒さで唇がふるふると微かに震えました。
そんなサンジの様子を、別の馬車から見ていた者がおりました。

「おい。奴を着替えさせたらこの馬車に乗せろ」
供の者にそう命じました。緑色の髪をした、鋭いまなざしの男です。
「あの男は?」
サンジが訊くと、供の者が答えてくれました。
「彼はロロノア国の王子さまです。視察でこの国にこられました」
そして、
「さあ、お支度が整いました。それにしてもなんて見事なんでしょう。金髪に白いレースがよく映えて、なんとお美しい!その青い眼はどんな宝石にも負けますまい!」
男に対する賞賛とは思えないような言葉でサンジを褒めちぎりました。
実際、彼は育ちがあまり良くありません。そして口も性格も、けっして褒められたものではないのですが、さいわいなことに外見だけは悪くないのです。

「おい。俺はどっちかってぇと、あの男の馬車よりも王女の馬車がいいんだが」
「王女さま?ビビさまなら今日は同行されておりませんよ。急にご予定ができたとかで。さあさあ、ゾロ王子さまがお待ちです。早く馬車へ」
そしてサンジが叫びました。
「ウソーーーーップ!」
ウソップの長い鼻がぶるるんと揺れます。
「話が違うぞ」
「まあまあいいじゃねぇか、どっちでも。あんまデカイ声を出すなよ。それと言葉遣いに気をつけろ。お里が知れる」
ひそひそささやくと、サンジも合わせて小声で文句をいいました。
「ほっとけ。だが王子と王女じゃえらい違いだ。しかもあの男、ちっとばかり眼つきがあやしくねぇか?」
「どんな風に?」
「なんつうか、ねっとりと絡みつくような感じ?やばくね?」
「さあ?俺にはよくわからん」

サンジは立派な服を着せられ、従者に促されるまま馬車の乗り込むとき、少しばかり不安そうな青い眼でウソップを振り返りました。
ウソップはからくり人形です。だから人間の気持ちとか、心の機敏などを読み取るのは苦手です。本当のことをいえば、あまりよくわかりません。
サンジを乗せた馬車を見送ると、よしよし。これから最後の仕上げだと、急いで駆けて行きました。

近道するために森を駆け抜け、王さまの馬車を追い越し街道にでると、畑で冬小麦の刈り入れをしている農夫に声をかけました。
「おい。ここは誰の領地だ?」
「人食いワニ、クロコダイルさまの領地だ」
「そうか。ならば此処は今からサンディ伯爵の領地になった。アラバスタの王さまから聞かれたらそう答えるがいい。ちゃんといわないと、俺の800人の兵隊がお前の畑から麦を根こそぎ引っこ抜くぞ。わかったか」
小さなからくり人形のウソップが、偉そうにいう姿がよほど面白かったのでしょう。農夫は大笑いして、
「刈り入れ時にそれは助かる。笑わせてもらったお礼に、その国王さまとやらが来たらそう返事してやろう」
またゲラゲラと笑いました。

もうしばらく行くと、そこにはウインターベリーを収穫している農夫がいました。
「おい。ここは誰の領地だ?」
「人食いワニ、クロコダイルさまの領地だ」
「そうか。ならば此処は今からサンディ伯爵の領地になった。アラバスタの王さまから聞かれたらそう答えるがいい。ちゃんといわないと、俺の800人の兵隊が畑のベリーを全部潰してジャムにするぞ。わかったか」
すると、その農夫も大笑いして、
「これからクリスマスに向けてジャムの出荷時期なんだ、それは助かる。笑わせてもらったお礼に、その国王さまとやらが来たらそう返事してやろう」
またゲラゲラと笑いました。

そうして、街道沿いの農夫すべてに声をかけると、ウソップはある大きな城の前に辿り着きました。
「…これが人食いワニの城か。…うっ。城に入ってはいけない病が」
だけどそうもいっていられません。
ウソップはなけなしの勇気を振り絞って城に入り、ご主人にお目にかかりたいと申し出ました。

うやうやしい挨拶をして、
「ご主人さまの名声、そして御活躍は遠く海の向こうまで伝わっております。こうしてお目にかかることができまして、私は感激のあまり涙がでそうです」
そして大粒の涙もどきをぼろぼろ流しましたら、人食いワニは気を良くしたのか高らかに笑いました。
「聞くところによりますと、ご主人さまは砂のように身体の形を変えることができるとのことですが、それは本当でございましょうか?それともただの噂でございましょうか?」
すると、人食いワニの身体はいきなり砂の巨人へと変身しました。
「おおおおお!なんと恐ろしい!」
ウソップが腰を抜かして怯えますと、人食いワニが満足そうに笑います。
「俺にできないことはないのだ」
「そうでしょうとも、そうでしょうとも!こんな素晴らしいお力を持ったご主人さまに、できないことなど何もございませんとも!」
でも。と、もじもじしながらウソップが小さな声で、
「砂時計のような小さい器に納まるのは無理ですよねぇ?いやいや、ご主人さまに不可能などない!それは重々承知しておりますが、でもいくらなんでも砂時計なんかに入るのは無理ですよねぇ……?」
そういいましたら、
「俺に不可能はないといっただろう」
ふん、と鼻を鳴らして人食いワニは砂時計の蓋をあけると、さらさらの砂となって、その中へすっぽりと入ってしまいました。

「バカめが」
ウソップは急いで砂時計に蓋をして、城から駆け出し近くの川の中へとそれを投げ込みました。ゆらゆらゆら砂時計は流れていって、そしてすっかり見えなくなると、ウソップは腰に手をあてて高笑いしました。



ウソップが王さまの城へ行きますと、
「ウソーーーーーップ!」
待ち構えていたかのように、サンジが大声で怒鳴りました。
「遅せぇよ!何処にいってやがった!てめぇは俺の一大事というときに…。この俺が、この俺様があんな目に…」
金髪をぶわっと逆立たせて、怒ってるようですが悲しんでいるようにも見えます。でもまた蹴られるのかと、思わずウソップが身構えると、サンジは「うっ…」と呻いて腰を引き、いきなり壁にもたれかかりました。
「…やべ…漏れる」
「何が?」
サンジの耳が真っ赤です。
「どうした?」
「…腰が」
「腰?」
「…いや、ケツか?」
「ケツ?痛むのか?どれ、見せてみろ」
でもサンジがへっぴり腰でそれを拒みます。
「見なくちゃわからねぇ。いいから恥ずかしがらねぇで見せてみろ」
「いや、いまさら恥ずかしいもクソもねぇ…。どうせ全部見られちまったしな…。だが…」そういうと、その顔は首まで赤くなりました。
どうも様子がヘンです。きちんと整えられていた筈の服装も妙にみだれています。自分がいない間になにかあったのでしょうか、ウソップは首を傾げました。
そうこうしていると、そこへ王さまがやってきました。
満面の笑みで、「なんと素晴らしい!サンディ伯爵は広大な領地をお持ちだ!そして農民たちにそれとなく訊いてみると、皆大笑いして喜んでおったぞ!立派に領地を統治されておられる!」そうおっしゃいました。
ウソップはとても満足でした。自分の苦労が報われるときがきたのです。後は苦労して手に入れたあの素晴らしい城を王さまに見せればよいだけです。そうすれば、すべてが上手くいくことでしょう。
「今度、そなたたちの城に寄せてもらってよいだろうか?」
王さまがいいました。もちろん願ってもないことです。そして、
「もしも、もしもの話だが、サンディ伯爵さえよろしければ、ちょっとばかりおてんばだがビビの婿に」
王さまの言葉にウソップが大きく身を乗り出しますと、
「ちょっと待った」
背後で低い男の声がしました。
「すまねぇが、そいつは俺が貰いうける。もう誓いの儀式もすませた」
そういうなり、ひょいとサンジを肩に担ぎ上げました。
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふざけんな!離せ!降ろせ!死ね!」
死ね死ね死ね死ね殺すぶっ殺す!男を罵って、その肩で暴れています。
「そんなに暴れるな。漏れるぞ」
そういって緑色の髪をした王子はサンジの小さな尻を撫でますと、「ひぃ!」と悲鳴をあげる彼を軽々と担いだまま、足早に部屋を出て行きました。
「ウソーーーーーップ!」、部屋の外から聞こえる悲痛な叫び声がだんだん遠ざかっていきます。
驚いた王さまの顎が床まで落ちています。もちろんウソップもビックリですが、驚いてばかりもいられません。慌ててふたりの後を追いかけました。
どこで計算が狂ったのでしょう。
せっかく手に入れたお城なのに、まだ誰にも見せておりませし、このままでは誰にも喜んでもらえないではありませんか。
でもウソップはこう考えました。
少しばかり予定と違ってしまいましたけれど、でも王子ならば王女とそう違いはないはずで、とにかくこれでめでたしめでたし一件落着と、かなり大雑把ではありますが彼なりに満足したのでした。







それからというもの、まわりを緑にかこまれた大きな城がウソップの家になりました。
ある天気のいい午後のことです。
ウソップが窓辺に腰掛け、ひなたぼっこをしておりますと、「やめろ」と微かな声が聞こえてきました。どうやら2つとなりにあるサンジの寝室からです。
石壁を這っていきますと、部屋は重厚なカーテンで半分以上閉ざされておりました。その隙間から部屋を覗いてみましたら、広く大きなベッドの上に半裸状態のサンジが横たわり、その身体の上には王子が乗っていました。
「も…やめ…」
いつもより高めの声で、苦しそうに何かを訴えています。
ゾロがサンジの胸を何度も撫でて、その小さな肉芽をきゅっと摘まむと身体が逃げるように撥ねました。ずっとそこを弄られていたのでしょうか。白いシャツの隙間から見える乳首がひどく痛々しい様子です。腫れて赤くなり、つんと尖がっています
「…ほんっと、頼むから…」
サンジが人に頼みごとをするなど、本当に珍しいことです。そして、ウソップが今まで聞いたことがないほど、それはせつなく甘い声でした。白い喉をゾロが舐めると、ぶるぶる身を震わせます。そのまま胸まで舌を這わせ、赤く腫れあがった乳首を吸うと、身を捩りました。かなり嫌がっているようです。
「こんなになってるくせに、なにがやめろだ」
ゾロの身体が影になってよく見えませんが、サンジの股に手をもっていき何やらあやしい動きをしますと、「あ、ああっ…や…」甲高い声をあげて、ガクガク腰を揺らせました。
「ほんとにやめてほしいなら俺を蹴り飛ばしてみろ。足腰が立てばの話だがな」
そういってゾロが白い脚を乱暴に持ち上げると、サンジは声にならない悲鳴を喉から迸り、眼の前の太い首に必死でしがみつきました。

サンジが苦しんでいるのか、または喜んでいるのか、からくり人形であるウソップにはわかりません。
ですが、高く持ち上げられた両脚が、いつしかゾロの腰に絡みついているのをみて、
どうやら口で言うほど嫌がってるわけではないらしい。
そう判断し、ウソップはまた石壁を這うように戻っていったのでした。



しとしと小雨の降る、とても静かな日のことです。
その日、ウソップはサンジに油をさしてもらいました。サンジはもう大金持ちなので油だって最高級のものを使ってくれます。器用な指で丁寧に油をさしてもらうと、どこもギシギシしません。本当にサンジは油さしが上手です。
ウソップがサンジに訊きました。
「なァ、おめぇがいつもゾロにされてるアレって、もしかすると辛いのか?」
サンジはすぐに返事をしませんでした。無言でウソップに油を差します。
「俺ァからくり人形だから人間の気持ちはよくわからねぇんだが、あまり辛いんなら此処を出てってもいいんだぞ。城だってあんだからさ。ふたりでそこ行って住むか?」
そんなに嫌がってるわけではないと思います。でも、近頃あまりにもソレが頻繁なので、さすがのウソップも心配になったのです。すると、
「…いや。あれでもヤツァ俺に惚れてっから、出てったら悲しむんじゃねぇか?嫌になればいつでも出て行けるしよ、もう少しだけいてやってもいいじゃねぇかと思う」
そう小さな声でつぶやきました。それは雨の音と同じくらい、低く静かな声でした。



それから半月ほどたった、晴れて暑い午後のことです。いつも人がいない中庭をウソップが散歩しておりましたら、近くで呻き声のようなものが聞こえました。
もしかするとサンジの声かもしれません。
まァた、アレをやってやがるのか。
そう思いましたけど、別に覗こうと思ったわけではありません。偶然近くにいたため、うっかり目に入ってしまっただけです。ウソップは慌てて生垣に身を隠しました。
涸れた噴水のところで、ふたりは立ったままの状態でした。
サンジは水のない台座を支えに身体をくの字に曲げ、その背後をゾロが貫いています。その口には布のようなものが押し込められていて、だからサンジは声が出せないのでしょう。
貫かれるたびに金色の髪が揺れます。深く突かれるとしなやかな背中が弓のように仰け反り、それがずるっと抜かれますと肩がふるふる震えます。声にならないものが呻きとなって、サンジの喉から搾り出されるのです。
ぎゅっと両手を強く握り、苦しそうに顔を歪めて、そしてきつく閉ざされた目には少しだけ涙が滲んでいました。
それを見たウソップは、初めて彼が可哀想だと思いました。あんなに口が悪く、いつも自分を平気で蹴り飛ばす、あの凶暴なサンジが泣いているのです。
ですが、よくよくみると、背後からサンジを貫くゾロも何故か辛そうでした。広い額から、珠のような汗が噴き出ています。
顔を歪めて、ときおり白いうなじに滲み出た汗を吸いとるように舐めるその表情は、サンジとは違った意味でとても辛そうでした。
ウソップはまた首を傾げました。
どうも人間のことはよくわかりません。でも、惚れるのも大変だなァ、いろいろ辛そうだもんなァ、いいことばっかじゃねぇんだろうなァ、くらいは理解できたのでした。
サンジは金髪を振り乱し、ぼろぼろ泣いて身を震わせ、そして膝が崩れてもその足腰を両手で支えられたまま、いつまでもゾロに貫かれています。溢れた涙があごをつたって零れ、乾いた石の台座に染みをつくります。本当に辛そうです。
彼は何をそんなに我慢しているのでしょうか。
ウソップにはわかりませんが、でももう心配なんかしていません。
大丈夫です。
自分たちには家があります。大きく立派なお城です。サンジが本当に嫌になったならば、ふたりで帰ることができる家があるのです。
そしてウソップは考えました。
そうだ。可哀想なサンジのために傷薬を用意しておいてやろう。あそこがだいぶ赤くなっていたではないか。もしかすると腫れているかもしれない。何回もいたぶられて、中が傷ついているやもしれないではないか。
そうだ。やさしい俺様が自らの手で薬を塗ってやろう。
そう決心したウソップは、その夜またサンジに蹴られました。


翌日、ウソップはゾロから呼び止められました。
「てめぇ、昨日また覗いてやがっただろ」
驚きました。なんと、ゾロに気づかれていたのです。
ウソップは首をぶんぶん左右にふってそれを否定しますと、
「この嘘つきめが。生垣からこの鼻が飛び出てたぞ」
そういってゾロはウソップの長い鼻を指先でピンと弾きました。
「俺は誰に見られようとかまわねぇんだが、奴は嫌がるかもしんねぇ。奴も男だからな。俺に突っ込まれてる姿なんざ、誰にも見られたくねぇだろうさ」
その表情が、どこか寂しそうに見えるのは気のせいでしょうか。
ウソップは考えました。
だったらいくら人がこない場所とはいえ、中庭なんかでやるな。見られたくなけりゃ部屋でやれ。ですが、そんな突っ込みをゾロにいえる度胸をウソップは持っていません。これでも彼は王子さまです。
口がむずむずするウソップに、
「覗きはほどほどにしておけ。それに、てめぇにアレを見せるのもったいねぇ。減るもんじゃねぇが減ったら困る」
何故かおだやかな表情をして、そしてかすかに笑いました。おだやかなゾロの笑顔。本当に珍しいものをみたとウソップは心底びっくりです。驚きのあまり顎まで外れたのは仕方のない話です。



城へやってきて、1年ほど経った、ある晩のことです。
まあるい月が煌々と輝く、とてもあかるい夜でした。
ウソップが寝ておりますと、夜遅くになってサンジが部屋へ戻ってきました。衣擦れの音がして、サンジが薄着のままベッドへ入ってきます。
「遅かったな」
ウソップが目を覚ましてそう問いかけますと、彼は眼を瞑ったまま微かに頷きました。かなり疲れている様子です。
青白い月あかりのせいか、その顔がまるで死人のように見えます。
サンジが浅い息を漏らし、ウソップの方へ寝返りを打つと、シャツの隙間から白い肌が見えました。首や胸に赤い痣や歯形のようなものまでついていて、そして傷口からうっすら血が滲んでいます。
「ゾロか?」
ウソップが問いかけますと、サンジがかすかに目を開けて、
「…もしも俺が女だったら。それか、もしもヤツが王女だったらもう少し楽だったのかもな。野郎はほんと容易じゃねぇ」
そういって、また目を閉じました。
眉を顰め、幾分辛そうな表情で、月のあかりが血の気の少ない顔に影をつくります。
「サンジ。おめぇにゃまだ見せてなかったよな、俺たちの城をさ。それがこれまたデケェ城でよ、あれを手に入れるのに、俺様がどんなに勇敢で、どれほど果敢に人食いワニと戦ったかもう一度聞かせてやるか?そりゃ、壮絶な戦いだったんだぜ?だが苦労した甲斐があるってもんだ。ここに負けず劣らずすげぇんだ、これが」
そう声をかけると、サンジは薄く笑ってウソップの鼻を軽く弾きました。長い鼻がゆらゆら揺れます。
「そりゃもう嫌ってほど聞いた」
大丈夫だ。最後にそういうとまたサンジの瞼がゆっくり閉ざされ、浅い呼吸がいつしか寝息にかわったのを聞いて、ウソップも目を閉じ深い眠りに入りました。
窓からさしこむ月光がきらきらと、それはそれはきれいな夜でした。



それはいつの頃からだったでしょう。サンジは暇さえあれば厨房に入り浸るようになりました。頼まれもしないのに芋を洗い、そして芋の皮をむいたりしました。手は荒れてがさがさになりました。だけど彼はそんなことに頓着せずに、冷たい水でせっせと芋を洗います。芋洗いから鍋洗い、そして2年3年と経つうちに、いつしかサンジは城のコック長の地位におさまりました。
小さくてぼろい店でしたが、さすが料理屋の息子です。
城の広い厨房を、今では彼が仕切っています。大きな怒鳴り声をあげ、大勢のコックを動かすサンジを見ていると、ウソップは誰彼問わず自慢したい気持ちになりました。
「な、すげぇだろ?奴ァ、ちっとばかりアホだが、それでもやる時はやる男だ!王子に突っ込まれてあんあんいうだけが能じゃねぇぞ!おんぼろ料理屋だったけどよ、でも客は入ってたぜ!あのボロ料理屋のロクデナシ三男坊が今じゃこの城のコック長だぞ?どうだ、すげぇだろうが、おめぇら!」
もちろん口にはしませんけれど、何故かとても誇らしい気持ちになるのでした。



サンジが料理長になったその年の冬、ある寒い晩のことです。
城も森もまっしろな雪でおおわれ、空気までキンキンと凍りつく音がします。窓も凍りついて開けることすら出来ません。あまりの寒さに、ウソップの関節までキシキシ鳴ります。暖炉のあるサンジの部屋で、頭からすっぽりと毛布に包まっていました。
サンジがまだ部屋に戻ってきていないので、ソファーの上で丸まって彼を待っていました。でもなかなか戻ってきません。
いつしかうとうと居眠りしておりますと、部屋に誰かが入ってくる気配がしました。
ようやくサンジが戻ってきたようです。
ですが、部屋に入ってきたのは二人でした。サンジの後にゾロもいたのです。
今からアレをやるつもりか!?逃げ場がないウソップはうろたえました。また覗きだと思われてしまいます。
そんなウソップの心配をよそに、ふたりは立ったまま、無言で互いの口を吸いあいました。
ふたつの唇がくっついては離れ、または舌を絡ませて、まるで鳥のように何度も口を啄ばみあっています。
たまにゾロがいたずらするのか、サンジがかすかに呻き、そして鼻から甘い息を漏らします。また唇を啄ばみあうと、その唇から漏れる白い息が、互いの口の中に吸い込まれていきます。ゾロの大きな両手はサンジの腰に回され、サンジは緑色した短い髪を包み込むように抱きとめました。
それはどれくらいの時間だったのでしょうか。
ウソップはいつしか毛布の中で深い眠りにおちてしまいました。ゾロが出て行ったのも気づかず、サンジの手でそっとベッドに運ばれたのもわかりませんでした。
翌朝、ちゅんちゅんと甲高い小鳥のさえずりに目が覚め、「お、まだ口を吸いあってるのか…」うっかり寝惚けて、隣で寝ていたサンジに「……てめぇ、よくも嘘寝してやがったな!」、蹴られたのはご愛嬌かもしれません。




そうこうしているうちに、10年の歳月が経ちました。
あるおだやかな午後のことです。
ぽかぽかあたたかい日差しのもとで、ウソップはいつものようにサンジに油をさしてもらいました。
自分の膝の上に置いて、丁寧に油をさしながら、きしみがないかどうかひとつひとつ確認してくれます。あまりの気持ちよさにウソップがうとうとしていますと、サンジが話しかけてきました。
「てめぇさ、最初俺に長靴と弓矢を用意しろっていったよな。弓矢はわかるんだけど、なんで長靴が必要だったんだ?」
ウソップは眠そうに眼をこすりながら、
「昔、おめぇんちの本にあっただろ?弓矢の名人はみんな長靴をはいてるもんだ」そういいますと、
「…ありゃロビンフッドのつもりだったのか?」
サンジがクククッと笑いました。
そんな低くてやわらかい声に、ウソップの目がまたゆっくりと閉ざされました。本当にサンジは油さしが上手です。どんなに忙しくても、必ず週に3回丁寧に油をさしてくれるのです。


「俺には800人の兵隊がいるんだぞ!」、「山賊が襲ってきたーーー!」、「熊がきたーーー!」、「狼がきたーーー!」古い長靴をはいて弓矢を背負って、いつも嘘ばっかりいってるウソップに騙される人間など、城のどこを探してもいません。
「大変だ!敵がきたぞーーー!」「心配すんな!俺には800人の兵隊がいる!」、「だが最後の切り札だから、そう簡単にだすわけにはいかねぇ!なんせ800人もいる兵隊だからな!」
足よりも若干大きい長靴は少し音がします。城の中を走るたびに、ぶかぶかぶかぶか音がします。
「人食いワニが襲ってくるぞーーー!やべぇ、そしたら狙いは俺か?俺なのか!?だが俺には800人の兵隊が!やっぱ、やべぇーーー!」
そんな姿にサンジはニヤニヤ笑い、ゾロも苦笑いして、そしてたまにふたりから蹴られたりぶたれたりしながらも、ウソップは生涯その城を離れることはありませんでした。



それからずっとずっと先の話。中古の長靴はもとから多少ボロくて、しかも長い年月と共にもうぼろぼろですが、でも今では立派な衣装箱にしまわれています。
ウソップはたまにそれを取り出して、きゅっきゅと丁寧に磨きました。そうしますと不思議なことに、遠い昔がつい昨日のことのように思い出されるのです。
料理屋の主が亡くなった日のこと。長靴と弓矢を買ってもらったときのこと。そして人食いワニの城にひとり乗り込んだ日のことや、この城にサンジと共にやってきた日のことなどです。
すると、ふいに目からオイルがぼろっ零れます。けっして嘘泣きしてるつもりはありません。ですが、何故かオイルが漏れてしまいます。
螺子やらゼンマイそしてゴム、今までサンジがいろいろな部品を交換してくれました。それでも、どんな高級な油をさしても、近頃は身体中がギシギシギシギシなきます。関節がうまく動きませんでした。自分で油をさしているからでしょうか。
「俺様もずいぶんガタがきちまったぜ。そろそろ寿命かね。それにしても、やけに部屋が広くなっちまったァ」
小さくつぶやき、ウソップは誰もいない部屋でひとり、高い天井をじっと見上げます。そうやって、いつまでもぼろぼろ零れ続けるものを彼なりに止めようとしましたが、それでもオイルは零れ続けました。


もっともっと先の話です。
森の中に大きなお城があります。そのお城の一室に、ほこりをかぶった古い衣装箱が置かれています。部屋の主はもうおりません。
そして誰からも思い出されることがなくなった長靴は、その中でようやくしずかな眠りについたのでした。









どっとはらい


2008/8.10
※7/28 ブログにアップしたものを加筆訂正しました。